登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


TOPページ→  体験談目次 → 体験談 2008年7月発行ニュースより



体験談

2008年7月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.146より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら



みんなそのままでいい

2008年6月例会報告(抄)



じぇりさんは、わが子から「じぇりはそのままでいいよ・・・」と言われてとてもうれしかった!

mihoさんは、「今の自分を認められるようになってきて、何もできないとありのままを言えるようになってきたら、周りがやさしくなってきた」と。

Kさんは、親の会に参加して「自分を大切にするようになった」「自分に正直に、自分の考えや意見を主張できるようになって私が変わったことが一番の収穫」、一緒に暮らす息子さんがかわいいと笑顔です。

内園ぱぱさんは、「syunnママさんの書き込みは我が家のリプレイを見ているよう。不登校の子どもたちは、“行けない”ではなく、“行かない”のです」と。

みーたんさんは、夫との関係について「相手を変えようとしない。自分のほうの見方を変えたら」と引きこもっている息子さんから教えられたと言います。

Nさんは、「お母さんはね、あなたがいてくれるだけでいいんだから」と言って、言われた息子さんは照れていたとか。

大人も子どもも、みんなそのままで! そのままがいい! のだと思います。

「わが子が不登校になった・・・」「もう何年も引きこもっている」「どうかしなければ・・・」などと思っているうちは、良くありません。

そうではなく、少し見方を変えるだけで、子どもと自分の「そのまま」を認められるようになってくると好転してきます。

私たちの会は、私たち親は、じつはほとんど何もしていません。
この「何もしない」は、我が子への信頼が増え、親が安心してきた証です。

「父の日に、息子がポロシャツのプレゼントを・・・」、絶句するMさん、万感の想いがこみあげてきたのでしょう。

syunnママさんの書き込みを見て投稿した村方敏孝さん・美智子さんは「子どもは生きていればこそ」と発言されました。

鹿児島の親の会には、学びの蓄積がたくさんあります。私たちは、とても楽観的です。何が大事なのか? 優先順位を間違えなければ大丈夫!です。

「親の会は楽しくて、毎週あったらいいなぁ〜」とゆきちんさん。
今月も感動が、「てんこもり」でした!




目次

1 syunnママさんの投稿


2 「日々息子のことを思わなくなる」と・・・  Mさん(父)


3 「心配」しないで「信頼」する   Sさん夫婦

4 自分を大切にできるようになった親の会   Kさん(母)

5 夫婦はかけがえのないもの   村方敏孝さん・美智子さん

6 妻は「千の風になって」・・・   内園ぱぱ

7 「母として」「娘として」ではなく  mihoさん




―――
(内沢朋子):みなさん、こんにちは。今日は二つの学習資料を用意しました。

一つ目は、HPに新しく載せた「私は、僕は、今、どうしたらいいの?!」です。


学校に行かなかったり引きこもりをしていて、とても不安に思っている子どもたちへのメッセージです。
しかし、内容は私たち大人にとっても親にとっても非常に大切ですので、是非読んで下さい。


娘の玲子がHPを開設した時に書いたものに、内沢達が大幅に加筆しました。
これは子ども達へのメッセージですが、全部親御さんの不安にも当てはまるんです。読まれると安心が広がっていくと思います。


そして、納得した時は家のまん中に堂々と置いて下さい。
それは子どもの読んでもらうことが主目的ではありません。自分自身のためです。
そうではなく「親の会でもらったから、あなたも読んでみなさい」という風にやったらだめですね。子どもを変えようとしてはいけません。


親自身の課題として、やってほしいということです。
自分が学んで確かにそうだな〜と思ったことを子どもに隠す必要はありません。
堂々と置けるようになる親の安心がやがて子どもにも伝わっていきます。

詳しくは「隠さないで、親の会の本やニュースは堂々と!」をご覧ください。


二つ目は、HP掲示板のsyunnママさんの書き込みです。私はとっても感動しました。
syunnママさんの投稿を紹介します。



syunnママさんの投稿


子どもが不登校になったのは、部活でのいじめが原因でした。
初め行ったり行かなかったでしたが、その時私は何とか子どもを行かせなくてはと やっきになり、バスケのコーチ、いじめた子達、又その親、色んな人達を家に呼んで話させたり、謝らせたりしてきました。子どもは「もう言ったりしなければいいよ、学校行くから。俺は許す」と言って、次の日から学校行きました。私もすごく安心しました。でも、やはりダメだったんです。2日行って、後は全く行けなくなりました。私は病院に連れて行こうか、カウンセラーに会わせようか、色々子どもに投げかけ、それがどんどん子どもを追い込み、全く表情が無くなってしまったのです。


