登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話
   

TOPページへ→ 体験談目次 → 体験談 2006年7月発行ニュースより



体験談

2006年7月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.124より


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から、いくつかの記事をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→







わが子を「心配」しないで「信頼」する


2006年6月例会報告



Tさんは、2年近くにわたる17歳の三男さんの拒食などが不安でした。心配のあまり実は日に何度もシェイクを食べさせていたのです。病院では入院を強く勧められ、命の保障はないと言われました。


4月例会で、「水だけでも生きていける、心配せずにもっとわが子を信頼して」という話を受けて、「そのときはそのとき」と決意したのです。息子さんは、今、ちゃんと食べるようになりました。


Sさんは、26歳の息子さんの「親は俺に何もしてくれない」という言葉に不安でした。時々不安をあらわすわが子に恐怖も感じていました。


しかし、4月例会の「心配と信頼」の話に納得したお父さんは、「今までは言いなりになっていた。それは心配していたから。これからは、何もしない。それは信頼しているからだ」と話しました。さらに、「俺が言いなりになっているのを見て、そういう親をどう思うか」と言ったんです。
   

2つの体験に共通しているのは、「わが子を腫れ物扱いにしない」ということです。


親はともすれば、目の前で苦しんでいるわが子をなんとかしようと考えがちです。その結果、わが子の言いなりになり、異常視していきます。子どもを信頼できなくなっていくんですね。


貴重な体験は親の会の大きな財産になりました。


最後に、内沢達の話があります。例会の話に大幅に加筆したものです。「『ダメな自分』も認められるようになると元気になる」という内容です。共通する大事な問題提起をしています。少し長い(!)ですが、お読みください。






(目次)

1 「息子を信頼しよう」と腹をくくったとき、状況は好転!
   Tさん

2 息子を通して、自分の人生を見つめる  Mさん

3 今では私がお母さんの相談役よっ!  Nさん

4 登校拒否について、見方が変わった!  内沢朋子

5 夫婦で支えあってきた10年  村方美智子さん

6 わが子を「心配」しないで「信頼」する  Sさん

7 初めて参加の方に  内沢朋子

8 会に参加するとだんだん安心していくんです
  山口良治さん

9 「ダメな自分」も認められるようになると元気になる
  内沢 達






「息子を信頼しよう」と腹をくくったとき、状況は好転!


 
Tさん




―――
17歳の息子さんが一切食べないということでしたが、よく聞いてみると1日にシェイクを10個以上食べているというお話でしたね。



@5月1日に私が仕事中、長男から「弟がひきつけを起こした」と救急車の中から電話がありました。かかりつけの脳神経外科に運ばれたのですが、長男が呼吸確保をしてくれたおかげで大事には至りませんでした。「食事を摂っていないので薬を飲ませることができない」と、何も処置はされなかったのですが、状態が落ち着いたのでそのまま帰ってきました。



そこでは以前から精神科への入院を強く勧められていたんですが、私は絶対に入院させたくないと反発していました。そこでまた入院しかないと言われたのですが、入院させる意思はないとはっきりと伝えて、聞き入れないので、最後はあきれられたというか、もう知りませんという感じでした。



息子はシェイクしか飲まないので、命のもとと思い、シェイクを切らせてはいけないと私が常に買いだめをしていました。



しかし、4月の親の会で、水でもお茶でも生きていけると聞いて、絶対に大丈夫だ、信じよう、と思いました。病院へ入れてしまったら精神科では拘束するという話も聞いていましたから、四六時中頭をぶつけている三男はきっと身体を縛られ自由にできない状態にされるだろうと思いました。入院しないで、もし食べないことで倒れても、その時はその時と覚悟を決めました。



それを信じてやってきたら、3日前に三男が「今から食べれば大丈夫かな、間に合うかな」と紙に書きました。



私は内心はすごく嬉しかったんですけれど、表向きは冷静を装って「だいじょうぶだよ」と言いました。(笑)
夜中だったんですが、長男がうどんを作ってくれて、今まで食べたかったのかなと思うほど食べたんです。



それから今日まで朝、昼、晩と3食を食べています。
そうしたら冷凍庫にたくさん入っているシェイクが邪魔になり、「たまにはシェイクをおやつ代わりに飲んでね」と言っています。(笑)



―――
あなたがシェイクに躍起になっていると、それしか食べたらいけないと思ってしまうんですね。(はい。今は見向きもしません)(笑)



医者は、1年間固形物を摂っていないので、食べようと思っても胃が受け付けないから食べられる状態ではない、と言ったんですが、全然そんなことはないんです。



睡眠もすごく浅かったのによく寝るようになって、食べ始めたと同時に頭もぶつけなくなって何より嬉しいです。髪も伸びていたのを切ってさっぱりして。本当によかったです。



―――
よかったですね。あなたがその時はその時だと覚悟して信じたからですね。(皆さんに大丈夫だよと言っていただいたおかげです)

心が辛くなっているのに、対症療法で治療しようとすることに大きな疑問を感じますね。

どうしてそれがなくなったと思いますか? そのことを学んで大事な教訓にしてほしいですね。

それは無意識のうちに親を試している、これでも僕が異常じゃないとお母さんは信じてくれるのか、当たり前だといってくれるのか、もっとひどい状態になっても、それでも親は僕を信じてくれるのか、と親を試しているんですね。



それは親の会に参加するたびにくり返し言われてきました。

異常視しない、当たり前なんだよと、ですからそれを心がけてきました。
バスに乗っても頭をゴツンとぶつけて皆に見られるんですが、でも私たち家族は異常ではないと思って見ていました。

長男は弟がかわいくて、私よりも無条件に受け入れているんです。私もそれを見て感心だなと心強かったです。



―――
あなたはすごくオロオロしていましたからね。命がなくなるならそれでいいという、命がけの腹のくくり方をして我が子を信じることができた時、必ず状況は好転していきます。

よかったですね。あなたは長い時間をかけて納得し強くなっていかれましたね。






息子を通して、自分の人生を見つめる  
Mさん




@私は今55歳です。
明日から再就職で一番年上の新入社員として出勤します。今までほとんど着たことのない新しいスーツも買いました。



―――
今までのお仕事を辞めるきっかけは何だったんですか?



それはいろんな要素があるんですが、自分なりに今までの職場をこうしようという目標を達成してやり遂げたということもありましたし、仕事中心で身体のことを見ていなくて、どんどん生活習慣病が重なってきて、ここで1回自分の身体を見つめなおそう、そうすることでこれからの仕事を長くできるようにと思って辞めました。



―――
御家族の反対はありませんでしたか?



