登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2013年3月例会より


目次


1 精神科病棟に勤めています     エミコさん

2 私って偉いなあ    なぎささん

3 そのとき私の言葉に、息子は「お−」と    永田俊子さん

4 春は心が少しざわざわする    しずりんさん

5 子どもの「将来」は、子どもが自分で決めていく   ジュンさん

6 子どもたちが私と夫の最大の理解者!    ちなちゃん





精神科病棟に勤めています     エミコさん



私は56歳の時に精神科の病院に勤めて10年になります。7月から思春期病棟ができます。不登校や引きこもりの子を看ていくので、私は嫌だなぁと思っているんです。今も学校に行かないからと、親御さんが子どもさんを連れて受診にきます。ほとんどの医師が「学校に行かないとダメだよ」という対応です。

私が閉鎖病棟にいる時に15歳の男の子が入院してきました。閉じこもり暴れるということで、学校や保健所の相談室に通ったあげくに受診しました。入院当初はほとんど食事を食べず、お母さんが持ってくるトマトを食べるだけでした。医者は「食べないとダメだよ」と言うばかりでした。

若い看護師と日常生活の会話をする中でだんだんと心を開いて会話するようになり、食事もとれるようになって3ヶ月くらいで退院して、外来で通院治療をしていると聞いています。お母さんに私はこの親の会やホームページを紹介しました。病院を受診すると病名が付けられ、そのための治療がすすめられます。その子も統合失調症と診断名がつけられました。

スタッフの中にも我が子が不登校だった方がいて、資料を渡すと、早くこういう考え方を知っていたらよかった、と言われました。わかってくれる同僚には親の会の考え方を話しています。


―――それまの人生の中ですごく大変なことがあって15年前に離婚したのね。その頃は家の中に閉じこもって不安な辛い時期を5年間過ごしました。でもだんだん働きたいという気持ちが出てきて、精神科の病院に就職したんですね。


私にはこの親の会があり、一緒に支えてくれる世話人もいたし、皆さんから声をかけてもらって、そういうことがないと私自身が精神科とか心療内科とか「専門」と言われる所に行っていたと思います。そこでは薬を処方されます。

病棟に若者も入院しています。その子達の話を聞くと、小さい頃義理の父親にいじめられたとか、自分の話を受け止めてもらえなかったとか、いじめがあったり、勉強にたいしての疲れがたまっていたりと、いろいろ理由があるんです。

でもその子に問題があるという見方で対処して、集団生活になじめないのはだめだ、勉強が遅れる、という言葉がたくさん出て、私達が勉強している親の会の考え方とは全く逆な考えでその子を見るんですね。

その子はとても辛くて入って来ているのに、専門という人からそういう言葉で言われたら、居場所がないですね。もっと自分を責めるか、職員に攻撃的な態度を取るかしかなくなってしまいますね。精神科は入院したら、家族は面会にあまり来ませんし、引き取ることもありません。秘密にしたいという感じで、外泊も許可しないでくださいと言われます。


―――精神科では、人の人格や生活にも口出ししますね。もっとしっかりしなさいとかね。とんでもない話ですね。


勤めた最初の頃は、その人のプライバシーも何もかもおかまいなしで、抵抗を感じました。小さい頃は?などいろいろ聞いたあと、じゃあ、あなたはこれからどうやっていきたいの、とぽんとそこに飛んでしまうんです。病院が持っているアパートで生活しているので、デイケアに通っている半分以上の方は生活保護を受けています。

パチンコ依存症の方が入院するとそこでお金がたまるので、退院するとすぐにパチンコに使ってしまうんです。デイケアに通院している人にお金を借りまくり、そこで迷惑だと言う声が上がって、入院になる。ギャンブルはもうしませんと言うけれど、またちょっとずつ貯まったお金を退院してパチンコに使うという繰り返しです。アルコール依存症もですね。


