登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2010年11月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.171より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら





わが子がきっかけをつくってくれた

2010年10月例会報告(抄)



大阪から5ヶ月ぶりで参加したなおみさんとやすしさん。娘さんが拒食でした。
なおみさんは「以前は自分が子どもをコントロールし、食べさせようとしていたが」、「この子の人生はこの子のもの」と考え「好きにし」と言えるようになりました。

すると2週間くらいして娘さんは自分でご飯を作って食べるようになったそうです。
心配しないで、わが子を信頼するようになると変わってきます。親が「しない」と子どもは「する」ようになる、なおみさんはそのことを実証してくれました。やすしさんはお母さんとの関係について、自分の気持ちに無理をしていたことを率直に話してくれました。

私たちは、つい「自分が我慢してでも、誰かが喜んでくれるなら」と思ってしまいがちですが、自分を一番大切にしないと、他の人との関係も本当によくなりません。

淳子さんも夫のお姉さんとの関係について自分の気持ちをちゃんと言えるようになりました。
なぎささんも3人のお年寄りの介護を、自分を大切にしてやっています。
良治さんも認知のお母さんが施設に入所し、気持ちがとても優しくなりました。
しずりんさんも自分を大切にできる「毎日はすごく楽しい」と話します。

永田さんは初めて例会に参加したとき「自分のわくわく」の話に戸惑ったけど、いまは「よくわかる。いろんなことが楽しい。この会に出会わなければ息子を責め続け、自分も息子も元気になりようがなかった」と話しました。
恵さんは「子どもだけでなく、義父母や姉妹との関係でも、かつては自己否定していた自分。いまは“今”に夢中になれる自分が本当に幸せ」「私は家族の太陽!」と嬉しそう。

浜崎さんは障害を持つ息子さんのことにふれて「家族みんながこの子を中心にひとつになってきた」「この子から僕らは大きなものをもらった」と話しました。

私たちは、私たちが自分自身を一番大切にして生きていくことがいかに大事か、そのことに気づくきっかけを、わが子が作ってくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。





目次

1 いまの自分を否定しない       内沢朋子
2 私は「家族の太陽!」       megurinさん
3 この子の人生はこの子のもの    なおみさん・やすしさん
4 障害のある息子が家族のきずなに  浜崎さん
5 毎日感動がいっぱい、幸せです   なぎささん





いまの自分を否定しない     内沢朋子



時々HPの掲示板に書き込みをしてくれる、まゆさん、ゆいさん姉妹がおります。
妹のゆいさんが9月25日に相談掲示板に次のように書きました。


なんだか心がもやもやして息苦しいです。
周りに気を使い過ぎてしまいます。
変な事言っちゃったかな〜。とか迷惑かな。とか
すごく考えてしまいます。
ずっと誰かに責められているような気分です。
自分が自分じゃないみたいです。
誰になんて言われてもいいや。って思えないときがあります。



私は9月27日に


「今はもやもやしている時期なんだな」と開き直る。
「そういう自分でいいんだな」と今の自分に、もっともっと優しくしてあげる。
ゆいさんが、そういう気分でいることは、誰にも迷惑かけていません。
そういう自分をけっして否定しないことです。
心がもやもやしているときは、そうなりきることです。
どんな状態であっても、自分の一番の理解者は誰でもない「自分」なんですよ。
自分の一番の味方になってあげようね



と返事を書き、あわせて
「自分自身のかけがえのない友になる」という文章を是非読んでみようねと紹介しました。


10月13日、今度は姉のまゆさんが書いてくれました。


ゆいへの返信に貼ってあった「自分自身のかけがえのない友になる」を読んで、自分が悩んでいたことがいっぱい書いてあってびっくりしました。

いきなり失礼かもしれないけど、会報やホームページで体験談を読んでいても「それは親の話。私は子どもだし分かんないよ」ってツンケンしたところがありました。

一時期、お母さんに辛いよ〜と泣きつくと「親の会の○○さんは〜 会報だと〜」という感じで、(それで救われた時もあったけど)「今は人の悩み聞いてる場合じゃないんだけど…」っていう反感?もあったかな。

