登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2014年2月例会より


目次


1 私が好きなことに夢中になると……    ここさん

2 息子のことを堂々と    ちーちゃん

3 「いい子に育ったね」と母に言われ、とてもうれしい    ちなちゃん

4 「お父さんが一生面倒みるよ」    なおこさん

5 やっと親子3人で暮らせます    Mさん

6 親の会と出会って落ちついてきた    SNさん

7 見ている世界は全てたのしく映る    かえこさん






私が好きなことに夢中になると……    ここさん



息子は高校に入ってすぐ不登校になって、最初は穏やかに過ごしていたんですが、出席日数が足りなくなるころに、死ぬと言いだして暴言暴力が大きくなっていきました。私は命がなくなるんじゃないかと不安でした。小さい時の写真を貼ってそれを見て、生きていてくれればいいと思いました。その時のことを思うと、命さえあればと今でも思います。

初めのうちは私は、どうにか学校に行っていた方が将来いいんじゃないかと思い、本人も言っていたので、ちょっと休憩すれば行けるんじゃないかと簡単に考えていました。行くか行かないか、そんな簡単なものじゃないということが参加するにつれて分かってきました。姉も行かなくなって転学したり再入学したりを繰り返したんですが、結局中退しました。

バレンタインデーに息子にチョコをプレゼントしたら、すごく喜んでくれました。私にも「おいしいよ」とおすそ分けしてくれて嬉しかったです。夫にも今度は買いました。(笑)


―――息子さんがすごく荒れてきて、親はそれを何とかしよう、それに何とか応えよう、と言いなりになっていけばいくほど息子さんが荒れて行きました。あなたが自分の好きなことをするようになってから息子さんは穏やかになっていったのね。すごく大事なことですね。


息子のそういう状態だけを見て過ごしていたら、どんどん息子は荒れて行くし、私もどんどん消耗して行ったんですね。何か好きなことでしてみたいと考えて、アロマがしてみたいと思ったんです。それでアロマに私が夢中になっていったら、途中で息子が「自分ばっかり幸せになりやがって」と言ったこともあったんですが、それは決して私を責める言葉じゃなくて、ほっとしたんだと思います。息子も落ちついて行きました。親の会で、「いい言葉だね」と言われて安心して、そのまま突き進みました。


―――第九の合唱に参加したり、アロマの資格、タロット占いの資格も取られたのね。


この前銀行でタロットの本を見ていたら声を掛けられて、「夫婦の関係が仲が悪いわけではないんだけれど仲よしではない。相性を見てもらえますか」と声をかけられ、見て差し上げたらすごく喜ばれました。世間でもそういう話があるんだなと思って。(―――そういう話は世間ではたくさんありますよね)私達はここで夫婦のことも話題にしていて、そういう課題に気がついたことはすごくよかったなと思います。






息子のことを堂々と    ちーちゃん



今17歳の息子が、中2の1学期の最初の日に行けなくて、翌日むりやり行かせた日は顔色がおかしかったです。以来学校へ行こうとしませんでした。私立だったから、診断書をもらえば休めるとガイドブックに書いてあったので、息子を説得して精神科に連れて行きました。

私は、夜眠れないから学校に行けないんだと思っていました。医者も、夜眠れるように薬を飲ませなさいと言ったんですが、飲みなさいと言っても飲むわけないと思って、ご飯に混ぜたんです(笑)。とにかく飲ませなくては・・・と、今思えば自分自身がおかしいんですよね。

すると息子が「お母さん、ご飯に何か入れたでしょう?」と気が付いて、でも「入れてない」と言って、そのことがショックだったのか、それきり私の作る食事を食べなくなりました。その薬は本人が眠りたいと思って飲むと効果はあるが、逆の場合は悪く作用すると後から聞いたんですが、息子の場合は眠れなかったんです。息子が行きたくないと言うようになってから、インターホンが鳴るだけで「警察が来てる」と言ったり、不安が大きくなっていきました。

この会に初めて来たときは、行かせるつもりで参加したのに、なんか違うよね、と思って帰りました。一年後に、息子が生きているだけでいいんだと納得して参加を続けるようになりました。昨年くらいから息子も笑顔が見られるようになってきて落ち着いてきて、母子で楽しい会話を楽しんでいます。


―――先月のお話で、息子さんはひとりで食事をしているということでした。


小学生の時期から塾に行かせていたので、夕食のお弁当を持って塾に行っていたんです。学校に行かなくなった時に、夫から「だから俺は塾に行くより、家族でご飯を食べることの方が大事と言ったでしょう」と言われました。息子は食べている姿を見られたくないと言って、ひとりで食べています。

