登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2007年10月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.137より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月1/4から1/3程度をHPに載せています。


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「あれがあったから、いま幸せ!」 


9月例会報告



離婚が決まって新しい戸籍になったT子さんは、皆さんから祝福されて、晴れ晴れとしてうれしそうでした。そこには、「幸せに生きる権利がある」と人生をがんばって切り開いてきた確かな力がありました。


人は思わぬ「困難」に出会ったとき、ものごとの見方や捉えようで、幸せにも不幸せにもなります。


わが子の不登校や引きこもりは、けっして不幸せなことではなく、親にとっても自分の人生を本当に大切にしていく絶好のチャンスです。そのことを親はわが子の不登校によって気づかされてきました。


そして親が自分自身を大切にして生きる姿こそ、なによりも子どもたちへの応援だということも。
こうした親同士の交流や支えあいが、毎回の例会を「笑顔」でいっぱいにしていて嬉しいですね。


2年前、10月の例会を急きょ中止し、皆さんにご迷惑をおかけしました。19年目になっている親の会のなかで、例会の中止は初めてのことでした。それは私、内沢朋子の夫・達が心筋梗塞で倒れ、生死の境をさまよっていたからです。10月11日に手術をして一命をとりとめることができました。


達の書いた「2005年秋のこと」や私の文章(いずれも達のHP)を読み返し、改めて「みなさんに支えられて命がある」というかけがえのない幸せを感じています。私たち夫婦にとって、命の大切さをかみしめた大きな事件でした。「病気になってよかったね。いっそう毎日を大切に生きていこう」と心からそう思っています。


一人では支えきれない困難なことでも、親の会で支えあい励ましあって、人生を大切に生きていくことができる、わが身に降りかかった「困難」にだって感謝できる。何よりもすばらしいことです。これからも「あれがあったから、いま幸せ!」とみんなが思えるために「親・市民の会」がある、そう願っています。




目次


 幸せに生きる権利がある  T子さん

2 「弟はすごく明るくなったね!」  Nさん(母)

3  自分の気持ちを大切にしていくと、振り回されない  mihoさん(母)

4 「家で贅沢な時間を過ごせるのも娘のおかげ」  Gさん夫妻




幸せに生きる権利がある  
T子さん


―――
今18歳の娘さんの真衣ちゃんが中学のときにいじめに遭い不登校になりました。幻聴や幻覚が出るくらい大変で、それをきっかけに親の会に参加されるようになりました。

回を重ねて参加するうちに、「そういえば私は結婚したときから、夫から人格を否定され続け、辛い思いをしてきたんだ」と気がついていかれたんですね。

ようやく実家に帰ったあとも、人が怖くて外に出られないほどの閉じこもりの状態になり、病気にもなりました。

この会で、自分を大切にすることがどんなに大事なことなのかということに気がつき、今回離婚調停で結論が出たんですね。


おかげさまで8月29日の調停で離婚が成立し、9月5日に市役所に離婚届を出すことができました。

(―――
よかったですね。おめでとうございます)(拍手)

ありがとうございます。苗字も旧姓に変更しました。もう相手の苗字が嫌でたまらなくて、頭に重石がかかっているみたいでしたが、旧姓に戻ったら途端に世界がバラ色に変わりました。(笑) もう嬉しくって、嬉しくって……。ああ、私はものすごく押さえつけられていたんだなあと思いました。

結婚してすぐから、「主人」は私のことを自分の思い通りに命令し、コントロールしようとしていました。新婚旅行から帰ったその日に、「明日から1ヶ月弁当を作れ」と言われ、共働きなのに、と驚きましたが、私もそれに従ってしまいました。

そんなペースでずっと過してきて、自分が自分でなくなっていた22年間の結婚生活でした。今はそういうことから解放されて、本当に生きていてよかったと思います。

3年前、この会に来た頃は娘の不登校でボロボロで、しかも「主人」との生活でもボロボロで、涙が止まらなかったです。親の会の後で内沢朋子さんが話を聞いてくださいました。そのときに鬼塚さんの体験を教えてもらい、とても心強かったです。私もこのままでは死んでしまうと思いました。

「主人」に静養のために実家に帰ると言って家を出ました。それから実家では引きこもり状態で生活しました。いろんな方の力を借りてここまで来ました。調停離婚中も別居しても生活費を分担してもらえる(婚姻費用の分担)ということも知りませんでした。

この親の会に来たことで自分の人生を開くことができ感謝しています。


―――
よかったですね。少しは人が怖くなくなってきましたか?

