登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2007年6月発行ニュースより
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.134


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月1/4から1/3程度をHPに載せています。


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「素敵な一日をありがとう! みんなにありがとう!」


5月例会の様子から



「 参加できて良かったな♪ ちょっとだけ自分のことを好きになれそうな気がした。
みんなの優しさ、温かさに、帰りの新幹線の中で涙が出そうになりました。
すてきな一日をありがとう。みんなにありがとう。」
F.Kさんからのその日のメールです。
親の会に久しぶりに参加した喜びが伝わってきます。


「親の会と出会ってから、今、生きてる実感メチャメチャしてる」と言う啓介君は、
詩も朗読してくれて、ご両親へ「ありがとう」もいっぱいです。


親の会に参加すると、必ず元気をもらえる。
それは、「生きてる」感動が共有できるからですね。


「親の会に出会って自分を好きになった」と言うまいさん、
「親の会は私の原点」と言うあいみさん、
「解決の道は自分のなかにある」と言う玲子。
「私がどんな状態でも父や母は愛してくれた」とEriさんからメールをもらいました。


こんなにたくさんの宝石のようなきらきらした言葉をありがとう!
あんなに苦しんだ日々があって、今こうして自分を好きになって
素敵に生きている若者たち・・・。本当に感動的です。


「私のチェックポイントは息してること。
(これは今しなければならない。しかも私にしかできない)」と
掲示板に書き込んでくれたじぇりさん、
「行ってきます」と自分の人生を自分で歩き出したmihoさん、
「親の会に支えられてここまできた」という内園パパ。


勝己君から幸せをもらって「今、夫婦で支えあっています」と村方さん、
「主夫の毎日が楽しい」とGさん、
「二人で楽しい旅行ができるなんて・・」と言う森田さん、
「離婚調停に力をもらっている」と言うJさん・・・。


「明るくて元気がでました」と感想を寄せてくれた初参加のNさんは、
「いつまでも親子3人で仲良く暮らしていこうね」と夫から言われたとか。
いい言葉ですね。


親の会は、みんなが元気になっていく力をもっています。
その力は参加されたみなさんが育んできたものです。
この5月で親の会は19年目に入りました。
これからも明るく元気に集っていきましょう。

(内沢朋子)




目次


1 「あるがままの私を愛してくれた父と母」  Eri さん
2 「素敵な一日をありがとう。みんなにありがとう!」  F.Kさん
3 「今、勝己から幸せをもらっています」  村方敏孝さん、美智子さん
4 「こう見えても私は53歳!」   Gさん夫妻
5 「生まれてきてくれて、それだけで幸せよ」  森田重則さん、淳子さん





「あるがままの私を愛してくれた父と母」 Eri さん



内園浩二さん:特に変わりはないです。(笑)


―――
そんなことないでしょう。HPにパソコンの画面からはみ出るほどのネパールの写真がありましたよ。(笑)


9日間ネパールに行ってきました。写真は1300枚ぐらい、ビデオを4本撮りました。天気も良くて、ほんとに行って良かったです。何も考えずに大自然に包まれた時間でした。


―――
Eri さんからメールをもらいました。とってもいいメールでした。
了解をいただいてますので、抜粋して紹介します。Eri さんは現在25歳です。


Eri さんは、小学6年のときに片方の目を失明したんですね。そして中1のときにいじめにあって、不登校になり親の会に出会ったんですね。13年前です。その時のことは15周年記念誌に由貴代さんが書かれています。


では、Eri さん

「辛いことと、うれしいこと」

と題したメールの一部を紹介します。



……クックという14才の犬が、前も目にモノもらいが出来たときもすごく大変だったけれど、今度は耳の手術なのでとても心配しています。クックはもう先は長くないし、でも心臓は悪いわけではなく元気なんだから、週に1度はちゃんと病院に行ってあげてと父にお願いしました。


