登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2010年7月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.168より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




親が「しない」と子どもは「する」ようになる


2010年6月例会報告(抄)



初参加の方々(4家族5人)を迎えて、みなさんに体験を話してもらいました。初めはとても不安だったけど、親の会に出会い安心を得、例会に参加するようになり、明るく元気になってきたという話は感動的でした。

永田さんは、かつて息子さんが自分自身を責めて「殺して!」と紙に書いていたところ、上の娘さんが「あなたのこと、みんな大好きだから殺せません」と返事を書いたことがあったと話しました。その後、永田さんは親の会に参加するようになり、息子さんも明るくなっていきますが、大学に進学して夏休みに帰郷した娘さんから「お母さんが一番明るくなった」と言われるほどでした。

しずりんさんもとても明るくなり嬉しそう。息子さんのことがあまり気にならなくなり、息子さんの笑顔が「いいな」と言います。TKさんは、「例会に参加するたびに元気になってきて」「結局は自分のあり方、考え方なんだということがよくわかった」「息子はほうっておいても大丈夫だったんです」と。

Tさんは、3人の子どもがみんな不登校になって「地獄を見たと思うほど落ち込んだけど、親の会で力をもらって頑張ることができた。今では子どもたちが可愛い。子どもって成長しているなあ、すごいなあと思う」と言います。

重則さんは、息子さんからの「父の日プレゼント」のシャツを着て参加。「親は子どものことは“しない”で、“自分の人生を楽しみなさい”ということですね」と笑顔いっぱいに話しました。

HGさんは、親の会と出会って長くはありませんが、娘さんに思いきって「お母さんは親の会に参加しているの。そこで、お母さんは自分を大切にすることを学べてよかった」と言いました。すると、娘さんも「自分は無理をして高校や大学にいこうとしていたかもしれない。今は好きなことをしていい?」と自分の気持ちを打ち明け、「もちろん、いいよ」と答えると、「認めてくれてありがとう」と言ってくれたそうです。

親は子どものことは何もしない。子どものことではなく自分のことをするようになると、子どもも自分で自分のことをするようになります。みなさんの共通の体験です。





目次


1 「お母さんが家の中で一番明るくなった!」   永田さん
2 新鮮で例会に参加するたびに元気に   TKさん
3 子どもってすごいなあ、いまわが子がとてもかわいい!  Tさん
4 一人称でいつも自分自身について話す   内沢 達
5 「お母さん、認めてくれてありがとう!」   HGさん






―――
今日は大変な雨風の中よくご参加して下さいました。親の会は21年間続けてきましたが、思い返すと「今日の夕方から台風」といわれた時もやってきたんですよ(笑)。21年間で休んだのは、私の夫が心筋梗塞で生きるか死ぬかのときの1回きりです。みなさんのまわりには雨の被害がなかったみたいでよかったです。今日は新しい方が4家族お見えですので、皆さんの体験をお話してもらいましょうね。



「お母さんが家の中で一番明るくなった!」    永田さん



娘は22歳で大学4年です。19歳の息子は高1の秋から不登校になり高1の3月に退学しました。ずっと家にいて3年経ち、この秋には20歳になります。

息子の不登校の原因は部活だろうと私は思っていますが息子は何も言いません。自分の入りたい高校でしたから勉強も部活も頑張っていましたが、何かイヤなことを押し付けれらていたのか、とっても辛い思いをしたのだと思います。結局、息子は何も言いませんでした。心がすりつぶれるまで頑張ったけど、もうこれ以上はダメだというところまで追い詰められて行かなくなりました。

その頃は親の会の存在も知らなかったし、なんとか学校へ連れ戻すことが親の役目と思っていましたから、学校に行かなくなった5ヶ月間は行かせることだけを考えて責め続けていました。

私はパートの仕事も休んで必死でした。
「高校だけ卒業したら、その先なんとかなるのよ」「もう少し頑張ってよ」という気持ちでした。

入学してからの6ヶ月間、息子はいろいろ傷ついたでしょうけど、退学するまでの6ヶ月間は母親の私がさんざん傷つけたと思っています。でもどうすることもできませんでした。


―――
その時あなたは、息子さんの様子を見ていてとても葛とうしたのね。


そうですね。息子の様子を見て、これは仕方がないなあ、行かせることをあきらめなくてはと思う反面、しばらくしたら、いや、やっぱり学校へ行かせなくてはと思っていました(笑)。


―――
息子さんは、その時どうでしたか?