いいえ、ありませんでした。この2ヶ月間はいろんなところに行きました。家族で京都に桜を見に行ったり、親戚に好きなおばあちゃんが福岡にいるのですが、お葬式に行くのではつまらないからと会いに行くと、非常に若々しく元気にしていたので、とても嬉しくなりました。

それでも僕はこれから新しいことを始めるので、これまでの経験というのはこれからの1年1年のための準備だったのだから、これからの仕事にどう活かしていけるのかと非常に張り切っています。



―――
でもやっぱりきっかけを作ってくれたのは息子さんですよね。
息子さんが自分の人生を大事にしてそれを示してくれた。




そうですね。息子は中3の1学期頃から行けなくなって、何とか高校に入学したんですが、2日で行けなくなりました。

3学期が終わる頃に「進級はできないけれど、またやり直したとしたら1学年下の子たちと一緒にやっていくことになるよね」と言ったら、「それはとてもできない」と言うので、それなら辞めようかと言って退学しました。

今18歳になり家で過ごしています。

僕もこの2ヶ月間家にいましたので、男同士でそんなにべらべら話はしないんですが、今ワールドサッカーが始まっていて、私も息子もサッカーが好きなので、二人でああだ、こうだと作戦を立てています。



―――
息子さんが家にいることは何も違和感がないのですものね。(はい)
よかったですね。再就職おめでとうございます。 






今では私がお母さんの相談役よっ!  Nさん





―――
Nさんは今20歳ですね。高校で行かなくなって、行ってきますと家を出ていろんなところに隠れてそれがばれて、その後は保健室登校もしましたね。

推薦で短大に行き、とうとうその短大でエネルギーが切れてしまったんですね。

ご両親は不登校に理解がなくて辛かったのね。それからこの会で、自分を大切にすることを学んで、今はアルバイトをしているんですね。




@Nさん:はい。9月からは学校に行こうという気持ちが自分の中ではっきりしてきたので、その学費を貯めようと3月からアルバイトを掛け持ちしてきて、5月に体調を崩したんです。

あっ、ちょっと無理し過ぎているなあと思ったので、ひとつにしました。
5月末にお祖父ちゃんが亡くなりました。とても悲しかったんですが、亡くなる前々日にも私はお祖父ちゃんとの時間を充分持てて、良かったなあと思っています。


今は、お母さんの方がすごく辛くなっていているんです。


前々からもう仕事は辞めようかなと言っていて、私も「辞めたら」と言っていたんです。今回お母さんは仕事を辞めたんですが、自分はダメだと思うらしいんです。

でも辞めることを決めたのはお母さん自身だからそれはすごいことだと思うし、お母さんは気付いてないかもしれないけれど、自分を大切にしようという思いが芽生え始めたのかなと思って。



―――
それはNさんが先輩だものね(笑)



それで最近、お母さんとよく話をするようになって、「どうやったらお母さんは自信が持てるようになるかな」と聞かれて(笑)、私は「そんな簡単なもんじゃない」と言ったんです(大笑)。



「私はすごくすごく苦しんで、でも気付いたら今はすごく自分のことが好きだし、何でこんなに気持ちが楽なんだろう」とお母さんと深い話をするようになったんです。
今までは自分から話せなかったし、お母さんが家にいるようになって、自分の不安を私に言ってくるようになって、「私もそうだったよ」とすごく話すんです。



以前私が辛くて家に閉じこもっていたときのことも、私が2階からなかなか降りてこないので、お母さんは「もしかしたら死んでいるんじゃないかと思った」と言いました。



お母さんは今までそんなことを言わなかったし、私には冷たい態度をとっていたと思っていたけれど、すごく心配していたんだなと分かったんです。以前の私だったらお母さんが不安になったら一緒に不安になっていたと思うけど、今はお母さんが辛そうにしていても、大丈夫と思えるんです。



―――
高校の時、あなたはとうとう耐えられなくなって家出をしたんですね。そのときは腕にたくさんリストカットの傷痕がありましたね。

迎えに来たお母さんは学校に行かないあなたのことを怒っていましたね。
親から愛されていないんじゃないかって思っていたのね。

でも、あなたが親の会で、自分を大切にするということを学び、次第に元気になっていって、お母さんは本当にあなたのことを愛してくれていたんだということを実感するようになったんですね。




 はい、人からの愛情がすごく伝わってくるというか、ありのままでいて、いろんな人に受け入れてもらって、ほんとに幸せだと思えるようになったんです。



―――
あんなに自信がなくて不安でたまらなかったのにね。幸せが全身にみなぎっている感じですね。






登校拒否について、見方が変わった!

たっちゃんの授業から   内沢朋子





夫、たっちゃんが心筋梗塞になって、私は今、夫の付き添いで2百人以上の大きな講義に参加しています。とても面白い授業に学生たちと参加しています。



18、19歳の子どもたちが授業を受けていて、「登校拒否」の話の2回目の授業が終わりました。
最初にアンケートをして「登校拒否は明るい話、暗い話、そのどちらでもない、その他」を選んでもらいます。
「登校拒否は明るい話」には誰も手を挙げないんです。「暗い話」にほとんどの子が手を挙げたんです。



ほとんどの子が「暗い話」だと思っているんですね。



それが2回の授業の中で、見事に変わり、「目からうろこが落ちた」「登校拒否は暗い話だと否定的に思っていたら違うんだ」と学生たちは感じていくわけです。



私が印象的なのは、「人はみんな同じで、みんな一人一人違う」という授業でした。
学生たちは、登校拒否や引きこもりの子は自分たちと違う人間なんだというふうに思っていた。でも、同じ人間なんだということに気がつくんです。登校拒否は異常だとか、登校拒否が暗いというのが常識だと思っていたけど、その考えはじつは非常識なんだなと気がついていきます。



授業の感想文の中に、学校に行きたくなかったという体験をしている子も結構いました。

また不登校の子に、担任に言われて迎えに行ったり、手紙を書いたり、「保健室に行かないで教室に入ろうよ」と言ったりしたことがあった、そういう自分を今恥ずかしく思っているとか、後悔しているとかね。