実は来週、ボランティア活動をしてきた仲間と25年ぶりに会うんです。その時にきっと近況を聞かれると思うんですが、その時に話そうと思っていることを文章にまとめてきたので聞いてもらえますか。

「17歳の息子は学校には行かず、家で元気にしています。学校に行かなくなった当初は、ひとりっ子のせいなのか、私の育て方が悪かったのかと悩み、自分自身を責める毎日でした。親の会と出会って、子育てに正解、不正解はないこと、息子が生きていることに感謝、親も子どもを心配するのではなく、信頼していっしょに暮らすだけでいいこと、私自身が自分を好きになり、楽しい、しあわせと思える毎日を送ることが大切と気付いて実践しています。忘れたいと思う過去や失敗は消しゴムで消せばいいというアドバイスをもらって、私も本当にそうだなと思って消しまくっています」。

これ伝わるかなと思って書いてきました。(拍手)

不登校を自慢する訳ではないけれど、悪いことをしているわけではないので堂々と参加したいと思います。


―――世間には、それはおかしいんじゃないと言う人は必ずいます。でも自分の思いを堂々と伝える、その自信が相手に感動を与えるんですね。不登校を否定的に見る人でも、堂々と自信をもつと、ああそうなんだね、と伝わっていくんですね。

だけどうちの子は不登校になってしまってどうしたらいいでしょうか、と我が子や自分自身を否定的に言うと、よかれと思って善意で人の人生に踏み込んでくるんですね。「悪事は善意から」です。そういう体験はたくさんありましたね。

あなたがそういうことを言えるまでに大きな自信をつけてきたことは素晴らしいですね。
感動しました。







「いい子に育ったね」と母に言われ、とてもうれしい

ちなちゃん




長男は小学校のとき、時々おなかが痛くて行きたくないと言っていたんですが、保健室に行けばいいがと言って行かせていたんです。次男が小学校に入学して1学期は行ったんですが、ある日途中で帰ってきたんです。翌日行かせようとすると、がんとして行かないと言って動かなくなりました。それで、しだいに長男も行かなくなりました。

ふたりともなんとしても行かせようという気はなかったですね。というのは私自身が高校を中退しているので、そういう思いがあると予想はしていました。

私が種子島の高校を中退したときは、私の両親はすごく泣いて、お願いだから普通のことをしてくれと言いました。校長室に呼ばれたとき、私は「親には言う必要はないです」と言ってあっさり辞めました。

そのあと、家にいると世間の目もあって、親もかわいそうだなと思い、職安で、住み込みで働ける職場をと、名古屋の美容室に住み込みで行って、3ヶ月で帰省してそのまま戻りませんでした。その後アルバイトなどもして美容学校に行きました。

息子たちは楽しく暮らしています。長男は通信制で、下の息子は中2で家で好きなことをして楽しそうです。

種子島の両親に、初めのうちは、小5と小1の小さい子どもにまでそんなことをさせるのかと言われて、傷ついて2,3年はほとんど実家と行き来しませんでした。2年くらい前に、母から「いい子たちだよね」と言われたことがとても嬉しかったです。今では行き来できるようになってとても幸せです。毎日楽しく暮らしています。

今日初めて参加された方のお孫さんが中2ということですが、次男も中2で小1から学校に行っていません。でもパソコンは私より出来て、よく私に教えてくれます。

私は以前、息子の勉強のことが少し気になって、私が家で教えたり、ドリルをしたりしていましたが、今は全く何もしていません。フリースクールに兄弟で行った時期もありましたが、私の中に、お金で友達を買っているような気持ちがあり、もし私が送迎しなくなったら友達関係はないんだろうなと考えました。そして自分にも友達がいないけれど、それでも生きていけると思いました。それで自然とフリースクールも行かなくなりました。

次男は同級生の友達はいませんが、お兄ちゃんの友達が遊びに来たりするので、兄やその友達と遊んだりおしゃべりしたりしています。心配は全くありません。


―――あなたのお母さんに「いい子に育ったね」と言われたことが一番の幸せだったのね。


はい、私の心の中で何が一番ひっかかっていたのかと思ったら、自分の親に認めてもらいたいという気持ちが一番強かったんだなと思いました。






「お父さんが一生面倒みるよ」   なおこさん



今31歳です。中2のとき不登校になりました。初めは父が親の会に参加しました。当時、父から学校に行かなくていいよ、と言われたことを覚えています。学校に行けと責められるような感じではなくて、ゆっくり過ごしました。今は家の酪農の仕事を手伝っています。


