登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話
   

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体験談

2006年11月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.127より


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から、いくつかの記事をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→



 
自分をもっともっと大切に  2006年10月例会報告


 「解決の道は自分の中にある」。

 10月の例会でも、話し合われました。
家族やまわりの誰かのせいにしている限りうまくいきません。
互いの信頼関係もしぼんで、冷たくなっていきます。
勝手に悪いと思い込んでいる自分自身の考え方を変えることができれば、道が開かれてきます。
そのためには、自分をもっともっと大切にする生き方をすることです。


 家族の中でも、一番大切なのは自分自身です。
親が自分自身を一番大切にできてこそ、子どもも安心して、基準を世間にではなく、自分自身に置くことができるようになります。
そのときそのときの「いま」を自然なものとして受け入れることができるようになります。


  Hさんは、HPや会報を読んで、あんなに大きかった不安がなくなったと言います。
「今では息子に関心がなくなりました」と。息子さんを信頼したからですね。
家族の関係も以前のように信頼と愛情で結ばれるようになったと言います。


  Kさんは「親の会に参加して、自分の気持ちをどんどん出せるようになった」、Jさんは「自分も幸せになる権利がある」、Mさんは「辛いときこそ絶好のチャンス、と大変なときでも自分を大事に考えることができた」と言われました。
自分自身を大切にしていくとほんとうに道が開けていくんですね。


  「ただ一緒に生活するだけですごく得をしている」とじぇりさん。
わが子の不登校のおかげで、毎日の暮らしのなかにたくさんの幸せがあること、いろんな感動をもらっていることが伝わってきます。


  「説得より納得」。
 わが子が不安を訴えても、それに対応することは、親も子も不安を増すばかりです。
親も子も自分自身が納得したときに力になります。
 自分で決めていくんですね。
 まさしく「解決の道は自分・・・」です。


 <目次>

1 人の話は我が話、我が話はみんなの話 内沢朋子

2 「ああ、病気じゃないんだ・・・」 Aさん

3 傷ついた分、引きこもる時間が必要  Hさん

4 私にも幸せになる権利がある Jさん

5 親の会は自分に自分自身を取りもどす場 Kさん

6 一緒に暮らしているだけで得してる じぇりさん

7 「解決の道は自分の中にある」んだなあと、納得です Sさん




人の話は我が話、我が話はみんなの話

―――(内沢朋子)(世話人):

 子どもに問題があると考えて、「子どものあれが心配だ、これが不安だ」と言っているうちは、親の不安が雪だるまのように膨れ上がって、親は不安の塊となってしまうんですね。
 しかし本当は、子どもが心配だと思っている自分が不安なんだ、ということに気がつけばいいんですね。
 「なんだ、自分が不安だったんだ」と気づけば大丈夫なんですね。
「子どもの状態に何も問題がないんだ」と気がついていけば、親は不安がなくなっていきます。


 今日は初めての方も参加されていますが、人の体験を自分の体験として聞くことが大切なんです。
 あれは人の体験だと聞き流してしまったら何にもなりません。
 人の話の中に必ず教訓があります。
 
自分のこととなると案外わからないものですが、他の方の話はよく分かるんですね。


 「人の話は我が話、我が話はみんなの話」なんです。
これを忘れてはいけません。
人の話をよく聞いて、自分のものにすることがとても大事なんです。
 登校拒否15周年記念誌に43人の方が書いておられます。
この記念誌の中にたくさんの教訓があります。是非お読みください。



「ああ、病気じゃないんだ・・・」      Aさん


(母):福岡から夫婦で初めて参加しました。
中1の娘が小6の11月から行かなくなりました。
小4で転校し、5年、6年と友人とのトラブルがあり、そのことがきっかけになったようです。祖母が亡くなり忌引きで1週間休んだ後、1週間は頑張って登校したようですが、それから朝、娘が起きて来なくなり、「ダメだ」と言って行かなくなりました。

 本人にとってはぎりぎりの選択だったと思うのですが、私には突然のことでしたから、娘の変化に動揺してしまいました。
いままで見たこともない様子だったのでおかしいと思い、不登校の本を買ってきて読みましたが、「不登校は治さなければいけない」、「親がなんとかしなければいけない」としか書いてなくて、一層焦って心療内科へ連れて行きました。

