登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


TOPページ→  体験談目次 → 体験談 2005年8月発行ニュースより



体験談

2005年8月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.115


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月2割から3割程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→



    
「16年間 親の会を続けてくれてありがとう。
 おかげで我が子と参加できました!」
 
    7月例会報告

  7月例会の日の夜、SAさんから、「16年間親の会をありがとう。おかげで例会に娘と一緒に参加することができました」と電話。
 長い間、参加をためらっていた娘さん(19歳)は「会報を読むのと、実際に参加するのとでは違う。本当に元気が出ました」と参加の喜びを話してくれました。
 不登校で苦しんできた彼女は、少しずつ自分を大切にしようとしています。


 また、2回目の参加のKさんは不安でいっぱい。
でも、参加して元気がでたと話されます。
参加の回を重ねるごとに、こうして自分を認め、我が子を信じる親が増えていくのは何よりうれしいものです。


 毎年文科省から発表される小中学生の不登校数は、今回は12万3300人(年間30日以上休んだ数)。
 3年連続減少は「スクールカウンセラー、適応教室」の政策の結果と言っていますが、少子化で総数に占める割合は1.5%と横ばい状態です。


よかれと思って行う「政策」が「余計なお世話」。
「数」ではなく、不登校は悪、という勝手な大人の思い込みで、犠牲になる親子の心の傷が増えることに思いいたしてほしいです。


 HPの「待ち合わせ掲示板」に、けんじいさんはじめ何人かの方が、8月1日テレ朝放映の「長田塾」の宣伝番組に触れています。
 恫喝と強迫の人権を無視した引き出し屋のやり方とそれを平気でカメラに収めるやり方は、取り返しのつかない親子の不信と、その人の人生に深い傷を残していくでしょう。
事実、7月に引き出し屋の強迫と断りもなしにNHKカメラの取材にさらされた名古屋の19歳の青年が長田を提訴しています。


 「番組を見て怒りに体が震えました。私は鹿児島の親の会に出会えて幸せ」。
会報を夜寝る前に読むと、安心感がひろがるという神戸のKさんのお手紙。
 他にも全国各地から「HPを見て、会報を読んで、元気をもらっています」というメール。
16年間の積み重ねのなかで、人を人として信じることの大切さを確信しています。
 7月の例会もたくさんの教訓が詰まっています。私たちの大きな財産です。




 
1.親の会で大丈夫なんだねと感じて 内沢朋子(世話人)

 2.私に不安がなくなって家族に安心が Jさん

 3.今は私は休む時期 まいさん(16才)

 4.悲しみの涙ではなく、感動の涙が Nさん(19才)

5.内沢達の発言

  1.「親は何もしない」ことの大切さ
  2.自分を大切にしていたら自分のしたいことを大事にするようになる
  3.親は我が子に「どうしたら」ではなく、親の生き方を考える




親の会で大丈夫なんだねと感じて 内沢朋子(世話人)

―――(内沢朋子)(世話人):毎日暑い日が続いていますが、長い夏さが続きます。
皆さん健康には十分お気をつけ下さい。
 今日は2つの資料を準備しました。1つは、先月内沢達が話したことを文章にまとめたものです。
今月発行した会報(NO114号、05・7・10発行)の最後に掲載しましたが、私達親の会の課題ですので、復習の意味で読みます。


*資料
 家の真ん中に「15周年記念誌」を置こう!─ 親自身の課題への取り組み ─ 
(読み上げる)


 子どもが不登校になったり、引きこもったり、いろんな状態を表すと親御さんはとても不安になります。
そして子どもの状態を心配されるんですが、ようく突き詰めてみると、親御さん自身がそのことに不安になっているんですね。
まずそのことに気がついていただきたいと思います。


 自分が不安だから、「このままでいいの?」とか、「勉強は?」、「このまま引きこもっていたら社会性が身につかない」と、いろんな不安の要素を子どもにぶつけ、自分にもぶつけて不安の塊となって、全身に不安のオーラを出していくんですね。
我が子にはその状態は、「あなたの状態が不安でたまらないのよ」と伝わり、子どもはものすごく不安になるんです。


