登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2004年11月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.106


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


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 10月例会報告 家族の幸せ再確認して


 10月親の会に44人の方が参加してくださいました。
前もって学校で一方的にあてがわれていると何かを知りたいと思って夢中になる、ワクワクする気持を持てなくなってしまう。もったいないなあと感じてしまう。と、kさんは言います。
子どもたちからこんな新鮮な発見をもらっているんですね。



 15年を振り返って、いつしか自分の生き方、夫婦のあり方を学び、あるがままを受け入れていったという長谷川さん。
「家のなかに裁きはいらない」という言葉は重いですね。
 自分の生き方、ご夫婦のありかたにも突っ込んだ話が出され今月もほんとによかった!です。



板倉聖宣さんの講演会に 親の会から26人参加! 



 科学は楽しいもの、ワクワクするものなんだね。
人と比べたり、点数を気にしたりすることではないんだ、とシミジミ感じた一日でした。
 板倉さんから、「着実に仲間をふやすなんて素晴らしいと思いました」というメッセージをいただきました。





 
1.親の会で夫婦のあり方も学んで 長谷川登紀子さん

 2.お母さんのためにバイトはしないで Jさん

 3.
子どもの辛さに親は手を貸さない Nさん

 4.夢にも思わなかった穏やかな日々 Hさん

 5.知りたいと夢中になる子どもたちに感動 Kさん




親の会で夫婦のあり方も学んで 長谷川登紀子さん

―――(内沢朋子)(世話人):記念誌が完成しました。親の会の皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
読む度に校正をする度に、何度も何度も読んで、それでもこうやって記念誌として完成した時に言葉では表せない程また感動でいっぱいになりました。
ほんとに皆様のおかげで親の会を15年続けてきたと思います。




 
ですから、皆さん是非読んでいただきたい、読めばどんなに素晴らしいか分かります。
そして、普及もして頂きたい。税込みで千円です。
 郵送をご希望の方は送料込みで1160円です。
同封の振込み用紙でお支払いいただければと思います。
親の会のホームページにもたくさんの注文を頂いています。



長谷川登喜子さん:親の会の15周年記念誌が出来て嬉しいです。
15年間スタッフの方々が、ずっと私たちを見守ってくださって。
10周年、15周年の記念誌は私たちの宝物です。そして我が家の宝物です。



何も分からない時に内沢さんのところに駆け込んで、はじめのうちは自分のことばっかりで、人の話は聞いているんだけど不安がいっぱいでわからなかったんですけれど、自分の不安がなくなっっていくと人の話も良く聞こえるようになったというのが、この15年の過程でした。
毎回親の会で勉強してきて今があるという15年でした。本当にありがとうございます。



―――長谷川さんが呼びかけて親の会が始まったのよね。



 最初は、涙、涙で、どうしたらいいんだろうかとひとつひとつのことが不安な涙だったんだけれど、2年、3年経つうちに不安な涙はなくなって、楽しい15年でした。
 家庭の中でもいろいろあって、夫婦の在りかたも学んできました。
その度に私はどう生きたらいいのか問われてきました。



 正義として攻め込んでいったら、夫は立つ瀬がなくなるという時もありました。
そういう時に私は家庭の中に裁判官というか裁きはいらないと思い、それも含めて受け入れていこうと思ってきました。



 今、夫が病気になってそれも受け入れる、そして息子も1ヶ月もしない内に入院しましたが、それも受け入れて看てきました。
 その時その時を受け入れてこれたのは、親の会で学んできたからこそと思います。
これからも生きていく上でいろんなことがあっても、皆で話をしていったら安心できると思えるようになったのが、この15年の私の歩みです。




お母さんのためにバイトはしないで Jさん

Jさん:娘は学校を辞めてから結構家で楽しんでいます。
小、中学校で一緒だった人が高校を辞めて、今度は鶴丸を目指して頑張ると言っている子と電話したり遊びに行ったりしています。その子から批判されたみたいです。



 私は付き合わない方がいいんじゃないと言ったんですが、娘は親の会がバックにあるし、「自分の考えをちゃんと持っていればいい」と言います。
その子の好きな部分もいっぱいあって、そういうので付き合っていると思うんです。
その子は本当は高校に行きたくないんだけど、高校に行かないと勘当すると親から言われて、たぶん悩んでいると思います。その反動を娘にいろいろぶつけてきたんですね。