そこで「この子は鬱です」と言われ、薬が処方されました。
そこには何ヶ月も通いましたが、「学校に行かせないと引きこもりになります」とも言われ、私は行くたびごとに落ち込みました。


―――ひどい本や医者に当たってしまいましたね。


 はい。その先生は「夕方誰もいなくなった教室へ連れて行きなさい」とか、「勉強についていけなくなったら、ますます行けなくなるので、家庭教師をつけてはどうか」と言われました(笑)。
その言葉を信じて、私が担任と裏工作をして、担任に誘いにきてもらったり、夕方学校へ連れて行ったり、6ヶ月間、相当娘を傷つけました。

 そんな状態で娘は中学に行くと言うし、診療内科でもそう言われるし、私の不安がどんどん拡大していって、私のほうが鬱状態になり、薬を飲むようになりました。
 その頃、この親の会のHPに出会って「ああ、病気じゃない」と分かり、この会が紹介している本を読んで、娘に「ごめんね。病気でもないのに病院へ連れて行ったりして」と謝ったら、娘も泣いていました(涙ぐむ)。
 それ以来病院へは行っていませんが、私は体調がまだよくないので、別な病院から薬をもらっています。


 娘は今、昼夜逆転で昼起きてきて、夜中までパソコンをしたり、テレビを見ています。病院に行っていたときは「昼夜逆転は良くないので睡眠薬を飲ませてきちんと夜眠らせなさい」と言われていました。
 私の中では不安が少しずつ減って、娘がゆっくり休んで元気になったら、少しずつ何かするかなと思えてきました。


 小6の女児が自殺した報道に娘が、「お母さん、小6の子が自殺したんだよ」と言ったので、「無理して学校に行かなくてもよかったのにね。不登校すればよかったのに」と言うと、「きっとお母さんにも言えなかったんだよ」と言いました。
 私は、「ああ、娘は不登校してくれてよかった、生きていてくれてよかった」と思いました。

 中3の姉が受験生で、自分は頑張らないと、と思っているのが分かり、きついだろうなと思います。
 姉は自分が帰ってくる頃に、妹がまだ寝ていたり、夜中ずっとテレビを見て好き勝手に生活しているので、イライラが募るみたいです。
 妹には直接何も言いませんけれど、「私は違う」と言って、無理して塾へ行ったりしているのがきつそうなんです。
仲がよかった姉妹だったんですけれど、あまり話をしなくなりました。


 私の中にも、学校へ行っている娘と行っていない娘をどっちも認めたいという気持があるのですが、それをどう表現したらいいのか、むずかしくて、頑張ってる姉に「頑張ってるね」と言うと、妹が辛いかなと思ったり。
 家にいて自分自身が居心地が悪いので、私がそう思っているうちは、娘たちも居心地が悪いかなと思っています。


―――あなた自身は不安がなくなったんですね?(はい)
 
以前はすごく不安で、娘さんが「お母さん、あのね、あのね」と言ってこなくなったことも不安でしたでしょう。(はい)
 ご夫婦で支えあっていらっしゃるのですね。ご夫婦で明日は指宿まで旅行に行かれるくらい仲がいいのでしょう。(はい)


(父):子どものことでは二人ともどうしていいか全く分らなかったわけで、私は妻が病院へ行きたいと言えば、「ああ、そうしたら」と言うくらいで、妻に任せていました。
 妻の方は体調不調になっていったんですけれど、自分の中にはなんとかなるんじゃないか、不登校もそのうち治るんじゃないか、という安易な部分もありました。
現実が目の前にあっても、あんまり私自身切実じゃなかったです。

 僕は今まで子ども達に、ああしろ、こうしろと言ったことはないし、これからも言うつもりはありません。


 職場では上司から、「部下に対してメンタルヘルスが大切だ」、「部下とコミュニケーションをとり、がんがんフォローしていきなさい、そうしないと鬱はなくならない」と(笑)、会社の中では円滑に仕事を回していくためにそうしなさいと言われています。
 しかし私は反対に娘のことは自然に任せようと思っているんです。
でもまあ、それでいいのかな、働きかけていくことが必要なのかなと少し不安もあるんですが…。