でも、さっき何気なく読んだ時に「えーなんで??」って思うほど自分がその中にいて…。

同じ悩みは一つとしてないけど、どんな悩みも元をたどれば一緒なんですね。
「自分を大切にしてない」
「人の話はわが話。わが話はみんなの話」とは、ははぁこれの事か!と目から鱗でした。

これが前進?なのかは分かりません。
だけど、これからはもっと会報が楽しくなるな〜って思いました



すごい前進だね。
「これからはもっと会報が楽しくなるな〜」って、最高にうれしいです。

ゆいさん、まゆさん、書き込みしてくれてありがとう。
これからもいっぱいお願いします。






私は「家族の太陽!」    megurinさん




兵庫県から参加しました。お久しぶりです。去年の7月以来の参加です。
それ以前の私は、まだまだ自分に不安があって、ここに来て安心して、ここに来ないと安心できませんでした。そのうち母が倒れて実家へ往復しなくてはならなくなって、鹿児島へ来られなくなった時に、私は大丈夫だろうかって朋子さんにお聞きしたくらいなんです。

3年前、私は息子が不登校になってすぐに親の会に出会いました。
初めの頃息子は暴言を吐いて私に当たってきました。それから「これは使うな」とか、「風呂は1番に入る」とか、いろいろ言ってきました。私は息子の言いなりになっていたほうが楽なんだけれど、でもこれはおかしいのかなって、すぐに朋子さんに電話をして、「おかしいでしょ」と言われて(笑)、やっぱりそうなんだという確認を繰り返していました。

親の会の三原則に形だけ従うことに精一杯で、頭ではわかってくるんですが、次に同じ事があったときにまた迷うんです。自分のわかったという言葉に縛られて、するとなんで自分は皆さんのようにわからないのだろうと自分を責めたりもしました。

親の会と出会った3年前は息子のこともそうなんですが、夫の両親と妹と同居して、私も働いていて、夫との関係も悪くなっていると勘違いして離婚も考えて思いつめたり、自分自身が身も心もへとへとの状態だったことに気づかされました。自分が不登校の子どもと全く同じ状態で動けなくなって、動けない自分を全く認められないんですね。

働きたいのに働けないのが悔しくて、息子を受け止めたいのに息子のこともかわいいと思えなくて、そういう自分が嫌で嫌で、結局私自身の自己否定がすごく強かったんだと思うんです。

息子のことでも言いなりになった方が楽な状態で、でも心の中で嫌だなって思っていたんです。あんなにかわいかった息子が、こんな乱暴な言葉を使って私に当たってくる。言葉でフンと言っても気持ちが負けて息子にビクビクしているんですね。そうするとそういうオーラが伝わって、息子の言葉がどんどん悪くなっていきました。

そのときに思い切って「そんなこと言うのは止めてよ」「母さんだってテレビも観たいよ」と言ったんです。そのくらいの小さいことが言えてない自分だったんだとわかりました。
それからはほんとうに小さなことから少しずつやっていき、息子は落ち着いてきてクソババアも冗談で言うくらいになっていったんです。そういう積み重ねで自分も大丈夫なんだと少しずつ自信がついていきました。

私の妹たちとの関係でもそうでした。説得したいと思って、けんかしたり、反発だけではうまくいかない。親の会で言われた「優しさは優しさで」を思い出して、妹に対しても自分が変わっていって、そうしたら関係がよくなっていったんです。


―――
「あなたが疲れているのよ」という話をして、御両親と別居したけど、その後遺症で働くことも外に出ることもできないくらいになってしまったのね。自分を大事にしてない人生に気がついて、自分を大切にする人生に180度変えていったら、なんともうとても楽しい人生になったんですね。昨日頂いたメールを紹介します。


