登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2012年10月例会より


目次

1 親の会と「嵐」!    かえちゃん

2 「息子のことを夫に言えない」Mさんへ   内沢 達

3 娘に笑顔が戻ってきた!     Aさん(母)

4 わくわくがたくさん!    ここさん

5 自分を大切にするようになったのは息子のおかげ    しずりんさん

6 「ちなちゃん、キラキラしてる!」「でしょう!」   ちなちゃん

7 「素敵循環」   透さん・明子さん




親の会と「嵐」!    かえちゃん



親の会の翌週に娘とふたり、東京であった嵐のコンサ―トに行ってきました。ファンクラブに入って3年、やっととれたチケットで、もうすごくよかったです(笑)。嵐のメンバ―がひとりひとり席まで来てくれたので目の前で見ることができました。

駅を降りた時から会場までものすごい人で、グッズ売場は5時間待ちと言われたので、グッズを買うのはあきらめました。コンサ―トは歌やト―クで3時間あり、私はほぼ立ちっぱなしで、ジャンプしっぱなしでした。(笑)


―――今19歳の息子さんが高1で退学したんですね。息子さんは川内から新幹線に乗って鹿児島の高校まで通学していたので、毎朝、あなたは車で駅まで送っていたのね。行きたくないのに無理やり行くように言って、その時の気持ちが一番辛かったのね。


そうですね。車から降ろした時の息子の後ろ姿は今でも忘れられないです。
思い出すと今でも涙が出ます。

高1の2学期から行かなくなりました。私が午前中仕事が終わって携帯を見ると、学校から「来ていません」とメ―ルが入っているんです。息子の携帯に電話をして「どこにいるの?」と聞くと、「駅」と言って。鹿児島中央駅のトイレにずっといて、トイレの中でお弁当を食べていたというのが一番悲しいです。


―――その時は、「どうして学校に行かないの」と不安でいっぱいでしたね。


そうですね。私がこのまま学校に行きなさいと言い続け追いつめたら、息子は死んでしまうんじゃないかと思いながら行かせていました。心の中でこのままじゃきっと後悔する、とわかっていて、でも自分もどうしていいかわからないから、やっぱり朝起こして駅に連れて行って。その時はいっぱい本を読んでいて、母親の育て方がこうだからそうなったという本や、ゲ―ムをいっぱいしていたからこうなったとか、自分を責めていました。

高校のカウンセリングにも2回くらい行きました。そこでは医者や学校の先生の子どもさんにはそういう子が多いと言われました(笑)。夫は心配はしていたと思うんですが、何も言わなかったので、それは助かりました。

インタ―ネットで親の会のHPを見つけ3年前の9月に参加しました。「不登校」で検索すると一番最初に鹿児島の親の会が出てくるんですね。

当時は毎日一緒にいる姑も、なんとなく中学の時にいじめがあったということを知っていて、「他の高校に行って、塾に行かせたらいい」と言いました。それで鹿児島に通学させながら、駅の近くの塾にも行かせていました。でも息子はやっぱり塾も休んでいて、いつかこうなるなあとは私も思っていました。

親の会に参加して、「学校に行かなくていい」という話を聞いて、私の気持ちが楽になり、私はこう言ってもらいたかったんだと思いました。


―――今、すごく幸せでしょう。


はい、息子は明日19歳の誕生日です。家で穏やかに過ごしています。初めのうちは妹にあたったりとかありましたが、今は仲がいいです。息子が私達に気を使って、それに私が気を使うこともあったんですが、別に気を使っていてもいいのかな、そこまで私が考える必要はないんじゃないかと思って普通にしています。

姑がデパ―トの友の会の積み立てが満期になったと3冊分の商品券を息子に「ス―ツでも買いなさい。頑張んなさいと言って」と夫に渡しました。私はそういうのが嫌なんです。夫に言うと、「気にしないで皆の洋服を買って、好きに使えばいいよ」と言いました(笑)。私も、「もしも息子のことで口を出してきたら、返すから」と言って。