そうですね。だいぶなくなってきてはいるんですが……、男の人が苦手です。男性の司法修習生が私の調停を見学したいと言われたんですが、断りました。(笑)

最後の調停は相手方と同席すると聞いていたので、前日からドキドキして夜も眠れず、これまで遅刻したことはなかったのに遅刻寸前に裁判所に着きました。

そうしたらエレベーターのところに「主人」がいるのが見えました。上に上がるのを確認してから来たことなどを弁護士さんに話したら、「立ち会わなくてもいいようにします」と言ってくださって、最後まで立ち会わなくてすみ、すごくよかったです。


―――
それはよかったですね。条件もほぼ満足できるものだったんですね。
(はい、私が要求した以上に財産分与に入れてもらいました)
子ども達も応援してくれてね。


そうですね。特に息子は、娘の専門学校の学費のことで双方の弁護士さん立会いの娘と父親の話し合いのときに同席してくれて、父親が最初は学費を出さないような雰囲気でしたが、息子が同席してくれたおかげで払うことになりました。


―――
真衣ちゃんは高校に行ったけれど、1年の1学期で辞めたんですね。

そしてゆっくり休んで自分を十分に受け入れた後、今年の4月からは大阪の専門学校に行っているんですね。その学費を相手方が出してくれることになったのね。

あなたは、去年は辛いときには親の会にも参加できないほど落ち込んでいましたね。


去年は力が出なくて、今からのことを考えるとすごく大変でした。


―――
自分の人生を幸せに生きる権利があるということに、あなた自身が気がつかれて、9ヶ月間の調停を頑張ってきた。こんなふうに自分の人生はいろんな場面で納得して生きていくということですね。

こうして自分で勝ち取ってきたわけですから、この体験を大事にして、これからは幸せに自分を大切にして生きてください。

ついでに付け加えますと、あなたの言う「主人」という言葉です。相手を「主人」と言う。「主人」と言うと、それに対して「下僕」となりませんか。主人に対して「私は家来」となってしまう。

こういう言い方ひとつに、知らず知らずのうちにどうしても自分を抑えてしまう気持ちが働いてしまうんですね。「夫」もしくは「つれあい」なんです。離婚した相手を尚「主人」と言うことに長い間抑圧されたご自身の心のあり様が代表されているんですね。すると相手の言葉や言動に振り回されてしまいます。

新しい戸籍を得て、独立して生きていくことが出来たわけですから、そのことをいつも確認してくださいね。




「弟はすごく明るくなったね!」  Nさん(母)


この春、高校1年で退学して、今月9日で17歳になった息子が家で過ごしています。

17歳になった日に、「どんな16歳だった?」と聞いたんです。「う〜ん、ほとんど家にいたな」と言う息子に、「それは、そうだったね」と笑ったんです。17歳はどうなるだろうねという話のなかで、「まあ、ゆっくり行けばいいねえ」と伝えました。

でも先月(8月)は親の会がなかったので、私の心も揺れて、もうこれで大丈夫、これでいいと思ったつもりでも、「これでよかったのかな? 今後はどうなるのかな?」と、同じことの堂々巡りだったりするんですね。

そういう時は今までの会報やHP、いただいたプリントを見て心を落ち着けました。心のよりどころがあるというのは、有難いことだなと思いながら今日の例会を待っていました。

いろいろ揺れ動くことがあったんですけど、この4月大学生になって家を出た2歳上の姉が、お盆前に帰ってきて「お母さん、弟がすごーく明るくなっている。気力が戻っている」と言ったんです。娘が出ていく時は無気力な状態でしたので、「すごく元気になっている。家の雰囲気も変わっている」と言って喜びました。


―――
お母さんのことはなんておっしゃっていましたか?


