登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2004年6月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.102


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


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 5月例会報告    親も(は)成長するんです。

 「人の話はよくわかるんです・・。でも自分のこととなるとねえ・・。」
落ち込んだという話なのに、会場から笑いがあふれる。
それは、私もそうなのよ、というあたたかい共感の笑いだから。
いいんです、そうやって話せるから、納得していくし、確信になっていくんですね。



 繰り返し体験して、「我が子が言うだけで行動に移さないのは焦りから、本当にやりたいことは黙ってでもやる」と会得できた話。
 「以前は親の会についていくのがやっとだったけど、今は笑えるようになった」、不器用な親子の会話に情愛が伝わる。
 「命が永くないとわかった父に、私達は大丈夫だよと心から言えてよかった」。。。。



 試行錯誤しながら、親もこうして強くたくましくなっていく、一朝一夕でなんていかないんですね。



 「一番身近な親が自分を大切にしている人生を送っているかぎり、子どもは必ずどんなに時間はかかっても、自分で自分を大切にしないといけないなとわかるんです」と話した我が娘玲子も「納得」するまで長い時間が必要だったんです。



 こんな素敵な話がいっぱいあふれる親の会。
そのたびにあたらしい発見があって、感動です。




1.手を貸さないと決めた私。娘への信頼も深くなって・・・。Nさん

2.二人で親の会に参加して、同じ方向を歩んでいます。Kさん

3.
我が子の焦りや不安に手を貸していないだろうか Mさん

4.親が自分の人生を大切にしていくかぎり、子どもは必ず自分を大切にしていきます。
 内沢玲子


5.自分の成長を確かめた校長との話しあい Uさん



手を貸さないと決めた私。娘への信頼も深くなって・・・。Nさん


―――現在19歳の娘さんは、中1から不登校で7年間閉じこもっていましたが、このところ限りある命だからこのまま終わりたくない、何とかしたいとすごく焦って、それに親御さんまで焦ってしまい、家庭教師を頼んでしまったのですね。



その後御両親は不安からくる行動に手を貸してはいけないと家庭教師の費用を出さないと言われたんですね。すると家庭教師の費用を作るために娘さんが自分で求人情報誌でアルバイトを探して、そのアルバイトをやりだした。というところまでが先月まででしたね



Nさん:はい。私たちは1回は家庭教師の費用を出してしまったんですが、それ以降は絶対出さないでいます。
 家庭教師の件はアルバイトとの時間の調整がつかなくて、勉強したい気持ちはあるんだけどと言いながら、今は休んでいます。



 アルバイトは行っています。そのアルバイトに行くための支度に1時間くらい時間をかけ、一生懸命行ってる状態なんです。



 バイト時間は2,3時間の日もあれば休憩をはさんで6時間の日もあり、休憩時間は家に帰ってきます。自転車で行ってるので、どしゃ降りの日など娘がカッパを着て行こうとしてる様子を見て、私はどうしても「こんな日には行かなくてもいいのに」と思ってしまいます。
内沢さんに無関心でいるように言われているんですが、それがなかなか出来なくて。



―――あなたは送って行かないの?(はい) あなたは偉いね!



 私は行かないのですが、夫がね…(笑い)。
 夫婦の足並みが違って。



 私が「送り迎えは絶対だめ」と言うんですが、娘が遅刻しそうになって、「お父さん送っていって」と言ったら、「ああ、いいよ」となって、「お母さんはあそまでこだわらないでもいいのにね」という父娘の会話があったらしいんです。(笑い)



―――アルバイトは1ヶ月くらいになりますか
だいたいそうですね。
 休みの日もあって「どうしてこんなに休みがあるんだろうか」と言います。
仕事でミスをすると平常心でいられなくなって、怒られることは今のところはないらしいんですが、「自分は益々ダメだダメだ、色んな失敗をしてるのにお金を貰っていいんだろうか」と言って、どんどん自分を追いやって、自分自身の価値をすごく下げていってるように思います。