 ですから私達親の問題で、それは親の生き様に関係してくるんです。
変るべきは親で、親自身がそのことに対して不安がないという生き方、全く違う価値観の生き方にしっかり自信を持って、親が何もしないで子どもを信頼していると、必ず子どもは自分を認めるようになって、自分から動き出します。私はそれを120%保証しますね。


 もっと親は、自分自身を大切にしたらいいんですね。
自分自身を認められていないから不安になるんです。
不安というのは自分自身を否定している時になりますね。
私の子育てが間違いだったのかとか、夫婦の関係、家庭環境など、いろんなことでどんどん不安になっていきます。


 それで内沢さんのうちでは日常的にどんな生活しているのということで、もう1つの資料には娘の玲子と私のやり取りを載せました。
これは2004年4月の親の会で、娘の玲子がまだ引きこもっている時に発言したものです。
 娘の玲子は今26歳ですが、3年半閉じこもっていたんです。まだ娘は不安を表していて、ちょっと突っつけばイライラする状態だったんです。



* 資料 〜内沢玲子さんの発言〜 こちらで見れます。(このHPを作ってる人より)


 
私は娘がイライラしていても、よりいっそう放っておいたんです。
私は娘にパワーが貯まったときにはちゃんと自分の力で動き出すと確信していましたから。
今年の2月、娘は動き出したわけです。
 その時の動き出し方と無理している時とでは断然違いますね。
それ以来、娘がイライラしたり、怒鳴ったり、大きな声を出したりしたのを見たことがないんです。我が娘ながら御尊敬申し上げています。(笑い) 


 子どもを信じて親は何もしなければ、必ず子どもは自分の力で生きていきます。
それは私の例だけではなく、長谷川さん、木藤さんをはじめ、親の会の多くの方たちの貴重な体験で証明されています。


 今月の会報にはNさんの「自分を大切にすると、幸せだと思うことがいっぱいあるんだよ」という言葉を表紙に飾りました。
 自分を大好きになると、こんなに素敵に自分を変えていくことが出来るんですね。


その点でも親の会はすごいなあと思うんですが、そのことに気がついたNさんは何て素晴らしいんだろうと思います。
 ありのままでいいんだ、自分は自分のままでいいんだということに気がついて、お友達にも話が出来るようになったんですね。
やっぱり子どもっていうのは素晴らしい力を持っていると思います。


 人は人生の中でたくさんの悲しみや苦しみ、不安を抱えることがありますが、それは小さい子どもであっても大人であっても同じなんですね。
 そういう時こそ自分自身を解放していかなければ。
今の価値観で子どもをどうにかしようと思っているうちは、私は家族の幸せはあり得ないと思っています。


 それは、日々の生活の中に見出していく、会に参加して理屈ではなく感じて下さればいいと思うんです。
 初めて参加された方も、回を重ねて参加されている方も、そうは言ってもああではないだろうか、こうではないだろうかと悩まれていると思うんです。


でもお話してくださった方のホッとした表情から大丈夫なんだなと感じてくださればいい、子ども達の話を我が子に重ねて感じてくださればいい、親の会っていうのはそういう場なんですね。

 


私に不安がなくなって家族に安心が Jさん

Jさん(母):
娘はすごくニコニコしながらインターネットゲームを1日やっているんです。
 去年のことを考えたらものすごく安定してきたなと思って掲示板に「今、幸せです」と気持ちを書かせてもらいました。


―――去年の今頃は、まい衣ちゃんの高校中退のことでものすごく悩みましたね。(はい) まいちゃんは中学でいじめにあって、そのことを覚えていないくらい辛い思いをして不登校になって、その後高校に進学したんだけれど、また行けなくなった。

その時まいちゃんは自分自身を責めて、お母さんも高校に行かないとダメなんじゃないのと言って、真衣ちゃんから泣きながら電話があったりしたんですよね。二人とも辛かったのね。



 親の会に来て2年目で、わかっているつもりだったんですが、いざ高校に行かなくなるとおたおたしてしまって、ダメだなと思いました。


―――今、あなたは夫と別居してらっしゃるのね。
ずっと支配的な夫で、自分らしさが失われた。ご自分を否定して、ずっと辛い思いをされていたんですね。



 前よりはちょっとはよくなったんですが、やっぱり昔の友達にはあまり電話もしたくないし、引きこもっています。


―――それでも無理して仕事をしていたので、お辞めになったらと言って、辞められて、それで少し気持ちが楽になった。
 でもまいちゃんが学校を辞めて昼夜逆転してゲームをしだしたら、またゲームばかりしてどうなるのとあなたが不安になられたのね。