明日は例会ですね。遠足の前の日のようなうきうきです。
毎日が新鮮で、楽しい。こんな幸せいっぱいの日が自分に来るなんて・・。

夫への愛情も忘れかけ、私は義父母、義姉妹の介護要員か・・と“今”の自分の幸せを感じられず、不安に満ちていたあの頃には、考えられませんでした。

今日も仕事でした。山のようなどんぐりを掃きながら、秋だなあ・・とほっこりした気分。
自分の刈りあげた芝を眺めて満足、満足。

休憩には、会報を読み、確信を深めて・・。“今”に夢中になれる自分が本当に幸せです。
今、“私は家族の太陽!”なんだと思えるんです。

揺れる息子のいちゃもんにも、ご機嫌不安定な娘にも、パチンコに走る夫にも、
私が中心!という感覚になってみると、みんなかわいい(笑)。

そんな気持ちがいっぺんに吹き出して・・嬉しかったです。
親の会に初めて参加したとき、じぇりちゃんが“私たちの名前の「恵」は人に恵まれてるんだね”と言ってくれましたけど、ほんとにそのとおり。


―――障害を持っている妹さんのこともなんとかしてあげようと思っていたけれど、それは余計なお世話だと気がついて、聞くだけでいいんだとわかったんですね。


はい、そうなんです。妹が施設をやめたがっているので、その話を聞きに行ってあげたいと思っていましたが、それは私が焦ってるんだと自分で再認識して落ち着いたら、ほんとうに何も言ってこなくなったんです。

そうしたら先週実家の妹から電話があって、妹が自分でやめたいと談判していると聞いて、それで私はもうびっくりして、妹が自分で言ったということがうれしくて。本当にこの親の会の言う通りだと思いました。


―――
そうですね。自分の人生は自分で決める。あなたも自分を大切にしていくと、家族の愛情が一番大事だってことを大発見できて本当によかったですね。
「私は家族の太陽」。本当にすてきな言葉ですね。







この子の人生はこの子のもの    なおみさん・やすしさん




―――
大阪からなおみさん、やすしさんご夫婦が来て下さいました。4月、5月と続けて参加して以来ですね。


なおみさん:中学から不登校になった娘ですが、高校は2日行って辞めました。今年の1月からしゃべらなくなって、しゃべらないのはいいんですが、夏頃からは食べなくなったんです。

朝からかき氷1杯で終わりみたいな感じでどんどん痩せていきました。
何も言わない方がいいと思って、ずっと我慢していたんですが、それが私にはこたえました。
4,5月に続けてきた時もわくわくなんかせずにしんどいなーという感じでした。

以前から娘は夫にチラチラ見られることを気にして、私に見ないように言ってほしいと訴えていたんです。娘も父親に向かって「見らんといて」と言ったので、私も「あんまり見らんといたって」と言うと、夫は「娘の顔見てあかんのか。俺だって笑っている娘の顔を見たいんだ」と言って怒ったりしていたんです。

夫は娘が食べていないということに気がついていないようで、娘に「がりがりだな」と一言言ってしまい、そしたら娘がわーっと泣いたんです。

私が「放っておいたらええ!」と夫に言い、娘には「食べるのも食べないのもあんたが決めたらええことや!」と言ったんです。

そしたら夫は、もうこの家に帰るのは疲れましたみたいな感じでプチ家出をしてその日は帰って来なかったんです(笑)。その時、私もいっぱいいっぱいだったので、「何で夫はこうしんどい時に逃げるのか。楽になったらニコニコして、そんなのいらんわ」みたいな感じで木藤さんに電話していっぱい喋って、ちょっと落ち着きました。

それから、「食べるのも食べないのも、生きるのも生きないのもこの子の人生」と受け入れることができた時に、私はこの子に「なんとか食べさせよう」「私がコントロールしようとしていたんだ」とやっと気がついて、寝るにしても寝ないにしても、学校に行くにしても行かないにしても、しゃべるにしてもしゃべらないにしても、食べてほしいから食べてと言うのは、私が困るから娘をコントロールしていたんだなと初めてわかって、そこで
「好きにし」と言ったんです。