―――あなたがそんな態度をとったことがあるの。


ありませんけど(笑)。返したらそこでまたごちゃごちゃなるのがわかるので「とりあえず預かっておくから」と言いました。

先月、夫が母の歯の治療をしないと言ったんですが、今母は治療に来ているんです。親子ってこんなもんなんだな、私がやきもきすることはないんだなと思いました。

ほんとうに親の会がなく、「嵐」がいなかったら、私はこんな考えになっていなかったと思います。(笑)


―――「嵐」にワクワクできる自分はなんてステキ!と褒めてあげましょう。そういう干渉みたいなことも、あなたが生き生きとした姿を示していけば、何も言わなくなっていきますよ。






「息子のことを夫に言えない・・・」Mさんへ   内沢 達



(息子さんは無理をして学校に行き、高校を卒業し、2年後大学に進学するも退学。「お父さんには言わないで」と言われ、母親Mさんは「約束」する。その息子さんは、「お母さん、僕は死ぬから」と言う。)


―――(内沢達):いずれ遅かれ早かれおつれあいさんにも知れることです。「約束」とおっしゃいますが、息子さんがどう言っているかが大事なのではありません。また息子さんの言うとおりにすることが息子さんを尊重することでもありません。息子さんは今の自分の状態が認められないものだから、「お父さんには言わないで!」と言っているんです。言わない、知られないうちに頑張ってなんとかしたいと思って言った言葉でしょうが、見通しはまったくありませんね。

そうしたときに「あなたが納得してくれたら話すし、そうでなかったら話さない」といった対応は、どうしたらよいかわからなくなっている息子さんをさらに苦しめることでもあるんです。子どもを尊重する、いや子どもに限りませんが「相手を尊重する」ということは、「相手の言うとおりにする」こととイコールではありません。

みなさんの体験に共通しています。子どもが辛く苦しそうにしていたら、少しでもなんとかしてあげられないものかと思うのが親心です。でも、子どもの発する言葉などを真に受け、親がいろいろとやってしまい、逆に子どもの辛さに手を貸してしまっていることが少なくないんです。

鹿児島の親の会のとっても大事な教訓のひとつは、「子どものことは子どもにまかせ、親は何もしない」ということです。親は子どものことではなく、自分自身のことに一生懸命になったらいいんです。

その具体例をひとつ紹介します。遠く兵庫県ですので、そう鹿児島の例会に来られません。妙子さんのことです。妙子さんの息子さんはお節介な保健師さんのすすめもあって、精神科に通うようになり、すっかり薬漬けになってしまいました。妙子さんは息子さんの薬のことをすごく心配しています。それは当然だと思います。

そこで、僕は言うのですが、薬をやめるかどうかは息子さんの課題だけど、「お母さんは薬はやめてほしいと思っている。薬は必要ない、よくないと思う」と息子さんに言うのは妙子さんの課題なんですよ、と。

そう言ったら「子どもにまかせたことにならない」と思われるかもしれませんが、違うんです。薬を止めるか止めないかは息子さんの課題で、息子さんに委ねるほかないことですが、自分の気持ちや考えを一番大切にして息子さんにも言えるかどうかは自分の課題なんです。薬について、自分がそう思っているのなら、遠慮せずにそう言うのが、自分に素直で、自分が自分の主人公になるということです。

妙子さんの場合は、おつれあいさんとの関係で自分をもっと大切にしなければいけない、より重要な課題がありますが、息子さんとの関係でも、このように自分の課題として取り組んだらいいことがあるということです。

自分の課題ですから、この場合はそう言えたら、息子さんの前で表明できたら、それで十分なんです。それに対して息子さんの反応があった、なかった、あった場合にはどういうものだったかなどは、じつは問題でないんです。はっきりと言えたら、表明できたら、自分をほめてあげる。そうしたことを繰り返しやっていって、自分に自信が持てるようになることが大切です。上手く言えるかどうかではないんです。自分の気持ちを一番大切にして、まずは一言でも言えたら、自分にハナマルをあげましょうということです。