私が12才のときからクックがいて、不登校の間もそうじゃない時もずっと家族の支えでした。不登校で食事もとれずガリガリになって、全く笑わなくなった私が久しぶりに大笑いしたのは、クックがオナラをした時でした。


自分ではそんなこと忘れていたけど、クックママのノートに、「今日は、"クックがおならをした"と、Eri が大笑いしていた、笑った顔は久しぶり」と書いてありました。


クックもものすごくおデブになっていた時もあったけど、それはそれでおなかに肉浮き輪をしているようで可愛かったし、やせてからも目が見えなくなっても、耳にアレルギーがあっても可愛くて仕方ないです。


私がクックに対してこう思うように、父や母は私がどんな状態でも愛してくれていたと、クックのことがある今、よりいっそう思うようになりました。


私も目が見えなくなったり、不登校したり、痩せたり太ったり、吐いたり、金髪になったり、タバコをすったり(←これはだめ)したこともありましたが、許してくれていたのはこういうことだったんだなって、こうだから好き、こうだから嫌いじゃなくて完全に「無条件の愛」ですね。見返りも何も求めていない。


話が変わり、私が最近嬉しかったのは12才で拒食スタート、13才からは過食、15才からは過食・嘔吐の連続で10年のベテラン選手。結婚してペースは減ったものの、わりと最近まで嘔吐したりずい分辛い思いもしましたが、今はまったくしなくなりました。我慢じゃなくてしたいと思わなくなりました。


少し前に、正しい食事を身につけたいなと思って、食指導の先生を訪ねて、そこでバランスのいい食事の食べ方、おやつの食べ方を教えてもらいました。摂食障害っぽい時は、一度も病院に行っていないのにね。


ご飯を食べずにお菓子オンリー状態の食生活でしたが、食事に炭水化物を追加したり、お肉お魚もたくさん食べたら、甘いものはあまりいらなくなりました。とても健康です。何もしないのに普通に痩せ、夫も充実メニューに喜んでいます。


あと、物心ついてから、爪切りを使ったことのなかった私の手の爪をかむ癖が、ほぼ治りました。


過食、嘔吐も爪噛みも意外に簡単に止められて健康になって、痩せて、今までは何だったんだって感じです。でも、うれしい、内沢さんもよく話していますが、こういうので病院に行く必要はないですね……


―――
辛い時も苦しい時も、あるがままの状態を無条件に受け入れてくれたご両親に感謝したいということですね。





「素敵な一日をありがとう。みんなにありがとう!」 

 F.Kさん



今日、親の会に来ようと思って、来るとき道も間違えたりして、今も緊張しています。26歳になりました。結構ふけて見られるんです。母が「私と姉妹に見られるんじゃない?」って。(笑)


―――
それはない、ない。しばらく会わないうちにいっそう美しくなって。
今、あまり食べたくなくなったんですって?



はい、でもたまに過食します。調子が悪いときとか生理前でホルモンの関係で、ものすごく食べたくなるんです。そういう時、朝起きてすぐに、チョコレートとか甘いものが食べたくて。そうするとお母さんが「ご飯から食べなさい」と言うんだけど、自分でサイクルがあるから分かっているんですよね。そういう時に「私も分かっているんだから」と、些細なことで朝からしょっちゅう喧嘩なんですよね。強迫行動もちょっと出ているので、「私のいるところで○○したらダメ」とか言っちゃうんですよね。


―――
あなたは、埃が気になるのね。


だから、お母さんにすごいストレスをかけているなと思っています。


―――
私に時々メールをくれるのね。自分の気持ちを正直に書くということはとても大事なことですね。書くことによって、「自分はこんなことを考えているんだなあ」と気がつくんですね。