 はい。この間までですね。(笑い)
 最近は朝8時頃私が起きたら、まだ娘が起きていて、交替にお休みなさいという感じです。
 (
―――同居しているお祖母ちゃんも、あのままでいいのと言われていましたが、今はどうですか?) 母も最近言わなくなりましたね。


 (
―――あなたの不安がなくなってきたからですね。あなたがニコニコしているでしょう
 そうですね。祖母が言うことにあまり取り合わなくなったですものね。
 病気になったのがいい機会でしたね。
母と子ども達のことで衝突して、切羽詰って家出すると掲示板に書いたんですけれど、お返事を頂いたりして。今皆落ち着いています。
 息子も大学を中退して放っておいたんですが、今アルバイトを始めて、バイトも楽しいと言っています。


―――放っておくということは大事ですね。
今まいちゃんがゲームをしているけれど、それに対しての不安もなくなったんですね。



 ないですね。
学校に行けば余計な気を遣わなければならないことがいっぱいで、それよりも今のほうが充実していて、学校では得られないお友達に恵まれていると思います。
だから今すごく有意義な時を過ごしているなあと思います。


―――あなたは変わられましたね。
本当にお強くなられました。去年の今頃はあなたご自身が不安で大変でしたものね。
 まいちゃんはどうですか? 高校を辞めた後、ちょっと落ち込んだよね。
お母さんが病気になって、私が学校に行ったほうがよかったんじゃないかと泣いたりしたんだよね。



今は私は休む時期 まいさん(16才)

 
はい。
この間B’Zのライブに友達と一緒に行ってきました。
ものすごく楽しくて生きててよかった!と思いました。
その帰り友達に、今まで話していなかった私の気持ちとか話してなかったことをたくさん話すことができたんです。


 今は私は休む時期で、昔は親と仲が悪くて大嫌いだったけど、今はすごい好きで、昔は夜遅く帰りたくて、お母さんもおばあちゃんの顔も見たくなくて、電話もかけたくないし、電話がかかってきても出たくないという感じだったけど、今はお母さんもホッとしているからなのか、私から電話をして今から帰るねと言うし、お母さんも電話をしてこなくなったから、ふたりともホッとしてお互いのことを考えて自然に行動できるようになりました。


―――そういうふうに考えたらいっぱい優しくなれるよね。
まいちゃんは今、自分のことを大好きになってきているということだよね。



 はい。お兄ちゃんがこの間、お父さんに手紙で大学を辞めたことを伝えたんです。
その内容をお兄ちゃんが話してくれたんですけど、それを聞いて、ああ、お兄ちゃん大きくなったなあと思いました。(笑い) 私は泣いてしまいました。


 手紙は、<…大学に行って何も目的もなく孤独な時間を過ごすには自分には辛すぎた。直接言えないで手紙に書くことをお察しください…>という内容でした。
 そしたらしばらく経って、お父さんから「空いた口が塞がった」とメールがきました。(大笑い)


―――あんなに嫌いで許さないと言っていたお父さんに手紙を書いたり、まいちゃんも大好きになったのね。


 お兄ちゃんもひどいことされたのに、お父さんとお母さんが合わなかっただけなんだねと言って、本当にお兄ちゃんは成長したなと思いました。(笑い)
 お母さんが前の家に1年ぶりに行って日記を取ってきたんです。
それをちょっとだけ見せてもらったら、幼稚園の時のことが書いてあったんです。


 私は運動会の時にピストルの音が嫌いで、運動会に出ないと言って登園拒否していたんです。
それに対して、ピストルの音が嫌いなのは私もよく分かる、と書いてありました。
その頃から、お母さんは私のことを分かってくれようとしていたんだなということと、私もピストルが嫌いだと自己主張していたんだなと思ったら、私は時代を先取しているなと思って(笑い)、嬉しかったです。