―――子どもを異常視して、薬漬けにしても、今も将来もうまくいかないということですね。あなたはそういう環境の中でも、味方になってあげようと頑張って偉いですね。


決して精神科には頼らないで、こういう場で気持ちをほぐしていって下さいね。





私って偉いなあ     なぎささん



1月1日に母が入居していた施設から、「何も食べないし、話もしないんです」と電話があり、検査の結果、脳梗塞とわかりました。それから9日間お別れする時間がありました。最初は夫とふたりで交代で付いて、子ども達も仕事の休みを取ってくれて、ふたり一組の3組で、交代で看ました。最後はやっぱり私と姉が看ている時に逝きました。母は亡くなる2時間前くらいに目にいっぱい涙をためて、「ありがとう」と言ってくれたんだと思います。98歳を目前にしての大往生だったので、皆で「ありがとう、ご苦労様でした」と見送ることができました。

家族葬で送りました。ひ孫たちが折り紙や絵を描いて棺に入れてくれて、孫代表、ひ孫代表が言葉を贈ってくれ、いいお葬式でした。普段は何もしない娘達が本当によく動いてくれて、感心し感謝でした。

踊りと三味線が大好きな母でしたので、施設ではいつも歌っていたそうです。職員さん達や同室の人にとても可愛がられて大変幸福な老後でした。私も親の会で学んでからは、自分の幸せを第一に、夫と子ども達、姉妹に支えられての介護でしたので大変ではなかったと、今振り返っています。

達さん、朋子さん、厚子さんが来てくださり、私の夫と5人で梅の花を観に行きました。とってもきれいでした。それからこの間はツアーで富士山を見に行ってきたんです。もうとても素晴らしかったです。天気が良くて、八ガ岳や南アルプスの峰々も見え、楽しかったです。


―――あなたはご両親や伯母さんを長く介護されて、お父さんを送り、お母さんを送って、今二人看ておられるのね。


施設に入所している認知症の伯母を抱えているんですが、私もこの親の会がなかったら、やっぱり専門家の話を聞きに行っていたと思います。そういう会がいっぱいありますものね。

姑とも10年間同居していました。あの頃は親の会に参加する余裕はなく、ニュースだけを読んでいたんです。すると介護についての話が載っていたんです。お互いに我慢するのはよくないという文章を読んで、「私はもう看ることができない」と夫に話しました。夫も「わかった。そのとおりだ」と言って味方になってくれ、姑も施設に行きたい、と言いました。本当に親の会のあの7行の文章がなかったら、今はなかったなあと思っています。

姑は教員をしていましたので、施設では書道やカラオケや皆さんの話を聞いてリーダーシップを取っていました。今は90歳を過ぎて、あそこが痛い、ここが痛いと言って電話が来ます。夫が行っていたんですが、私も時々行って、優しく接することができます。


―――自分のことを誉めてあげたいというのはどんなところですか。


私って偉いなあといつも思っていますね(笑)。(―――そう、偉いね)でもそう思わなかった時期もありました。もう大変だ、大変だと言って、ふたりの姉たちは福岡に行ってしまって、なんで末っ子の私が面倒を見ないといけないんだとか、なんで自分だけがといろいろありましたね。でも、今は、いつも私は偉いと思っていますね。実際、偉いし。(笑)





そのとき私の言葉に、息子は「お−」と   永田俊子さん



―――永田さんは先月、お母さんが「すっかりおばあさんになった」と言われたことに、「皆誰でも一緒よ、おばあさんになったということは、あらかた人生よかったということじゃないの」と言われたのね。

昔、私の母が白内障の手術をした後に「こんなにしわだらけだとは思わなかった」(笑)と言ったのに、私は「もう年なんだから当たり前だよ」と言ったんです。今になって母の気持ちが分かります。私も母と同じ年になって、自分は年を取ったと言ってもいいけれど、人からは言われたくない(笑)。