書くと、頭の中で整理して、「自分は、今こんな状態なんだな」と、書きながら気づくことがあります。


―――
お母さんが、ここであなたのことをいろいろ言ったりするのは嫌だったけれども、「もういいや」という気持ちになったとお母さんから聞きました。


いいや、ということはないんですけど(笑)、やっぱり、ある程度言っていいことと、言って欲しくないことはありますね。私がいない間に言いたい放題言って、会報がきたら、私は自分のところをチェックするんですよ。それで喧嘩が始まっちゃうんです。


私のほうが一方的に言っちゃうほうが多いけど、お母さんはいつも「私は間違ったことは言ってないよ。分かってくれる人のところでしか言わないんだよ」と言います。


―――
お母さんは堂々としている。(そうですね) 以前だったら、神様におすがりしたり、オロオロしていましたよね。あなたが17歳の時、「母にとても支えられている」と私に言ってくれましたね。


お母さんは親の会に参加するようになって、次第に堂々としてきました。それは、あなたと弟さんを心から信頼するようになったということですね。あなたもお母さんのことを喧嘩できる程、信頼しているということなのですね。


あれだけ大変な拒食で、あなたがガリガリに痩せて、その1ヵ月後に過食になって別人のように太って
(最後は80キロ近くまでなりました)、100キロまで大丈夫だよって言ったら、それで止めちゃったのよね。


開き直って、ふとした時に、拒食の時あれだけ細かくカロリー計算したりして張りつめていた気持ちだったのが、「もう、食べたいだけ食べてもいいや」と思ったら、自分の中でセーブしていたものがプツッと消えたんですね。


過食の時もやけくそになって、「もう、食べたいだけ食べてやる」的になりました。そうしたら1年後に計ったときにストンと一気に10キロ落ちたんですよね。それから、もう体重のことを気にしなくなりました。


―――
今でも落ち込むことがありますか。


あります。ついこの間2,3日前も、やっぱりリストカットしたいなと思うことがあって。ちょっと外に出ると、世間の風当たりってすごく感じるんですよね。


この間病院に行ったんですけど、自分が悪かったからそういう態度を取られたんだと自分をすごく責めて、苦しくて、お母さんに、「私は生まれてきたくなかったんだ。お母さんが生んだんだから、責任とって私を殺して」と、言ってしまったんです。でもお母さんは「そんなことは出来ない」と言って。


私は「生きていたくない」と、今でもしょっちゅう口にします。強迫行動もものすごく苦しいし、ほんとに吐き気がするんですね。毎日掃除機かけて、雑巾がけして、掃除するのもいやなんだけど、過食のときと一緒で出来なかった日は「だめだ」と、自分を責めてしまって、止めたいんだけど止められない、そういう自分がすごい嫌いです。


―――
今こだわっていることを大事にしてとことんやっていれば、必ず楽になっていきますよ。「もう、いいや」と、思ったときに拒食・過食も止めることが出来ましたね。今やっていることを否定しないことです。きれいにしたらとても気持ちいいじゃない、だからそのことを大事にしてやっていったらいいです。


自分の特技だと思えばいいんです。それぐらい徹底して掃除したらいいです。それを責めちゃいけない。「こんなにひとつのことを徹底して出来る私はすばらしい」と、そうやって自分を好きになっていってほしい。今自分のこと大好きかな?
(あまり、好きじゃない) だんだん大好きになっていく、必ずね。


ほんとにしばらく見ないうちにすっかりお嬢さんになって、あんまりきれいでびっくりしました。今日は新幹線に乗って震えながら来てね、手も震えて、のどもカラカラだったんですけど、無理にお話していただきありがとうね。



緊張するので、好きな音楽を聴いて、人の目を気にしなくていいように曲だけに没頭するようにして来ました。今日も駅でもそうだったんですけど、エスカレーターの中でも下ばかり見ていました。


―――
それでいいんです。それがいつの間にか、気がついた時に「あれっ」ってなっていくのね。だから、今の自分を大事にして、掃除をしてきれいにしていく自分を大事にね。お母さんと暮らしていくと、喧嘩するのはあたりまえ、私もたくさんしました。でも、母と娘の絆というのは強いよね。今日は来て下さってありがとうございました。