すがる思いでネットを隅から隅まで見尽くし、ここに辿り着きました。初めは受け入れられませんでした。学校いかなくっていい?? 冗談じゃない!! そんな思いでホームページを毎日毎日、読んでいました。ある日村方美智子さんの講演内容を見て、愕然とする自分がいました。相手の子を呼びつけ、謝らせ、握手させ、和解した、いじめは無くなった、もう大 丈夫と思っていた自分がそこにいました。


涙が止まりませんでした。私は、子どもに何て酷い事してきたんだろう、死んでしまったらどうしよう・・・、謝らないと、今までの仕打ち、謝らないと。地獄に行かせてたんだ、なんて事を!! 会社から涙で前が見えなくなりながら、急いで自宅に戻り、子どもが居るのを見て安心し、その場で抱きしめながら謝りました。「学校に行かなくていいよ、ごめんね、辛かったよね、強くなれ、頑張れ、酷い事 一杯言ってきたし、やってきた、許してね。」 ずっと能面のように無表情だった子どもが、泣きました。「大丈夫だよ、お母さん、大好きだよ」と言ってくれました。


あれからまだ一ヶ月、子どもはすごく甘えてきます。荒れるときもあります。私も毎日優しくは出来ないし、どなったり怒ったりもします。私は仕事をしているので、子どもに「お母さん仕事辞めて側に居た方がいい?」と聞いたら、「大丈夫、居るとうるさいから」(笑)と言います。ご飯は用意していません。洗濯物は部屋の中に干して(かけて??)おいてくれます。しわくちゃです^^; 毎日子どもから夫と私に電話が何回も何回もあります。嬉しいです。 昨日、とても嬉しい事がありました。私が会社で苦手な人が居て、その人の事を話し、「どう思う? お母さん嫌いなんだぁ」と言ったら、「見方を変えればいいんじゃない?」と言うので、「え? どう見ればいい の?」そうすると、「面白い人だなあって思えばいいよ。」と言ったのです!! 目から鱗でした。


すごく嬉しかった、感動しました。 この子は毎日毎日、家で日々成長している!!一杯考えてる!! 「学校行かなくて いい」と言って本当に良かった!!  なんと素晴らしい我が子♪♪  夫と話し合いました。子どもはこう私に言ったんだよ、今は誰かに相談ではなく、私達の無償の愛だけで大丈夫、家族5人で進もうよ。ずっと家にいて、あの子はこういう事言えるようになったんだよ。笑うようになったじゃない、怒るようになったじゃない、自己主張出来るようになったじゃない、甘えるようになったじゃない、十分じゃない。学校の話しはしない事に決めました。 保健室登校、相談所、進めるのも止めると言ってくれました。急に考えを変えるのは難しいですが、夫も行かなくていいと言えました。子どもが不登校になったお陰で仮面夫婦ではなくなりました。こんなにたくさん話したのは何年振りでしょうか。 子供が不登校になり、家の中がとても明るくなりました^^

(No.572 - 2008/06/20(Fri) 14:29:47)


この投稿はとってもたくさんのことを私たちに教えてくれています。

普通、学校に行かなければわが子がダメになるんじゃないか、と皆さん不安いっぱいですね。
syunnママさんも最初は「学校に行かせる」ことに躍起になりました。

でも、鹿児島の親の会のHPに出会い、村方美智子さんのお話を読んで、変わりました。
能面のようになってしまったわが子を抱きしめて謝まりました。子どもさんも「お母さん、大好きだよ」と言ってくれました。私も涙が出ました。

わが子の不登校も、その受けとめ方や考え方次第で、家の中も明るくなっていくんですね。



「日々息子のことを思わなくなる」と・・・


Mさん(父)




息子は今、20歳です。
昨年4月から天文館の飲食店で調理師見習いとして働いています。
それまではずっと家にいました。
中3の1学期の途中から学校に行けなくなりました。
高校に入学したのですが、2日で行かなくなり、1年の終わりに退学しました。