―――自分が悩んでいるからそうなるんでしょうね。



 私はあまり気にしなさんなと言っています。
 その子と3日位一緒にいたら、娘は「バイトしなきゃ」と言いだします(笑い)。私は「あなたはまだ16歳にもなってない、私は今ホッとしているのに、あなたがバイトをしたら又心配しないといけないじゃない。私のためにバイトはしないで」とすごく言ったんです。
そしたら娘は気が晴れたようでした。



―――あなたはずい分お元気になってきましたねえ。(そうですかね)
 
ご自分でも気持ちに無理をして仕事をして、疲れをずっと引きずっていたでしょう。



 玲子さんの書かれた記念誌の原稿を読んで、ああ、私も焦って仕事に行って、またすぐエネルギーが切れちゃったんだなあと思い、すごく参考になりました。
だから今度は絶対エネルギーを溜めるぞ、絶対休むぞと決めました。



 私の中には長男のことは全然なかったんですが、長男が6月頃大学を辞めたいと言ったみたいなんです。
 私は記憶がなくて…。成績表が送られてきて、2単位ぐらいしか取れていなかったんです。
今1年生ですが、学校に行っていなかったと言いました。
 どうしていたのと聞いたら、「前の家に行ってテレビを見たりパソコンをしたり、友達と遊んだりして時間をつぶしていた」と言いました。



―――あなたは夫と別居していらして、お父さんの家にいたんですね。



 はい、私は「ごめんね、あんたのこと全然考えていなかった」と息子に言いました。
「ほんとに辞めたいの?」と聞いたら、「うん、絶対辞めたい、もう続かない」と言いました。
私はもう辞めていいと言おうと思っているんですけど、それを今同居している私の母に言うのが怖くてまだ言っていないんです。
息子は自分で言うからと言いましたが、ちゃんと言えるかなあというのが今の悩みです。



―――大学に行ったら「学歴」がついて、決して「学力」じゃないですよ。
自分に「学歴」という履歴がついて、そのことが、何か将来にとって有利じゃないかと思ってしまうんですが、だけど実際は違うんですよね。




 
その大学自体が今おもしろくない、自分に合わないなということなのに、我慢してまで将来に投資するということが自分を駄目にしていくわけですね。
だから娘さんのことを見ながら息子さんも「自分を大事にしたいな」と思ったのはたいしたもんだと思いますよ。あなたがそれに動揺しないというのもよかったですね。




 息子は父親から暴力を振るわれたりして、たぶん選択肢がなくて無理矢理学校に行っていたんじゃないかなと思って、息子に聞いたら「うん、そうだったかも、学校を休むということは浮かばなかったもんね」と言いました。無理していたんじゃないかと思います。



―――(内沢達):途中ですけど、Jさんのお話について。娘さん本人がバイトをしたいと言っているのだからしてもいい。もちろんしなくてもかまいません。
 今、Jさんが「お母さんのためにバイトしないで!」と娘さんに言ったということですが、イイですね。


 

 
この15周年記念誌もそうですが、一人ひとりの文章は違うように見えます。
姿形格好はもちろん違いますし、そして一人ひとりの家庭それぞれに特色があって違うように見えます。でも違うように見えて法則的なんですね。
 それぞれがどのように明るく元気になっていくのか。その法則につながることが、Jさんのお話にあります。



 子どもと話すときのテクニックではけっしてないのですが、言葉遣いのなかにも大事なことがあらわれます。
 子どもに向かって「あなたのために」とか、「バイトなんかするとあなたが大変じゃない」という話は駄目なんです。
 そうではなくて、「お父さんのために」「お母さんのためにしないで!」と話をすればいいんです。



 
それでも子どもは言い返してきますよ。
「でも、俺は、私はやりたいんだ」と。でも「お父さん、お母さんがそう言うんだったら、しようがないな〜。親のために少しは考えようか」ともなったりするんですね。
子ども自身が自分で客観的に判断できるようになるきっかけを与えることにもなります。



 それを「あなたのために良くない」と言っていくと全然おかしくなっちゃいます。
「そういうことは言われなくたって、俺は自分のことを考えているんだ!」とね。



 
Eさん初めいろんな人が記念誌に書いていますが、親の会のテーマの一つは「もっともっと自分を大切に」ということです。
 まずは自分です。子どもじゃない。
 僕も自分が一番大事、自分が可愛いから、トモちゃんも大事にする(笑い)。
自分が気持ちよく毎日を暮らそうと思ったら、子どもの今を認めないと気持ちよくなれない、そういう考え方です。