 時々我慢できなくて私も言ってしまいます。
娘は「そんなことはない」と言い、私は「気付かないだけよ」と言い合ったり、「そんなに頑張らなくてもいいのに」と言うと、「お母さんは頑張らなくてもいいと言うけど、私より頑張ってる人はいっぱいいて、高校生の年下の子でも笑顔でうまく接待している、私は笑えない」と言うんですね。



 「別に笑わなくてもいんじゃない」と言うと、「接待だから笑わないといけないでしょう」となって、「あー、そう」でいいのについつい言ってしまうんですね。



―――頑張らなくてもいいと言うんですか、その言葉もいけないですね。



 そうですよね。
 アルバイトやってることは何も心配ではないのですが、色々傷ついてもそれはあの子が選んでやってることだからと思えるんですけど、夜遅く街頭がない畦道をひとり自転車で帰ってくるのが心配なんです。



 下の子に「そんなに心配なら送っていけばいいのに」と言われてしまい、「送っては行かないけど、そのことは心配なのよね」と言ってる状態なんです。



 「気をつけて帰っておいでよ」と言うと、「気を付けてもそういうことはどうしようもないよ」、「そんなに心配なら送っていけばいいのに、送って行かないんだったらそんな心配しないで」と反発したように言われてしまいます。
 でも「それは心配だからね」と言います。



―――お母さん自身と娘さんとの関係が悪くなるということはないですね。
(はい、それはないです。)
 これはとても大事な教訓ですね。
 子どもが不安に駆られて「お母さん、あーしたいの、こうしたいの」と言ったことを決して請負ったらいけないんです。



 それは何度もこの会で言っているんですけど、子どもが不安に駆られてやることに親が手を貸すことは、その不安の後押しをしてしまうことになります。
 子どもはその親の不安も二重に背負うことになって、どんどん辛くなっていきます。



 子どもが自分の責任でやるということが大事なんです。
 自分の責任でやったことはその結果も子どもの責任になり、納得していけるんですね。
親に言われたから、まわりに言われたからとその人の「期待」まで担わなくていいし、人のせいには出来ない、そのことで生きる力も培われていきます。



 しかし、逆に不安に駆られて、「限りある命だから家庭教師つけて」と言われた時に、「はい、はい、お金も出しましょう。どんどんやりましょう」では力つきたとき、親に悪いと無理を重ねたりします。



 Nさんは例会でたくさんのことを学ばれましたね。
今が大事、是非ご夫婦で参加されて気持ちをひとつにされたらいいですね。



 そうなんです。私が「送り迎えはしないで」、「バイトはどうだったと聞かないで」と言うんですけど、夫は「わあ、それは納得できない」と言うんです(笑い)。
 夫婦で同じような気持ちでいたいですね。



―――特に子どもの年齢が高くなると、子どもの焦りや不安から対応を誤まることがあります。
 木藤さんの例も出してきましたが、自分でこうしたいとやったことは自分で責任をとれるんですね。



 皆さんも、私もそうでしたね。
 自分の仕事を決めるときも、結婚するときも全て自らの責任で、自分の人生を選んできましたよね。



 それは良いときも悪いときも結果として自分で責任を取れるんですね。
これは不登校だから、引きこもりだからそういうふうに考えるんだということでは決してない、自分の人生は自分で決める、「自分が自分の人生の主人公になる」というとても大事なことなんです。





二人で親の会に参加して、同じ方向を歩んでいます。Kさん


Kさん(父):18歳の息子です。


―――昔、息子さんが学校へ行くと言ったら転校させたり、部屋を借りたりといろんなことがありましたよね。
 この親の会へいらっしゃるまでにもいろんな相談機関に出かけたりなさいました。