「『いじめられて学校に行かないのは甘えだ』と言われて辛かった時の自分がとても可愛そうに思えた」という感想もありました。



そんなふうにして登校拒否に対する偏見や世間一般が常識だと思っていることが覆されていく。

また、生きる価値観も問われていきます。

人間は甘えても逃げても構わないんだよとわかっていく。

「気持が軽くなった」「救われた」という感想を読むと、胸が熱くなります。

それがとても楽しくて、また来週も楽しみにしています。



こういうおもしろい感想文もありました。みんなで10年前のビデオを見たからなんだけれど、「たっちゃんがすごいと思ったのは、若かりし頃も出来るおじさんでステキだったけども、今もポタポタ焼きせんべいが似合う優しいおじいちゃんぽくていいと思います」(大笑)。



「人間ってみんな同じで、みんな一人一人違うということはすごくいいことだ。今まで欠点は克服しなさいとずっと言われ続けてきたので、『長所は反対側の欠点によって支えられている』、と言われて、あっ、そのままでいいんだと、とっても安心して救われた気持です。甘えや逃げもいいんだと、悩まなくてもよかったんだと気持ちが楽になりました。」



それから、「学校=牛乳」という話もしたんです。



そのことについては、「なんとなく学校に行きたくなくて登校拒否になることは、牛乳が嫌いだということと同じで、なんとなくも立派な理由なんだなと納得しました」という感想がありました。



牛乳は欠かせない、学校に行かないなんて考えられない、そういう常識に縛られてはいないか。牛乳を飲めない子は牛乳の代わりに、例えば小魚を食べてもカルシュウムは摂れるのではないか。学校に行かないという子がいても、学校に行かないから人間になれないということではない、と学生たちは納得します。



それから、「自分もいじめで死を見つめて、何度死のうとしたか分らないけれど、この授業を受けて良かった」という感想も寄せられました。






夫婦で支えあってきた10年
   村方美智子さん





―――
今、ヘルパーさんの仕事をされているんですね。



・ はい。6月は休みをもらっています。5月まで働いていたんですが、朝になるとすごく頭痛がしてきたんです。



―――
学校に行こうとして頭が痛くなることと同じですよね。



そうだと思いました。毎日仕事でしたから、痛いまま仕事を続けてとても疲れました。この仕事をして5年になります。

今は休んでいるので頭の痛みは全然ないのですが、疲れっぽいです。



―――
本当に休むということは大事ですよね。(はい) 頑張ってばかりはきついですよね。大人でも子どもでも同じです。

1996年9月18日、当時中3の勝己君がいじめを苦に自殺して、10年になりますね。早いですね。ご夫婦で力を合わせて歩いてこられましたね。




皆さんに支えられて、今があります。



――― 
二人きりでは辛い出来事、受け止められない出来事でしたからね。その後4年半の裁判を通して、一層ご夫婦仲良くなられてね(笑)。

あなたがお仕事から帰ったら、夫の敏孝さんは洗濯物などもきちんとたたんでくれて、朝はあなたが食卓に座ると温かい食事がすっと出てくるんでしょう。




洗濯物はデパートたたみで私よりも丁寧にやっていて、朝食はご飯とお味噌汁だけですよ。たまに「大根おろし」もついたりします。(笑)



―――
ご夫婦で協力し合ってやっているんですね。鹿児島の男性がそこまでやってくれるんですから、あなたはすごくお幸せですね。(はい)
ご自分を大事にされたらいいですね。知らず知らずのうちに自分を大事にしなくなっていたんですね。



やっぱり、例会に参加しなくなって1年くらい過ぎているんです。

私の周辺では自分を大事にしようとする人は見当たらなくて(笑)、みんな一所懸命働くばかりで。

今日は皆さんのお話を聞いて私は世間体の固まりになっていたみたいで、GさんやMさん、退職された方のお話など、とても新鮮でした。

私はこの3年はどんどん仕事をやって、今年の1月からはフルにやっていましたから。

会報を読んで、他のヘルパーには、疲れたら休まないとダメだよと言いながら、実は私が一番疲れていました。(笑)

休むということが頭にはなかったんです。頭痛でもうだめだとわかりました。倒れたたらいいのにとか、入院したいと思いながらも休まなかったです。



―――
村方さんご夫婦も勝己君を亡くしてほんとに辛いとき、お互いに支えあってこられたんですよね。



今思えば、自分を支えるのがやっとで、夫を支えることは出来なかったです。



―――
そういうお気持ちだったでしょうね。次第に次第に月日が経ってお互いに大切な存在と気付いてきたでしょう。(はい)



今は私が休職中なので、朝、夫を「いってらっしゃい」と見送り、「早く帰ってきてね」と言っています。



―――
あなたはあの時、自分が生きるのに精一杯だったかもしれないけど、敏孝さんも美智子さんもお互いがいなかったらつぶれていたと思いますよ。お互い精一杯でしたから。



今でもはっきり覚えていることがあるの。
あなたと敏孝さんがケンカしたとき、
(ケンカはしょっちゅうでした) 敏孝さんから私に電話があったんです。あなたがお風呂に入っているときにね(笑)。「俺は美智子にひどいことを言った。自分の口を木綿針で縫いつけたいほどだ」と言ったのよ。(内沢さんは大げさだあー)(笑)。



心では思っていても男は口ではっきり言わないからね。でも本当にあなたのことを思っておられるんだなあと感動しました。
お互いに支えあう存在ですね。「きちんと謝ってみては」と私は言いました。敏孝さんもお風呂のドアを開けて「美智子、ごめん」と小さく謝ったでしょう(笑)。




1回だけ「ごめん」と言われたことがありました(笑)。あの人は絶対謝らない人ですから(笑)。



―――
辛いときは支えあう家族がいると救われるということですね。







わが子を「心配」しないで、「信頼」する   Sさん





―――
息子さんは26歳ですね。中学のときに行き渋りがあり、高校で行かなくなり、大検を経て通信制の大学を卒業後、ヘルパーの資格を取得する時になって辛さがどんどん出てきたんですね。


以前「鹿児島の親の会の考え方は間違っている」と、思ったかどうか知りませんけれども(笑)、今5年間の空白の後、心を入れ替えて(?)(笑)ご夫婦で参加されているんですね。




@(母):最近の様子から言いますと、また、前のように家事を手伝ってくれたりして落ち着いて過ごしています。



先月の親の会が終わった翌日、車の中で、まだ息子が迷っている状態の時に、「俺が動こうとしているときに、お父さんは何もしてくれない」と夫に持ち出しました。
その時夫は前日親の会で話した「心配と信頼」の話をして帰ってきたんです。



私は私で、お小遣いと、車の買い換えという二つの課題の話をしました。息子が普通車で私たちが軽自動車でアンバランスだというので。(笑)

お小遣いを減らすという話をして、「車もお父さん達が好きなものを買うからね」と言いました。



その日に一気に話をしたので息子も戸惑いがあったのか、「内沢さんに電話をしたい」と言うので、私が電話をして、息子に受話器を渡したら、やっぱり躊躇したものですから、しばらく黙ったままという時間も設けさせてもらったんです。失礼なことをしたんですけど、息子との雰囲気を崩したくなかったものですから、内沢さんだから分かってもらえるかなとそのまま話さないで切りました。
その日は親の気持ちを一方的にぶつけた状態で終わったんですね。



―――
結局、お小遣いは7万円からいくらになったんですか?