息子も行かなくてはいけないと思っているので準備をして家を出るんですけど行けない、という感じでした。ある時から起きてこなかったので起こしに行くと、ベッドの中で身体がカチンカチンに固くなっていました。身体中で学校を拒否しているのがわかり、「ああ、これは不登校だ」と思いました。


―――
いろんなところへ行かれたの?


はい。息子は行くのをいやがったんですけど、なんとか連れて心療内科に2ヶ所行きました。最初は息子も自分がなぜそうなるのかわからないようでした。私はうつ病と思いこみ、当時慣れないパソコンで検索したらそのトップに「うつ病は薬で治ります」と書いてあったんです。私は他を見る程パソコンに器用じゃなかったので、そのトップの言葉をすっかり信じこんで「薬だ」と思いこみました。(笑)

息子に見せると「えっ、本当に治るの?」と言って、でもその病院の先生は「なんで行かないんだ、留年するぞ」と言いました。息子は「もう二度と行かない」と言いました。私はインターネットの情報を信じていたので、「薬を下さい」と言ってもらいました(笑)。

その薬を飲ませたら、翌日息子が着替えてきて「行かねばならないという気持ちになってきた」と言って学校に行ったんですよ(笑)。でもそれは1日だけで「あんな薬はもう飲まない」と言って、学校へも行ったり行かなかったりの状態が1ヶ月ぐらい続きました。

ある日の夜、息子と言い合いなり、息子が野球のバットで部屋をメチャクチャにしたんです。その夜は夫は不在で、窓ガラスは壊さなかったけど自分の部屋の時計や人形ケースなどを壊しました。翌日そーっと息子の部屋をのぞいてみたら、時計の破片とかが散らばっているベッドの上で息子は寝ていました。

紙に大きな赤い字で「殺して」と書いてありました。
その当時はまだ上の娘がいて、娘は「あなたのことがみんな大好きだから殺せません」と書いていました。

私は心療内科へ行き、泣きながら先生に訴えました。先生が「それはいかんなあ、薬を増やしましょうか?」と言われたので(笑)、「はい、そうして下さい」と言ってもらってきましたが息子は一切飲みませんでした(笑)。

その時以来、息子は「俺は行かない」と宣言して、それから一日も登校しませんでした。大きく荒れたのはその1回切りです。壁をたたいたりはちょくちょくありました。

今はそんなこともなく好きなように引きこもってゲームをしています。用事がある以外はほとんど外出しません。あの日のことを思うと夢のような気がします。


―――
とっても素敵なお姉ちゃんね。お姉ちゃんに救われましたね。
当時あなたはびっくりして、息子は気が狂ったと思ったでしょう。四六時中息子さんのことばかりを考えて、私の人生真っ暗と思ったのね。


学校からは「50日以上欠席すると留年です。第三者の診断書があれば90日まで認めます」と言ってくるので、私はその診断書ほしさに別の心療内科の予約も取って、「さあ、行くよ」と言ったんです。私が半狂乱になっていました。

そんな状況を見ていた夫が「今日はお母さんのために心療内科へ行ってこい」と息子に言いました(笑)。息子も「わかった」と言って行きました。


―――
なんて親孝行な息子さんでしょう。


その医者は、「学校なんか行かなくていいですよ」と言って下さいましたが、私は納得できるはずもなく、2回目、3回目と予約を入れたんですが、息子はガンとして行かないと言って行きませんでした。私だけ行ってちょっと話しを聞いてもらって、3千円〜4千円払いました。結構高いんですよ(笑)。そこはカウンセリングのみでした。


―――
あなたは薬は飲まなかったの?