数日後、HP掲示板に、 F.Kさんから 次の投稿がありました。


みんなにありがとう。 / F.K

No.185 - 2007/05/22(Tue) 16:07:14


日が経ってしまったけど…
久しぶりに親の会に参加できて楽しかったです♪


行きたいと思ってはいてもなかなか行動できない私。
そんな今の自分のことを唯一隠さなくてもいい場所。
重かった心の荷物を下ろして楽になっていく。
「行き」は人が怖くて俯き加減だったけど、
「帰り」は心が清々しくて視野が広かった。


同じ景色なのに全然違う!
心の奥の氷のように冷たく凍り付いていた気持ちが解凍される感じ。
やっぱり親の会パワーはすごいです☆


会ではたくさんの方に話かけて頂き、緊張が解れました。
人見知りなためなかなかお話できなくて……でもほんと嬉しかったです!


みんなに会えて嬉しかったよぅ(*´∇`*)
貴重な時間をありがとうございました☆
お礼が言いたくて一言(?)書き込みさせてもらいました。





 「今、勝己から幸せをもらっています」 
 

 村方敏孝さん、美智子さん



村方敏孝さん:久しぶりに夫婦で参加しました。妻の美智子はケアマネージャーの資格を取り、隣町役場でパートで働いています。(―――
すごいですね
私たちは次男と愛犬モロと一緒に仲良く暮らしています。


今、若いとか老けているとかの話があり、ふと昔のことを思い出しました。親子3人で霧島登山に行き、ホテルに泊まったとき、私が悔しい思いをしました。(笑)


―――
あなたがお祖父ちゃんで、美智子さんと直己君が夫婦、と仲居さんに勘違いされたことでしょう。(はい)(大笑)


村方美智子さん:その話をすると、私はすごくうれしかったんですが、次男はすごく嫌みたいです。(大笑)


敏孝さん:あれはショックでした。仲居さんから「お祖父ちゃんを連れてきて、優しいこと」と直己は褒められていましたからね。(大笑) 別にお世辞を言ってるふうでもなかったし。(笑) 


―――
美智子さんがヘルパーの資格を取ったのは、勝己君の裁判の判決の年でしたね。あれから6年続いているんですね。(はい) 皆さん、老後は美智子さんにお願いしましょうね(笑)。1番最初に世話になるのは私かもね。(笑)


敏孝さん:裁判が結審してから6年ですからね。本当に美智子は変わりました。親の会のおかげで、こうやって目標を持って働くようになったんです。


美智子さん:敏孝さんはよく私を支えてくれました。私が自信をなくして、もうだめだと思ったときにも、「大丈夫だよ。自信を持てば」と言って励ましてくれました。


―――
とてもいいお話ですね。資格試験の日に大雪が降って、もう受験できないと心配した時、敏孝さんが知覧峠を運転して送ってくれて無事受験できたこともありましたね。


敏孝さん:あれは介護福祉士の実技試験のときでした。すごい雪で15センチも積もっていました。たぶん欠席しないといけないだろうなと思いましたけど、四輪駆動のお陰で行くことが出来ました。


―――
昨年、内園由貴代さんの1年忌の席で、美智子さんが「勝己が亡くなって10年経ちましたけれど、今、私はとても幸せです」と言われたのですね。私はその言葉がとても嬉しかったです。


「幸せです」と美智子さんが言ってくれるまでにどんなに大変なことがあっただろうか、勝己君のことを大事に思い、勝己君の分まで幸せになるというご両親の気持ちが、その「幸せ」に凝縮されていました。本当に良かったです。