 自分の苦しみを息子さんは非行という形で表しましたね。
鹿児島の通信制高校に入ったんですが、東京の高校だったら行けるかもと息子さんが言うので、東京に部屋を借りたりされました。
 でもその高校をすぐ辞めて息子さんは帰ってきたりといろいろありましたね。



 しかしご両親は今までやってきたことは、やはり子どもの無理に手を貸していたんだと気がつかれたのですね。
 今度は自動車学校に行きだした頃、「送ってくれ」と言われた時、お二人で外出して、息子さんの言いなりにならないようになられたのは感心でしたね。



 自動車学校は卒業したのですが、今度は自動車を買ってとなるんです。
 やっぱりNさんの所と同じく焦りがあるんです。



 一緒に遊んでいた友人たちが高校を卒業して就職したり、大学へ進学したりしたものですから、「自分は何しているんだ」と焦って、つい最近また大検を受験するとか、大検の予備校へ行きたいと言い出しましたね。



 4月は親の会を休んだので、会報でNさんの娘さんのお話を読ませてもらいましたけど、他人のことはよくわかるんですけどね(笑い)。
 はたして、それが実践できるかどうかですね。(笑い)



 しかし、夫婦で「外へはもう絶対に出さないようにしようね。たとえ息子が荒れても、何をしてもその要求だけは受け入れない」と決めました。
 朝6時過ぎに帰宅した息子にその話をしたら、部屋の中の物を投げつけたりと少し荒れましたけど、「絶対、それは出来ない」と断り通しました。
 その日1日でそれは収まりましたけどね。



 本人は焦っているのでアルバイトも求人誌を買ってきて、自分から面接を受けに行きますが、「三交替できつそうだったから、断ってきた」と自分で決着をつけています。
 それでなかなかそのバイトも始まりません。
焦ってやっているともうわかっているので、「ああ、そうね」と無関心に聞き流しています。



―――すごいですね。Nさんの娘さんの話はよくわかりますか? 不安や焦りなど?



 はい、よくわかりますね。同じですね。不安や焦りは息子にも共通しています。



―――荒れた時の息子さんの物の投げ方はどうですか? 以前と同じですか?



Kさん(母):あの時はみかんを投げました。夫には投げないですけど。
―――はしと受け止めて?)(笑い)
いえ、当たりましたけどね(笑い)。でも、本人も考えて私に怪我をさせないようにしていますよ。
―――怖くはないですか?
 いえ、怖くはありません。



 息子を怖いと思ってみたことは一度もありません。
荒れ方がひどい時は危ないので2階へ逃げたこともありましたけどね。



 夫は息子がいろいろ言ってきた時は、話はしないで逃げろと言いますけど、私は自分がゆっくりしている時に息子がいろいろ話しかけてきた時は聞いています。



 お隣の息子さんが中央高校を中退して、今年国際大学へ進学したんです。
息子が「お母さん、鹿児島の大学を卒業したって就職はできないよ」と言い出した時は、「ああ、また東京の学校へ行きたいなんて言うんじゃないか」とわかるんです。
しかし相手にせず聞き流します。



 自動車学校入学の時は、自分で調べてパンフレットも自分で貰って来ましたから、「本当にやりたいことは自分でするんだな」というのが私にもわかってきました。
 口だけ言った時は、焦りや不安の気持から言うのだとわかってきましたので、自分で行動しないことは相手にしないようにしています。



 「大検のパンフレットを取ってよ」とか、「調べてよ」と私に言うものですから、「なんでお母さんがそんなことをしなくちゃいけないの。自分のことでしょう。方法はいくらでもあるから、自分で調べなさい」と言うと、それっきりになるので「ああ、あれは焦りから言ったんだなあ」と夫と話します。



 新学期の頃になると必ずそう言うし、夏休みになると落ち着くし、また卒業の時期になるとまた言い出しますので、お金もつぎ込みましたけど(笑い)、それも決して無駄ではなかったと思いますね。



 本人がやってみないと失望するかもしれないけど、お金をかけて引っ越して、自分でその気でいたのは嘘ではないけど、結果的にはそれ以上の失望を味わったのです。



 そのことは木藤さんからも忠告されていたのですが、私たちも先は見えていたけど「まあ、いいわ」と思ってやらせてしまいました。
 親は期待するとがっかりするけど、期待しないであるがままを受け入れればがっかりもしません。



―――すごいじゃないですか!