そうしたら何でかわからないんですが、2週間前くらいからご飯を一生懸命作り出して、私達の分まで作ってくれて、普通に食べるように戻ってきたんです。


―――
とっても大事なことですね。本当に「この子の人生はこの子のもの!」。すばらしいですね。


かき氷だけであろうと、何であろうとほとんど無視です。「好きにしたらいい」と思ったんです。そうしたら自分の気持ちが楽になりました。

最後に娘が「食べなかったら病院に連れて行くの」と泣いたんです。だいぶ前に、「死ぬかもしれないと思った時は病院に連れて行く」と言ったことがあるんです。それを覚えていたのか泣いたんです。
私は「何で連れて行かないといかんの。土下座でもしてもう辛いから連れて行って下さい、と言うのなら考えてもいいけれど」と言ったあたりから変わってきたように思います。(―――
すごいじゃないですか

その間に私が更年期の症状が出て動けなくなったんです。めまいがひどくて斜めに歩いて、寝たら目が回るんです。検査はどこも悪くないと言われたんですが、フアフアして、薬で少し改善されていますが。


―――
やすしさんはどうですか。娘さんのことが不安でたまらない。


やすしさん:もう不安はなくなりました。その時は不安ではなく、こっちは見ているつもりはないのに、見たと言ってくることに腹が立ったんです。「じろじろ見る」と言うんです。泊まったのはビジネスホテルに1度だけです。(笑)


―――
中学の時は娘さんが洋服にお金を使ったり、暴力があった時には家に帰りたくないということがあったの。


それはないです。飲んで帰ったことはありましたが。


―――
そういう時は御夫婦の仲はあまり良くなかったかもね。(そうですね)


なおみさん:この前もふたりで一緒に食事に出かけていたんですが、姑の話が出て、私が「考えておく」と言っただけで突然私を置いて帰ってしまったんです。(笑)


―――
でもあなたは別れる別れないの大ゲンカしている時に「あなたのことが好き」と言われたんでしょう。すばらしいよね。


なおみさん:言ったんですけどね、すごい私って偉いのかな〜と思って(笑)。
姑が絡んでくるとすごく怖いんです。夫がひとりで対処できる分にはいいんですが、姑が私の家に行くとか、私を連れておいで、と言われると、私は「行くのは嫌」とか「考えとく」と言うので、私を動かせないんで怖くなるんです。姑にそれを言わないといけないとなると、姑を抑えるよりも私を抑えたほうがいいと思うんでしょうね。多分楽だと思って。


―――
やすしさんは実の親に頭があがらないの。それでストレスを感じるの。


やすしさん:はい、両方に挟まれている感じです。今年の正月からふたりはずっと会っていないので「たまにはなおみちゃんを連れておいで。もう10カ月も会っていない」と言われると、僕もそうだなと思って、「一緒に行かないか」と言うんです。
そしたら「いや」と言うんです。10カ月も会っていなかったら、「1回くらいちょっとくらいがまんして行ってくれてもいいのにな」というのも気持ちの中にあって、それで怒ったんです。なんでいやなのかが理解できない。


―――
やすしさんはご自分のお母さんに会うのが楽しくてしょうがないのね。


やすしさん:それはない(笑)。僕もいやいやひとりで月に2回くらい行っているんです(笑)。


―――(内沢達):
やっぱりやすしさんの場合も課題は同じです。僕らの会の一番大事なテーマ、「自分を一番大切にしてやっていく」ということです。
自分の気持ちが一番で、お母さんの気持ちを優先させていいことはないということです。妻の気持ちも大事ですが、その場合でも第一は自分自身の気持ちです。自分の気持ちをおさえ、無理をしてやっていいことはありません。


―――
やすしさんもいやだったら、あなたもお母さんのところにあんまり行かなければいいんですよ。


やすしさん:妻からも同じようなことを言われて、最近はちょっとましになったんです。以前は自分を殺して行っていたんですが、自分に正直にならないといけないなと思って、電話もこっちからしないようにしているんです。


―――
自分の気持ちを殺した人生はダメだということですね。
息子さんも大学を辞めるということになったのね。


なおみさん:まだ辞めてはいないですが、本人は学校に戻る気はなく辞めると言っています。でも就職がどうのこうのと言って、公務員試験の本を買ってきたり、焦っているみたいです。
夫がこういう仕事場があったと言ってパソコンで打ち出してきて息子に見せようかと言うので(笑)、私は「いらないと思います」と言って、そのままになっています。