7万円の内訳は年金と貯金が4〜5万円あって、小遣いは実質8千円ぐらいなんです。
それで次の日1万円返してくれて、毎月1万円返してくれることになっているんです。いきなり削るよりは、徐々に分かってもらっただけでもいいのかなと思っているんです。



@(父):車を買うから、借金があるからもうやれないなあというような会話をしたんです。そしたら、8月ぐらいまで待ってくれないかと言いました。



会が終わって、達さんが「車はどうするんですか。買ったらいいんじゃないですか」ということだったものですから(笑)、帰りに夫婦で話をして「買おうか」と決めました。



息子が帰ってきましたので、「親の会で子どもが普通車で、親が軽というのはおかしいんじゃないと言われた」と、親の会を出して言ったんです(笑)。



息子は「親の会はそういうところまで文句を言うのか、家計を考えずに言うのか、俺は今からちょっと行って、話しをしてくる」と言ったんです。



以前の私だったら、「連れて行け」と言われたら、息子の言いなりになって連れて行くんですけれど、その時、妻が「あなたが自分で行ったらいい」と地図を描いて渡したんです。そんなことは息子はしないと分かっていましたが。



次は「電話をしろ」と言いました。「じゃあ、自分で電話をしたら」と息子に言うと、「いや、出来ないから電話して」と言うので、妻が電話をしたわけですね。



息子は親の会の1,2週間ぐらい前に、ハローワークに行って調べてきて、「こういう仕事がある、俺には合う仕事がないなあ」と言っていました。


親の会があった次の日、息子に不採用の通知が届いていました。それでまた息子は「お前たちは何もしてくれない」となったんです。



そこで私は、

「俺も昔はいろいろやってきたが、それは心配だからやってきたんだよ。お前をちゃんと信頼していたらやらなかった。親の会で“心配と信頼”について言われた。信頼していれば親はすることは何もない、とね。だから、これからは自分のことは自分でしなさい。それはお父さん、お母さんはお前のことを信頼しているからだよ。親の会でもそう言っているよ」、「信頼というのは何もしないことなんだ」

と言いました。



息子は「親の会はそんなふうに見ているのか」と車の中でそういう話をしてダッシュボードを蹴ったりしたんですけど(笑)。



私は息子に、「俺がお前の言いなりになって動いているのを見て、そういう親をどう思うか?」と、かなり興奮していましたけれども、そういうことをどんどん聞きました。もうはっきり言わないといけないと思ってドキドキしながらも聞きました(笑)。



そう話をした翌日から、息子は変わってきた様な感じがします。
それから息子は2回ぐらい面接を受けに行っているんです。でも、落ちているような感じがします。



3回目のとき、やっぱり落ちたんですけど、息子は「だいぶいいところまでいったんだけどダメだった。やっぱり高校に行ってないからかなあ」と言いましたので、「そういう理由で断られるんだったら、そんなところに行く必要はないよ」と言いました。「それもそうだなあ」と息子は言いました。



その後、息子は「俺はほんとにこのままでいいのか?」と自分の将来について何回か聞いてきました。
私たちは「そのままでいいんだ。働いてもらいたい気持ちもあるけれど、家でゆっくりするのも、お父さんたちはそれでいいと思っているよ」と言いました。



もう荒れるということもないですね。



(母):むしろ、「ここに俺がいると邪魔じゃないか」と言いましたので、そこまで考えているのか、とちょっと可愛そうになったりしました。



―――
ご夫婦でお互いにそれぞれの接し方を見て、自信を持っているなというのは感じられますか? あなたは夫を見て「私の夫は以前と比べると堂々とするようになったな」とか・・・。(笑)



(母):夫は親の会に4月から毎回来ているんですけれど、夫が堂々としてきたら息子が変わったような気がします。



私は1年通ったんですが、私自身が変わっていなかったものですから、変化がなかったんですが、夫が参加するようになって夫が変わり、家の雰囲気が変わり、私も安心できるようになったというのがあります。



―――
そうですね。親が変わるということが大事なんですね。
子どもを変えようとしたって、決してうまくいかなかったわけでしょう。
「心配と信頼」の話をされたのも良かったですね。それまで、ずいぶん息子さんにビクビクされていたでしょう。(5月発行ニュース「心配と信頼について」をご覧ください)




(父):それはある程度消えてきましたね。それは「心配と信頼」ということが、私の中でかなり効いていますね。(―――
良かったでしたね。



(母):「心配と信頼」の話は夫から前から聞いていたんですけれど、「学歴を言うようなところはこちらから断ったらいい」という話を今聞かされて、夫は息子とそういう会話が出来るようになったんだな、とちょっと見直して、うれしかったです。(大笑)



―――
夫をもっと信頼することですね(笑)。じゃあ、あなたの息子さんに対するビクビク度はどうですか?



(母):先ほど精神病の話が出ましたが、ちょうど1年前の5月頃、私も息子がおかしいんじゃないかということで親の会に来ているんですね。
その頃の日記をめくって見るとドキドキするんですね。



―――
親の会に長い期間参加されなかったときに、息子さんから「自分は精神病ではないか、病院に行けないから」と言われて、お母さんが「私が具合悪い」と言って病院に行き薬をもらって、それを息子さんに飲ませていたという、「ちょっと愚かなこと」をしていらっしゃいましたね。(そうですねえ)(笑)



だから変化するというのは、劇的に変化するんですよ。
あなたが「心配と信頼」ということに自分自身が納得したから変わることが出来るんですね。力をつけることが出来るんです。



子どもさんは、自信のない心配ばかりする親に対しては、自分の言葉を荒立てて自分の不安で親に向かってくるんですよね、そういうことがなくなっていくんですね。



子どもが不安を表すのは、Tさんの息子さんのように自分を傷つけたり、様々な形で表します。
親が堂々として何もしなければ、必ず子どもは落ち着いていくんです。
それは具体的な毎日の中で問われていきます。例えばお小遣いとか、車とかね。