(父):いや、言うこととすることは違うのですよ。(笑い)



(母):だから二人で一緒に親の会へ来ます。
お互いに「それはおかしいよ」と言いながら、同じ方向を向いていくことができます。



―――以前はお二人の親戚を交えて別れる、別れないのお話がありましたのにねえ。(笑い)
 今のお話に大変大事な教訓がありますね。
 口で言っただけで自ら動かないで親を頼ろうとするときと、自分から動いて決めるときの違いですね。



 焦りや不安が子どもさんにはあるのですね。
それが大検、自動車学校、アルバイト、東京の学校…、という「願望」になって表れるのですね。
(黒板に焦り・不安→願望と書く)



 願望というのは、漠然とした望みみたいなもので誰しもありますね。
 その願望がすべて実現できる訳はありませんね。
 子どもが不安や焦りから「口ばしった願望」を聞くと、大なり小なり親は動くことを期待してしまうものだから、「なんとかしなくちゃ、実現させてあげたい」と思ってしまうものなんですよ。



 これは不安や焦りからの願望ですから、息子さんや娘さんはその願望を実現してほしいとは思っている訳ではないのですね。
 そこを親は勘違いしないで欲しいのです。



 子どもさんたちは本当にやりたいことは親が黙っていてもやるんです。
 ここを親がしっかりつかまないと子も親も苦しくなります。





我が子の焦りや不安に手を貸していないだろうか Mさん


Mさん(母):私は非常に出来の悪い親でして、子どもの不安や焦りに多分手をかしていただろうと思いました。
 19歳の娘と16歳の息子です。



 丸5年経ちました。
 娘の生活は不安と焦りから常に動いてないと気がすまない5年間でした。
昨年の9月からどうしてもと言われてアパートを借りて一人暮らしを始めました。



 今までも、一人暮らしをしたいとか、車の免許を取りたいと言い続けていましたが、私が車の免許はいいけど、アパート暮らしはだめと断ってたんですが、その後いろんなことがありました。
 


 娘は今年の4月の初めに仕事を辞めて、自宅に帰ってきました。
私から見ても、かなり無理しているのがわかりましたし、早く辞めて帰ってきたらいいのにと私は思っていましたから、それは良かったのです。



 その後、娘は不安で不安で夜中に遊びに出るようになり、朝帰りするようになりました。天文館から坂元の自宅まで歩いて帰ってきたこともありました。
自宅から二つ手前のバス停まで来た時、「お母さん、もう歩けないので迎えに来て」と連絡があり迎えに行ったり、そんなことが2,3日続いたらお腹が痛くなり、4月の例会の頃、娘は入院しました。やっと休めると思ったんじゃないでしょうかね。



 しばらくは仕事のことも言わずゆっくりしていましたが、元気になると週末になると不安になるようです。
 今までは、週末になると友人たちと遊んでいたのが、小遣いも仕事をしていないから以前ほどない訳ですよね。



 それで2,3日前に私に文句を言いました。「仕事はしないでいいと言ったから、仕事を辞めたのに一体どうすればいいのよ。お母さんのせいだからね」とくってかかりました。
「仕事を辞めたのは自分のせいじゃない」と私は心の中で思いましたが、黙って聞いていました。



 娘は思ったこと、腹にあるもの全部をワアーとぶつけてきて、翌日はケロッとしているタイプです。それの繰り返しで黒板に書いてある通り、焦りと不安と願望の塊です。(笑い)



―――仕事を辞めた時も対人関係がうまくいかなくて、ある日風邪薬を多量に飲んだのよね?