やすしさん:本人が就職したいみたいなことを言ったので(笑)、言ったらいけないとはわかっているんですけどね。


―――
やっぱりご夫婦仲良く、ご夫婦が一番幸せになることね。それが何よりもの子ども達への応援になるし、お姑さんに対しても自分達の意志をはっきり出来る大事なチャンスですね。こうやって大阪からご夫婦でいらっしゃるということは何よりも仲がいい証ですね。


なおみさん:この間結婚記念日に夫がブランドのバックを買って来てくれて、びっくりしました。それを頭の上に置いて、腹が立つなと思った時はそれを見ているとルンルンになります。(―――すばらしいですね)


―――(内沢達):
なおみさんの先ほどの話、食べない娘さんへの対応、とてもよかったですね。普通だと親が心配してしまうところですが、なおみさんは娘さんを信頼して、何も言わず何もしなかった。そうすると娘さんが自分でご飯をつくり食べはじめたという話です。

僕はHPの記事のタイトルでいうと「問題であって問題でない」というところで書いています。やはり食べない、しゃべらないTUさんの三男さんのこととか、スイカの汁しか飲まない別の娘さんの話をしています。
普通、子どもが食べないとすごく心配してしまいますが、それは無用です。じつはいまは食べないということが本人に一番あっているから食べないだけなんです。

心配しないで、わが子を信頼するようになると変わってきます。なおみさんはそのことを実証してくれました。

これはとっても大事な僕らの会の共有財産です。親が「しない」と子どもは「する」ようになります。



―――
なおみさんはやすしさんに、「これを読んだら」と通勤の途中で読んでもらうように資料などを渡しているんですね。


なおみさん:夫は会報を読まないんです(笑)。これは何回も聞いた話という感じなんです。


―――(内沢達):
やすしさんに一言。先月の資料「世の中、悪くするのは〈善意の人〉なんです」にもありますが、自分の思いだけで考えていくとうまくいかないんですね。法則にのっとらないとうまくいきません。


さっきのトモちゃんの話で、「な〜んだ、俺だけじゃないんだ。内沢さんもそうなのか」と思われませんでしたか。
じつは僕も以前、母親のために「トモちゃんは、少し我慢して・・・」と言ってのぞんだことがありましたが、いっときはそれでやれてもやっぱりうまくいかないんです。

そのときも、「親のために、息子として少しは何かを・・・」という善意からでした。でも、善意はいい結果をもたらさないことが多いんです。とくに自分に無理をした、自分に我慢したのは絶対にだめです。

やすしさんはまだ、自分のうちだけの話だ、自分と娘の関係のことだと思っているところがありますね。なんで妻が、どうして娘がと、自分のうちだけのこととして考えると腹も立ってくるんです。いや、家族に対してだけでなく、自分自身にも「俺はどうしてこうなんだ」と腹が立ってきたりする。その点、会報をよく読まれるようになると違ってきます。

「うちだけの話じゃないんだ」ということがわかって、カッカしないで対応できるようになります。

先ほど、僕はなおみさんのことを素晴らしいと言いましたが、どうしてどうしてやすしさんもたいしたものです。娘さんの反応はやすしさんをちゃんと父親として認めていることの証拠です。認めているからこそ、娘さんは安心して当たったり避けたりしているんです。表面だけ見ていると、見逃してしまいがちです。

会報を読まれるとわかるんですね。「人の話はわが話。わが話はみんなの話」で、法則的です。うまくいかないのは善意が足りないのではなく、善意がありすぎるからです。思いだけで行動して、法則にのっとってかかわっていないからです。その法則は単純明快で、自分自身を、自分の気持ちを一番大事にしようということです。

なぎささんの介護の話がいい例で、なぎささんが自己犠牲的ではなく、自分を大事にした対応に変えてから、義母さんとか叔母さんへの愛情も自然になり、義母さんたちからも以前以上に喜ばれるようになりました。法則的なので、男女を問わず、参考というよりも、とても勉強になります。