人として扱われた時に、必ず子どもさんは「ちゃんと信頼してもらっているな」と、それにまともに応えてくれるんですよね。




(父):ほんとに「心配と信頼」ということが、子どもに話しかけるバックの言葉になります。
子どもを恐れずに、こういう考えで言えるという感じがします。







娘が不登校になった・・・(初めて参加の方に)

内沢朋子





「娘が中2でこの春に不登校、なんとか学校に行かせたいと手をつくしたがどんどん状況は悪くなるばかり・・・」とおっしゃる、初めて参加されたお父さんに対して・・・



―――
まだ初めてのことですからね。「行かせよう」として、いろいろあの手この手とお考えになっても、うまくいかなかったでしょう。皆さんの体験を聞かれてどう思われましたか。


 いい勉強になったと思います。みんな大変だなと思いました。(笑)


―――
無理やり学校に行かせることもそうなんですけれど、行かなくなっている本人が自分を許さないんです。


「学校に行かなければダメなんだ。努力しなければダメなんだ。学校の勉強をしなければ自分はダメになるんだ。将来も絶望なんだ」と自分を責めます。それが今の社会の価値観だと勘違いしていますからね。

親も初めて自分の子どもが学校に行かなくなると、驚き慌て、ものすごく悲しむわけです。

「この子の将来はどうなるんだろう、勉強はどうなるんだろう、高校進学はどうなるんだろう、高校に行けなかったら大学も行けないんじゃないか、就職もできないんじゃないか」ってね。


そんなふうにして先のことをどんどん考えて嘆き悲しみ心配をされる両親を見て、さらにいっそう子どもさんは「私はダメなんだ」と自分を責めます。

ダメだったら、行けばいいんですけど行けないんですよね。

そうやって、行けない自分を責めて、元気がなくなったり、朝起きなくなったり、時には荒れたりと、行動で訴えます。

この会は学校に行かない子どもたちの親御さんの集まりなんですけれども、ここで、学校に行かなくても案外大丈夫なんだな、いろんな道があってもいいんだなということを感じることができたら、親も子もすごく安心するんですよね。

どうやら学校に行かなくても、うまくいっているよって。
親の安心が子どもさんに伝わるんです。



「お父さんとお母さんは、今の私のことをおかしいと思っていないんだな、安心して見ているな、あまり心配していないな」と、そうやって伝わることで、お子さんは学校に行かなくても大丈夫なんだ、私は今の私でいいんだと自己肯定ができていくんです。



学校に行かないことはなんでもないんです。
行かない自分はダメなんだという自己否定が一番恐ろしいのです。それで子どもさんはすごく苦しむんです。
早い時期にこの会をお知りになって、病院などに行かないで、子どもは異常だと思わないで、ゆっくり一緒に住むということを大事にして欲しいと思うんですね。



子どもさんを理解できるのは親御さんですから、一番の味方になって欲しいと思いますね。
お母さんが働きに出られて、あまり悲しい顔だけを見せていなくてかえってよかったかもしれませんね。




長男のクラスの子のお母さんが働き出したら、学校に行くようになったと聞いたものですから(笑)、それで一緒にいるのも苦痛だというので、心配は心配なんですが働きに行くようにしたんです。



―――
今度はお母さんと一緒にいらしてください。行くためにはどうしたらいいかというほうに耳を傾けがちですけれど、学校に行かないことはどうやらあんまりたいした問題じゃないんだなということを感じていただけたらいいですね。







会に参加するとだんだん安心していくんです

山口良治さん





@娘は高1から不登校で今23歳です。僕はひとりで子ども達二人を育てましたので、ご夫婦で参加の皆さんには是非仲良くしてもらいたいですね。(笑)



―――
その当時は山口さんも大変不安なお気持ちだったから、今日初めて参加された方の不安なお気持ちがよくわかるでしょう。



はい、よくわかります。HPに拒食の件で相談されていた方の心配される気持ちもよくわかります。


いっぱいいっぱいで、どうしたらいいのかわからないと思います。HPで丁寧に答えてもらっても、また不安が募る心情も昔の自分と重なりましたね。



―――
あなたもあいみさんが7年前に拒食・過食でやせていって生理がなくなり、将来女性として大丈夫かとすごく心配されましたよね。



はい、そうでした。今だったら「何も心配いりませんよ」と皆さんに話せるのですけどね。(笑)



ゆっくり休んでいた娘も今、バイトをしたり、いろんな活動に参加しています。いよいよ巣立って行くのかなと(笑)、思っています。



―――
あなたはあいみさんから「お父さんの考えは間違っている」とよく批判されていましたね。(はい) そういうことを親の会で堂々とお話できる信頼関係があることはとてもいいですね。



僕も親の会に参加して皆さんの話を聞かせてもらって本当によかったです。さっきNさんが「いつ頃から元気になったかわからない」と話していたでしょう。それが事実だと思います。



何かきっかけがあって元気になったということではなくて、この会に毎回参加して、その時の気持ちを皆さんに話して、また皆さんの話を聞いて、だんだん安心する気持ちがしみ込んでいったという感じですよね。



僕も当時は心配でたくさん不安を抱えていました。
娘は相当痩せて、31キロぐらいでしたから。娘はそれでもまだ痩せなくてはと思っていたと言っていました。病院に連れて行こうとしても娘は拒否しました。はじめての方の娘さんも病院へは行かせないほうがいいと思いますよ。







「ダメな自分」も認められるようになると元気になる

─「イコールは等しくもあり、等しくもなし」─





―――(内沢達):最後に少し話させてください。トモちゃんが僕の身体のことを気づかって、4月から週1回、大教室での授業については毎週つきあってくれています。授業が終わってからは、学生が書いてくれた感想文に目を通すのが楽しみなようで、笑ったり感心したりしながら読んでいます。



今週の授業は、板倉聖宣さんが作ったことわざ・格言のひとつ、「イコールは等しくもあり、等しくもなし」がテーマでした。たとえばA=Bについて。これはイコールで結ばれているから、AとBは等しいのです。でも、AとBはどう見ても違うものです。「違うものが、ある点から見ると等しい」というのがイコールです。



だから、A=Bに意味があるんですね。A=Aでは意味がありません。でも、やっぱりAとBは字も違うし、絶対、別のものです。そこで、「イコールは等しくもあり、等しくもなし」ということになります。