Mさんも参考にしていただけたらうれしいです。自分が言いたい・したいことを二の次にして、「息子がこう思うんじゃないか」とか「夫はどう思うだろうか」といったことに囚われるとやっぱり自分を大切にしているとは言えません。息子さんのことは、息子さん自身が時間はかかっても自分で道を切り開いてゆきます。おつれあいのことも、やはりおつれあいさん自身がやっていきます。だから、Mさんも自分自身のことに一生懸命になったらいいと思います。

緑色の冊子のタイトルのように、みんな「自分が自分の主人公!」なんです。
自分の気持ちや考え方を一番大切にしてやっていく。
人は変えられないし、変えようとしてはいけないけど、自分は自分次第です。
自分が元気に幸せになれたら、うれしいのは自分だけではありません。まわりの人もうれしいんです。親が自分の課題に取り組んで、まっ先に幸せに元気になることが子どもへの一番の応援でもあるんです。


―――息子さんはお父さんのことをとても求めていると思います。「お父さんは高校時代のお前の辛い気持ちがわからなかった。無理やり学校に行かせて申し訳なかった」と言ってもらいたいと思っていると思いますよ。


あなたの夫は高圧的なところがあったとしても、あなたが震えながらでも言ったら何も言わなくなったんでしょう。言わなくなったということはあなたのお気持ちが通じているということです。あなたが相手を「心配」しないで「信頼」して、自分の気持ちを夫にも息子さんにも伝える。今がそのチャンスだと思います。

夫婦で話し合って、親として息子さんにちゃんと謝まり、あなたは私たちの大事な子ども、かけがえのない命なんだということを伝えていくと、道は必ず開けていくと思います。せっかく息子さんは訴えてくれているんですから、それに答えなくてはいけません。あなたの夫はちゃんと聞いてくれる方だと思いますよ。
(そう思います)


―――(内沢達):緑色の冊子のなかの「“心配”しないで“信頼”する」を是非お読みになっていただきたいと思います。子どもは辛いとき、せめて親にだけは自分のことをわかってほしいと思って、「なんでこんなにも親を困らせるのか」と思われるようなことを言ったり、したりするんですね。そうまでしないと親は自分のほうを向いてくれないからです。

そうした子どもの状態は異常でもなんでもない、おかしくないんです。なのに、表面だけ見て子どもの状態を否定的にしか受け止められず、「この子をなんとかしなければ」といった「対応」に走っている親御さんがとても多い。でも、それは大きな間違いです。

どだい「人が人をなんとかできる」ものではありませんし、また「できる」としても「人が人を変える」なんて、とても恐ろしいことではないでしょうか。誰もが、みんな、自分が自分の主人公です。人から変えられてはいけない。変わるときは自分の意思で変わっていく。それが人間だと思います。

また「この子をなんとか」ではないにしても、「そういったわが子にどう接したらいいか?」といったこともよく聞きます。これも子どもの状態を否定的に見ているからこその問いで、じつは問い自体がおかしいんです。

わが子が今のような状態でなかったときは、だれも「どう接するか」なんてこれっぽっちも意識しなかったはずです。それが普通の自然な親子の関係というものです。子どもが大変そうだから、辛そうだからといって、特別な接し方を考えないことです。

鹿児島の親の会の三原則の2番目は「子どもの言いなりにならない」、3番目は、「ガラス細工を扱うような、腫れものにさわるような接し方をしない」です。


どう「する」かよりも、どう「しない」かを意識したほうがいいんです。

子どもは自分のいまが認められないときに、親から気遣われることは、とても辛いんです。自分だけがダメならまだしも、親までが心配や苦労から元気をなくしていると、うわべとは違って「それも自分のせいだ」と自己否定を強めてしまいます。