―――必要はありません(笑)。よけいなことは言わないことですね。
自分自身に確信がないのに、妻や子どもに何かしなくてはと考えがちですが、それは自分自身の不安なんですね。


 
何もしないのがいいのです。
 何もしないということが実は多くのことをしているのです。
 親が子どもに何もしない、何も言わないということは難しいことなんです。
 何か言いたくなるし、したくなるものです。
 何もしないと、子どもは自分で決めていく力を持っていくんですね。


 最初にお話したように、親が不安なんです。
 子どもは健全に生きている、何もおかしくないのです。
最初行かれた心療内科はどんどん親を不安に陥れて、子どもを薬漬けにしています。
本当にそういうことで悲劇がいっぱいありますね。

 しかし、お母さんは最初は不安だらけだったけど、娘さん達に留守番をしてもらって、今日は鹿児島まで来られて、明日は指宿まで行く力が出てきたんですね。
子ども達を信頼しないと出来ないことですものね。
子どもから離れるなんて今までだったら出来なかったと思いますよ。
ご夫婦でこうやって来られるだけでも素晴らしいことですね。


 我が子を信頼する、我が子は生きている、そのことを絶対的に信頼するんです。
自分の子どものことは親が一番分かります。
娘さんは滝川の小6の女の子が亡くなったことに心を痛める心をもっているのです。
そのことに確信を持ちましょうね。


 お姉ちゃんはかなり無理をしています。
受験できついのに妹みたいになりたくないとイライラするのは自分に無理をしている証拠ですね。
自分の姿を妹の中に見て認めたくないのですね。
学校へ行かないのはダメだという学校教育ですからね。そういうときはお父さんもお母さんもデンと構えて何も言わないことです。「対応」なんて考えないでね。


 学校へ行かないのは何の問題もありません。
行かない自分はダメだ、行かない子に育てた私がダメなんだという自己否定が問題なんです。
 これほど怖いものはありません。これ以外だったら全てOKです。
それくらい大丈夫だと感じられてお帰りになってください。
 HPに書き込みをされて、私が返事を書いて、それで安心されましたか?

(母:はい、とても)
それはよかったです。

 


傷ついた分、引きこもる時間が必要       Hさん


―――息子さんは中3で学校に行かなくなったんですね。親の会に出会い、HPや会報をプリントアウトして、徹底して読んでいく中で早い段階で安心されて、子どもさんのことには関心がなくなってこられたんですね。


(母):この会に参加したのは2月のちょうど受験の頃でした。
先手先手を打って、いろんな資料を取り寄せて、取り寄せるだけではなくてその学校に、「どうしたら高校に行けるようになるのだろうか」と話しを聞きに行ったりしました。

 公立高校の入試の時には、息子の抵抗で遅刻し、担任が迎えに来て行ったんですが、結局落ちてしまいました。
 私立、公立高校とも終わって、通信制高校を受験しようとなったんですが、髪を黒くしていかないと通らないと分かっているのに、息子は金髪のままピアスまでして行きました。
チェックする先生たちが4人いて首を上から下まで、こ〜んなにして動かして見て(大笑)、バッテンをしていって、とんでもないという感じだったんです。
結局落ちまして今は家にいます。息子は1週間に1回出る求人情報誌を自分で取りに行って見ています。


―――建築関係のアルバイトはもう辞めたんですか?


 そうです。
 長続きしないです。早朝から夜遅くまでのハードな仕事でしたので。
 息子に関心がすっかりなくなったのが8月ぐらいですね。
もちろん昼夜逆転もしているんですが、全然関心がなくなりました。
親の私たちも生活がありますし、息子が夜中に出たり入ったりする度に、私と一緒にいる犬が耳元で吠えたりするので、出て行ったな、入ってきたなと、それ以外はもう関心がないですねえ(笑)。

以前は「悪い人たちと遊んでいないだろうか」などといろいろ心配しましたけれど、親の会の資料と5年分のHPの内容を印刷して勉強し、紹介されている本も読んでいくと、全然普通なんですね。