親の会のことを話したら、娘も「お母さん、良かったねえ」と喜んでくれました。
娘は「学校を辞めるって、どんな気持だった?」と、親が言えないことを、ストレートに聞いていました。

息子は「あった未来が全部無くなったような気持ちだった」と言いました。姉弟ですから言えるんでしょうね。「ああ、姉弟ってありがたいな」と思いました。

以前の私だったら、それを聞いて「どうにかしなくては」と思ったんでしょうけど、今の私は「ああ、そうだったの。そんな気持ちだったの」と、ただ聞いてあげることができるようになっていました。


―――
それはとてもよかったですね。あなたご自身も不安はあっても以前に比べたら全然違うでしょう。


そうですね。拠り所があるというのは有難いし、頂いたプリントとかHPを見たりして、今を大切にしていけば、将来やってくるどんなことだって受け止められるんだ、と何度も何度も読み返しながら不安を乗り越えているという感じですね。


―――
あなたの夫も「いついつまでも親子で仲良く暮らすといい」と、とてもいいことをおっしゃっていましたね。


娘にその会報を見せたら、「お父さんがこんなでよかったね。そうでないと家は家庭崩壊だったかもね」と言っていました。そうかもしれないと思いました。

結婚して20年ですが、最初夫はシステムエンジニアでかっこいい職業にあこがれて結婚したんです(笑)。

7,8年前身体を壊して、どうしても仕事を続けられなくなって、仕事に追い込まれていたんでしょうね。それで、タクシードライバーに転職したんです。その時私とやりあって、でも夫は「おじさんの自分しか出来ない仕事があるんだ」と言いました。

転職したときは、経済的なことでいえば給料は半分という感じだったんですけど、今は、ほんとに黙々と働いてくれているんです。

夫もいろいろ苦しいことがあったものですから、息子の今度のことも「いろんなことがある。それはそれでいいんだ」という感じで自然に受け止めてくれたんだと思います。

娘も「お父さんが受け止めてくれてよかったね」と言いました。ここまで来るまでにいろいろあったんですが、今、家庭の中は落ち着いています。


―――
よかったですね。お幸せでしょう。


はい、ありがとうございます。

息子が言うには、「引きこもりの人は、お家にいたら、ちゃんとエネルギーが貯まってくる」と。「あっ、じゃあ、あなたは今、エネルギーを貯めているところなの?」と聞いたら、「貯めようと思っているわけじゃないけど、貯まってくるような気がする」と言いました。

今までのことも、「何が辛いかというと、朝起きて10時ぐらいと昼間の2時、3時がすごく辛い。“俺は何しているんだ”と叫びだしたくなる」。「夜はすごくいい。夜は何も考えなくていいから楽だ」と話してくれました。そんな気持ちで何ヶ月も過ごしたのかなあ、やっと自分の気持を吐き出してくれてうれしかったです。


―――
そうやって自分の気持を打ち明けてくれて、それだけあなたに余裕が出てきたということですね。


ほとんど家から出なかったんですけど、夜、ここ3週間ぐらいですが、ウォーキングを始めたんです。私も調子のいいときは一緒に歩いています。少しずつですが出られるかなあ、でも昼間は無理かなあという感じです。

―――
出てもらいたいの?(笑)

そうですね。出てもらいたいです。以前は出すためにいろんなことをして、工作をしていたんですけど、それを辞めるようにしたんですね。そしたら、この2ヶ月の間に、夫と映画に行って、床屋に行って、歯医者に行って、ということができました。


―――
おわかりのように、子どもに「出てもらいたい」と考えているうちはダメなんです。それは息子さんが決めることであって、周りが決めることではないんですね。

息子さんは「エネルギーが貯まってくるような気がする」と、とっても大事なことを言っていますね。そういう我が子の今を信じて一緒に暮らすだけでいいんです。

子どもがどこに行こうが、そんなこと全然関心がなくなったときに、子どもさんは動き出しますね。動く、動かないことよりも、一番大事なことはお姉ちゃんの言った「弟はすごく明るくなったね」って、このことが何よりも大切なことなんですね。

大切な自分を取り戻してゆっくりと休養を与えることを自分に許している、そういう息子さんを家族全員が自然なこととして受け止めることが出来るようになってきたということが大切ですね。

何よりもあなたご自身が明るくなってきたことがよかったでしたね。

ほんとうに楽になりました。


そして、あなたの夫の転職もすごく良かったじゃないですか。

そうですね、夫は7,8年前は血糖値もすごく高かったんです。転職して、仕事自体は肉体的にも精神的にもいろいろあったと思いますが、ヘモグロビンA1c値がとても良くなったので、精神的なものが体に与えるものなんだなあと思いましたね。