私は飲みませんでした。でも二度目の心療内科で泣いて訴える様子を見ていたカウンセラーが、「お母さんの方が薬が必要かもしれませんねえ」と言われました(笑)。


―――
あなたの夫が「大丈夫だから、一生3人で暮らせばいいんだから」と言ってくれたんですね。


それは高校を辞めてからでしたが、私がまだ受け入れられずに「この子は一体どうなるの? 私達はどうなるの?」と夫に訴えたら、「大丈夫、親子3人仲良くいつまでも幸せに暮らしました」と言うものですから(笑)、この人は何も真剣に考えていない、と思いましたが、今考えると救われる言葉だったなあと思いますね。


―――
あなたの夫もシステムエンジニアを辞めて、今、タクシードライバーをなさっているのね。親の会は、息子さんが高校を辞めてからインターネットで知ったんですか?


親の会は、夫の甥が福岡にいて、インターネットで調べて「鹿児島にはこんな会があるみたいだよ」と資料をコピーして送ってくれたんです。私は詳しくそのプリントを読みもせず、「きっとフリースクールみたいなところを紹介してくれるのかも」と思って、親の会へ参加したんです(笑)。

そうしたら全然フリースクールの話はしないし、「私のわくわくは?」というお話でした(笑)。私はすごく辛くてそんな気分にはなれないんだけど、2,3回通ってみたら、私の気持ちがとても楽になりました。でも家に帰るとまた落ち込むんです。だから次の会があと2週間、あと1週間という感じで待ち遠しくて、命綱でしたね。


―――
その年の夏休みに他県の大学に通っているお姉ちゃんが帰って来て、お母さんが家の中で一番明るくなったと言われたんでしょう。


私が娘に「ほら弟が明るくなったでしょう」と言ったら、娘は「お母さんが一番暗かったけど、お母さんが一番明るくなった」と言いました。


―――
あなたも仕事に復帰されたのね。あなたのお気持ちが随分楽になりましたね。


そうです。最初の頃はパートから帰ってみると、ダラーと寝そべっていた息子を見て腹が立ちましたが、今は何も思わず、それが我が家の普通の光景になりました。以前は息子のことばかり考えていて、パート先にいっても何も全然頭に入って来ないという感じでした。


―――
今はもう息子さんのことには不安がなくなったのね。


まるでというわけではありませんが、美味しいものを作ってあげようかなあと思います。しかし、たまにはいつまでこんなに好きにゲームをしているんだろうとは思います(笑)。
でも今は息子が家にいるのは自然なことだし、家族が楽しく生活できているし、自分のわくわくも見つけられました。映画や山登りをして楽しんでいます。





新鮮で例会に参加するたびに元気に
   TKさん



今16歳です。息子は高1の2学期から行かなくなりました。中高一貫の学校へ入学したんですが、きっと勉強もきつかったんだと思います。入学も本人の希望ではなく、私や夫、周りからの勧めで決めたんです。最初から無理しているなあと思っていたし、成績も余りよくなかったので、親が担任から呼び出しを受けたりしていました。追試もあり多分そういうことに追いまくられていたんだと思います。私も学校に「すいません」とぺこぺこ頭を下げてばかりいました。そういう時に限って友人にケガをさせたりと、学校へ私も謝りに行ったり、息子も私もとってもきつかったです。


―――
高い授業料払っているのに、ぺこぺこしていたの?(笑) 授業料で教師は食べさせてもらっているのにね!(笑)


12月になって、「僕はここの高校へは行かない」と言い、私もその学校が嫌いだったので「無理して行かなくてもいいよ」と言って休んでいました。

でも息子は塾には通っていたので今思うと無理していたんだろうなと思います。中学校からは、「卒業アルバムの写真をとらないといけない」とか、「こんな生徒はうちの学校では初めてです。今までこんなことは1回もありませんでした」と言われて傷つきました。卒業式も行きませんでした。

高校はそこへは行かず鹿児島市内の高校を受験し合格したので、私も息子もやりなおせると思っていたんです。私はすごくうれしくてルンルンでした。

でも学校が変わたからといってうまく行くはずがありませんでした。新幹線通学で、朝補習に間に合うように6:57の列車に乗らなければなりません。私も朝早く起きてお弁当を作り、息子を起こして駅まで車で連れていくんですが、息子は急ぐ様子もなく、ゆっくり行くので「ああ、間に合わないだろうな」と思っても息子をそのままにして帰りました。

次の新幹線で遅れて行ったり、学校から「登校してません」と連絡が入ったりしました。家に帰ったら息子がいたり、いない時は携帯にかけて「今、どこにいるの?」と聞いたら、「中央駅のトイレにいる」という返事でした。それを思うと私はかわいそうになって・・・今でも涙が出ます。