 「自分を大切に」ということは、我々はもっとわがままになっていいということです。
自分を抑えて常に他人のことを考える、家庭内でも自分のことよりも夫や妻のことを考える、親についていうと、自分のことを犠牲にして、まず子どものことを考えるということは、よさそうで実はまったくよくない。子どもにとってこれほど辛いことはないんですよ。



 そうじゃなくて「お父さんは、お母さんは嫌だ!」という話をしてくれたら、違ってきます。「ああ、オヤジ、オフクロはそうなのか」と、冷静に考えられるようになるんですね。



 
娘さんも記念誌に書いていますけど、だから親自身が不安な時には遠慮なく「お母さんのために止めて」と言うのはとってもいいと思います。
 言い方はいろいろでしょうが、僕は法則的だと思いました。
親が自分自身の気持ちを率直に話すことはとても大事なことです。




子どもの辛さに親は手を貸さない Nさん

 
Nさん:娘は19歳です。
 大検を受けたいと言った時、「本当にそうしたいのだ。今そうすることが自分にとって一番大事なんだ」と娘に説得されて、納得したわけではなく、結局娘の言い分に負けてしまってそうなったんです。
娘と口論しても、娘を納得させられず、家庭教師の10回分のチケット代を払ってしまいました。



 しかし、家庭教師と勉強している娘の姿を見ていても、「勉強するのが楽しいし、これをやりたかった」というのは全然伝わってこなくて、本当に学校へ行ってる時みたいに、「勉強しなくてはいけない」という「ねばならない」だけが伝わってきました。
「ああ、やっぱりこれは違ったなあ」と私は思い、内沢さんへ相談しました。



 4月には娘もこの会へ来て、話をしましたが、内沢さんのアドバイスが頭ではわかっていても、失敗して、又電話で何回も聞いてもらって、お金を出さないのが一番だとわかったのです。



 しかし、娘は「出してくれないなら、バイトをする」と言ってバイトを始めましたが、結局バイトも辞めました。
 バイトが時給600円〜700円くらいでした。
家庭教師は2時間で5000円でしたので、あんなに大変で苦しかったバイト代を払うのはもったいないと本人が悟ったのです。
もし勉強するのだったら今からは自分ですると娘は失敗を通して学んでいきました。



 失敗から、本人も納得したのです。
私達親も10回分のチケット代を出してあげないのが一番良かったのですが、出してしまったので、その時の自分は今よりもわかっていなかったなあと思います。
切々と訴える娘の言い分に親だったら何とかしてあげたいと思ったのが、わかっていなかったのです。今は娘も落ち着いています。




夢にも思わなかった穏やかな日々 Hさん

 Hさん:息子は今21歳です。
幼稚園の時から行き渋りがあった息子でした。
しかし、私は「大学まで行かないと、いい職業につけないのよ」と言い続けて来て、それでも行こうとしない息子を無理やり学校までひっぱって行くことが毎日続きました。
息子はそのうちに熱を出したり、お腹が痛くなったりしたので、市立病院で脳波を計ったりして、なんとか小学校は卒業させました。



 中学校になったら、息子も「行く」と言ったし、実際1学期間は野球部にも入って頑張っていましたが、2学期になると又行き渋りがでてきました。
 中2の6月からこの親の会へ参加するようになりました。



 小学校の時は叩いても、親の方が力があるのでひっぱって行けたけど、中学生になると、体力的に難しくなりました。
私はなんとかして、学校へ行かせたいと思ってましたので、この会の「行かせないほうがいいんじゃないか」という考えがちょっと違うなあと思ってました。



 心の中では納得してなかったけど、7月頃息子に「行かなくていいよ」と言ったら、「お母さん、本当に行かなくていいの?」と息子に言われて困りました。(笑い)



 そして、中2の9月から完全に行かなくなりました。しばらく家の中に閉じこもっていました。
夜は一人でキャッチボールしたりしていましたね。
親の会へはなんとなく通ってましたけど、その内に夫は子どものことに一切無関心でしたので、夫ともうまくいかなくなり、子どもは閉じこもったり、家庭内暴力へと発展していきました。
その頃の私はもう学校へは行かなくていいから、家庭内暴力が収まってほしいと思ってましたね。



 学校なんてどうでもいいと思った頃、私はやっと息子の自己否定に気づきました。
小さい時から「いい学校へ行かないといい就職ができないよ」と言い続けてきましたので、そのことで息子は深く傷ついていました。