敏孝さん・美智子さん:皆さんのお陰です。本当にありがとうございました。





 
「こう見えても私は53歳!」  G さん夫妻


Gさん(妻):先月「2日で仕事を辞めた」というお話をしましたが、十数年家事ばかりしていたので家にいるのが飽きたんですね。(笑) 外へ出て働きたいと思い、家から歩いて5分くらいのところで特別養護老人施設の募集があったので、今そこで働いて2週間目です。


とても忙しい職場で、師長さんに「早く来て仕事を覚えたら」と言われますが、疲れるので私のペースでやっています。(笑)


介護はもちろんですが、私は入居者の方々とお話をするのが楽しいです。100歳を超えているのに、とてもしっかりとしている方とお話をして、生きるヒントをもらいたいなあと思っています。


お話をすると「夜寝るのが怖い」と言われるので、「どうしてですか」と聞くと、「明日の朝、目が覚めないかもしれない」と言われます。「生きていても何の楽しみもない」と聞くと、生きていくというのは大変なことなんだ、自分で楽しみを見つけていかなくては、と勉強させてもらっています。


皆さんが「どうもありがとうね」と常に感謝の言葉をおっしゃいます。私もそんな歳のとり方をしたいと思います。舅も認知症が少しありますが、暴力的なことは一切なく、いつもニコニコしているので、そんなふうに歳を重ねていきたいです。


―――
今度の職場は続きそうですか?


娘にも「どう? 続きそう?」と聞かれるのですが、「それはわからない」と言っています。(笑)


娘からは毎日電話がかかってきます。娘は高校で不登校になり、転校しましたが1日も行けず、家で過ごしました。ゆっくり過ごした後大検を取って、今年東京の大学に入学しました。「今日は学校に行けなかった」とか、方言について何か言われたらしいことも言っていました。すごく元気なときと落ち込むときがあるようです。私も仕事で精一杯なので、娘の話を聞いて落ち込むときがあります。そんな時は木藤さんに電話をして話を聞いてもらっています。親としてまだまだなので娘と一緒に成長していかないと、と思っています。


―――
 G さんはまた、「主夫」に戻ったのですか?


Gさん(夫):はい、毎日楽しいです。この生活だったら4,5年やってもいいかなと思います。(笑) 「仕事もしないといけないかな、いやまだこのままでいいかな」と思ったり。時々魚釣りにも行きます。実家が農家なのでその手伝いもあります。


51歳のときに仕事を辞めて、今僕はこう見えても53歳です。(笑) 先程の村方さんではないけれど、僕も何十回もひどいことを言われましたよ。一番ひどかったのは、結婚前に妻の実家へ挨拶に行った時です。親戚の方から「仲人さんですか。ご苦労様です」と言われて(爆笑)、妻のお母さんが慌てて「違う!違う! 娘のご主人になる人よ」と言っていました。(笑)


家族で霧島へ遊びに行ったときには、「良かったねえ、おじいちゃんに連れてきてもらって」と言われて。(笑)


――― 
H子さんはお若いものね。


私の血を吸っているんじゃかと思って。(爆笑) だから妻は若くて自分は老けていくんじゃないかと思って。冗談です。(笑)


先月、夫がお金を使いこんじゃって、という話がありましたが、私に言わせたらかわいらしいものですよ。私は退職金の中から100万円を自分の通帳に入れて隠していたんですけれど、バレてしまいました。(笑) 


―――
その100万円はどうしたんですか?