中3の1学期中は僕も無理矢理起こして、何とか学校へ連れて行こうと頑張りましたけれど、息子は行ったり行かなかったりで、行かない方が多かったです。2学期には体を回復して何とか行ってほしい、と願っていたので、始業式に行った時はとても嬉しかったです。
僕は「しめた」と喜んだけれど(笑)、2日目から行かなくなりました。


私は1学期の終わり頃から、もし2学期も行けないようだったら、無理して行かせることはしないようにしようと思っていたので、その時息子に「もう今日から君に学校へ行きなさいとはお父さんもお母さんも言わないから、君が行こうかなと思ったときに行けばいいよ」と言いました。


でも振り返って考えてみると、その時は「行かなくていいよ」というより、「さあ、ここからどうやって学校へ行かせようか」ということを考えていて、焦っていました。

―――
息子さんもそれを敏感に感じていたのでしょう。

でも、息子は次の日からガラッと変わりました。それまでは朝起きれなかったのが、僕達よりも早く起きるようになりました。
2学期の音楽会にはクラスメート達に誘われて行きましたけど、その後は全然行きませんでした。


2学期の途中に教育心理学の先生のところに相談に行き、別々に話したんですけど、その時「なんらかのきっかけを掴めたら、また息子さんは行けますよ」と言われました。(笑)

―――
カウンセラーは皆同じことを言うんですね。(笑) 考え方の基本に「学校復帰」ありき、です。

例えば、「学期の始まりがチャンスですね」とカウンセラーの先生が言ったから、「よし、3学期の頭が肝心だ」と思いました。(笑)


3学期の始業式にはちゃんと学生服を着ていたから、「おっ」と思って、通勤途中なので車で学校の門まで送って行きました。
その日、僕はウキウキした気分でしたけど(笑)、息子は門のところからすぐに帰ってきたらしいです。(笑)


息子が「そんな簡単に学校なんて行けるものじゃないよ」と言っていたと妻から聞きました。
「ああ、そうか。相当無理させたな」と思いました。
高校も入学しましたが、2日間行っただけでした。
2学期からは登校日数の関係で、不登校の子ども達を集めた教室へ1,2週間行きましたが、それも結局ダメで行きませんでした。


高1の2月、初めて僕はこの親の会へ参加しました。
その時は「今、学校には行けず、休学中だけど籍がある」とそこにしがみついていました。
退学したらどこにも籍がなくなるわけで、どうなるのだろうという心配がありました。
しかし、例会で皆さんのお話を聞くと「退学することには何も問題がない」と分かりました。
それで1年の最後に退学しました。


それから4年間、息子は外出もせず、昼夜逆転でゲームやテレビ漬けの毎日でした。一時は10キロくらい太っていました。
それが昨年の4月、ある日の夕食前に、「お父さん、お母さん、僕は明後日から天文館の飲食店で働くから」と突然宣言したのでした。それから1年2ヶ月通っています。

―――
Mさんの体験がHPに載っています。(2007年11月発行ニュース)

一番大事なことは「我が息子に関心がなくなった」という点にあります。
自分自身に不安が大きいときは、わが子に対して信頼がなく、強い心配のまなざしで見てしまいます。
でも、安心が大きくなっていくと、わが子への信頼も大きくなって、関心がなくなっていく。


それはちょうど息子が働き出す前の年の12月頃からでしたね。
それまでは自分が職場にいても「息子は今何を思い、何をしているだろうか」とか、「月1回の例会のときは、息子のことをどう語ればいいか」といつも思っていました。


そんなつもりで生活していましたが、ちょうどお袋の病気とかのタイミングもあって、あまり息子がどうしているのかとか、何を考えているのかとか、あまり思わなくなっていました。
日々息子のことを思わなくなったときから4ヵ月後には、息子が自分で履歴書を書いて働くようになりました。


―――
「日々息子のことを思わなくなった」ということは、わが子への信頼もいよいよ本物になってきた、ということでしょうね。



「心配」しないで「信頼」する   Sさん夫婦



―――
Sさんの息子さんは中3の3学期から行けなくなりました。
高校に入学したけれど、やはり行けなくなって退学しました。
息子さんが荒れて大変な時期もありましたが、その後大検を取り、通信制の大学に入学しました。

東京に部屋を借りて生活していましたが、そこで引きこもっていたんです。
大学を卒業し鹿児島に帰ってきて、その後就職となった時にやっと本当に動けなくなったんですね。無理を重ねていくと、必ずどこかで動けなくなりますね。