 息子が学校で傷ついてきたのは、私が知る以上の年数で傷ついてきたんじゃないか、小学校から傷ついてきたんじゃないかと思います。
 いじめられるほうではなくて、どっちかというと息子は心が幼いので、やんちゃでいたずらするほうでした。
 「女の子を泣かしました」と、先生から呼び出しを受けたりしていました。
息子にとって学校は友達もいっぱいいて楽しい所と思って、小学校も、中学校も期待して行ったけれど、先生たちからは目をつけられて楽しくなかったんじゃないかな、傷ついてきたんじゃないかなと思います。


 傷ついてきた期間が3年、4年あれば、引きこもる期間も3年、4年以上あるんだなあというのも分かったし、今、まだ卒業して7ヶ月しか経っていないので、家でゆっくりしているのが当たり前だし、ずっと家にいてくれてもいいなって思います。


 この会に来た当時も「ゆっくりしていいんだよ」と言っていたんですけれど、やっぱり親子だから、口では言っているけれど本心では思っていないな、というのが相手に伝わるんですよね。
 今は夫婦とも心からそう思っているので、それが本人に伝わって、家でゆっくりしています。(
―――それは良かったですね。


 私も8ヶ月前までは仕事をしていました。
 仕事ではニコニコ楽しそうにしているけど、仕事が終わって職場を出たら、涙でぼろぼろでした。子どもが辛い思いをしていると思って、泣けて泣けて仕方がなかったです。

 私が家にいることで子どもが安心するんじゃないか、息子にとって2月、3月は大事な時期だという思いと、学校まで遠いこともあり送り迎えをしようと仕事を辞めたんです。
その時、夫が息子に「お母さんはあんたのために仕事を辞めたんだよ」と言ったんです。それは息子をすごく傷つけたことじゃなかったかなと思っています。


 この会に参加して、私も疲れていたんだとわかりました。
家で子どもと一緒に7ヶ月ぐらいゆっくりして、私も心がすごく休まりました。
そうするとなぜか自然な感じがして、それで先月から仕事が見つかり、行くようになりました。
そしたら、案じていた以上に、息子は家でますますゆっくりしているような気がします。


―――大事なお話ですね。
 最初のうちはやはり、ご夫婦でトラブルもありましたか?



(父):もう、初めのうちはアドバイスをしてもですね、入試があった時も、私が「そんなのは後でいいよ」と言っても、妻は「先手、先手」と言ってですね、私が「右を向いたほうがいいよ」と言えば、私のアドバイスを聞いて、妻は左を向くんですよ。(笑)


―――それが、今はお互いになくてはならない存在になっておられるんですねえ(笑)。息子さんのおかげですね。


 


 私にも幸せになる権利がある         Jさん


―――(強圧的な夫のことについて話題が出ました)
ひどい夫に感謝するということではなく、自分が自分らしく生きていく、自分の主人公として生きていく、そのきっかけを与えてくれたという意味で、もと夫にたいしてではなく、そうした「いきさつ」に感謝するという意味があるんですけど・・・。


 Jさんは弁護士のところに会いにいくという力が出てきたのね。
今、別居されて3年たっているんです。
まいちゃんの不登校をきっかけに、自分が夫からすごく抑圧されていたということがよく分かるようになったのね。



 
でも、涙ばかりがあふれて、エネルギーがすっかりなくなってしまい、「どうして自分は辛い思いをしているんだろう」と思ったときに、夫からすごく強圧的に支配されていたということに、Oさんと同じようにご自身が分かるようになってこられましたね。
ずっと引きこもっていたら夫が9月から生活費も入れなくなって、あなたは「絶対許せない」と言って相談に行かれたんですね。



 まだ弁護士のところには行ってなくて、ちょっと慣らしてからと思い、無料相談に行ってきました(笑)。
 結構落ち着いて話すことができました。
3年前の自分と比べて、あの頃は買い物にも出られなかったので、すごく元気になったなと思います。


 最初、朋子さんに「あなたも幸せになる権利があるんだよ」と話してもらったことや、Oさんの話などを思い出したりして、私は親の会のおかげで元気を少しずつためることができるようになったんだなと、親の会には感謝しているんですけど、やはり、夫のお陰というのは言いたくないです。(笑)