 ある日娘の友人から私の所へ電話で「○○ちゃんが大変みたいだから、様子を見に行って」と連絡が入ったのですが、「まあ、友人関係のトラブルだろう」と思って、父親からも余りかまうなと釘をさされていたのでほっといたのです。



 しかし、夕方になって携帯が繋がらないので心配になり、谷山のアパートへ駆けつけてみましたら、娘はこんこんと眠っていました。
 その日のうちに、自宅へ連れて帰りました。その後、3日間はこんこんと娘は眠り続けましたね。



―――娘さんはずっと動き回っていないと不安になるんですね。
 夜中、自分の気持ちを聞いてくれる友達に会いに行きたいから送って行ってと娘さんに言われると、あなたは、夜遅いので心配だからと断れずに車で娘さんを送って行ったりしたのですよね。それで娘のやることの尻拭いばかりしてきたと言われたのですね。
(はい)(笑い)



 辛さに手を貸してはいけないというのはわかってるんですが、夜中に娘を外出させるのは心配なんですよ。
 谷山のアパートは夫と三人でもう引き払いました。娘はゆっくり休むということにはまだ納得していないです。



―――いつもそうやって手を貸していたら、いつまでも納得できませんよ。



 あっそう!(大笑い)でもねえ〜。本当ねえ



―――娘さんはいつも不安を膨らませていく訳です。
 あなたは夜遅いから、心配だからという理由や、あれこれの理由をつけて自分の不安を静めるためにいつも手を貸してしまうんですね。



 現に「お母さんのせいだ」と、とってもわかりやすい言葉が返ってきています。娘さん自身の力になっていません。




親が自分の人生を大切にしていくかぎり、子どもは必ず自分を大切にしていきます。 内沢玲子


内沢玲子さん:親が送らないと子どもはそこで自分で判断すると思うよ。子どもは危ないと思ったら、絶対行かないと思うよ。



 いつもいつも、手を貸してもらって他からパワーをもらって動いていると、自分の中で整理がつかなくなるし、自分で判断できなくなってしまうんです。
自分の頭で最終的に考えて、判断することではない訳ですから。



 子どもは行きたいという気持ちも少しはあるけど、根本の所では疲れているのが本当なんです。
 だけど完全に休むという勇気がないので、結局パワーが切れるまで動く訳です。 

  

 外から力を貸してもらうと、本当は自分の中に力は残っていないのに、外からの力によって又動いてしまい、結局パワーのない状態がダラダラと続くだけなんです。
 そうすると、ただでさえ疲れきっている所にさらにイライラしてついお母さんに当たってしまうのだと思います。



 本当に私にだけ当たるんですよ。(笑い)



―――(内沢達):娘さんは口では「お母さんが悪い、お父さんが悪い」と言ってるけど、本当は自分が一番悪いと思っているんですよ。



 表向きはご両親を責めているけど、本心は「なんて自分は情けないんだ」と自分を責め続けているんです。
 だから、手を貸してはいけないんですね。



 本人の辛さを助長するようなことに手を貸してはいけないんです。
自分はいつも母親に車で送ってもらわないと何もできない情けない人間なんだと思うからですよ。
 自己否定を繰り返し繰り返し言葉でなくて、体験で蓄積させているんですね。




 私が悩んでいるのは、そこなんですよ。(笑い)



内沢玲子さん:娘さんががんばってしまうのは彼女の性格だと思っているのかもしれないけど、それはその人の性格というよりも、私は一般的に皆そうなんじゃないかなと思います。
 


 こういうふうに休んでゆっくりと疲れを癒してもいいんだという考えが今までなかったわけですし、周りが休んでないのに自分だけ休むのはできないというのはその人個人の性格の問題とかではなく、一般的に誰にでもあると思います。