自己否定を続けたままで、就職できないと焦り、荒れたんですね。
そこでSさんご夫婦が再び親の会に参加して、息子さんと向き合っていったのです。

Sさんは「心配と信頼」の話に納得されて、「今までは言いなりになっていた。それは心配していたから。これからは、何もしない。それは信頼しているからだ」と話されたんですね。
その後息子さんは、自分でパチンコ店の仕事を見つけて働きだして、もう1年7か月、今は転勤で川内市に住んでいらっしゃるんですね。


(母):はい、そうです。川内市に住んでいるのであまり会えませんが、先日メールで「月末休みがとれたら、家の屋上で焼肉をしよう、肉を買って帰るから」と連絡がありました。


今、息子は28歳です。親の会では長くて“ベテラン”とよく内沢さんに言われてますけど(笑)、いろいろなことがありました。
24歳で息子が大学を卒業したあとが一番私達が苦しい時でした。
私達が真剣に息子と向かいあったのは、自分たちの気持ちを切り替えてからでしたね。


―――
高校で不登校になったとき、家から出てアパートに住みたいと言って、借りたり、もっとランクが上の高校へ入学しなおしたい、と言って、高価な入試問題集を沢山買い込んだり、いろいろな要求をつきつけてきましたよね。(笑)


(父):そういう事もありました。しかし似たような子ども達のたまり場になってしまって、ゴチャゴチャもめて、そこを飛び出し、また自宅へ戻り生活していました。
仲のよい友人達が3,4人いて、高校を辞めてからも、土・日はいつも家に集まって遊んでいたんです。


彼らが高2になった時、大学受験があるからもう遊びにこれないとなって、その頃から息子は苦しみ出しました。
彼らから受ける情報と、自分の立場が全く違うものですから、焦ってイライラして、親にあたって次から次にいろんな要求をつきつけていました。バイクの免許、大検、専門学校と。
その手続きを私達が代わりにしてやって、しかしほとんど行けませんでした。


―――
大事な教訓ですね。
親が子どもの言葉、要求を真に受けて、子どもの代わりにやってしまう。
それは辛さに手を貸すことなのね。
そういう状態で大学へ入学し、卒業したけど、就職の段階で動けなくなって、そして、鹿児島へ帰ってきたのでしたね。とてもいいチャンスでしたね。


(父):はい。息子は、何かしないといけない、と思って、ハローワークに自分から出かけて行っていましたが、面接を受けても話し上手でもないし、外見が暗いので落とされていました。
そんな事が3,4回続くと本人はずっと自分を責め、私達にも「お前たちは何もしてくれない」と責めて荒れました。そこで私は、

「いろいろやってきたけど、それは心配だからやってきたんだ。
お前をちゃんと信頼していたらいろいろやらなかったはずだ。

親の会で“心配と信頼”について話があった。
子どもを信頼していれば親は何もすることはない、とね。

だから、これからは何もしない。自分のことは自分でする。
それはお父さん、お母さんはお前のことを信頼しているからだよ。
昔は心配して、信頼していなかった。
信頼というのは何もしないことなんだ」
と言いました。


さらに私は、
「俺がお前の言いなりになって動いているのを見て、そういう親をどう思うか?」と、
かなり興奮していましたけれども、そういうこともどんどん聞きました。
もうはっきり言わないといけないと思ってドキドキしながらも聞きました(笑)。
そういう話をした翌日から、息子は変わってきた様な感じがします。

それから息子は3回ぐらい面接を受けに行き不採用でしたが落ち着いていきました。
一昨年の12月に今のパチンコ店が採用してくれました。そのことが息子には「自分を認めてくれた」という自信につながったようでした。


―――
親が子どもの言いなりになっていくと、子どもはどんどん苦しんでいきます。
それは、「あなたのことを心配ばかりして、ちっとも信頼してないよ」というメッセージですから、子どもが荒れるのは自然です。
そこには、親の子への愛は感じられないわけですから・・・。
Sさんは、息子さんの言いなりにならずに、夫婦で丸ごと受け止めたときに、信頼が深まっていったんですね。

何度も何度も子どもは、親を試していくんですね。
無理難題は「心配しないで信頼してほしい」という意思表示であって、決して「言いなりになってほしくない」ということなんですね。