 友達からそんなにのんびり出来ていいねと言われて、以前はそういうことを言われると辛かったけれど、今はうらやましがられているのかなと思ったら、気にならなくなりました。
とにかく自分が幸せであればいいと思う。
 昔いろいろいっぱい考えて悩んでいたのが嘘みたいで、考えなくなってきています。


―――不安になった時に考えることはろくなことがないよ、のんびりしてごらん、と言ったけど、ろくなことなかったよね。


 そう、なかった。
でも考えたことも今になっては無駄なことだったな、と気がついてよかったかなと思う。


―――そう。そういうことに気がついただけでもよかったね。
ちょうど1年前、本当にまいちゃんは泣いていたんです。
毎日悩みながらでもこうして、ひとつひとつ幸せを得ていくんですね。
だからそういうことを感じてください。




悲しみの涙ではなく、感動の涙が Nさん(19才)


―――Nさんは、自動車学校のことを何と言うんだっけ?(車校)
 
皆さん、車校って言うんですって。(笑い) 今、車校に行くようになったのね。


高校時代リストカットをしたり、保健室登校をしたり、ずいぶん辛い思いをたくさんして、この会に最初に来た時、遠い川内からでお金がないからと、みんなで電車賃をカンパしたりして、そしていつも来て泣いてばかりいたよね。
(はい) この頃泣かなくなったの?


Nさん:今は、悲しくて泣くんじゃなくて、感動して泣いています。
今月会報が届いて、またいろんなことを思い返していたんです。


 短大の実習を逃げ出した後に、やっと親に認められるようになって、次にバイトを辞めた時、お母さんに「おうちでゆっくりして何もしないで、人とも会わないであなたは変われるの?」と言われたんです。
 その時は不安でいっぱいだったから、「うん」と言えなくて、「分からないけど、変わる気がする」って。
 でも、もし変われなかったらお母さんに悪いなと、思いつめていました。


 でも今振り返ると、家にいてゆっくりして、自分の気持ちがすごく楽になったなと思います。
だから実習をリタイアしたことも、短大を辞めたことも、バイトを辞めたことも良かったなって、ほんとにゆっくり出来て、それで自分を好きになれた、あるがままの私でいいんだなと気づけたんです。


 私は短大の実習のことばかりに目がいっていたんだけれど、その前の高校時代、保健室登校をしていたことも、すごく引っかかっていたんだなと気がつきました。
 その時のことは、あまりにも辛くて、忘れようとしていたみたいで、その時のことは関係ないと思っていたんです。


 高校時代に仲が良かった友だちに、卒業してから連絡しなくなって、それはやっぱり高校時代のことを思い出すから遠避けていたんだけど、その友だちのことを、最近すごく懐かしいなという気持ちになって、自分からメールをしたんです。


 そしたら「わあ! 久し振りだね。Nちゃんからメールが来るのはすごく嬉しい」と書いた返信があったんです。最近そういうふうに自分から人に会いたいという気持ちがたくさん出てきたんですね。


 前は人に会うのは怖くて、やっぱりあるがままの私じゃ駄目だ、なんか鎧を着なくちゃいけないと思っていたから、それはとても疲れてしまうことだったんです。


 以前は実習をリタイアしたことを、仲の良い友だちには話していたんだけど、同級生にはどう思われているか、中途半端な奴とか思われているんじゃないかと気にして、すごく自分を責めていたんです。


 だけど、最近自分のことを許せるようになってきているなと気づいたんです。
自分の気持ちが楽になっているんだなと思っています。
 実習に行って頑張っている友達にやっぱり悪いなという気持ちがあったんですよ。
だけど、そんなふうに思わなくていいんだな、友だちは友だちの人生、私は私の人生だからと思ったら、今は気持ちがすご〜く楽になってきています。


―――自分を大切にしよう、自分を大好きになってくると、日を追うごとに楽になっていって、あれだけ人が怖かったのに、メールを出来るようになった、(うん)
 
そして車校にまで行くようになったのね。(うん)(笑い)


 車校も知らない人がいっぱいいて緊張するかなと思っていたけど、全然そんなこともないです。私は以前は落ち込んだ時、誰にも言えなかったんです。


 そういう姿を見せたくないというのがあって。でも運転技術がうまくならなくて怒られて、落ちこんだ時があったんですけど、その時は誰かに話したいなと思って、家に帰ったら誰も帰っていなくて、友達にメールをしたら励ましてくれて、すごく楽になったんです。


―――お父さんとお母さんは変わりましたか?