 そのうちに夫と離婚しました。夫にもこの会へ参加してほしかったけど、全然ダメで、夫と離婚したことで息子の居場所がなくなりました。
今までは部屋が居場所だったのに、外へどんどん出て行き、非行という形で表してきました。
たった1ヶ月間のうちに水が流れるように流れていきました。



 学校の先生方はなんとか学校へ戻そうとしましたが、息子は髪を染めてピアスをしていたので、学校へ入れてもらえず又帰ってくる日々の繰り返しでした。
朝帰りの日々でした。私はどうして無理やり学校へ行かせたのかしらと後悔し、学校へ行かなかったら悪い友人達とも出会わなかったのにと、子どもの心をどうして大切にしてあげなかったんだろうと思いました。



 中学の卒業式は学ランを着て、校長が話している時にだだーっと走ってきて、マイクを取り上げてあの子なりにみんなに何か言うつもりだったのでしょう。
途中で先生方に取り押さえられてしまったんです。
私は見ていて気絶しそうになりました。隣の人が「親はショックだよねえ、かわいそうだねえ」と言ったので、「その親は私です」と言いました(笑い)。



 校長先生に「君のおかげで卒業式が台無しだ。みんなに迷惑をかけて」と言われましたので、私も「息子にとってもこれが卒業式だったんです」と校長に言いました。



 中学卒業で、これでやっと学校と縁が切れたとホッとしました。
しかしそうではなくて、息子は保護観察処分中だったので、その条件として仕事しないと処分が取れないと言われ、学校が仕事に変わっただけで気持ちは追いつめられていく一方でした。
 


 私としてもすごく悩んで内沢さんたちからアドバイスを頂いて、「仕事をしなくちゃならないではなくて、息子の意思を尊重してください」とかけあってきました。
この子を守るのは私しかいないので、命をかけてこれだけは守らないといけないと思いました。



 ただ息子は私を否定し口もきかず、食事も食べず、暴走族に走り、あらゆることをして、夜中に私は何回も迎えに走りました。
「お母さん、息子さんのことを考えているんですか? 暴走して何人も命を落とした子どもさんがいるんですよ」と何回も何回も言われましたが、内沢さんに「その時はその子の寿命だと思ってオロオロしないで、腹をくくりなさい」と言われたことを思い出し、腹をくくって「どこに心配しない親がいますか? 心配だけど息子がそうするのだから、見守るしかないのです」と警察官にも言ってきました。警察の中では有名な子でした。



 私はこの会に支えられてやってきました。息子は徐々に心を開いて「お母さん」と呼んでくれるようになり、成人式も迎えられて、今は図書館へ通いながら本を読んだり、漫才師になるための勉強に打ち込んでいます。
漫才のビデオを借りてきて、それを見ている私がどこで笑うかを観察しています。(笑い)



 そんな日がくるなんて夢にも思いませんでした。
しかし、今が普通の状態ではなく、やっぱりイライラすると2,3日前にも物にボーンと当たるけど、私には手をあげませんでした。
長かったなあと思うし、学校に行っているあの子を愛するのでなく、生まれてきたあの子を愛するように、その存在を愛するように私も努力して、今からも決して見捨てることなく、やっていこうと思います。


 しかし心が弱いので、「ダメだなあ」と思うことが何回も何回もありますけど、自分自身もここに来て、前に出て話せるようになってきました。
最初の頃は、家の場合は非行だから、不登校とは違うなあと思って、皆さんとは距離を置いていましたけど、内沢さんやスタッフの皆さんが「決してそうじゃないよ」と言ってくださったので、なんとかここまでやってこられました。これで良かったんだろうなあと今思っています。



―――ご自分も自信がなくなって、人に会うのもイヤになったりなさったのよね。
それがこんなになって夢みたいですね。
(はい) 
学校へ無理やり行かせるのはよくないわねえ。(笑い)大事な教訓ですね。



 はい、そうですね。
小さい時は無理やり行かせてましたけど、子どもの意思を尊重するのがどんなに大事か、その子の人生だからその子が決めていくべきと思うし、私自身も私の人生は自分で決めていきたいと思っています。
 先のことを考えたら不安でいっぱいになるので、今日生きれたらよかったなあと思って、過去も余り振り返らないようにしています。



―――全部、親の不安なんですよね。
親の不安とどう戦うかなんですよね。親がどっしりしたゆりかごでないと決して我が子の不安を支えることはできないということですね。
そのことを長い、長い年月かけて、ひとつずつ納得されていかれたことが大事だと思いますね。それと過去を振り返らないということはとっても大事なことですね。