―――親の会の10周年記念誌『登校拒否は明るい時代の前ぶれ』(1999.11.28発行)に、なおこさんのお父さんの記事「お父さんが一生面倒みるよ」が載っています。ご紹介しましょう。


私がこの会を知ったのは、NHKの教育相談でおなじみの内田良子先生に紹介されてのことだった。結論から先に言うならば、今の楽しい我が家があるのは、そのためだといっても過言ではないとも思う。

天から降って沸いたような、私にとって事件が起きたのは、今では記憶も乏しくなりかけている3年前の初夏であった。子どもが学校に突然行かなくなったのだ。それから7月にこの会に初めて参加するまでの約2ケ月の間は、それはもう試行錯誤の連続で、今思うに、自分の行動力も大したものだなと思うくらいよく動いた。それも学校信仰のなせるわざであり、何らプラスにならない、むしろマイナス面の方が多い行動だったことが、親の会で皆様方の話を聞かせて頂いて、徐々に分かって来た。

私の相手になってもらったのは、学校はもちろん、児童相談所、県、市、病院、カウンセラー、塾、祈祷師、地元で同じ立場の父母、等々。考えつくもの全てに相談したが、そのどこにも着地することはなく、自分が落ち着くこともなく、何も変わらなかった。おかげで、学校の先生方のたて横のつながりの無さ、上からの押しつけ、児童相談所、教育センターとの変なつながりなどが見えてくるだけだった。

そして、この親の会だけに完全着地したのは半年くらいたった頃だったと思う。

最初、夫婦でこの会に参加し、我が家の現状を話した時、何か前が開けたような気がした。その中で、「うちの娘の場合と全く一緒でしたね」と言われたこと、また妻は、それぞれの方々から「ここにこられて良かったですね、大丈夫ですよ。一緒に行きましょう」と励まされたことを、今でもよく覚えている。

2回目からは我が家業の都合で、私が一人で毎回行くようになり、いつからかはよく覚えていないが、娘も一緒に行くようになり、長い道中、娘の好きな映画の話や好きなテープを聞かされ、手渡しの1口弁当を食べながら、2時間弱の道のりを約1年半くらい出かけた。

娘は、この会場には1回だけは入ったが、後は市、県の図書館で車を下りて、私が会が終了して迎えに行くまで、好きなことをしていた。

私が学校信仰から離れられたのは、そう長くはかからなかったと思う。妻も同じだったと思う。娘がどれ位かかったかは分からないが、現在は、私が見るかぎり、りっぱに育っている。娘から教わることも多い。

娘が一番喜んだことがあった。それはだいぶ前のことだったが、「学校には行かなくていいよ。お父さんが君の面倒は一生みてやるから…」と言ったことがあった。そのときの喜びようがとても大きかったと記憶している。

親として、子どもの将来性、また社会性など考えない人はないと思う。しかし、犬の子は犬に、人の子は人に、放っておいてもなるのだから、という考えになってからは、以前は子どものことが頭から離れなかったのに、最近では、ほとんど何も考えていないなあと、この文を書きながら思っている。

十周年を迎えられ、ますます増え続けるであろう学校問題で悩み苦しむ子ども達と親達の道しるべとして、今後共発展することを祈念致します。私どもも、この会を励みに生きて行こうと思います。






やっと親子3人で暮らせます      Mさん



―――Mさんは、今25歳の息子さんが高校のとき不登校になって、東京の大学へ進学したけれど、1年で退学したんですね。息子さんの「お父さんには言わないで」との「約束」を守ってずいぶん不安だったんですが、2年の長い時間をかけてやっと夫にも言うことが出来て、ご夫婦仲も深まって、滋賀に単身赴任のお連れあいさんのところに、この3月に鹿児島の家を処分して行かれるのね。そして息子さんにも帰っておいでと言えて、息子さんが住んでいた東京のアパートを整理して先月末に一緒に帰ってこられたのね。大きな変化でしたね。


はい。そうですね。息子と生活するのは7年ぶりですが、普通に暮らしています。(―――あんなに心配していたのに)はい。夫はどうなんだろうと考えると、また混乱してくるんですけど、私も息子も好きなように暮らしているし、自然にしゃべっていますね。

私の今までの大きな不安はなくなっていったけれど、今の不安は、夫とのけんかで、ふたりのときはいいけど、今度三人になったときに、どうかなとそれがとても気がかりです。以前、子どもがいたときは、夫に言えない自分の気持ちを子どもにぶつけていた部分があって、それを子どもが示してくれて気づいたんですけど、我慢をしていたらどこかに出るんだなと思い、それはしたくないなあと思って。