そういう共有財産を僕らの会ではいっぱい増やしていきませんか。






障害のある息子が家族のきずなに    浜崎さん(父)



浜崎さん(父):小学校の教師です。1年ぶりの参加ですが、会報は毎月読ませてもらっています。

学校現場は暗いとのお話しがありましたが、たしかにそうです。来年度から教科書は変わるし、時数もかわっていくので、「どうしたらいい?どうしたらいい?」となるんです。
そんな中で少しでも「たのしい授業をしたいなあ」と、月に1度「たのしい授業」の研究会・例会を開いて内沢さんも参加しています。自分も子ども達も楽しくなるような授業をするなかで不登校にも関わってきました。

23歳の長女と21歳の長男と18歳の次男がいます。
18歳の次男は養護学校の高等部を今年卒業して、鹿屋市の施設に入所しました。
高等部通学のときは、家庭で暴れたりいろいろあって、鹿屋のクリニックに行ったり、自分達でも努力していたけど、近所から苦情はくるし、家の中は穴があいたりと、どうしようかという状況でした。

内沢さん達にも子どものことはいろいろ話して、2年前に、「このままでは、いけないよね」と親の会へ参加しました。

次男はプラダー・ウィリー症候群という障害があり、食べ物にひどく執着するのです。200sの体重になった人もいるので、あまり食べ過ぎる時に、「もう、その辺でやめたらどうか」と止めるとパニックになります。

次男は車に乗っていても後から妻の髪の毛をひっぱったりして、妻は何度も急停車したり、何度か死ぬかもと思うような場面に遭遇してきました。

自分達の生活もままならず、医師に相談したら、「パニックの時にはクスリを飲ませたらどうか」と言われ、私達もクスリには抵抗があったけど、ひとつの方法として試しました。クスリを飲ませて3日目の夕方に3人で散歩に行ったら、筋肉が硬直してきて歩き方がおかしくなって斜めに歩くんです。

内沢さんに、クスリの弊害を問題にした「NHKスペシャル 変わるうつ病治療」(2009.2.25)のDVDをもらって、「クスリはやめよう」と2カ月でやめました。

朝、バス通学に行きたくないと言って、自宅で過ごせたらいいのですけど、しばらくすると学校へ行くと言い出したり、妻も1人で対応しているので精神的に参ってしまって、ヘルパーさんが来てもダメで、特に昨年の12月がひどかったです。体力的にも限界でした。

高等部を卒業して、今は実習にも行って慣れている鹿屋の施設に入所しています。2週に1度とか日帰りで帰宅したり、本人も楽しく生活しているし、先生方もよく対処して下さっているので、私達も気分的には楽にはなってきているけど、一方では親として、もっときちんと関わってあげることはなかったかなとか、預けてよかったかなあと夫婦で話したりもします。

親としての関わり方に自責の念もある一方、18歳になったら、就職や進学で親許を離れていくのだからと割り切って考えようと揺れます。先生は次男に「君はここに就職したんだよ。君のお姉ちゃんも鹿屋に就職しているからね」と言ってくれています。

4月から次男と離れて暮らす今は、今までできなかった夫婦で散歩するとか、いろんな話をしたりできるようになりました。これから先の自分達の人生をきちんと歩んでいかないといけないねと妻とも話しています。自分達なりに、まだ十分ストンとは胸に落ちていないけど、親の会で皆さんが話されるように、自分を大切にして、楽しくワクワクを見つけて生活していこうと思っています。


―――
障害をもっているお子さんをもつ親御さんは、公的な施設に預けても尚、親の責任はと自分を責めてしまうのね。(はい)


特に激しい暴力があったら、その時の親の言葉とか行動とか、過去のことを思ったら辛いと思うし…。親というのは、自分を責めるような生き物なんですよ。この私でさえ、数限りなく自分を責めることはあります。夫婦関係では余り思わないけど、親子関係ではあります(笑)。


―――
それは逆に親の深い愛をちゃんと持っていると自信を持ってください。そして、自分を責める必要はない。今、おっしゃったように自分を大切に、夫婦の時間を大切にして過ごしていくことが、子どもへの何よりのプレゼントですね。