知りたいと夢中になる子どもたちに感動 Kさん


 Kさん:年月がたって自分がどんな環境にいるかで、気持ちが変わってくるんだなということをすごく思います。
 子どもたちが行かなくなって5年が過ぎて、行かないのが当たり前の状況です。
我が家の場合は子どもが「行かない」ことを選択しました。



 最初は、今行ってる学校が嫌なだけで自由な学校であれば行けると思い、夫婦で子どもたちが行けそうな学校を探したんです。
しかしその学校も「嫌だ」と言われ、その意味も分からず、ただ学校がいいところじゃないというのが自分の中にもありましたので、「嫌」というのに勧める気はありませんでした。
こんなに長くずっと行かなくなるとは思ってもみませんでした。
今はもう、学校は行きたい人が行けばよいと思っています。



 下の子は学校には1ヶ月しか行ってませんので、学校で何かを身につけたという経験がないまま、今もう6年生の学齢なんです。行かない子がどういう感じになるのかというのは全くわからなかったのですが、見てるとゲームや他の遊びなどを通して学校で学ぶ以上の知識を得ていることが驚きです。話をしてても言ってることがとてもまともです。



 夏休み前のことですが、終業式の前に小学生が歩いてるのを見て、私が「あの子たちもうすぐ夏休みでワクワクしてるかもね」と言うと、息子が「それは比較の問題じゃないかな。学校に行ってるから明日からの夏休みが楽しく感じるわけで、学校に行ってることで明日からの生活が楽しく感じるなんてつまんない」、「たったそれだけのことを楽しく感じるために自分は学校に行くのは嫌だ」と言うんです。



 そう言われて「ああ、そうか」と思ったんです。
私はいつの間にか働いている人とそうでない人を比較したり、何かをしてる自分とそうでない自分であったり、無意識のうちに比較していて、これはいいとか悪いとか決めているなあと気が付いたんです。そんな中で息子のそういう言葉があると新鮮です。



 学校に行くと知らないことに出会うチャンスがあるかもしれないけど、自ら何かに出会うチャンスを奪われているなと思うんです。
何かを知りたいと思って、夢中になっている子どもたちを見たときに、前もって学校でこのことをさせられていると、そのワクワク感や知りたい気持ちを持つことなく身に付けさせられていることのもったいなさをすごく感じてしまいます。



 ただゲームをしたり、漫画を読んだりで、教科書なんか全く開くこともなくきてますけど、すごいなあと思うんです。
自分はこういうことが好きだ、こういうことやりたいとはっきりと自分の意志を持っています。
私もそんな生き方をしたいと思います。
出来ないことをあてがわれて、「自分はこんなことできない」と思う時間はもったいないと思います。



 今日も子どもたち3人で一緒にDVDを見ていました。
子どもたちが、そんなことがいいなと思える自分にしてくれたと思います。子どもに余計なことをしたり、いじったりすると子どもの邪魔なるんだということをすごく感じます。



―――日々発見ですね。
 そうですね。
今は仕事もやめて私も家にいますが、家にいると子どもたちとしゃべって、子どものいろんな話を聞いたり、いろんなことに興味を持って今度はこういうアニメが好きだから、今度はこういうことをしたいとか言うのを聞いたり見たりできて、教えられることが多いです。


 ほんとにこの子どもたちに「生まれてきてありがとう」という思いです。
この5人で暮らせるってすごくいいなあと思えるようになってよかったなあと思います。(
―――すばらしいね



―――
(内沢達):僕は今度の15周年記念誌にも書きましたが「どっちに転んでもしめた」なんです。
 今学校に元気に行っているんだったらそれはそれでいい。でも学校に行けなくなったというのはすごくまたいいチャンスなんですね。



 
それを今、Kさんが話されて、学校に行くといろんなことを知るし、賢そうに見えるんだけど、それはほとんど借り物の知識で、いろいろ知っているって言っても我が物となってない。
自分のものとして理解してない。だから現実にはさっぱり使えない。
そのことをKさんが息子さんを例に出して言ってくれました。
息子さんは多くのことを知っているとは言えない、ほんの少ししか知らないけど、確かに自分で出会って自分の意志で自分の判断で気づいているから、その知識を着実に我が物にしている。



 一方で、元気に学校に行っている子を否定することはない。
自然に学校に行っているのに行くなと言うことは全くおかしい。しかし、他方では学校に行けなくなったというのも今の息子さんの例のようにすごくいいチャンスに廻りあったと思います。
どっちに転んでもしめた」でしょう。




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Last updated: 2004.11.17
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