 それに加えて、娘をいじめた子にも、中学生でまだ幼くてその子なりの事情があったんだろうけれど、その子にも感謝は出来ないなと思います。
 娘が家で引きこもっていたときに、その子に貸していた漫画の本を夫が娘を連れて行って返してもらうとき、なぜか夫は缶入りのクッキーを持っていってその子に渡したと聞いて、私はその感覚が分からなかったんです。


 いじめた子にそういうことはしたくないと思いました。
「ちょっとやっぱりお父さんはおかしいよね」と、みんなで話したんですけどね。
 だから、そういう世間体を大事にする人なんですよ。自分の子よりもそういう世間の人が大事という感覚。そういう感覚は私は分からないです。


―――15周年の記念誌に原稿を書いてもらったときに、自分を辛くさせた核心部分を書くことは出来ませんでしたね。
 そのあなたが3年経って、こうやってそのクッキーの話までするようになって、たいしたもんだなって思いますよ。
 そして前回の例会では、「子どもたちがとっても私を支えてくれた」ってお話してくださいましたね。



 Oさんにも言われたんですが、この頃怒りがわいてきたんです。
送金がゼロになった頃からメラメラとわいてきて、それを言ったら、「怒りがわいてきたということは、いいことだよ。エネルギーがあるんだよ」って。
 元気になってきています。でもめげるときとそうでないときと、すごい差があるのでよろしくお願いします。


―――めげるときでもほんとにどん底まで戻ることはないんですね。
行きつ戻りつしながら、次第にどんどん元気になっていっているんですね。
一時は疲れて親の会に来られなかったですものね。


 


親の会は自分に自分自身を取りもどす場       Kさん


―――22歳の長男さんは、働かないといけないと無理して大阪に出て行って半年間閉じこもり、その後帰ってきて、今家にいるんですね。
ずっと無理をしてきたという感じでしたね。



はい。長男は仕事はしないで今は家でのんびりしています。


―――息子さんのそういう状態を安心していますか。


 はい、私は今は息子の仕事のことは何も思わなくなり、仕事から切り離して考えられるようになりました。
 ただ私の物言いが上から言ったり、たまに私がどっちつかずの返事をするとブチッと切れますので、そういうのに少し気を遣います。私は洗濯やご飯は作りますが、あとは放っていたら、自分で片付けや掃除をするようになって娘たちの部屋より綺麗です。


 長男はペットを飼いたいと言っていたのですが、なかなか夫の許可が出ず少し揉めていたんですが、自分でちゃんと世話をするからと、飼うことになりました。
夜中に起きて餌やりをしたり、掃除もして、ペットのほかのことも一生懸命するようになり、引越しの荷物も綺麗に片付け、布団を干したり、部屋の空気の入れ替えもしています。


―――帰ってきてもトラブルになるんじゃないかとご心配されていましたが、「案ずるより生むが安し」でしたね


 はい。長女は通信制高校に行っているんですが、この子も自分なりにいろいろ考えるようになりました。
 友達から免許を取ったからとドライブに誘われ、イヤイヤながら乗って話をしてみたら、案外その子も自分と同じ不安を持っていて、考え方も一緒だったと気がついたようで、その子のことを怖いと思わなくなったと言いました。


―――お母さんは一時の不安に比べたら今は不安がなくなってきたようですね。


はい、あまり不安はないですが、一番下の次女が今まで学校に行かなかったのに、行くようになり1日も休んでいないんです。
友達関係でときどき「疲れた」と言うので話を聞いてみると、人のことばかり言う子がいて、「その子を許せない自分に疲れる」と言います。

私が「疲れたら休んだら」と言うと、「休んだらもう行きたくなくなる気がする」と言うので、「自分で考えて自分の好きなようにしなさい」と言っていますが、すごく無理しているんではないかと思っているんです。


―――あなたがデンとすればするほど、答えは娘さんが見つけます。
でも、あなたの家の歴史がずいぶん塗り替えられてきましたね。


―――(内沢達):親の会に参加されるようになって、親の会の考え方が参考になってきましたか?