夫はカーッとなったら抑えが利かなくなってしまうんです。でも、何日かすると、また夫から何か用事を見つけて電話がかかってきて、普通にしゃべって。けんかしたときはいつも夫からかかってきます。夫は「ごめんね」とは言いません。私も意地っ張りなので自分からはしないです(笑)。でも、もしかしたらかけてくること自体が、夫なりの反省なのかなと最近ちょっとだけ思うようになっているんです。(笑)


―――三人でも大丈夫よ。息子さんは関係ないです。「オヤジとオフクロは、またやっている」と思うぐらいですよ。自分を大事にしないで、まわりを気づかって我慢する、これが最悪ね。息子がどう思っているかは、気にしない。親がなにもしないと、子どもは生きる力を身に着けていきますよ。大いに声を張り上げ堂々と言えばいい。すると息子さんは「僕は信頼されているんだな」と思うんです。自分が息子の立場だったらどうですか。こそこそやっていたら気分が悪くなりませんか。(そうですね。きっと嫌だと思います)

先月のMさんへの私のコメントは以下です。

息子がどう思うか、夫がどう思うか、世間がどう思うかとまわりばかりを気にしていたんだなと気が付くチャンス。自分がどう思うか、自分の考えを最優先する。それが「まっ先に自分を大切にする」ということです。息子さんが帰ると言った時の最初の嬉しいと思った自分の気持ちに自信を持ちましょう。夫婦けんかも嫌だと思った気持ちを大事にして、おおいにしたらいい。三人で暮らしても、まずは自分の気持ちを大事にする、自己主張をする、そういうお母さんの姿がどれだけ息子さんへの応援になるでしょう。

あなたは、自分でひとつひとつ道を切り開いてこられましたね。
そのことに大きな自信を持ちましょう。家族がみんなが幸せになっていく大事な過程でした。

以前のことを思うと、一緒に住むということは、それだけでもすごいことでしょう。
ゆっくり休んで欲しいと言ったらいいですね。
早く動いてねと言わない、それは、そう思っているんでしょう。



はい。そう思っているし、息子も、何の基準か分からないんですけど「あと2年ぐらいはゆっくりさせてね」と言っていました。「別に、いいんじゃない」と言いました。そうやって言ってくれた言葉を、「よかった」と思いました。今までは焦る言葉ばかりだったので。


―――それは安心しましたね。以前「僕は、死ぬから」と言って、自分の部屋を全部整理して荷物を捨てたとき、あなたはものすごい不安を感じていたものね。


この親の会を続けるかどうかという2年前の例会に初めて参加して、続けてもらってよかったです(笑)。来月も出来たら参加したいと思っています。今からが本番なので。これからが大事なのかなと思うんですけど。(―――滋賀から来てください)(笑)


―――今までは、なるべく事実を直視しないようにしてきたのね。(そうです)息子さんは東京にいるし、夫とは離れているしね。でも今からは三人で暮らして、あなたがほんとに自分を大事にするかどうかの正念場ですね。

あなたのおつれあいさんは、あなたがとても大変なときに理解して支えてくださった。(はい)だから、自分の夫も息子も心から信頼しましょう。なによりあなたのかけがえのない家族なのですから。






親の会と出会って落ちついてきた    SNさん



長男が小6の時、強制的に連れて行って、泣いているのを保健室に置いてきました。中学の時はこちらのサイトを見ていて、行かせなくていいんだと分かって来たけれど、父親が強制的に行かせて、中2の時から荒れだしました。

次男は幼稚園のときから行ったり行かなかったりで、今中2で不登校です。


―――あなたは「中2の次男が学校に行ったら、いろいろ言われて傷付くだろうなと思う」から、「お母さんは嫌だと伝えている」ということでしたね。


やっぱり、友人と時間を合わせて、カバンも何も持たず行っています。
(―――ツーブロックの髪型で?)はい(笑)、職員会議で、その髪型でも入れるようにという話が出たと子どもから聞いたのですが、今は入れないようです。放課後行くと先生方に「出て行け」みたいなことを言われて、ちょっともみあいになったりして、(―――そういうのを聞いて、どうでした)ちょっと不安になります。(―――以前は、何回か学校に言いに行ったりしていましたね)あのときよりは気持ちは穏やかです。よくあんな力があったなと思って(笑)。今は関わらないようにしています。そのほうが気持ちが楽になりました。