 私は6年以上ずっと無理して、パワーがないのにやって来て、その間親からほとんど、ほっとかれてました。
 ずっと私が何を訴えても、何も訴えなくても親はうんとも、すんとも言わないのです。



 それでその時はどうしてわかってくれないんだと思うんですけど、その時私の親がほいほい私の要求にすべて応えてたら、私は今でもきっと無理し続けていたと思います。



 その人が休むというのは、自分でとことん、パワーが切れるまで動き続けて、そしてそのパワーが完全に切れた時にようやく休める場合が多いんじゃないかなと思いました。
 だから完全にパワーが切れるまで動き続けるんだと思います。



 人間っておもしろいもので自然にパワーが切れたら、自分が納得する、しないに関わらず休むようにできてるんですね。
 ようやく休み始めた時、私自身が休むことに納得しているかというとそうではなく、自然にそうなるので、ある意味仕方なくっていう所もあります。



 だけど、そうやって自然に体からパワーが切れた状態で休んでいく内に、自分の中で、「ああ、休んでいいんだな、このままでいいんだな」って少しずつ後から納得していきました。



 なので、私が両親に大変感謝しているのは、すべて自分で考えて、自分で責任を負って、自分で行動させてもらってきたことです。
 たっぷりと自分で休み、悩み苦しむ時間があったからこそ、それを頭の中でひとつひとつ整理してこれたと思います。



 親は子どもが悩もうが、どうしようが、自分の人生を楽しみ、自分自身を一番大切にすることが子どもにとっても本当の救いだと私は思います。



 それは、私がどんなに疲れてても、どんなに自分を追い詰めても、私の一番身近な親が自分を大切にしている人生を送っている限り、必ずどんなに時間はかかっても、結局自分で判断して、自分で自分を大切にしないといけないなと痛感するからです。




自分の成長を確かめた校長との話しあい Uさん


―――4月6日に発行した親の会ニュース(NO101号)の最後のページに大阪で起きた事件をきっかけに、不登校の子どもに虐待があるのではないかと文科省が各教育委員会を通して調査を徹底しているという状況をお知らせしました。



 私達の親の会でも、お宅はどうなんですかと何度も家庭訪問が行われたり、学校への呼び出し催促などが行われているという事例があります。
 それに対するUさんのやわらかい対応をお話してもらいましょう。Uさんは最初の頃は学校との対応にものすごく神経を使われて疲れていたんですよね。




Uさん:中2と小5の男の子、小2の女の子がいます。
 長男は小2の5月から不登校になりました。



 その頃の私は学校と話をする時に自分の思いや子どもの気持ちを言葉にするのがむずかしくて、また相手にどうしてもわかってもらいたいという気持ちも強くて、うまく伝えることが出来ませんでした。
 この会に来るようになって7年目になりますが、子ども達からいろんな経験をさせてもらってきました。



 今年の2月末に担任を通じて、「校長が息子さんに一度も会ったことがないし、お母さんの話も聞きたいのでお宅に伺っていいですか」という連絡がありました。
 去年からその校長だったんですが、今まで何も言ってこなかったので安心していたんです。



 でも大阪であった虐待事件を思い出し、ちょうど宮崎の会員さんからも聞いていたので、その影響だと思いました。私は家に来てもらいたくなかったので、私が学校に出かけて行きました。



 3,4年前までは子どもが辛い思いをした学校だと思うと、校舎を見るだけで緊張して、私自身が行きたくないという思いをしていました。
 でも2,3年前くらいから学校との話し合いもだんだん快感に変ってきて、その日も校長や担任と話しをしながら自分の気持ちの変化が良くわかりました。



 最初はありきたりの話から入っていったんですが、校長はどうしても虐待事件のお母さんに私のことを当てはめたかったようで、3回くらい声を荒げました。



 私は初めに、長男が担任との関係で傷ついて、8歳だったにもかかわらず、「僕はこの世にいなくてもいいんだ」とまで言ったこと、だから私は子どもが生きていてくれればいいんだという気持ちでいるし、子どもがそこにいてくれるだけでありがたいと思っていると話しました。