 はい。私の中に溜まっていたものがどんどん吐き出されてきたのかなと思います。
7月の例会には参加できなかったんですが、会報に「嫁としての立場」の発言が載っていて、自分の想いと重なりました。


 私は結婚して25年になりますが、最初に「気が利かない」と言われたことが劣等感となり、例えば、タバコが出たらさっと灰皿が出るというように、何も言われなくてもサッと何もかも出るようにと言われていて、それ以来何をするにつけてもずっと気を遣ってきました。

 夫の実家に行くとずっとこそこそ動かないといけないというのがあり、私は自分にとって嫌なことを「嫌だ」と言えないできました(涙)。
それを思い出して、ああそれと同じだったんだなと。


―――(内沢達):あなたの夫は「嘘でもいいから俺の言ったことに対して、うんと言え」と言うと、以前おっしゃっていましたよね。


 私に対してだけじゃなく、息子に対してもそうで、違う意見が出ると夫は反発して絶対に引かずにいつまでも平行線です。
 私は放っておいてその場から離れるけれど、声が聞こえて不安になります。息子は「お父さんと話をしたいのにいつも会話が出来ない」「もっと楽に話したいのに、つまらない」と言います(涙)。私の想いと同じなんです。息子の方が話したいと歩み寄っているのに、そんな息子を見ているとその場にいるのがますます辛くなります。 


 この頃は私も要領が良くなってきて、子どものことも深く話をしたくなくて、夫が言ったことに「あ、そう」と流して会話をしないで逃げてしまうんです。
今は「自分を大事にする」ということはどういうことなのかと考えているんです。
自分が変わることで子ども達も変わっていくんではないかと思っています。
HPを読むと、「わがままに生きるということが大事」とあります。


 私は独身のときから自分のことは自分で切り開いてきてそれを誇りに思っていたので、子ども達にも「自分で努力して何でもしていいよ」と言っていたら、夫に「お前のしてきたことはわがままだ」と言われて、私は子どもに何も言えなくなってしまいました。
夫は「親はするのが当たり前、心配するのも、手出しをするのも当たり前」と考え方も違います。


―――今までは子どもさんのことを話しても自分のことを話されなかったけれど、こうして自分の想いを話すことが出来て本当に良かったですね。
「気が利かない」と言われたり、「わがままだ」と言われてすくんでしまって、自分に自信が持てなくなって何も言えなくなってきたことに、おかしいなと気付き始める、そこから自分を大切にするという意味が分っていくのですね。


 あなたが自分の人生の中でそれはおかしいことだったなと、子どもさんの不登校の中で気がついていかれる、自分の不安を出していくことで自分に自信がついていきます。
子ども達のことに不安がなくなってきたということは、そういうあなたの気持の変化が背景にあるのでしょう。子ども達を信頼してきているということですね。


 お父さんの言っていることもちゃんと息子さんは分かってきていると思いますよ。
ビクビクせずに「あー、またやってる」くらいに安心してみているといいでしょう。





一緒に暮らしているだけで得してる      じぇりさん


 3人の子どもが不登校を経験しています。
一番下の息子は14歳で、つい先日「あっ、俺、まだ義務教育だったんだな」って言ってました。(笑) 「俺って夢のような暮らしをしているんだろうな」とも言いました。

 小学校入学まもなくから行かなくなって今、中2の年齢ですから、もう7年になります。
上の二人は5年、6年だったので読み書きや掛け算くらいは出来ていたので、まあいいかなと思っていました。
 しかし下の子には何もしてないという不安がありつつ、全く何もしないでただ暮らしてきただけなんですが、ああ、それでよかったんだなあと本当に思います。
息子の言葉がそれを物語っているので、私がそう感じるのも当たり前かなと思います。


 娘は19歳です。
小6から行かなくなって、どこにも行かずにずっと家にいて、何をやっているか私もよくわからないんですが、テレビやマンガが好きです。
 9月半ばに娘が、「東京でアニメのイベントがあるので行きたいんだけれど、お母さん、仕事休めないよね」と言ったんです。私は東京なんて何も魅力がないわと思っていたんですが、休みが取れたし、次男も行ってみようかなと言ったので、3人で3泊4日で行って来ました。行ってみて「東京っていいなあ」と思いました。(笑)