 すごく変わったけど、でもまだ本当に家にいてゆっくりしていいよという訳ではなくて、ゆっくりして学校に行って欲しいというのは思っていますよ、きっと。(笑い)


―――ホームページに、親が理解がなくて辛いという子ども達からの相談のメールがいっぱい来るんです。
 いつもあなたのことを紹介するのよ。


「こんなふうにして自分のことを大好きになって、そして自分のことを受け入れられるようになって、自分を大切にしたら幸せだと思うことがいっぱいあるんだと気がついた、そんなふうに変わっていった子もいるんだよ」とね。
あなたに励まされているというお返事いただくのね。
一番大事なことは、自分を大切にするということですね。



 これは誰にも話さなかったんだけど、私はおばあちゃんっ子だったんですよ。
実習をリタイアしたあと、お母さんがすごく冷たくて、近くに住んでいるおばあちゃんのところに逃げていたんです。


 ところがお兄ちゃんと同い年の従兄が大学を卒業して就職したんですね。
それで5月の終わりぐらいに初めての給料がお仏壇に置いてあったんです。
それを見た時に私はすごい不安になって、これがおばあちゃん孝行なのかなと思ってしまって、それから毎日のように行っていたのに、行けなくなってしまったんです。


 そしたらおばあちゃんが「最近Nちゃんはおばあちゃんちでご飯を食べないね。
おばあちゃんは嫌われちゃったかなあ」って言ったんです。
私はおばあちゃんちに行ってご飯を食べて、アイスを食べてテレビを見て何にもしない、ダメだな、おばあちゃんに悪いなと思って、従兄はすごいなという気持ちになってしまいました。


 先月この会で、私は「自分を大事にすると幸せだと思えることがいっぱいある」と言いましたよね。
 そう考えると私は「何でそんなふうに不安になったんだろう」と思い、どうでもいいことなんだと気がついて、今また毎日のようにおばあちゃんちに行っています。


 何が出来るとかじゃなくて、私がおばあちゃんに会いに行って、おばあちゃんも私に会うとすごく嬉しそうな顔をする、それでいいかなと思えるようになったんです。


―――そうね。今を大事にすることはとても大切なことですね。
 毎日毎日を大切に、今を大切にしてその積み重ねが自分を肯定できるようになるし、自分に自信がついていって、自分を変えることが出来るんですね。貴重な教訓ですね。




1.「親は何もしない」ことの大切さ 内沢達


 私たちの親の会では、これまでに何度も「親がわが子のためにと思ってしたことが、かえって子どもを苦しめることになることが少なくありません。


 だから、親が余計なことをして子どもの辛さを助長してはいけない」ということを話し合ってきています。
みなさん、そのことは一般論としては了解しているのだけれども、少し場面が変わったりすると忘れてしまいます。


 今回のケースもそうです。
 息子さんは間違いなく焦っています。
本当に勉強をしたいと思って始めようとしているわけではなく、やはり「そろそろしなければいけない」と思っているんです。


 それに親は手を貸してはいけません。
 「ネバならない」という意識からの勉強は続きませんし、やがて壁にぶち当たるのは必至です。それでも、息子さんがその手段や方法を自分で探してやった場合には、失敗したとしてもそれは貴重な経験になります。


 ですが、親がそのことに手を貸した場合は違ってきます。
うわべは親を責めるようなことを言っても実際はまったく異なって、「自己否定」をいっそう強めることになります。


 木藤さんから学ぶことは、息子さん(23才)がどこのどんな塾に行ったのか、ということではもちろんありません。
 木藤さんが親として、息子さんが勉強をしようがしまいがまったく気にかけなかったことに一番注目していただきたい。
 そうした親のありようが、子どもの「自己肯定」につながります。


 息子さんは何年間もいわゆる学校の勉強はまったくしない時期がありました。
そのときに、「これじゃダメだ」と思ったからではなく、「これでいいんだ」と思えるようになってきたからこそ、逆に勉強を始めるようにもなったのです。


 息子さんは大検に通っても、センター試験を受けても、すぐには大学にいきませんでした。
 ほんとうに大学に行こうと自分が納得して決めたときに、また自分で勉強をはじめていき、受験やその後の手続きなどすべてのことを自分でやっていったのです。