―――
親の会に初めて参加して随分気持ちが楽になったんですね。


はい、楽になりました。息子が中1の頃からなんかおかしいな、無理しているなと思っていました。その時、インターネットでこの会のことを知ったんですが、自分には関係ないと思ってました。

そのことを思い出してインターネットを開いたら、たまたま次回の例会が1週間後で、参加希望の方はメールを下さいとあったので「ああ、これは行けということなのかな」と思って。それですぐ参加しました。この会に参加して「休ませてあげるのがいいんだよ。学校へは無理して行かなくていい」と聞いて、「ああ、そうなんだ」と思って。例会はいつも新鮮で通うたびに元気になっていきました。

1月の私の43歳の誕生日に、家族が京都旅行をプレゼントしてくれて、今迄の誕生日とは全くちがう感じでひとり旅を楽しむことが出来ました。

以前は息子が行かないときに、私も疲れ果てて夕方寝ていたりしていたんです。そんなダラダラした母親の姿をみて、息子もそうなったのかなあと思って、常に緊張していました。今はもう全然気にせずダラーとひっくりかえっています(笑)。罪悪感もありません。私は眠たいときに寝たらいいんだと思って。


―――
息子さんは今元気になったのね。


はい、元気です。夫が7月にまた京都へ行くんですが、息子に「一緒に行かないか」と誘ったら、「うん、行ってみようかな」と言ったんです。私は無理してるのかなと少し思ったんですが、夫はすごく嬉しそうで一生懸命下調べをしています。私が息子に「お父さんに気を使っているんじゃないの? 本当に行きたい?」と聞いたら、「う〜ん。いつもお父さんが散歩に行かない? 本屋へ行かない?と誘ってくれるのをいつも断っているから、お父さんに申し訳ない」「20%はお父さんに気を使っているけど、80%は京都へ行ってみたい」と言うんです。

いつもは昼夜逆転の生活ですけど、微妙にズレて朝起きて夜寝る日もあったりすると、息子が「昼夜逆転が治った」と言うので(笑)、私は「ああ、あんたは勉強が足りない、まだわかってない。そう思うのはまだ自分を責めているんだよ」と言いました(笑)。

私はインターネットのお気に入りに親の会のHPを入れているんです。息子には言ってなかったけれど、「ここにお母さんのお気に入りがあるんだよ。見てみれば」と言いましたけど、見ているかどうかはわかりません。


―――
お姑さんとの関係でも、いいお嫁さんをしなくなったんですね。(はい)お昼ごはんも今までは夫のご両親と食べていたのを、自宅でとるようにして気を使わなくなったら、お仕事も楽しくなったのね。息子さんのことをきっかけにして、自分を大切に出来るようになって、それが何よりですね。


はい。それが一番でした。結局問題は私で、自分のあり方、考え方だったんだというのがよくわかりました。息子は放っておいても全然大丈夫だったんです。






子どもってすごいなあ、いまわが子がとてもかわいい!


T
さん



我が家は3人の子ども達がみんな不登校です。

今19歳の長男が中1の夏休み明けからお腹がいたい、頭がいたいと言って休み出しました。担任はよく言えば熱血先生で、「何かできることはありませんか」と言ってクラスメートを来させたり、自分も来たりしました。私も最初の子どもでしたから心配で先生を家に上げて、息子に話してもらったりしました。学校へ行くのが当たり前、と思っていたので、先生が話してくれたら行くんじゃないかと思っていました。

でも、結局息子は行きませんでした。行かせよう、行かせようとする私に息子は「クソババアー」と言い、あばれたりしました。

その当時はなんでそうなるのかわかりませんでした。先生が「明日から行こう、来週から行こう」と期日を決めました。息子は「来週から行く」と言ったんですが、前日の夜息子は夫に「行けない、ごめんなさい」と謝りました。
最初は夫も行かせようとしていました。息子がトイレに閉じこもったら、「なんで行かないんだ」と怒ってトイレのドアを蹴破りました(笑)。夫もなぜ息子が行かないのかがわからなくて、自分達でできることがあれば何でもすると言っていました。いじめ、勉強、友人関係、と考えつく限りのことを思っていましたね。子どもに一生懸命だったんです。