それは、Sさんのみならず、誰もが経験していることです。
息子さんに対して「心配」しないで「信頼」する、と言ったときから息子さんは変わっていった。
わかりやすいですね。
息子さんが「俺は死にたい、死にたい」と言っていた時も、Sさんは腹をくくって「そんなことは絶対にない。万一そういうことがあったら、それは息子の寿命だ」と開き直ったんでしょう。

(父):はい、そうです。

そんな風にご夫婦で支え合ってこられたんですね。
「今思うと我が息子はずっといい子だった、やさしい子だった、辛い想い出より楽しい想い出がいっぱいある」とSさんはおっしゃいました。

長い歴史の中で御夫婦が支え合って子どもを信じてきたから、息子さんは自立して、ちゃんと自分の人生を歩いていったんですね。
親の会の大切な財産ですね。

どんな小さな子でも、大きな子でも「あなたのことを心から信頼し、愛しているよ、かけがえのない存在だよ」と伝えたら、ちゃんと、わかります。
親の会の三原則は
@ こどもの状態を異常視しない
A 子どもの言いなりにならない、奴隷にならない
B 腫れものに触るような接し方をしない
です。
三原則は、普通に人間として接して欲しいということですね。
このことをSさんは皆さんに教えて下さいました。



自分を大切にできるようになった親の会   Kさん(母)



中学で不登校になった息子は18歳になりました。
高校へは進学しませんでしたから、入学金や授業料は支払っておらず、今思えば助かりました。(笑)


―――
中3のとき、担任から「高校進学の資料は、息子さんの見える所においてください」と言われて不安になったこともありましたね。


はい。「昼夜逆転したら大変だから、そうならないようにして下さい」などといろいろ言われました。

でも親の会に来てみたら、みんな昼夜逆転していたので、私はとても安心しました。(笑)

最初の頃、私は、皆が行っているのに何故うちの子は行けないんだろうか? 何か原因があるはずだから、その原因をとりのぞいたらきっと行けるだろう、とそればかりを考えていました。
しかし、この会に参加してみると「学校に行かなくても大丈夫」と言われるし、私の考えていることと違うなと思いました。

「1、 2回ではわかりませんよ」と言われたので、その後もずっと続けて参加していくうちに、だんだんと気持ちが楽になって、学校に捉われなくなってきました。
そうしたら息子も明るくなって、家で伸び伸び過ごすようになりました。

―――
別の所へも行かれたんですか。

はい。息子が「頭が痛い、お腹が痛い」と訴える度に、毎週小児科へ連れていきましたし、心療内科へも行きました。


―――
今は、もう息子さんに関心がなくなったんでしょう。(はい)
息子さんの片方の耳が難聴になった時も、もう片方の耳があるから大丈夫、生活には困らないし、と前向きに思えるようになったんですね。


はい。耳鼻科の先生が、「おたふく風邪で聞こえなくなった子どもさんも立派に生きているから心配ないですよ」と言って下さったので、もう、これ以上よくならないのなら仕方がないしと思いました。以前の私だったら、心配症で、そうは思えなかったと思います。


―――
あなたの圧巻は、何と言っても紅白歌合戦ですね。本当に説得力がありましたものね。大晦日に夫の実家へ行かずに、27年ぶりに我が家で紅白歌合戦を観たのね。それまでは、お盆とお正月は夫の実家へ行き、ずっとお嫁さんをしていたんですね。


私は毎月この会に参加して、皆さんのお話を聞いて、自分を大切にすることを学びました。
この会で学んだおかげで、自分の考えや意見を主張できるようになり、私にとって私が変わることが出来た一番の収穫でした。
それが昨年の「紅白歌合戦」でした。
自分を大切にして、自分の意見を主張する。自分に正直に生きようと思いました。
それを親の会で学べてよかったです。


―――
息子さんのことも心からかわいいと思っているのね。(はい)
最高に幸せですね。
(はい)
お家ではたくさんお花を育ててご近所では名所になって心和ませているのね。
携帯で見せてもらいましたが、本当に素敵なお庭でした。


名所とまではいきませんけど、楽しいです。(笑)



夫婦はかけがえのないもの
   村方敏孝さん・美智子さん




―――
1996年いじめで自殺した村方勝己君のご両親です。昨日HPの掲示板に「敏爺」のハンドルネームで敏孝さんが書いてくれたのね。(575 6/21「外は雨、おうちの中は晴れ」)


村方美智子さん:こんにちは。ご無沙汰しております。6/20のsyunnママさんの書き込みを読んで、私もsyunnママさんのように早く親の会に出会っていたなら、もしかしたら息子勝己を助けてやれたのかもと思って、とても悲しかったです。