ですから、「お母さん、いつまでも若くてきれいよ、86歳になっても好奇心がおおせいね」と言ってあげるといいですね。


そうですね。母は元気になり、ハートピアから視覚障害者用の貸し出しテープを借りてきて、聞いています。

この1ヶ月、いろいろありました。今22歳の息子ですが、高1の9月から不登校になり、5年間家にいたんですが、去年の4月に高校認定試験を受けると言って予備校に通い始めました。今年の4月から情報の専門学校に入学する予定で、入学金と前期の授業料も50万円払いこんで動き始めるはずでした。これで一安心と思っていました。(笑)

1週間前、その日は息子の入学式のスーツを買いに行く予定でした。私がデイサービスに出かける母の準備を手伝いに行って帰ってくると、和室の床の間の鴨居に洗濯ロープが結び付けてあったんです。ええ!これはなんだ、とびっくりして、こんな時はなんて言うんだっけ、そうだ、みーやさんの言葉だと思って、お昼に2階から降りてきた息子に「お母さんより1日でも長く生きて」と言いました。息子は「お−」と言って、また自分の部屋に戻って布団をかぶって寝ました。さらに私は「お母さんはあなたの命以上に守りたいものはないから」と言うと、また息子も「お―」と言いました。

その日夫は仕事で、翌日夫に話さなければならないと思って、「何があっても3人で生きて行くが」と言ったんです。夫は「そのつもりだけど、いつかは出て行くよね」と言うので、「そうじゃなかったにしてもただ暮らして」と言いましたら、夫が「また何かあったか」と言いました。

いろいろ話す前に、今読まれた相談掲示板と朋子さんのレス「わが子の最大の味方は、親なのだけれど、わが子を追い詰めてしまう最大の加害者も親なのです」を読んでもらいました。この投稿に助けられたという感じです。

夫はこれを見て「このお父さんの気持ちがわかる」と言いました(笑)。「このお連れあいさんは学んでないからよ、でも私達は学んだでしょう」と言って、でも学んだのは私だけで(笑)、「今は責めないで」と言ったら、「わかった」と言いました。

学校から教科書代の請求が来て、息子に「どうするの?」と聞いたら、「まあ、待って」と言いましたので、息子がどうするかはわかりません。私は「どっちに決めてもいいから、あなたのしたいようにしなさい、お父さんとも話したんだ」とそれだけを伝えました。

でもここにきてこんなふうになって、私はまだ社会に出ることがすべてだ、と思っていたんだと気が付きました。(―――気がついたのはすごいじゃないですか)すごいですね。親の会と出会ってなければ、また息子を追い詰めるだけ追いつめていたと思います。


―――あなたは息子さんが不登校になって、息子さんを責めた時期があったのね。氷のように冷たくなってベッドの隙間に入っていた時もありました。そうしたらあなたのお母さんが、言ってくれたんでしょう。


親の会と出会って、私がだんだん元気になっていく様子を見て母は「あんたが元気になってくれたのが一番よかった」と言いました。


―――その時にあなたのお連れあいさんは、「一生、三人で暮らせばいいんだから」と言ってくれたのね。


そうですね。私はそんなのは嫌だ、とんでもない、そんな道があるものかと思っていました。でも今度は2度目でしたので、社会の常識はいい、命の方が大事だと思いました。そして2,3日で立ち直れました。


―――立ち直りが早い! だてに親の会に通ってきていなかったということですね。(6年間来ています)(笑)そんな風に言える自分をほめてあげましょうね。とってもいい体験をされました。





春は心が少しざわざわする     しずりんさん



永田さんの息子さんと私の息子は同じ年齢です。私は2005年6月から親の会に参加しています。息子は中2から不登校になり、ずっと家で過ごしています。

私の知り合いの息子さんは、高2で不登校になり1年休学したあと学校に戻って、今は大学生になっています。親の会では「子どもが自己肯定できないうちに動き出してもうまくいかない」と言いますよね。当時そのお母さんに「子どもは生きる力を持っているから何もしなくてもいいし、ただ一緒に暮らすだけでいいんだよ」と言うと、「子どもは学校に行くべきだし、親が何もしなくていいとは思わない」と言われました。