二人で半分づつ分けました。(笑) ばれる前に妻に「あなたの通帳を見せて」と言われて、「何であなたに見せないといけないの?」と言いながら、私の手が震えていたそうです。(笑) 森田さんが以前月に10万使っていたと言われましたが、僕も月に10万くらい飲み代に使っていましたね(笑) 毎日飲んでいましたから。


―――
仕事を辞められたときは、H子さんは何も言わなかったんですよね。(はい) 今は夫が家事をしてくださるので、ありがたいでしょう。


Gさん(妻):はい。助かっています。私も仕事でストレスがたまると夫が現役時代に飲んでいた気持ちがよくわかるので、明日休みという日は二人でお酒を飲みます。(笑) 今それが二人の楽しみです。


―――
お互いの気持ちがわかって、支え合っていく。とっても大事なお話をありがとうございました。





 
「生まれてきてくれて、それだけで幸せよ」 

 森田重則さん、淳子さん



森田重則さん:実は先週、夫婦で霧島に1泊してミツバツツジを見に行ったんです。1年前は日向に行ったんですが、行く途中携帯に息子から「死にたい」と電話が入り、ものすごく不安な気持ちで旅行したんです。あれから1年、こんなに楽しく行けるものかなと思うほど、楽しく過ごすことが出来ました。(―――
それは良かったですね) 


―――
以前、家で休んでいたいという息子さんを連れて、霧島に行ったという辛いお話をされましたね。


森田淳子さん:息子は中学校の運動会まで行ったり行かなかったりでした。運動会の翌日が休みのときに、夫も単身赴任先の徳之島から帰ってきていたので霧島に出かけたんです。私たちはホテルに泊まって気分転換をして学校に行けるようにと思ったんですが、その次の日から全く行けなくなったんです。その時、息子は行きたくないのに親に気を遣って連れて来られたという気持ちだったんですね。


それまではしょっちゅう霧島に行っていたんですが、それから10年くらい霧島に行けなかったんです。2年前に行ったときにも、あそこでキャンプしたとか、遊んだとか、見るものすべてが辛く重なってしまいました。


でも最近は本当に気持ちが楽になって、霧島に夫婦二人で何回か行くようになっても、それはなくなりました。


―――
本当に去年は息子さんに「死にたい」と連日のように言われて、きつかったですね。今ご夫婦は穏やかに?


淳子さん:はい。最近は娘のほうがちょっと不安みたいで、「このままでいいんだよね」と言っています。


重則さん:昨日は買い物に連れて行ってくれと言われて、一緒に行ったんですが、「ちょっと、不安になるんだよね」と言っていました。「別にいいんじゃない」と話しました。


淳子さん:娘は、自分は何もしていないのにこれでいいのかなという不安があるようです。私は娘に「生まれてきてくれただけで、お母さんはよかったんだよ」と言いました。


実は娘が生後10日のときにべットから落ちたことがあるんです。そのときに救急車で病院に搬送したんですが、脳震とうを起こしていてしばらく泣かなかったんです。救急車も万一を考えて大きな病院に転送できるよう待機していました。ですから診察室の中から声をあげたのを聞いた時は、とてもうれしかったです。


それを娘に話していなかったんですが、「お母さんはあなたが生まれたときの産声と、診察室から聞こえた泣き声を忘れることは出来ない。あの時泣いてくれて、それだけで幸せだよ」と話したら、「よかった」と言っていました。


―――
去年1年間、淳子さんは辛い思いをしたけれど、それはとても大事なことだったんだと思うんです。私は本当に親の会というのは親の問題であって、子どもの問題ではないと思うんですね。親が不安がなくなっていく。親が、私はそのままで、あるがままでいいんだと、自分のことを大事にしたいと思うようになっていくと、子どもたちは安心していくということだと思うんです。すると自然に心の交流も出来てくるし、お互いに支えあって家族ってこんなに大切なんだなって、お互いに認識していくわけでしょう。


私もタッちゃんが心筋梗塞になって死ぬかもしれないということがあったけれど、あれがあったから私達はいっそう毎日を大切にして、お互いを慈しみあうことができて、良かったなあとしみじみ思うんです。


傍からみれば、学校に行かなくてどうするの、こんな地獄はない、引きこもって大変、と言うけれど、実はとても大切な体験を私たちに与えてくれていると思うんですね。


どれひとつとして無駄な体験はない、どれをとっても全てかけがえのない体験を私たちはしているんです。





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