でも、shunnママさんのところはこれから一緒に生きていくことができ、私たちのことが少しでも役に立って、息子さんが勝己の分まで生きて欲しいと、いろんなことを考えました。
夫婦で掲示板を見て、夫がそれに対して返事を書いて、「ちょっと見てくれ、これでいいけ(いいか)」と言うので、(笑)初めて書き込みをしてみました。

―――
良かったですね。

村方敏孝さん:shunnママさんの書き込みを見て、一番僕が言いたかったことは、早く子どもさんに良い対応をされたことと、僕みたいに学校依存の父親だったら勝己みたいなことになってしまったけど、この会に出会った方は、子どもの辛い気持ちを理解して、子どもの命を取り留めているから、「それが良かったね」という思いです。

「生きていればこそですね」という一言です。
僕はここに参加されている皆さんのように、この会に出会うことができず、最悪の結果となりました。
この会に出会っていたなら、命を救えたのに、残念、くやしい、という思いです。
そのつもりで書き込みしました。
皆さんが僕みたいな結果にならないように、いつも祈っています。

―――
裁判もやり、ほんとにお二人で支えあってやってきたし、今も支えあって、お互いになくてはならない存在なんですね。

先月の会報のMさんのおっしゃった「妻がいなければ生きていけない」の通りだと思っています。

―――
扉の言葉にあるように「あなたがいなければ、生きていけない」と、思っていらっしゃるのね。

敏孝さん:はい、その通りです。(大笑)

―――
美智子さんもそう思っているのよね。(美智子さん:はい)(笑)
私たちも一緒に裁判を闘い、村方さんからたくさん学びました。お互いに生きる力を勝己君からいただいてきたんじゃないかなと思っています。
(拍手)



妻は「千の風になって」・・・
    内園ぱぱ




―――
あなたの大切なおつれあいさんは3年前に亡くなられたのですね。
掲示板にもあったように3人のお子さんが不登校で、長女さんは中学から、次女さんは高校から、長男さんは小学校から行かなくなって、今、3人ともそれぞれかっこよく生きてるんだよね。
上の娘さんはもう結婚されているんだけど、片方の目を事故で失明し、相手の誠意を見せてもらいたいと民事裁判をされました。「あなたが一番大事よ」という親の大きな愛を子ども達に残されました。そういうことが思い出されます。


掲示板に書き込みした内園パパです。(573 6/21)
毎日掲示板は見ています。昨日仕事をしていて気がついたら、外は白んでいました。
shunnママさんの書き込みは我が家の自分たちのリプレイを見ているようなところがすごくあります。
村方さんのことも書かれていて、今朝は村方さんの書き込みをまた見たりして「そうだよなあ」と思いました。


我が子が不登校になったときは、HPもなく、この会にたどり着くまで1,2年かかりました。
HPで元気をもらっている人がたくさんいて、このHPはすごい力を皆に与えてくれていると思います。感謝しています。


さっき学校に行けないというお話でしたが、「行けない」というのは、先に学校がありきで、行けないじゃなくて、子ども達は「行かない」んですよね。そこを理解してやればいいかなと。
僕もなかなかここまでたどり着くには時間がかかったし、それこそ登校刺激もして子どもも苦しめたけど、ある時点から変わってきたんだと思います。


僕の亡くなったかみさんが偉かったと思うのは、僕は単身赴任で横浜で全然理解してなかったけど、それに親の会とまだ出会ってない時に、娘に「自分で決めて学校と縁を切ればいいよ」と言えたことだと思います。


子どもは好きなことをして自分の思うとおりに生きてくれればいい。
今、それぞれそうなっているからいいかなと思っています。
子ども自身が自分はこれでいいんだという考え方で納得できれば、それでいい、それもひとつの生き方だと思うし、逆に親が教えられることの方が多いです。


今は次女が就職活動していて、勤務地次第で、今後ひとり暮らしになるかもしれません。
今は庭に「花」がいっぱい咲いていて、ひょっとしたら,来週から市民ギャラリーに我が家の花壇の写真が載るかもしれません。先日突然市役所の人が来て、庭の花を撮らせて、また2週間後に来ますから、と言って。花壇コンクールというのあるらしいのです。草ボウボウの状態だったんですよ。