4年前(2002年)の霧島での全国合宿の折に、「学校=牛乳」の話や「人間って、一人ひとり、姿、形、かっこうはもちろんのこと、みんな性格も違うけれど、じつはみんな同じ。誰だって、辛いときは辛いし、うれしいときにはうれしい」といった話をしました。まだの方は、報告集もありますし、別刷りのプリントもありますので、是非お読みになってください。この話は大学の授業でも好評です。



今日は夫婦のありようについての話が多かったですね。特に夫のありようについて愚痴もいっぱいでました(笑)。つい「うちの夫は?」「うちの主人は?」と言ってしまいがちです。口にまで出さなくても、そう思いがちです。よそのダンナが立派というわけでもないでしょうが……。



Sさん、お久しぶりです。Sさんも以前「うちの主人は?」とよくおっしゃっていましたね。でも、夫であれ、祖父母であれ、兄弟(姉妹)であれ、親戚であれ、うまくいかない原因を他に求めている限り、それこそうまくいきません。



先月、先々月(4〜5月)の例会のテーマは、「解決の道は自分のなかにある」ということでした。



だいたいにおいて、どこのダンナもそう違わないのです。



さきほど指宿のKさんが「主人はたとえ自分(俺)が間違っていても、“はい”と答えてくれと言うような人だ」とおっしゃいましたが、これはKさんの夫に限りません。聞いていて笑いがこみあげてきました。何を隠そう、僕自身もそうでしたから。なにしろトモちゃんが強いものですから、同じようなことを言った覚えがあります。今は言わないですよ(笑)。男って、威張っていたいんです(笑)。



 「人間って、みんな同じで、みんな一人ひとり違う」。これも、「イコールは等しくもあり、等しくもなし」の一例です。



たとえば、個人の性格について、ある人は「すごく大ざっぱ」だと言われ、別の人は「細かい。神経質」だと言われたりします。これは、人間一人ひとりの違いを強調した捉えかたです。でも、すべてにおいて「大ざっぱ」な人とか、逆にすべての点で「細かい」人とか、この世にいるでしょうか? いないんです。なんでもかでも「大ざっぱ」では、また逆にどんなことにも「細かい」では、この世のなか生きてゆけません。



人間は、どんなに細かそうに見える人にも「大ざっぱ」なところが必ずあり、反対に大ざっぱに見える人にも「細かい」ところがあります。



 また、人間誰しも多かれ少なかれ悩みをもっています。ところが、自分の悩み(だけ)は特別に深いものと勝手に思ってしまいがちなんですね。大人であれ、子どもであれ、「自分のように特別に大変な悩みを抱えたものは他にいない」と思い込んでしまって辛くなっていきます。




 不登校はもちろんのこと、引きこもりだって悩むようなことではありません。少なくとも否定的にのみ評価されるようなことではありません。



でも、そのような考え方ができなくて、そうしているわが子を認められなくて、親は悩んじゃいます。子どもや若者は自分自身を認められなくて悩んじゃいます。悩みたいときには存分に悩んだら、また横からとやかく言わないで悩ましてあげたらいいと思います。



「こんな自分じゃ全然ダメだ!」であれば、それでいっこうにかまいません。でも、私たちの会とどこかでつながっていると、やがて「そんな自分も、これでなかなかイイかも!」と自己肯定する、もう一人の自分を発見するようになると思います。



 今日は遠く兵庫県からも参加がありました。Mさん、いかがですか? だいたい見当がついたのではないでしょうか。息子さんだけが精神科クリニックなどで「統合失調症」を疑われたり、診断されたりしているわけではありません。



この鹿児島の会の子どもたちも、何人も同じような扱いを受けています。「なにか得体の知れない病気がひそんでいるのではないか?」と心配される必要は全くありません。息子さんも鹿児島の子どもたちも、どこもおかしくなく健全そのものです。



 人間って、一人ひとり違うようで、それほど違いません。みんな同じです。



僕自身のことですが、昨年秋の大病のとき、手術後、おかしいといえば、確かにおかしくなりました。一時期なのですが、明らかに精神的におかしくなりました。でも、それは逆に僕が正常だったことの証明です。



医者は心臓のバイパス手術を前に、トモちゃんに、いろんな心配をこれでもか、これでもかというほどに並べたそうです。このまま麻酔から眼がさめないかもしれません。出血が止まらないかもしれません。呼吸器がはずせないかもしれません。脳梗塞の心配もあります。などなど。そのうちのひとつでも当たっていたら、いま僕はここにいません。当たらなかったからこそ、こうしておられます。ありがたいことです。



ところがほとんど当たらなかったのですが、ひとつだけ当たりました。「せん妄」があらわれたことです。医者は術後、トモちゃんに「せん妄が相当にひどいです」と言ったそうです。妄想からか、僕はひどくわめき散らし、暴れまくったようです。



僕は手術前から、足掛け3日意識はなかったのですが、おかしな夢を見た覚えははっきりとあります。熊本のほうから心臓手術の名医を教授に迎えて、鹿大病院は以来その方面でも実績をあげるようになったのですが、夢の中で僕は、その教授に対してなんと、「人殺しー!」「(治療行為を)やめろー!」などと叫んでいるんです。教授が執刀したわけではありませんが、僕の命を救ってくれた若いドクターを指導した教授に対してです。



もちろん実際に言葉になっていたわけではないでしょうが、集中治療室(ICU)に入ることが許されたトモちゃんが、「なに?! この動物のような奇声は!?」と思ったところ、甲高い声の主は僕だったということです(笑)。



はっきりと意識がもどってからも、幻覚がしょっちゅうありました。集中治療室で、僕は全身を手先まで拘束されていましたが、ベッドから見える天井や壁すべてがスクリーンで白黒の紋様が形を変えては迫ってきました。また、僕のベッドや集中治療室全体が舞台装置でもあるかのように動き、新しく仕切りが作られたりするのです。



術後5日目に一般病棟の回復室(TCU)に移りましたが、そこでも天井のしみなどが絵や文字に見えるのです。僕が「ここは鹿大付属病院で、医学部は昔、学生運動が活発だったから、天井にはその檄文が残っているんだ!」などと真顔で言い、読み始めたものですから、さすがのトモちゃんもちょっと心配になったそうです。



でも、トモちゃんには確信がありました。医者がはっきりと「正常です。正常な証拠です」と言ったそうです。それだけ、大変なストレスがかかる手術だったわけです。



まさか僕自身がこのような体験までして、鹿児島の親の会が言ってきたことの正しさを実感するとは思ってもいませんでした。おかしいから、おかしくなるわけじゃないんですね。反対に、正常だからそうなる。おかしくなったかのようになるわけです。大変なときに大変な状態になるというのは、きわめて当たり前のことです。