 今日はお父さんがいらっしゃっていませんので、お帰りになってからご夫婦で相談なさってください。
 息子さんは僕とも一度会っているし、親の会も知っています。
もし、その通りと思われるのでしたら、息子さんにおっしゃってください。


「親の会で、お父さん、お母さんの対応は間違っていると言われた。どこの塾が安いか高いかではなく、塾探しは、そもそも親がすることではなさそうだ。また、まだその時期じゃないと思うけど、どうしてもと言うんだったら、自分で探しなさい。お父さんは、どうも、またまた余計なことをしかねないところだった」と。


 これは息子さんにわかってもらうことが主目的ではありません。
親の会で勉強をした親自身の課題に取り組んでいただきたいということです。
息子さんに言っているようで、じつは自分自身に言い聞かせているとお考えいただきたい。


 普通の考え方ですと、子どもが頑張ろうとしているときに、親が励ましたり、さほど親として大変なことでなければ手伝ってあげたりすることは当然じゃないか、ということになりますが、それじゃ、ダメなんですね。


 それは、親のサポートでもなんでもない。
 逆に、子どもを苦しめることになります。子どもはやりたいのではなく、「やらねばならない」と思っているだけなんです。


そうではなく、勉強を全然しない自分を認められるようにならないと、「勉強したい」という気持ちは本物にはなりません。
そうなったときには、親の手助けなしに、自分自身でし始めますので、どっち道、親の出る幕はありません。


 ところで、お姉ちゃんは元気にやっていますか?(はい)
 お姉ちゃんは、元気に東京で学生生活を楽しんでいるわけですね。
 そこで、ひとつ、課題を述べます。


兄弟(姉妹)がおられる場合、みんながみんな不登校や引きこもりだという家庭よりも、「上の子(下の子、真ん中の子)は、元気に学校に行っている。(就職して)働いている」といった家庭のほうが多いわけです。


 そうしたとき、「不登校、引きこもり中の子のほうが心配だ」というのが普通の親の感覚です。でも、そこでお考えいただきたい。
 学校に元気に通い勉強している子には、「よく頑張っているね」「もっと頑張るんだよ」という接し方をしていないかどうか。
 他方、不登校の子には「ゆっくりしていいのよ」と言っていないかどうか。


 子どもは全体を見ていますから、親の矛盾や本音を見抜くのは容易です。
兄弟(姉妹)には別のことを言っておいて、「焦っちゃいけないよ。ゆっくりしなきゃ」と言われたって、本当にそうだとはとても思えません。


 だから、不登校や引きこもりの子を本当に認めているかどうかは、親が不登校の子にではなく、そうでない子に何を言い、どう接しているかのほうに、よくあらわれているといえます。


 わが子が不登校であろうがなかろうが、かわいくて、かけがえのないわが子です。
「なのに」ではなく、「だから」、子どもに手を貸してはいけない。
子どもが頑張ろうとしているときには、子ども自身にさせて、結果も子ども自身が引き受けるようにしないといけません。


 「なんで、お父さん、お母さんはバックアップしてくれないのか?」と言われたら、「親の会でそう思うようになった」と言ってください。
 これまた、子どもの説得が目的ではありません。
 子どもの課題ではなく、親自身の課題として、そう思うようになったのであれば、是非ともおっしゃってください。


 「わが子のことを思わない親はいない。お父さん、お母さんもそうだ。でも、問われているのは子どもではなく、親であるお父さん(お母さん)自身だと思うようになってきた。
今までは子どもに対してどうしたらいいかと、子どもの問題だと思っていた。
ところが、そうじゃないのだから、親自身がいま、現在をそのまま認めて、家族とたのしく暮らすことが一番だと思うようになってきた。
課題はウチに限らず、親の会で、どこの家庭でも共通していることがわかってきた。」と。


 これに対して、「なに、言ってんだ!」と、一時は暴れたり、イライラを募らせたりするかもしれません。
 でも、子どもは、親が親自身の課題に取り組んでいる、「いままでのお父さん、お母さんとは違う」姿を見出すことでしょうし、「自分も自分の課題に、期限を切らないで、それこそ、ゆっくりと取り組んでいってよい」ことに気づいていく、とても大事な契機になります。