「子どものために」と親が自分に無理をするのは、「ためにならない」どころか、逆に子どもを苦しめます。親は「子どものために」という考え方はやめて、「自分のために」と発想しましょう。

鹿児島の親の会の一番の実績や教訓は、われわれ親が自分を第一に考え、自分を一番大切にするようになって、僕ら自身がとても元気になってきたことにあると言ってよいかもしれません。そのきっかけもわが息子や娘が不登校や引きこもりの形で順調につまずいてくれたことにあります。そのような親の存在は、子どもにとってとてもうれしいことです。

だから、Mさんの例で言うと、Mさんの思いをおつれあいさんに伝えるのは「息子さんのため」ではないんです。自分の思いを伝えるんですから「自分のため」なんです。

夫婦が率直に話し合うのも「子どものため」ではなく「自分のため」で、次いで夫婦二人のためです。

結果として、子どもにも間違いなくいい影響がおよびますが、それはあくまでも結果で、それを目的にしてはいけません。自分のことは自分次第でやることができ、どんどん元気になっていけるんです。そうかなと思われたなら、是非予想を立ててやってみてください。






娘に笑顔が戻ってきた!     Aさん(母)



9月6日に娘が退院しました。


―――娘さんは大学の時に京都で引きこもり、拒食になって命が危険な状態になり病院に入院したんですね。


京都から連れて帰ったその日に倒れて入院したので、家に帰って来たのは2年半ぶりです。寝たきりの状態が長かったので手足の関節が固くなって、車イスで生活していますが、自分で車イスで移動することはできます。手も自分で食べる分には支障がないようです。週に1回リハビリに通って、後は自宅で午前と午後の2回私がリハビリをしています。

今24歳です。食事は食べすぎるくらい食べるようになって、甘いものも欲しがりますが、最近体重が増えたことを気にして体がきついと言っています。
家にいても退屈なのでドライブに行ったり、外に出たがります。

笑うようにもなりました。一時期は全くしゃべらなかったのに、病院でのおもしろかった話とか、大変だった時の話もふたりで笑って話せるようになりました。冗談で、「三途の川を渡れなかったね。光が見えた?」と言うと、「何にも感じなかった。意識がなくなって声を出そうとしたけど声が出なくて気がついたら病院だった」と平気で話します。

「病院でこんな体験をした人はいないから24時間テレビに応募したらと言われた」とか笑って言うのでよかったなと思います。






わくわくがたくさん!    ここさん



息子は高校に入学したときに、部活動の先輩といろいろあって中退しました。うちも息子の暴力がありました。家の中の壁には大きな穴があいているし、リビング側の障子は骨組みが折れ、フスマもボロボロで、私がはずしてしまいこんでいます。1階は奥の押し入れまで丸見えです(笑)。

私へも肩をたたいたり、足をけったりして、大きなアザができて職場へ通ったこともありました。職場へ向かう車の中で余りの痛さに涙が出たこともありました。私の職場では「学校へ行くのはあたり前」という考え方が主流でしたので、居心地も悪くてやめました。もうだいぶ前のことなので、忘れてしまっていますけど・・・。

当時、息子は、動画やニュ―スを見ていて学校関係のことが出るとカ―ッとなって荒れました。私がいない時はまだイライラだけなんですけど、私を見ると「なんでおれを生んだんだ。おれは死にたい。自分を殺してお前も殺す」とワァ―となっていました。

「薬を買ってこい」と言われて買いに行き、いっぺんに20錠飲んで寝てしまったこともあり、心配の余り朋子さんへ電話をして、それから親の会へ行こうと思って、参加するようになりました。


―――あなたは息子さんに随分責められてね。それに必死で応えようとしてね。いま考えると、ただうなずくだけでいい、「あかべこ」なんだと、いい言葉ですねえ。


昔のことを思い出すんでしょうね。あの時、こんなことを言ったのはなぜだと、私達が考えもしなかったようなことで怒っていたんだなぁとわかりましたね。「あの時、オヤジはこう言ったけど、あれはまちがっている」とか…。そういうことで傷ついていたんだとわかったので「ごめんね」と謝りました。