―――
あなたが楽になったということが一番大事なことですよね。親が生き生きしているということが子どもにとって、それが何よりの支援になるということですね。




自分の気持ちを大切にしていくと、振り回されない

miho
さん(母)



私は今月の3日に離婚が成立しました。(―――
それはよかったですね。おめでとうございます)ありがとうございます。でも、まだバタバタしています。


―――
実家に帰ると決心するまでが長かったですね。夫のDVが何年も続き、その後4年以上にわたる家庭内別居状態で、あなたは夫への恐怖で考える力もなくなっていったのね。(はい)

そして5月末に実家に帰って、無料離婚相談所に相談して、離婚届を夫に出して協議離婚が成立したんですね。


「相手には会わないで、離婚届を郵送してみなさい。その後のことはそれから考えてみたらいいんじゃないか」と弁護士さんに言われて送りました。返信用封筒までつけて送ったんですが、次の日に、「主人」は連絡なしに来てしまったんです。

ちょうどそのとき、私と娘が二人だけで、居留守を使っていました。帰っていく様子もなく、ずっといて、そのうち私の両親が帰ってきて、最初は両親も私に「会って話をしなさい」と言いましたが、私の状態を見て、両親が「主人」と話をしてくれました。私が家を出た意味が、その離婚届を見て、やっと分かったみたいです。


―――
ご両親が中に入ってくれて話をして離婚が成立したんですね。子どもたちの親権はあなたになったわけですか?(はい)

娘さんが不登校で、お兄ちゃんは今、高校に行ってるんですか?


息子は私が家を出る時、「僕は学校に行きたいから」と言って、家に残ったんです。でも、離婚届のことがあってから、それまで息子も我慢していたのが、結局夫に何か言われたらしく、夜中に「お父さんとは一緒にいたくない」と、実家に帰ってきて今三人一緒です。息子も学校に行ける状態じゃないんです。

息子がそんなふうに私に直接言ってきたのは初めてだったんです。何か様子はおかしいなとは思っていたんですけれど、今まで聞いても、口には出して言わなかった息子が、今度は私が「主人」と一緒にいるとき感じていた恐怖心を感じて、気持ちが爆発してしまったということが、すごくショックで、私がそういう状況を作ってしまって申し訳ない、もう少し早く気づいてあげたかったなと思ってしまったんです。

息子には「今まで言えなかったことを言ってくれてありがとう」と言ったんですが。

自分自身が、こうしたいということがあったばかりに、その分子どもたちが我慢していたのかなと……。

「主人」も私の両親に言われて、その勢いで離婚届を書いてしまっているので、その後から苦情がいっぱい来てしまって……、「主人」は何を思ったのか、「今の市営住宅を自分が出るから、子どもたちとお前と三人で住め」と言ってきたんです。私はそんなつもりは全然なかったから、それをどうするかなんです。

今まで、私のやりたいことは、仕事を辞める、家を出る、離婚すること、とひとつずつ出来てきたはずなんですけど、こんなに早い展開に気持ちが休まるところがないです。


―――
7月例会でもお話しましたが、困難なとき、辛いときこそ絶好のチャンスなんですね。

あなたのお話の中にも、今は完全に「赤の他人」になった人を「主人」と何回も出てくる。

その言葉にあなたのお気持ちの「ぶれ」が代表されている象徴的な言葉ですね。長い間、なんの疑いもなく、「主人」と言っていたのね。その言葉に、知らず知らず「自分の意思」より「主人の意思」で人生を送ってきたことに気付くいいチャンスなんです。

離婚した後も、なんの束縛も権限もない人に、あなたのお気持ちは束縛されてしまっている。そのことに気がついてください。元の住所に住むという相手の言い分に従うことは、これからもたくさんの干渉に従うということですよ。

あなたは、もう親子3人新しい戸籍で新しい人生の出発点に立ったんですね。何者にも束縛されずに、自由にものを考え、自由に平和に生きる権利を自分で獲得したわけでしょう。

それが大事な「柱」です。

次に子どもたちのことです。息子さんがバクハツしたことはとってもよかったじゃないですか。長い間夫との関係で、ガマンをしているお母さんを子どもたちは見てきて、自分を大切にしないガマンする生き方を学んできたんですね。