 子どもには、「行きたければ行ってもいいし、行きたくないんだったらそれでもいいんだよ」と話していますと言うと、「それは放任主義だ」と校長、「そう思われるならそれでもかまいません」と私。
 「それじゃいけないんだ、ここに私とお母さんがいる意味がない!」と声を荒げました。



 「進級しますか、しませんか?」という話になったので、「進級を望みます」と言いました。
それで私もちょっと余裕が出てきて「進級を望まなければどうなるんでしょうか? 落第ということもあるんでしょうか」と聞くと、「お母さんがもし学校に行かせないと言うんであれば、私は教育委員会を通してそれなりの処置を取ります!」とものすごい強い姿勢で言われました。



 それで私は「そうでしたね。進級は校長先生の裁量次第でしたね。でもうちは進級を望みますのでよろしくお願いします」とでんと構えて言いました。(笑い)



 次男についても、「不登校の子は社会性がないとか、協調性がないとかいろんなことを言われますが、息子はすごく優しくて、しっかりしています。外での対応もちゃんとできるし、社会性も身についていますので何も心配することはありません」とお話しました。



 校長が「じゃあ学校としては待っていればいいんですね。いつでも待っていますから、お母さんも登校を促してください」と言ったので、私は「子どもが選択すればいいことだと思っているので、それは出来ません」と言いました。
 そしたらまたまたすごく憤慨されてしまいました。(笑い)



 校長は私が1つ1つのことに泣き言を言わないで全部反論するので、おもしろくなかったようです。
 最後は明るいお母さんでよかったと言われましたので、「以前の私だったら、校長先生にそんな話をされたら泣いていると思います。
でも3人の子ども達が人にとって何が大事かということを命を懸けて教えてくれたので、それで私はいいと思っています」としっかり落ち着いて自分の言葉として話しをすることができたと思います。



 以前は学校に出かけたら2,3日は寝込んで体調を崩していたんです。
その日はすがすがしくて、やったーという気持ちでした。
また1つ自分の成長を確かめることが出来ました。



 以前はこの会で学校に期待しないで下さいと言われてもどうしてと思っていたんです。
でも年数を経てきてそれが実感としてわかりました。



 最近父が亡くなったんですが、父も子ども達のことをすごく心配してくれていたんです。
二男のことを特に心配して、この病院は喘息の子どももマンツーマンで勉強を教えてくれるから、入院してはどうかというようなことを言いました。



 私は父の命が永くないとわかっていましたが、だからと言って、そのときだけの返事をするのはいやでした。
 「お父さん、ありがとう。でも子ども達は大丈夫だから。ものすごい兄弟げんかをしていたのは長男の気持ちをわかってあげられなかったから、その気持ちがはじけて弟や妹に当たっていたの。



だから親である私達が悪かったの。でも子ども達はとてもいい子達で、私達がわからなかったいろいろなことを教えてくれて、あの子たちが生きてそこにいてくれるだけでいいと思えるように本当になったんだよ」と伝えることが出来ました。


 私は親の敷いたレールに乗って育てられてきたけれど、うまくいかなくなるとお父さんがこんなふうに育てたからと責めたことがあったんです。
 「私が一番欲しかったものは心を抱きしめてもらいたいことだったんだよ。私はそういうことを大事にしたいし、子ども達にそうしてあげたい。私達は大丈夫だから心配しないでね」と話したら、父もわかったと言って安心してくれました。



 二男は長男の時とは違って、自分が行きたいから行く、友達と遊びたいから行くという感じで、朝から行ったり、5時間目から行ったり、休んだりという感じでやっています。



―――本当にあなたはたくましくなりましたね。
お別れするお父さんにあなたの本当の気持ちを伝えることが出来て良かったですね。




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Last updated: 2004.6.17
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