 娘はイベント会場には2回は行くと言っていました。
ワンフロァーに娘の好きなアニメのイラストやグッズが展示されていて、娘は2日目は5時間入って出てこないんですね。
 本当は6時で終了だったのに、7時まで開けてくれていて娘が最後のお客さんでした。
娘にそんなに夢中になるものがあって嬉しいなと思いました。


 私は息子の大好きなフジテレビに行きました。息子はフジテレビが大好きで1日中見ています。そこでもクイズに答えながら進んで行くというコーナーがあったりで楽しみました。私も影響されて、息子のおかげで見る番組が変わり、一緒に楽しんでいます。


 今回の旅行もそうですが、家族の中の誰かが興味を持つことで世界が広がっていくんだなあと思い、学校に行っていたらこんなにべったり子どもとはいられないし、子どもがどういうものに興味があるのかと気づくチャンスもないし、ただ一緒に暮らしているだけですごく得しているなあと思いました。
本当に学校に行かない暮らしがいいなあと思いましたね。


―――じぇりさんの夫は喜界島の小学校の先生だったんですね。
標準服の強制に反対する活動をして職場でいじめにあいました。精神的に非常に辛くなって鹿児島県には住めなくなり、都城に転居されて7年になるんですね。

 直樹さんもゆっくり休んで、今新たなお仕事をされているんですね。時々HPにじぇりさんのハンドルネームで書き込みをしてくださっています。この頃カキコミがないですね。とてもいいことを書いてくださっていました。また書いてくださいね。





「解決の道は自分の中にある」んだなあと、納得です。     Sさん


(父):息子はもうすぐ27歳です。
中3の3学期から不登校になり、高校に入学しましたが連休明けくらいから行かなくなりました。
それでも中学時代の友人とは2年生までは土、日になると月に2,3回遊んでいました。
友人が高3になった時に、「これからは受験勉強があるから遊べない」と言われたらしいんです。そこから息子が焦り始めたように思います。


 そこで通信制高校を言い出し、その手続きは私がしました。
しばらく行ったんですが、同じ友達と大学に行くためには通信制では間に合わないと大検の手続きをしました。
大検に合格し、友達とも一緒に大学を受験できるという話をしていました。
私たちも期待していた部分があって普通の大学に行くかなあと思っていたんですが、1年後に通信制の大学に入学しました。


 大学を卒業してからヘルパー資格試験を受けていたんですが、1級の試験で立ち止まってしまいました。
今までの疲れが出たようで、親に自分の辛さをぶつけて荒れたりもしました。その後、今度は就職しなければと自分でハローワークに行っているんですが、4回くらい受けましたがほとんど面接で落とされています。
すると「学校に行っていないから落とされるんだ、働いた経験がないから落とされる、面接官はそういうことしか言わない」と言い、以前は1ヶ月の間隔で息子が荒れるというくり返しでしたが、今は仕事についてはいませんが、2ヶ月くらい何もなく落ち着いています。


 昨日は妻に職歴が欲しいと言ったらしいです。就職試験を受けに行った時に、「前は何をやっていたのか」と聞かれるんですね。
「それがないから自分は落とされる、だから職歴がほしい」と矛盾することを言うんですね。


―――仕事をハローワークに求めに行くこと自体、焦っているとは思われませんか?


 思いますが、それは本人の意思で行っているんだと思っています。


―――以前はそのことで荒れたりしましたよね。


 そうです。私たちに文句を言ってきた時にちょっと無視をすると、「お前達は何も考えていない」という言葉が返ってきていました。ということは私たち親を頼りにしている言葉ではないかと考えるんです。


―――息子さんに対して怖いという気持ちはなくなりましたか?