そういう見方があると普通否定的にしか見られないことも、私たちの場合は違ってきます。



不登校や昼夜逆転の生活はもちろんのこと、拒食・過食や引きこもりも十分に肯定できます。家庭内暴力や暴言、深夜徘徊などの非行は、それがよいことだと肯定こそしませんが、どうしようもなく困ったことで嘆かなければいけないことだとは全然思いません。



親が親らしくなっていき、子どもも変わっていく絶好のチャンスだという捉え方を僕らはします。



昔の精神分裂病、いまの統合失調症、そのように診断される人が特別なのではありません。誰だって、大変な状況が重なったりすると、ときに幻覚、幻聴、妄想などが現れても不思議じゃないでしょう。僕の場合は、まず短期間の「せん妄」でしたが、その後、入院中も退院してからも回復が順調そのものと思っていたら、次は「不安神経症」の診断を受けました。2月の例会で、「不安を否定せずに、不安とともに生きる」という話を詳しくしています。



「内沢さんは、大変な病気や手術をしたから特別だ」と考えたら、これはダメなんです。僕のような病気は、僕くらいの年齢になるとけっして稀ではありません。



人間って、一方で一人ひとりがこの世で唯一無二の存在で、個性的ですが、他方ではみんな、うれしいときはうれしいし、悲しいときは悲しいというように、そんなに違いありません。多かれ少なかれ不安は誰にだってあります。不安がない人なんておりません。ここに「私は人間じゃない」という人はおりませんね(笑)。みんな同じです。



これを忘れるといいことありません。先ほどの「うちの夫は…」「うちの主人は…」といった後ろ向きの暗い話になってしまいます。事実、無理解で困った夫だとしても、愚痴を言って嘆いても何も始まりません。



明らかに夫に非があったとしてもこれを嘆くのではなく、いつも威張っていたい夫を上回る「わがまま」を妻が発揮したらいいのです(笑)。妻が「わがまま」にならないで、夫のことを嘆いても一歩もすすみません。



「わがままになる」チャンスやきっかけを与えてくれたのは、他ならぬ不登校や引きこもりのわが子です。わが子に感謝しないといけません。



ところで、「わがままになる」とは聞こえは良くありませんが、言い換えるともっと「自分を大切にする」ということです。「わがまま」でない人は、自分勝手でなく、周りを気づかって行動しているという点でほめられるのかもしれませんが、概して自分を大切にしていません。「わがまま」って、とっても大事なことです。



「わがまま」にならないで、自分を抑えているのはよくありません。「私はこんなにも我慢しているのに、あの人は…」となってしまい、本当のところ相手も尊重できなくなります。誰かに頼まれて、自分を抑え我慢しているわけではないのですから、これからは遠慮はいりません。自分の気持ちひとつで変わっていけます。僕たちは、もっともっと「わがまま」になったらよいと思います。



この「わがまま」の話は、人それぞれの性格や長所・短所の話につながります。長所と短所(欠点)は、別々に考えるのではなく、いっしょに、ワンセットで考えたらいいと思います。「わがまま」と言ったら普通は短所、欠点ですが、いま紹介したように「自分を大切にしている」と言ったら、これは間違いなく長所です。



こうしたことは、他にも例をたくさんあげることができます。


「でしゃばりが過ぎる」といえば良くありませんが、「何ごとにも積極的」となると響きが全然違って良くなります。


「生意気で聞き分けがない」は、「自己主張があって良い」にもなりませんか。


「神経質、繊細すぎる」と思えば、「緻密で、他の人が見落としがちな小さなこともよく気がつき、感情や心づかいが細やか」とも言えませんか。


「他人を押さえつけても平気な人」は、なんと「リーダーシップがある人」になり、「お節介な人」も「親切で世話好きな人」になります。



 このように、普通あまり良くないとされていることも、「ものは言いよう」で、とても良くなります。いずれも、その逆も成り立ちますから、喜んでばかりはおれません(笑)。でも、逆も同時に成り立つからこそ、長所と短所(欠点)は、背中合わせであり、紙一重です。



長所と短所は、普通正反対のことですし、もちろんまったく同じものではありません。しかし、ある人のある同じ行動様式などが評価の視点の違いで、その人の長所になったり反対に短所になったりするのです。



つまり、「長所=短所」が、そのような了解のもとでは成り立つのです。この例からも「イコールは等しくもあり、等しくもなし」ということが言えるのではないでしょうか。



子どもや若者だけでなく、われわれ大人も落ち込んだり、へこんだりすることが少なくありません。自分のダメなところ、さえないところばかりが目について、元気がなくなってしまうことが間々あります。そういうときはどうしたらいいのでしょうか。



ダメなところだけでなく、イイところにも目を向けていったらよいのでしょうか。それがよくある普通のアドバイスですが、それではほとんど希望がもてません。なぜなら、自分のダメさ加減に落ち込んで、そこに神経が集中しているのです。そこからちょっとでも離れることは容易ではありません。まして、そのことを忘れるなんて絶対に無理です。そこから目をそむけようとすればするほど、いっそう囚われてしまいます。



では、どうしたらいいのでしょうか。



鹿児島の親の会は、大人であれ子どもであれ、われわれ人間のあるがまま(「わがまま」の語源は「われ、あるがまま」か?!)を大事にしてきました。



不安だったら不安のままでいい。なにもできないのだったら、なにもしなくていい。そのなにもしない・できない自分が許せなくて責めたいのであれば責めればいい。しようもないことに囚われるのであれば、囚われるにまかせたらいい。落ち込むときは落ち込むにまかせて、とことん落ち込む・・・



長いこと親の会をやってきて、われわれ大人がそして子どもたちが元気になっていく過程は法則的だと言えます。現在進行形も含めてですが、必ず自分のことが好きになって元気になってきます。自分のことが嫌いでは元気になりようがありません。



さて、その自分のこととは、自分の長所だけでなく、短所や欠点も全部ひっくるめてです。とくに、いままで「自分のこうゆうところがイヤだった」というのが、「そういうところがある自分もそのままでいいかもしれない」と認められるようになって、元気になってきます。



ところで、僕は、よく聞く「短所を改めて長所を伸ばす」ということを一般論としては否定しません。しかし、その発想ではたぶん間違いなく元気になれないように思います。



さほど無理なく改められるものならば改めればよいだろうし、伸ばせられるものならば伸ばしたらいいと思います。でも、元気がなく落ち込んでいるときは「改める」も「伸ばす」もあったものじゃないでしょう。たとえその気になったとしても容易なことではありませんので、うまくゆかずますます落ち込むだけです。