―――(内沢達):
今日お配りした資料「自分自身のかけがえのない友となる」の6ページにアランの言葉があります。

「すべてのものがわれわれには障害である…」。障害のある人だけでなく、ない人だって、自分のまわりのことはけっして意のままにはなりません。

障害のある人の場合はそのことがいっそうわかりやすくなっていて、そこから障害のない人もいっぱい学ぶことがあるのではないかと思っています。この文章を書いた(1月例会で僕が話した)きっかけは川内の河野さんの話でした。

浜崎さんは小学校で、河野さんは中学校で、たのしい授業をしています。
河野さんは障害のある娘さんから「いっぱい力をもらった」と以前話されていました。
浜崎さんはいかがですか。


うちは次男が小学校入学の時、近くの仲良し支援学級に入るか、養護学校へ入るかでとても悩みました。仲良し学級は人数が多くて、先生が1人だったので次男にしっかり関わってもらえる養護学校への入学を決めました。

娘は鹿大の教育学部の養護教員課程へ進学し、今年は期限付きながら、今、鹿屋養護学校で働いています。長男は何を考えているのか私もわからなかったけど、今、大学で社会福祉を学んでいます。

2人とも小さいときから障害のある弟の存在を見てきているので何かを感じたのでしょうね。長男は夏休みの実習先の教師にいろいろ話したみたいです。  

弟の存在がなかったら、姉、兄は、今の道を選ばなかったかもしれないなあと思っています(涙ぐむ)。

私達も次男のおかげで、いろんな人達とも知り合えたし、この会にも出会えた訳ですから、今、こんな考え方に触れたりできる人生を歩めるのはありがたいし、たとえ別々に生活していても、その子に恥じない生き方をしないと悪いなあと思っています。

預ける前も、できるだけ3人で2週に一度はふたりの実家のある指宿に、妻の母の入院を見舞ったり、両親が他界している私の実家の家のまわりの清掃に出かけていました。

今、2人になりましたが、うちの家族も河野さんと同じように、次男を中心にしてまわっていたんだなあと思いますね。少し離れてみて、あらためて感じます。


―――
本当にそうですね。同じように、私たちも、不登校のこの子のおかげで親の会と出合うことができたと思っています。いいお話しを聞かせてもらいました。ありがとうございました。






毎日感動がいっぱい、幸せです
    なぎささん



私もあんなに頭の中を占めていた親たち3人のことが今は全然頭の中になくなってきています。今日は夫の母の施設の運動会だったことも忘れていて、今思い出しました(笑)。

幸せだなあと思います。96歳、91歳、88歳の実母、叔母、姑の3人のところを毎日くるくるまわっているんですけど、最近いろんなことに感動できることに気づきます。

夏の暑い時に畑に行き野菜が育っているのに感動し、心筋梗塞だった夫がくわを持って畑を耕している姿に感動し、たっちゃんとトモちゃんの山登りの写真に感動し、そういう感動できる自分が嬉しいです。


―――
3人のお祖母ちゃんたちを看ている時は、「なんで私だけが」と本当に大変だったもんねえ。


めまいはしょっちゅうするし、ストレスだったんでしょうね。今はもうしません。親の会の考え方に学んで自分を大切に生きている(笑)ので、本当に良かったと思います。


―――
自分が嫌だなと思うことはしないということですね。
しない自分をけっして責めない。自分が嫌だなと思いながらも、「ねばならない」と言い聞かせて、無理にしてしまう。それって、ぜんぜん自分を大事にしてない。そんな生き方を積み重ねていくと、幸せな気持ちなんかふっとんで、憂鬱な毎日になってしまう。

嫌なことを嫌と思うのはとても自然な感情です。なぎささんの体験はとても大事ですね。自分を大切にしているから、「相手も大切にしたい」と深い愛情がわくんですね。
 


昨日、夫とふたりで薩摩川内市の柳山というところにコスモスを観に行ってきました。川内市が一望できます。季節の花や田舎の風景、きれいな雲の流れに感動しました。とても幸せです。





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最終更新: 2010.12.25
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