 以前ほどではないですね。
私の考えを息子に言ってから、その時から強い言葉で返せるんだ、本当の言葉を言えばいいんだとわかってからはそうでもないですね。


―――それは本当に良かったですね。
息子さんが荒れた時にお父さんが「お前の言いなりになる親父を見てどう思うか」と厳しく迫ったということがありました。
 我が子を信頼して、腫れ物扱いしないで言葉を返せば必ずわかってくれるということですよね。
(そうですね)
 
焦って仕事を探すことは自分を一層粗末にするんだということに、だんだんと自分で気がついて行きます。


 今、黒板に書かれた文字(「解決の道は自分の中にある」)を見て、自分の中で解決をしていかないといけないんだと思います。
ただ荒れた時にいつも息子は、「中学のときの担任が悪い、そういう先生は何事もなかったように幸福な人生を生きている、それに対してそうされた自分がなぜこんなに苦しんで生きて行かなければならないのか」という言葉が返ってきますので、まだかなと思います。


―――とにかく学校に行かなければダメなんだ、大学に行かないとダメなんだ、働かないとダメなんだという社会的な価値観に捉われている限りは辛いんですね。
それが、辛かったけれど、それがあったから今の自分があるんだと受け入れられるようになると楽になって自分のやりたいことをやって行くんですね。


 学校に行くことや社会に出ることが解決だと思ってやろうとすればするほど、子どもはずっと引きずっていく、高校でそれが爆発するか、高校を無理して卒業した子は大学で辛さを表す、大学で表さなかった子は今度は社会に出る時に表します。
自分の生き方を否定的に見ている限りはいつまでも苦しみます。
 息子さんは親の会を信頼してくれるようになってきましたね。
それは御両親を信頼してきたということですね。


―――(内沢達):本人が答えを出していきます。
最近僕が書いた資料でいうと、「ダメな自分も認められるようになると元気になる」んですね。
 でも、そうしたことは黙っていては絶対に気がつかないんですね。
じゃあ、教えることができるのかというとそれもできません。
ではどうなっていくのでしょうね。我々が教えこむこともできないし、かといって、放っておいたら気がつかない。


 せっかくSさんは御夫婦でこの会にいらしているんですから、家にかえってからも例会についての感想を出しあうなどして、不登校や引きこもりのことについて、いっぱい話をされ、大いに語りあうことが大事だと思います。


 もし息子さんが「なんで俺のことを親の会で話すんだ!」「これからは他人の前で話すな!」と言ってきたら、「違う! お父さんやお母さんのことをみんなに話しているんだ! 親の会だから、親が勉強して成長していく会で、子どもをどうにかしようという会ではないんだ」と答えたらいいと思います。


 Mさんのところも同じだと思います。
ご夫婦で家でも、息子さんが近くにいようがいまいが気にしないで、いっぱい話ができるかどうかだと思います。


 息子さんにわかってもらおうと思ってそうするんじゃなくて、自分たち自身の課題としてそうしていただきたいということです。
「近くにいたら話せない」ようでしたら、それは息子さんをまだ信頼できていないんです。これは息子さんの課題ではなく、ご夫婦の課題です。


 息子さんが「自分の足が短いのは不登校のせいだ」とかなんとか話しかけてきたとき、「何を馬鹿なことを言っているんだ!」と答えられるかどうかも同じことです。そう言って、息子さんがわかってくれるかどうかは二の次なんです。
人は変えられるもんじゃないし、また変えようとしてはいけないんです。


 でも、おかしいことはおかしいと、何の遠慮もなしに言うことは当たり前のことで、信頼できるんだったら、自分たちのために言いましょう、ということです。


 親の会というのは何よりも僕ら自身が元気になるためにある会です。
ひとりでも元気になれますが、夫婦そろっての参加だといっそうだと思います。みなさんのお家で、「この間の○○さんの話は良かったね」「先月の××さんの話も良かったよ」とか、どんどん話題にされるといいと思います。


 子どもさんは「親父やおふくろはいい気なものだ」と思うかもしれません。
それでいいんだと思います。
子どもさんがどう感じようが、そういう話を家で日常的にできるかどうか。できるようでしたら、もう大丈夫とも言えます。


 子どもは親がどうあろうが、自分の道は自分で切り開いていく、とはいうものの、でも全然違うと思います。
 そういう親が身近にいるか、いないかでは随分違ってきます。
子どもは親から言われてではなく、自分で気がつき納得していくのですが、そういう親がいれば、「あれ、ひょっとして自分は今のままでいいのかも!」と、自己肯定の大きなきっかけをつかんでいきます。



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