2.自分を大切にしていたら自分のしたいことを大事にするようになる


 少子化の時代で大学に入りたいんだったら、誰でも入る時代になってきています。
しかも、最高学府の大学院、大学の上の大学院に入るのが一番やさしい。
何ヶ月か前にここで話しましたが、この間、授業でも話したら学生がびっくりしていました。


 「日本の入学試験で一番易しい入学試験はどの試験でしょうか?」というやつです。
学生はいろいろ知っているんだけど、やっぱり若いので、社会の実際ということになると知らない。
 4年制大学卒でなくても、短大卒でも、高卒でも、大学院で学ぶこともできます。


 若い人が焦りがちなのは当たり前ですね。
 僕も30年、40年前はそうだった。でも、もうはっきりしているのはどの大学を出たか、じゃない。
 例えば民間企業の就職試験では若干の教養試験もあるから、知識があったに越したことはない。


 でも、公務員試験や教員採用試験のように、それが中心ではない。
面接試験が決定的です。面接で人物を見るんです。
どこの大学を出てとか、たくさん知識を持っているかではないんです。


 ほんとうにこの業界に通じているのか、会社のためにやってくれるのか、それを確かめようとします。
 単なる優等生的な答えでは、すぐに見破られてしまいます。
学校の成績にはほとんど関係がない、その人ならではの能力や資質を見ようとします。
そこで、私たちの親の会が一番大切にしていることともつながってきます。


 「わがままが肝心! 自分を一番大切に!」というのが親の会の格言のひとつです。
自分を大切にしていたら、自分がしたい、やりたいことを大事にするようになります。
「ネバならない」という考えでなく、ほんとうに「したい」「やりたい」ということを大事にしていくと、やがては就職活動にも好結果をもたらします。


 「どこかに就職しなければ」という考え方では、面接に強くはなれません。
自分が自分の人生の主人公で、自分の興味や関心を第一に考えるという習慣ができてくると、自分がしたい仕事にも、その業界についても当然詳しくなってきます。
面接試験でも付け焼刃ではない、ちゃんとした応答もできるようになるわけです。


 また、雇われることだけでなく、自分で会社をつくること、起業することも今の若い人はどんどんはじめている。起業には、いっそう学歴は関係ない。
 一月ほど前、NHKで高校中退して、17歳で会社をつくった若者を紹介していました。
たとえ起業に失敗しても、そうしたことに挑戦したことも評価される時代です。


 公務員のほうは変わらないようにみえても、やはり変わりつつある。
地方自治体でいうと10年ほど前、神奈川県の小田原市が最初でした。
応募資格から学歴条項を廃止しました。愛知県の瀬戸市が続きました。
「大卒だから優秀だろう」ということで職員を採用する時代ではなくなりつつあります。


われわれの貴重な税金の使い道をちゃんとしてもらわなければいけない時代ですので、やはり人物を見ようとするのが当然の流れです。
 このへんは、主に父親の出番かもしれません。
会社や役場などで働いていて、学歴ではなく、その人本人の能力を評価しようという流れにあることを日々、実感しているのではありませんか。



3.親は我が子に「どうしたら」ではなく、親の生き方を考える


「確信を持ったら、子どもにも話せるようになる」ということが大事なのではありません。
僕が書いた文章の補足ですが、そもそも子どもに話す必要はないことです。
「自信と確信がなければ子どもの質問に答えてはいけない」というのではなくて、そもそも言う必要がないのです。それは、子どもが本当に求めていることではないからです。


 たとえば、不登校の小学生の場合などはとくに「僕は学校へ行きたいんだ」と言いますね。
しかし、それはウソで本当の気持ちではないでしょう。
親が日ごろ行かせようとしているから、少しでも心配を減らそうと思って言っているんです。
行きたかったら、行けばいいのです。しかし、行こうとしても行けないのです。


 本音は「行きたい」ではなくて、「行かねばならぬ」と思っているのです。
だから、子どもが言っているからと、その通りにすることは、子どもを尊重したことにはなりません。
Sさんは、最近は、2回目ですけど、長い過程があるので、是非わかってほしい。親がどんなことであれ、子ども「に対して」何かをと思っている限りで、ダメなんです。
子どもは何の問題もないのですから。