親がいろいろ言ったのだと思いますが、その子は1年で大学へも行き、車の免許も取ったのに、うちの息子は免許も取らず、大学へも行かずずっと家にいる、と思ったら、その子は最短距離で進んでいっているからいいよね、親の会の考えは間違っているんじゃないの、と思ってしまいました。(大笑)


―――(内沢達):しずりんさんは一方ではそう思いつつ、「でもそんなに無理している子は必ずうまくいかなくなるよね」と僕にたずねたので、「それはわかりません」と答えたんです。


―――しずりんさんの息子さんもそうなった方がよかったの?


うちは、学校に行きなさい、と言っても、行けるような状態ではなかったので、無理だと思っていました。この時期は卒業の時期で、近所の女の子も高校を卒業して短大に決まったと聞くと、「ああ、うちはまだ家にいる」とつい思ってしまいます。息子はいつまでもゲームをして、楽しそうに友達と話しているのを見ると、「ああ、いつまでも何しているのかねぇ」と思ってしまって・・・(笑)。「心配しないで信頼する」のが親の会の考え方だし、私も息子を信頼したいので、心の中ではいろいろ思ったりもしますが、息子には一切言いません。


―――3月はいろいろ葛藤ですね。


畑にたくさん出来たブロッコリーをおすそわけに持っていったら、「今、合格がわかったの」と嬉しそうに言われたのでなおさらショックでした(笑)。でも本人が肯定できないとダメだし、何年かかろうと引きこもった年数には関係ないという親の会の文章を何度も繰り返して読んで納得したり、でも同じ不登校でも1年で動き出す子もいるんだなあと心がざわざわしています。


―――あなたのおつれあいさんがくも膜下出血で倒れた時に、ご親戚から「息子を働かせなさい、あなたも働きなさい」と言われましたね。


「いいチャンスだから、これをきっかけにしたらいい」と義兄からも言われて、私も弁当を作って持たせましたが、3日で辞めました。遠方だったので私が車で送迎しなければならず、自分も働ける気持ちになっていないのに、息子にだけ働いてと言うのはちょっと変じゃないかと思って、今がチャンス、という言葉には違和感がありました。

私も周りから「収入がゼロだよ。早くパートの仕事でもさがしなさい」と責められていたので、息子にだけ働けと言うのはかわいそうで、なおさら息子の気持ちがわかりました。


―――それが答えですよ。それこそがまさにチャンスでしたね。あなたはパニックになって、親の会のことも忘れてしまって、貯金や保険も解約したのよね(笑)。

そういう時に息子さんに「働かなくてもいいよ」と言えた自分は偉いと思わない?(働けとは言えなかったですものね) 働けと言ったらどうなっていたと思いますか?(暴れたりしたのかな)

中3の時に、進学するか、就職するかの選択肢しかないと思っていた時に、「家にいるという選択肢もあるんだよ」と木藤さんに言われて、息子さんに伝えると、今までにない笑顔が返ってきたんでしょう。


それを思い出したら涙が出てきます(涙ぐむ)。人と比べない、世間体は気にしないと思っているけれど、3月という時期はいろいろ思ってしまって・・・。


―――以前親の会のニュースが間違って隣に配送されたことがあり、「どうしよう」と気をもんだこともありましたね。


隣の人も黙ってポストに入れてくれればいいものを、わざわざピンポンを押して渡してくれたんですよ(笑)。近所の人は息子の不登校を知っていますが、直接聞かれたり、言われたりはありません。息子も私が親の会に行くのを知っています。


―――それはあなたが堂々としてきたから言われないんですよ。かえちゃんも、かえちゃんが堂々としているから言われないのね。人の話は我が話ですね。


うちは家族5人仲がいいし、毎晩、夫と私と息子で乾杯してご飯を食べるし、それを考えると何でも言いあえていいのかなと、そっちの方へ落ち着きます。

今を生きることが積み重なって将来へ繋がっていくのだから、「今を大事に生きる」ことだと心から思い、自分にそう言い聞かせていますが、最近はそのことでざわざわしていました。