しかし、そのお母さんが自分を大切にしようと動き出した。子ども達はそのあなたの姿を見て、ガマンしなくていいんだ、自分を大切にしていいんだ、と身をもって学んだのですね。ですから、大いにバクハツしたらいいのです。

あなたが願っていたとおり三人で暮らしていくことが実現できたことに確信を持ちましょう。
それが2番目の大事な「柱」です。

気持ちが動揺するときは、常に周りがあれこれ言ったときに、すぐ柱を忘れて自分も動揺してしまう時です。

困ったときや動揺したときは、でんとして動かない。自分自身を信じて、子どもたちを信じて、何が大切かを見きわめる。そしてゆっくり考えていくことです。

mihoさんに限らず、これはどんな場合にもあてはまる大事な教訓なんですね。




「家で贅沢な時間を過ごせるのも娘のおかげ」 

Gさん夫妻    


(父)宮崎から参加しました。仕事を早期退職して1年半になります。現在私はこう見えても52歳で(笑)、仕事を辞めてすごく贅沢な時間を過しています。こういう時間がとれてよかったなあと思っています。

元気に私の父の介護ができるのも、それも娘が不登校をしてくれたおかげかなあと思っています。

その娘ですが、夏休みに帰ってきて、びっくりするくらいによくしゃべって、食欲もありました。いろんな面で勉強しているんでしょうね。


―――
娘さんは高1で不登校となり、転校したらうまくいくんじゃないかと転校しましたが、全く行くことができなくて、親子ともどもずいぶんと悩まれて、相談した医者に、親の育て方が悪かったからだ、と言われて本当にご苦労されていましたね。その娘さんが今年の4月から東京の大学に行かれたのですね。


(父)はい。娘が言うなといったんですが(笑)、この前HPの掲示板に「じょんこ」というハンドルネームで投稿したのは実は娘なんです。


―――
そうだったんですか。自分の体験を綴って、「不登校をしても大丈夫よ」と、とても励まされることを書いていましたね。


(父)それからYさん、全然知りませんでした。あの時は誰か良い人を紹介してくださいと言っていたのに。(大笑)いい人がいたんですね。(笑)これだけは言っておかないといけないと思って!(笑)

この前仕事に出かける妻を見送っていたら、散歩から帰って来られた方が私に「娘さんが今出かけて行きましたね」と言われました。(大笑)

「あんたは若く見られるんだねえ」と妻に言ったら、逆に「あなたのほうが年にみえるんだねえ」と言われました。(笑) 

(母)私が働いていますので、夫が家事全般をやってくれます。最後にお風呂を拭き上げるのも夫がしますので、私に「早く風呂に入れ、入れ」と言います。(笑)

夫が働いていたときは、私は働いていなかったので、その時の夫の気持ちがよくわかります。

今、私は「まあ、働いてもいないのに」という気持ちがつい芽生えてしまうので、その時の夫の私への見方もそうだったんじゃないかと思います。特におかずがたいしたものじゃなかった時など、そう思います。(笑)

娘がHPに投稿したことを私は知りませんでした。夫から聞いて娘にたずねてみると「うん」と言いました。

「自分は引きこもってとても楽しかった。あの時間があったから今がある。今、ひとりでも東京を散策したり、プラネタリウムに行ったり、楽しんでいる。東京育ちの人からも私も連れて行って、と頼まれるんだよ。そんなことができるようになったのは引きこもって自分の時間を持っていたからだと思う。無駄なことはなかった」と言ってくれて、とても嬉しかったです。

私が今の仕事が辛いと娘に電話をすると「辞めたら」と言います。(笑)

以前、2日で仕事を辞めた経験があり、(笑)夫から今でも「すぐやめるあなたはどうするの?」と言われたりして。今は、まあ、なんとか行っています。

ですから、学校へ行きたくないのに行くのはすごいエネルギーがいるし、本当に自分を消耗してしまうから、辞めるのだったら早く辞めたほうがいいと思います。そのほうが自分を肯定するのも早いんじゃないかと思います。

私のことですが働いていますが、少ししか収入がないんですよ。(笑)

(父)もうそれでいいと思います。(笑)でも贅沢な時間ですよ。





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Last updated: 2007.10.25
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