―――あなたは合唱に夢中になって、息子さんをほっておけるようになっていったのよね。


私が最初、親の会へ来た時に、「みなさんのワクワクはなんですか?」と言われて、「子どもが学校へ行かないのに、ワクワクなんて?!」と思いました(笑)。

でも自分がワクワクを見つけようと思ったとき、親の会の考えが背中を押してくれました。これもあれもしたいと思ったとき「していいのかなぁ」と悩みましたが、「どんどんしなさい」と言って下さったのでどんどんやりました(笑)。


―――県民「第九」に参加したりやアロマの資格もとったり。愛犬も息子さんに任せて家を留守にできるようになったり。「お母さんはあなた達のおかげでいっぱい好きなことができるようになった」と言ったんでしょう。


はい。息子が「自分だけ幸せになりやがって」と言ったので、「それもあなた達のおかげだよ」と言いました。


―――息子さんの安心がとてもよくわかる言葉ですね。息子さんはお父さんと口もきかなかったけど、今年の4月にお父さんが自宅へ帰って来ることができたのね。


まだ互いに避けています。今までは2人の間に私が入って、息子に「下にお父さんがいるよ」とか、夫にも合図したりしていましたが(笑)、もう疲れてきて母の入院で私が家を留守することがあってから、もう任せようと思って…。どうにか家の中は、いい感じかなと思っています。


―――とってもいいお話ですね。単身赴任のお父さんと4年半会わなかった息子さんが、あなたがアロマの資格を取るために2週間家を留守したとき、お父さんが帰ってきて息子さんに弁当を届けたりして、顔を会わせたお話は感動的でした。






自分を大切にするようになったのは息子のおかげ

しずりん
さん




映画「あなたへ」を夫と観に行きました。夫はテレビドラマは観ないので嫌いだと思っていたんですが、夫を誘ったら意外と「行く」と言ったので一緒に行きました。昔は券を買ってちぎってもらっていたのに(――大昔だね)(大笑)、今はタッチパネルになっていてびっくりでした。

映画はとても良かったです。でも前から3番目に座ったので、音がうるさくて大変でした(笑)。先月の親の会で、たっちゃんが泣いたと言ったので、「お父さん、ハンカチ持って行かないとだめだよ」と言って(笑)、ウルッとするところはありましたが、オイオイ泣くまではなかったです。(笑)


―――そうやってふたりで楽しい時間が持ててなによりでしたね。
息子さんが中学で不登校になったときに病院にも行ったのね。



毎日学校に行く前に、息子は頭が痛い、お腹が痛いと言うから脳波を取りに行ったり、小児科に週に1回は行って、最初のうちは良かったけど、14歳の子に「こんなに一番元気で盛んなときに、学校に行かないなんて、なんてことだ」「人生の敗北者だ」とまで医者に言われて、「えーっ! それはない!」と思って、そこの病院には絶対行きたくないと思いました。

息子は、頭が痛い、お腹が痛いと身体で訴えて、それなのに病院でひどい言葉を言われて傷つきました。あんな言葉は絶対に言ってほしくないですよね。

それから息子は「自分で治す力があるんだ」と言って病院には行きませんでしたが、2年前の成人式に行って飲み会のあくる日インフルエンザにかかったときは、私は「あんたは、け死んが(死んじゃうよ)!」と脅して行かせました(笑)。
その頃、夫がくも膜下出血で倒れて、息子が一番私を支えてくれました。


―――息子さんが学校に行かなくなったとき、あなたはすごく落ち込んで周りとも付き合いが出来なくなって、家に引きこもって、「何がワクワクかよ」と言ってたのね。(笑)


お花作りが好きだったんだけど、息子がこんな状態なのに、私はお花作りなんかしていられるかと思って、子どものために母親として何をしてあげたらいいんだろうと一生懸命考えていました。そしたら木藤さんが「あなたが、子どもに代わって学校に行くわけにもいかないでしょう」と言ったので、それもそうだと思いました。