また暖かくなったら、土いじりを再開したいと思います。土いじりが大好きで、はじめたらご飯を食べずにやっても平気です。それくらい大好きで、無心になれます(笑)。今、ムスカリ、ノースポール、大きなラッパ水仙、ポピー等の花が咲いています。


―――大変な時は畑も荒れ放題だったでしょう。


はい、それを考えると今私は幸せです。息子はマイペースでのんびりしています。最近、夫と映画「東京家族」を観に行きました。俳優の妻夫木聡さんと息子の姿が重なって、涙が出ました。息子も我が家の助けになっているなぁと思って。





子どもの「将来」は、子どもが自分で決めていく

ジュン
さん




我が家はコンビニの経営をしています。娘は昨年春高校を卒業してからホテルの清掃係として働いています。同じ職場の人でとても尊敬している人から「お母さんはどんな人?」と聞かれて、「あなたみたいな人です」と答えたと聞き、私はとっても嬉しかったです。

今月は確定申告がありとても忙しく、疲れて長男のことを考える余裕がありませんでした。先日子ども達と食事をしていたら、長男が2階から降りてきて、「今、テレビでドラえもんをやっているよ」と言ったんです。それを聞いた娘が「お兄ちゃん、21歳にもなってドラエモンだって」と笑ったんですが、でも私はそんな息子がかわいいなと思って。この子は全然変わっていなくって、いい子だなあと思いました。


―――「ぶっきらぼうだけど、とっても優しい息子」とあなたは話されていましたものね。確定申告でお兄ちゃんのことを考えなくなったのはとってもよかったですね。先月、どうしてあなたは落ち込んだの?


お兄ちゃんの将来のことを考えてあげられるのは親じゃないですか(笑)。息子の将来についての不安が常に心のどこかにあるんです。考えても仕方がないことだというのはわかるんですが、実母の不安にかこつけて、結局は私の不安なんですね。

お兄ちゃんは何も変わっていなくていい子だよなあと思ったら、私ひとりが不安になっているんだとわかりました。親だから考えるのは当たり前だけれど、今は皆で楽しく暮らしているからいいんじゃないかとも思って。


―――「今が大切」と気がついてすごいじゃないですか。しずりんさんと同じですね。


私は今48歳ですけど、昔から「努力、一生懸命、根性、継続」という言葉をたたき込まれてきた年代です(大笑)。私はこれまで親のこと、店のこと、家事、子どものことと何事も一生懸命やってきました。子ども達には「努力したら必ず報われるよ。何か一つ好きなことを一生懸命やれば、きっといい方向へ向かうよ」と教えてきました。

ですから私の意見を子ども達に押しつけてきたのかなとも思って。今子ども達に言っても「ああ、また昭和生まれが始まった」「時代が違うね」ぐらいでしょうね(大笑)。

今を受け入れて行くしかないのかなとも思っています。我が子が不登校になるなんて、私の中では0%だったから、それを受け入れるところから始まったわけですし、本当に考え方が180度変わりました。変わらなかったら今はなかったと思います。


―――自分の考えをほめてあげなくてはね。考え方を大きく変えてくれた子ども達に感謝ですね。子ども達3人は自分を大切にして生きている、あなたは子ども達から、「自分を大切に生きる」人生を学んでいるんですね。

先月島根県から親子で参加されたお母さんが、「ジュンさんの気持ちがわかります。私も子どものためにするのが母の勤めと思ってきたんです」と言われたので、私は「それでは娘さんは行き詰ってしまいますよ」と言いました。子どもの立場になって考えたら、「子どもはほっといて、お母さんが幸せになってよ」ですね。