 さっき、「シャワーの音が○○に聞こえる」という話がありましたが、それは異常でもなんでもなく、むしろ逆に正常であることの証明です。
つまり、大変なことが重なるようにあったのだから、そう聞こえても全然不思議じゃありません。逆にそういうことがない方がおかしいと言ってもよいくらいです。
大変なことがあったのにルンルンだったら、逆に心配したほうがいいですね。


 子どもに問題がないだけでなく、じつは我々大人にも基本的なところは問題がないんです。
登校拒否や引きこもりは、悲しむべきことではなく、そもそもからして「明るい話」なのですから。


10周年記念誌の前書きでも述べましたが、子どもであれ、大人であれ、人間を変えようとするのは、いわば「洗脳」で恐ろしいことです。
 絶対にしてはいけないことです。ただ、見方や考え方を変えることができれば、ほんとうに明るい展望が開けてきます。


 そのひとつが、親が子ども「に対して」どうしたらいいのか、何をしてやったらよいのか、という発想をそもそもやめませんか、というのが僕の問題提起です。
やるんだったら、親は子どものことではなく、親自身の課題に取り組めばいいのです。


そのことをわかりやく言うと、トモちゃんの言い方を借りれば、子どもには「無関心」でいるということです。
 子どもがあれこれ言ってきても、「そうは思わないけどね。お父さんは」とか、「ふうん。そうなの」と答えるくらいにしたらいいのです。


 「自信がない時に、子どもに話したらダメ」とは全然言っていません。
自信のあるなしは関係ありません。自信があったとしても、人が人を説得してはダメなんです。
人が人を変えようとしてはいけません。
人は自分から変わっていきます。
親は親自身の生き方を大切にして、毎日をたのしく暮らしていけばよいのです。


 最初は子どもの問題と捉えていたけれど、そうではありませんでした。じつは親もゆっくり生きていけばよいと気づかせてくれました。
我が子の不登校や引きこもりのおかげで、親の生き方も変わってきたのです。


 子どもは自身で自分の生き方を探していけばいい。
子どもは親に対して、口では「自分のことを見捨てたのか? 自分達だけが楽しんで」と言います。
 しかし、それは本心ではありません。
夫婦喧嘩をしたときに、「お前なんか出ていけ」と言っても、99%は本音ではないでしょう。まあ、1%は本音があるもしれないけど。(笑い)


 子どもでも同じですよ。
 本当にそう思っていたら、言いません。
親を信頼しているからこそ、ときにひどい言葉使いをするのです。
親の会の三原則は、子どもが家庭内暴力をした時だけの三原則ではありません。


 子どもを異常視しない。
 子どもの言いなりにならない。
 子どもは全然おかしくない訳ですから、子どもが言った通りにはしないで、子どもがほんとうに求めていることを受け止める。


 「こんなにもひどいことを言ったりやったりする俺(私)でも認めてくれているのか?」と無意識のうちに親を試しているわけですから、額面どおりに受け止めてはいけません。
子どもの言った通りに親がするということは、子どもの奴隷になることです。
 奴隷になって、子どもの辛さを助長してはいけません。


 子どもはおかしくないので、腫れ物扱いしてもいけません。
子どもがときに暴れるのは、正常だからこそすることです。大変な時に、大変だよと教えてくれています。過食や拒食、さらには自傷行為であれ、深夜徘徊であれ、非行であっても、この三原則があてはまります。


 親が毎日を生き生きと暮らしていると、言葉を口にしなくても、子どもには「自分のことを信頼してくれているな。
親は楽しそうに、生活している。自分のことはほうっておいてくれているな」とわかります。


 トモちゃんがもう話しはやめたらという顔で僕を見ています。(笑い) 自分は散々しゃべったくせに。(大笑い)人間って、みんな大人も子どもも自分勝手です。(笑い)
 それでいいのだと思います。わがままの自分勝手のどこが悪い。(笑い)
表向きの言葉だけに騙されてはいけないのです。




このページの一番上に戻る→


体験談(親の会ニュース)目次へ←


TOPページへ/  →2005年7月発行ニュースはこちら



Last updated: 2005.8.23
Copyright (C) 2002-2003 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)