―――親の会はそのころ知ったのね。


息子は中2の体育祭が済んだ頃から行かなくなって、ピアノを習っていましたが、ピアノの先生の娘さんも学校に行かなくなって、その先生から、この親の会の会報を見せてもらって、「HPもあるし、例会にも行ってみたら」言われました。

ドキドキしながら「どんなところだろう」と、親の会に参加しました。それが中3のときで、隣の席にいらしたSさんから「続けて来たらいいですよ」と言われて、それからずっと6年間来ています。

私も親の会に参加するようになって、自分を大事にすることを学んで、結婚以来27年間夫の実家に盆とお正月帰っていたのを、行かなくていいようになって、それが何回も言いますが一番嬉しいです。(笑)

夫の家族が紅白歌合戦をワーワー笑って観ているのに私だけ台所で茶碗を洗ったりしていたので、「私の存在はなんなの」と思っていましたから。鍋物の時は、私が座ると、もう煮詰まってしまって辛くてしょうがないものになっていて、お正月は悲しくて、そのことを夫に言ったら「食い意地がはっている」と言われたので(大笑)、そんな事じゃない「食べるものが何もないじゃなくて、私の存在はなにもないじゃない、家政婦なの」と悔しくて言いました。(笑)

今は夫の実家から野菜をもらったときだけ電話してお礼を言います。
息子が行かなくなった最初のころは私は泣いてばかりで、でもこの会に来て、自分を大切にできるようになって、我慢しない、嫌なところには行かないというようにしています。最初は息子を何とかしようと思ってこの会に参加しましたが、自分を大切にすることを知って、パソコンも今では出来るようになったし、息子のおかげだなと思って感謝しています。






「ちなちゃん、キラキラしてる!」「でしょう!」

ちな
ちゃん



ここさんと合唱の練習に行っていて、12月21日港大通り会館でランチタイムコンサートの初舞台があります。どんな歌なのかはお楽しみ(笑)。

長男は自分から行こうかなと動き出し通信制高校の1年生です。長男は低学年の時から行きたくないと言って、私は「お腹痛いときは保健室に行っとけばいい」「気のせいだ」と(笑)、行かせていました。

次男は今中学1年ですが、小学1年生の夏休み明け暫く行って、「もう行かない」と言って、ぱったり行かなくなりました。どうすることもできなくて、「もう、いいかな」と思いました。

私自身が高校を辞めているんです。だから、自分では理解があるつもりだったんですけど、1年生は、「エーっ、早いのかな」と思って、昼間の時間を一緒にどう過ごしていいのかわからず、インターネットでホームスクールを見て、こっちに乗り換えようと、教育相談にも行ったりしました。そしたら、それぞれの学校の校長先生の裁量に任せているので話してくださいと言われました。

「子どもの首に縄をつけてまでは行けないですから」と断りを入れて、後は担任がクラスのみんなの手紙を持ってきたり、プリントを持ってきたりしました。


―――子ども達が学校に行かなくなったことで、辛いなと思ったことは。


それはないですね。


―――自分のことで辛かったことがあるのね。(そうです) 結婚してふたりの子どもにも恵まれて、でも、自分がこの世にいてはいけない存在なんだ、この世に生きていてはいけないんだと思い込んで、自殺未遂して救急車で病院に運ばれたんですよね。種子島から看病に来たあんなきれいなお母さんに八つ当たりしたりしてね(笑)、あのときが人生で一番辛かったのね。


そうですね。あの時は、私自身も死んだと思っていたので…。それ以前に体がだるくて心療内科にも通って、相談したり話を聞いてもらったりし、その時は何か病名がほしかったなあという感じで、何か建前があればゆっくり出来ると思っていました。病名がついて「わたしはうつ病なんだって」とちょっと嬉しかった、「仕方ないんだ、何も出来ないんだ」というのを結構アピールしました。