ちなちゃんが「私は親として失格、この世にいない方がいい」と言って、救急車で運ばれたこともあったんですが、ちなちゃんのお母さんが、もし「私は親として失格」と言ったら、ちなちゃんは耐えられなかったと言われましたね。同じようにお母さんが幸せ、を子どもにいっぱい見せることが、子どもにとってどれだけ人生の最大の応援になるかということです。


それから、よく言われるのが、「好きな事をひとつでもいいから見つけて、それにまい進しなさい」と言うのは大きな落とし穴ですね。Mさんへの先月の私の話を参考にしてください。

「好きなことを見つけて」という言い方 はやめた方がいいです。なんとか励まそうと言いがちな言葉ですが、好きなことがなければだめなのかと気持ちの負担になります。好きなこと=何か動いて と 今の状態を否定してしまうんですね。

人間好きなことがなくてもいいんです。生きていけるんです。あなたも辛い時にはダイエットや英会話どころじゃなかったでしょう。お兄ちゃんをかわいいと思えたら大丈夫です。そのことに気づいたジュンさんは、自分のことをほめてあげましょう。子ども達を信頼しさえすれば、大丈夫ですよ。



この前、本屋で英語のテキストを私が買ったら、娘は韓国語のテキストを買って、夜ふたりで勉強していました。発音がおかしかったのか、子どもたちが笑って、「ああ、これって、小さな幸せだなぁ」と思って、嬉しくなりました。考えるときりがなく不安になるので、考えないようにしています。


―――そうです、そうです。不安になるときは、先々の心配をしてしまうときです。子どもの将来は「親」じゃなく、子どもが自分で決めていきます。「先々の不安におびえて今を台無しにしない」ですね。家族が笑いあえる「今」を大事にしてください。





子どもたちが私と夫の最大の理解者!  ちなちゃん



―――先月は、お母さんが、「よかったね。子ども達が素直に育っている、これでよかったんだね」と言ってくれたことが、すごく嬉しかったとお話ししてくれました。あなたが自信を持っていけば、お母さんも「よかったね」と言ってくれるということですね。


そうですね。ほんと嬉しかったです。(―――さっきのかえちゃんのお話と一緒で、自分に自信を持つと、さらにわかりあえていく) そうですね、なかなか最初は、別に悪いことをしていない、ほんとはこんなにいいことをしていると理解してもらいたいのに、「そんなことを、まだ!」と言われて、ブチッとつぶされたみたいな気分になって、本当は受けとめてもらいたかったんだと、あとから思ったんです。

その時は、「年だし分からないか」とか(―――私と同じ年)(笑)、なんで分かってくれないのかと思ったり、と気持ちがうろうろした時期もあったんです。

学校の先生達がプリントを持って家に来るときも、「面倒くさいなあ」と思ったりしても、「私が今こうしているのがいいと思っているように、先生達もプリントを持ってくるのがいいことだと思って一所懸命やっているのかもなあ」と無下にもできなくて。

今年、長男が通信制の3年生になります。父親の仕事の手伝いをよくしてくれます。次男は中2になります。家で過ごしていて、最近はインターネットのゲームをしたり、音楽を聴くのが好きです。


―――次男さんが映画館に行ったら3人しかいなくて「貸切だ〜」と言って、登校拒否を謳歌している感じね。コーラスの発表会に、家族で来ていて二人ともかっこ良かったよね。


毎日、幸せだなあって何回も思います。子どもが生まれたときは、「私は子ども達の最大の応援団長になるんだ」と考えていたんですけど、途中で自殺未遂なんかしたりして自分を責めていたこともあったんですけど、ここのところよく思うのが「応援しているじゃなくて、実は子どもたちが私を応援してくれている」というのを、ひしひしと感じているんですよ。私が子ども達の一番の理解者、ではなくて、子ども達が私と夫の一番の理解者でいてくれる、全部逆だったなと感じるんです。


―――すごい大発見じゃない(笑)。そんなふうに思えるなんてとても素敵ですね! ちなちゃんの「幸福感」が伝わってきて、とても感動です。




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最終更新: 2013.6.14
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