死んだ彼女が植えてくれたもので、地植えにした花がたくさん咲いています。 庭の花々を世話していると、あの歌の通りだなと思って・・・。


―――
「千の風になって」ですね。由貴代さんに毎日会っているのね。



「母として」「娘として」ではなく  mihoさん



―――
mihoさんは昨年9月に夫のDVで離婚して、今は息子さんと娘さんの三人で暮らしているんですね。
息子さんは去年12月に親の会に参加して、そこで辞めると決めて、高1で退学したんですね。
それですっきりしたのか、今はホテルで清掃のアルバイトをしているのね。
娘さんは今年中学に入学したんですが、2日で行くのをやめて家にいるんですね。


息子はバイトが楽しいようで、毎日続けて行っています。娘は小学校の4年から行っていなくて、中学は行ってみたいと言うので、いろいろ準備したのですが、結局行ったのは2日間だけでした。
今家で三人三様に誰に気兼ねすることもなく過ごしています。


―――
あなたは今までの疲れが一度に出て、外出もできないくらい大変なのね。


日によって違うんですが、母が入院していたので、この1ヶ月間は病院に行っていました。
そうすると体力がついてきて、興味があるところには行けるようになって、「行って嫌だったら帰ってきたらいいや」と思えるようになりました。

母は手術を受けたんですが、順調に経過して、今は無事に大口の父のところに帰りました。
ちょうど私だけが時間がいっぱいあったので、手術の時も4日付き添いました。経過も良く順調に回復しました。個室でしたので、高台にある病院から見える夜景を見ながら、夜中まで二人でいろんな話をしました。

母の話を私がほとんど聞いているという感じだったんですが、母の話は全部父のことで、今まで知らなかった両親が出会ったころの話までしてくれて、母は父のことが大好きなんだ、とわかりました。


―――
良かったですね。あなたが家を出て実家に帰った時は、御両親に対して遠慮や引け目を感じていたけれど、親子って必ず通じ合えるんですね。


今までは「母と娘の関係」で、それが当たり前だったんですが、病気になったことで母の方からその役割を下りてくれて、私の気持ちも楽になりました。
娘の役割を意識しなくていい関係になって、何か純粋に母の話を新鮮に聞くことができたんです。


この親の会で皆さんが言われるように、両親がお互いのことをなくてはならない存在、と言うんです。
手術の前に、お医者さんから、結果が悪ければ、あと半年、と言われていたんですね。


父はその時もすごくショックだったようで、全然しゃべらない人なんですが、「お金がどれだけかかってもいい、この家を売ってもいいから、とにかくお前だけ帰ってくれればいい」と泣きながら言ったらしいんです。
父はこの1カ月の間に家事ができるようになり、母が帰った今も家事をしているようです。


―――
あなたは生活する上で経済的不安もあったけれど、今はその時はその時考えようと思えるようになったのね。


別居した当初は私も不安が大きく働くことができず、経済的に大変だということが大きな不安でした。
私の不安がなくなっていくにつれて、とりあえずは後少しはなんとかなるから、なくなった時に考えようかなと思うようになりました。
もしその時にも私が働けなかったら、息子にお願いするかもしれません。(笑)


―――
離婚する前は洗濯機も包丁も触れないような状態で、ずっと家事は息子さんがしていたんですね。それだけ辛い思いを重ねてきたんですね。


最近両親との関係が良くなってから、自分自身が安心したことを実感できます。
一生懸命にやっていた時は、両親も私にもっと頑張れと言うし、周りもそれを要求していたように思っていたんですが、本当に何もできなくなってきて、自分でも何もできないと言えるようになってきたら、周りがやさしくなってきたのを感じます。

はじめのうちは母の傍にいるという自信がありませんでした。
でも自分に素直になってくるとすごく楽しんで毎日病院に行けたし、それに感謝されて。

4日間母に付き添った後、私も体力的にも疲れてきたので「家に帰る」と言ったら、母はものすごくさびしくなったようで、「mihoが私のお母さんのような気がしてきた」と言ったんです。(笑)だからいいことばっかりでした。


―――
お母さんが病気になってくれてよかったですね。本当に人生はいろいろあるということですね。




このページの一番上に戻る ↑


体験談(親の会ニュース)目次へ→


2008年5月発行ニュースはこちら→
    TOPページへ→    2008年6月発行ニュースはこちら→



Last updated: 2008.8.25
Copyright (C) 2002-2008 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)