また、僕には「伸ばす」についてはともかく、「改める」という発想がそもそも疑問です。この世に欠点のない人なんておりませんし、他に害をおよぼさない限り、各人のありようはその人の短所、欠点も含めて、そのすべてに価値があるのではないでしょうか。



さして改めたり伸ばしたりせずとも、その人の「あるがまま」「そのまま」で十分に素晴らしいのではないでしょうか。何かができようができまいが、その人の存在自体に、まずなにものにも代えがたい一番の価値があるのではないでしょうか。



すでに述べましたが、長所と短所(欠点)は、背中合わせであり、紙一重です。その点について、作家の五木寛之さんは、さらに突っ込んでうまいことを言っています。



「人間的な長所とは、反対側の欠点によって支えられている」
「努力しても直らない欠点は、たぶんその人の最良の部分に根ざしている」(『生きるヒント2』初版1994年)。



これは、「欠点の素晴らしさ」に気づかせてくれる文章でもあります。



普通、欠点ではなく、長所を評価することならば、誰にとっても難しくないように思えます。でも、そうでもないですね。「あの人は本当に素晴らしいね」などと、他人の長所はすぐにでも評価できますが、自分のことになると長所であってもなかなか評価できないものです。



まして元気がなく落ち込んでいるときは、短所や欠点にばかり目が行ってしまい自分の長所が見えなくなっています。いや、元気なときだって、そのときは「見えない」わけではありませんが、元気だからこそ自分の長所を「見ていない」ことも少なくないように思います。また、自分の「最良の部分」などは、どんなときにも意識していないかもしれません。



その「長所が欠点によって支えられ、欠点が“最良の部分”に根ざしている」なんて、とても力づけられる、素敵な見方だと思いませんか。



だから、「自分のことが好きになる」とは、やはり長所だけではなく、短所や欠点など全部をひっくるめてなのです。長所については言うまでもなく、自分の短所や欠点を簡単に否定してはいけません。これを否定し、無理をしてまで改めようとすることは、同時に自分のイイところ、長所も失くしてしまいかねませんので、まったくお勧めできないことです。



そこで、元気になるためには、自分の短所、欠点をそのまま肯定して、これを素直に受け入れることが肝心なのです。たしかに「ダメさいっぱい」なのかもしれません。また事実「まったくさえない」のかもしれません。でも、だからどうだと言うんでしょう。そうした自分も「かけがえのない自分なんだ」と、自身に愛着を持てるかどうかがカギです。



そんなことを言われても、「ダメな自分はダメ以外の何ものでもない」としか、最初は思えないかもしれません。でも、いままで話してきた「イコールは等しくもあり、等しくもなし」「長所=短所」といった発想を知れば、あるいは、「ダメ=ダメ」ではなく、「ダメ=ダメじゃない」かもしれないということにもなってきませんか。



ほとんどの場合、借金の返済を別にすれば期限はないので(笑)、急ぐ必要はありません。「いまはそう思えない」のであれば、それでいっこうにかまいません。自分がイヤで、嫌いだったら嫌いでもかまわないのです。そういう自分を認めてあげてください。すべてはいま現在の自分を認めるところから始まります。



ところで一方、「これじゃダメだ」と思う自分だけでなく、まだまだ小さいし、いても隅っこかもしれないけれど、「いまのままでもいいかもしれない」という「もう一人の自分」もいませんか。たとえどんなにちっぽけであっても、その「もう一人の自分」を認めてあげることも、「いまの自分を認める」ということの大事な中身です。



このように、いま現在の「自分のあるがまま」を認め受け入れること、それが未来に向かっても、もっとも確かな歩みです。そうではない、いまを否定した「そんなことで将来どうする?!」といった説教文句に代表される考え方は、将来のことを考えているようでじつは全くそうではありません。



未来は、誰にとっても不確実です。不確実な未来を思い煩わずに、いまを大事にすることは、この先出会うどんな「いま」にも対処することができる力を培っています。



ということで、「ダメな自分!」、そういう自分も認められるようになると元気になってきます。



Hさんはいま19歳。すでに大検(高卒認定)に通っていて、普通の基準だと「一浪」相当です。「浪人のわりには学力がついていない」「勉強が続かない」などと少し焦っているようです。



そういうときどうしたらよいのでしょう? いままでの話の応用問題です。僕のアドバイスは、「受験勉強をもっと頑張ってする」ではなく、「続かない、頑張ることができない自分を素直に認めてはいかが」ということになります。



ある意味では「頑張る」ことのほうが簡単です。これまでの延長線上ですから。受験生ならば誰もが多かれ少なかれやっていることで、それにならえば良いことなのですから。でも、いくら頑張ってもこれで十分ということがありませんので、そこから心底元気にはなれません。



Hさん本人はそうは思っていないでしょうが、いま、うまい具合いに勉強が続かなく、頑張れなくなっているようです。これはチャンスです。いままでとは違った自己評価をしていくチャンスです。



Hさんはすでに大検に通っていることからもわかるように、学力はそれなりのもがあります。そのHさんが続かなくなっている「受験勉強」は、そもそもテキトーにすればいいことで、頑張って歯を食いしばってでもやらなきゃいけないようなことではないんです。「いや、それは内沢さんの考えで私は違う! 私は頑張りたい!」と言われるかもしれません。だったら、頑張ればよいのです。でも、頑張りが続きませんね。



頑張れなくなっている自分を素直に認めてあげてはいかがですか。さらに、「受験勉強」のようなことではそもそもあまり頑張らない、そういうふうになるとずいぶん違ってきます。受験勉強や大学入試が主人公なのではなく、もちろん「私」が自分の人生の主人公なのです。今後「受験学力」が多少伸びようが伸びまいが、「私は私」と開き直ることができるかどうかがHさんの課題です。



まずは「頑張れない自分」を大事にして、やがては「頑張らない自分」を自然に認められるようになると、不思議とみなさん、逆に、無理なく、いろんなことに積極的に取り組んでいくようになります。



少しの話がかなり長くなってしまいました(笑)。これが会報やプリントになるともっと長くなります(大笑)。いつものことですので、どうかお許しください。




このページの一番上に戻る→


体験談(親の会ニュース)目次へ→


2006年8月発行のニュースはこちら← / TOPページへ→
/ 2006年6月発行のニュースはこちら→




Last updated: 2006.7.28
Copyright (C) 2002-2006 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)