―――学校に自分の気持ちを伝えようと思ってもうまくいかない。根本的には不登校を否定しているから、なかなかうまくいかないんです。そうするとまた不信感が出てきて、その悪循環で疲れるばかりです。自分の気持ちだけを言って相手に期待しないことですね。

学校の対応が問題だと怒っていると、学校という相手がいるときは元気そうでも、卒業して、その相手がいなくなると、やっぱりわが子と向き合わないといけなくなります。結局は我が子の方を見ているようで学校の方ばかり見ていたということに気がつくんですね。その間に大事な我が子の気持ちを置き去りにしてしまうし、自分の不安も大きくなっていく。 


長男さんは、以前学校で「問題だ」と言われ続けて、今はどうですか。


ちょっと言葉はぶっきらぼうですけど、そんなふうには感じないです。以前は、私が「あーしないと」「こうしないと」と言っているときは、家でもすごかったですけど、17歳ぐらいからは穏やかにしゃべるようになって、考え方も、それぞれあるというのも分かるみたいで、「お母さんはそうかもしれないけど、僕はこうなんだ」という感じです。


―――あなたが口を出さなくなったら、穏やかに過ごしている。(そうですね)
本当にわかりやすいよね。親がしなくなると、子どもってちゃんとするようになる。


下の子も、下級生と問題があって心配になるんです。私が「お兄ちゃんからも言って」「分からないようだったら、懇々と言い聞かせないといけない」と言ったら、信じてもらってないと思ったんでしょうかね、「お母さんも、お兄ちゃんもうるさい」と言っていました。


―――親の不安なんですよね。「あなたのため」と言いながら、じつは親の不安なのね。


こちらで勉強していなかったら、まだ言っていると思うんです。自分が不安なんだというのがわかるから、ちょっと自分を落ち着かせるようにしています。


―――お兄ちゃんも中学を卒業して…


ここだけは行きたいと、開陽高校の普通科に合格したんですけど、私だけが入学式に行って、先生から「もう、お子さんを自由にしてあげたらどうですか」と言われました。(笑)


―――いい先生でよかったね。今あなたの気持ちもやっと落ち着けるようになって、穏やかでよかったですね。






見ている世界は全てたのしく映る    かえこさん



中高一貫の私立の中3の12月から行かなくなって、息子はその高校には進学したくないと言うものですから、私が別の私立の高校受験の手続きをして、むりやり受験させて、高1の1学期に行き渋りはあったんですけど、2学期から行かなくなって、高1が終わるときに退学しました。毎朝川内駅の新幹線乗り場まで送って行って、でも息子は鹿児島中央駅のトイレで一日を過ごしているという辛い日々もありました。

親の会に来た最初の日に、本当はそう思っていなかったけれど、帰ってから、「行かなくていいよ」と息子に言うと、にっこり笑って、その笑顔が嬉しかったですねぇ。あのまま行かせ続けていたら息子の今はないだろうなと思います。今は家で元気で一回500円で家事のアルバイトをしてくれて、私よりずっときれいにしてくれます。(笑)

先週あの大雪の日に、私と息子と今度高校に入る娘と3人で3泊4日でディズニーランドで遊びました。雪の中でも人が多くて楽しかったです。まだ寒いので今回夫はお留守番で、行きませんでした。昨年11月に心筋梗塞の手術をした夫ですが、今は普通に働いていて、体重も10キロ痩せました。

大雪が降ったんですが、飛行機も飛んでディズニーランドまでのバスも走っていて、人もいっぱいでした。とても寒かったですが、夢の国なので平気でした(笑)。3日目は私と娘は原宿に行って、息子はひとりでディズニ―ランドをまわり別行動でした。息子は家の周りは出歩きませんが、ディズニーランドは終日ひとりで歩き乗り物にも乗って楽しんだようです。


―――つまり、不登校も引きこもりも異常じゃないということですね。あなたは息子さんが家にいることに対して何も違和感ないのね。


はい。自分の気持ちが不安だと、見るものすべてが不安に映るし、自分の気持ちが安心して楽しければ、見ている世界は全て楽しく映る、本当にそうだなあと納得しました。

夫が心筋梗塞で倒れた後、姑から話したいことがあると言われて、私は何か怒られるのかな、責められるのかなと思って行ったんです。

そしたら姑が「ごめんなさい、こんな息子にしたのは私だ」と言って謝ったんですけど、それもピンときませんでした。夫のことをすごく悪く言うので、でも私はそうは思わないし、「とっても優しい人だし、病院のこともいろいろ考えています。お母さんが思っているのとは違うと思います」と自然にそう言えました。


―――すばらしいですね。




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最終更新: 2014.3.21
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