―――そういうあなたを救ってくれたのは、あなたの夫や息子さん達ですね。


そうですね。だから、もう生き返りました。子どもがフリースクールに入って、でも辞めました。やっぱり教育にお金をつぎ込むというのは、違うのかなと思って。家は鹿児島市内で、姶良まで連れて行っていたので、私が連れて行かなければ友達関係が維持できないとか、ふと金で友達を買っているのかなと思ったら、ちょっと微妙だなと思ったりしていたら、子ども達も行かなくていいと言ったので辞めました。


―――先月のお話で「昔はがみがみお母さんだったけど、あなたたちのお陰でこんなに気が長くなりました。ありがとうございます」。子ども達と家族4人で楽しんでいるなあと思いますね。(ほんとに子ども達からすごく教わりました)ご夫婦の考え方が一緒なことも、幸せなのね。


夫が「ちなちゃん、キラキラしている」と言うから、「でしょう!」と言って、うれしいです。(大笑)






「素敵循環」    透さん・明子さん



―――明子さんが大きな病気をされたとき、透さんが支えられたのね。透さんがすごいスマートになって、最高時より10キロも痩せたんですって(すごい!)。この間は中国旅行に行かれたのね。明子さんは中国語話せるのね。


透さん:たっちゃんの話によく出てくる板倉聖宣さん(82歳になった)が「仮説実験授業は科学の授業だけど、社会の動きも予想して確かめてみないと本当のことはわからないよ」と言うのね。

板倉さんは最近、中国の政治史も研究していて、毛沢東と彭徳懐(ほうとくかい。毛沢東の個人崇拝や大躍進政策を批判してひどい目にあった)がほぼ同郷で、その長沙市周辺で、彭徳懐がいまどんなふうに扱われているかなということで、中国旅行に行こうということになりました。

板倉さんたちと一緒に行ったんだけど、お金がないと行けないから、食費を節約して貯めて、それで痩せました。(笑)


―――働いている時は海外旅行など、二人でどこも行かなかったんでしょう。退職してから、去年は地中海クルーズに、今年4月は台湾に行かれたのね。


とても幸せです。否定的な見方をしてしまうと「悪循環」してしまうけど、反対に素敵な肯定的な見方ができると「素敵循環」していくなあと思います。

退職前から板倉さんの研究会に参加するため、東京にはよく行きました。あるとき僕が「いま幸せです」と言ったら、板倉さんが「もっともっと幸せになりますよ」と言ってくれました。実際、幸せなことがいっぱいつながってきました。

13年前に明子が肝臓がんになったとき、板倉さんに励まされたんですけど、その励まし方が面白いんです。「うちの姉も肝臓の病気で死んだよ」と(笑)。そういう励まし方がある。こっちは、板倉さんがわざわざ電話をかけてくださって「うれしい」「ありがとうございます」という話をしました。

今度の旅行でささやかな恩返しができました。
ホテルに着いて板倉さんがトイレに行きたいと言ったとき、明子がホテルの人に話してすぐに案内されました。それぐらいの中国語はできます(笑)。

向こうは韓国からの観光客がとても多いんです。板倉さん夫妻がトイレに行って、ロビーの席が空いたところに体格のいい韓国人女性が座ろうとしたんです。そのとき明子が韓国語で「ここは私の両親の席です」と言ったら、向こうもわかってくれて板倉さん夫妻の席を確保することができました。


―――すごい、中国語だけでなく韓国語も出来るんだ!


明子さん:いえいえ、ほんの片言です。そんなこんなで中国旅行も楽しんできました。


―――明子さんが病気になる前「この人は何もしてくれないし、私はゆくゆくは離婚はしなくても別居する」と思っていたけど、病気になったときに透さんはいろいろしてくれて、料理も「こんなのを作ったんだよ」といろいろ写真にして病室に飾ってくれたりしたのね。大変な病気の体験もお二人の「素敵循環」につながっていくのね。



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最終更新: 2012.12.1
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