息子が夫に謝った時、夫は自分の小さい時の話などもして、そして「担任には自分で約束したんだから、自分で謝りなさい」と言いました。担任が来た時、息子は「ごめんなさい」と土下座しました。それを見て私も、もうこれ以上辛い思いを息子にさせてはいけないと学校をあきらめました。

しかし息子はまだ自己否定が強く、物にあたったり、私に「死ね」と言うことが続きました。私も元気なときは聞き流せるんですけど、自分が元気がない時に「死ね」と言われると涙が出ました。
どうして一生懸命やってきた私をこんな辛い目にあわせるんだろうかと思って、息子も辛かっただろうけど、私も辛かったです。息子はしばらく昼夜逆転しながら、パソコンにはまって、だんだん落ち着いていきました。

2番目の娘は中2から行かなくなりました。娘は内気でやさしい子どもです。友人が勝ち気な子でリーダーシップもあったので、私はこの子についていけば娘は大丈夫だろうと思っていました。しかし後から娘に聞いた話で、娘はその子に奴隷扱いされていたとわかりました。娘もその子しか友達がいなかったから、一生懸命やっていましたけど最後には行けなくなりました。夫は娘には、「女の子だからいいよ」と言っていましたね(笑)。


―――
娘さんは今、私立高校の不登校の子を受け入れるドリームコースの2年生なんですね。でも放課後からの登校で自分に無理しているのね。


はい、やはり2年生になっても放課後行っています。
ドリームコースも人数はいるけど、あまり登校していないようです。中3の三学期にたまたま学校に行き、担任から「こんな高校があるよ」と紹介されて、娘は「そこに行きたい」と言ったので私も期待したんですが、やっぱりだんだんと行かなくなって今に至っています。娘の心の傷の方がお兄ちゃんより深い気がします。娘は無理をしているせいか、数ヶ月前からリストカットをするようになりました。弟とケンカをしても自分の言いたいことが言えずに、カッターを持って自分の部屋へ行くので「ああ、またやってるなあ」と思います。

3番目の息子は中2です。成績もよく私は本当に期待していました(笑)。この子だけは行ってくれるかなあと思っていたけど、小6の終わり頃から行かなくなり、中学もだんだん行かなくなりました。


―――
3人とも行かなくなったときは、あなたは「死にたい」とまで思い詰めたのね。


さすがに3番目が行かなくなったときは、「子どものためにと思って頑張ってきたのに、私は今まで何をしてきたんだろう、生きている意味があるんだろうか」とドーンと落ち込んで身体も動かなくなりました。でも、私が死んだら3人の子ども達や年老いた母はどうなるんだろうと考えると心配で死ねませんでした。

この会でみなさんに相談し、力をもらってまた頑張ることができました。子ども達にも「もう知らない。お母さんが死んだら、あなた達は自分のことは自分でしなさいよ。親は子どもより先に死ぬんだからね」と言いたいことを言い、すっきりしました。(笑)


―――
あなたの夫はパチンコ依存症で借金もあって大変だったのね。別居するなどして、とても悩んだけれど、でも今はふたりで借金を返そうと前向きになれましたね。地獄をみたと思った時もあったけど、3人の子ども達がとってもかわいいと思えるようになったのね。


はい、夫と別居して精神的に楽になりました。私は息子や娘がやっているリストカットの経験も全然ないから全く気持ちがわかりません。しかし、私が学生時代、勉強や部活、友人関係で悩んでいたことを、あの子達はリストカットという形で苦しさを表しているんだと思い、3人とも成長しているんだなあと思っています。

長男はリストカットや大量の薬を飲んだり、精神科に入院したりといろいろありました。仕事はしていないけど、「ありがとう、いただきます。ご馳走さま」と当たり前のことがきちんと出来て、「死ね」と言っていた子が今すごくいい子なんです。
先日、夫の実家へ長男と一緒に行った時、義父が高いカメラを息子にくれたんです。息子は、「おじいちゃん、ありがとう! ありがとう!」とすごく喜んで、日曜日ごとにあちこち写真を撮りに行ってブログに載せているようです。ひとりで自転車に乗って指宿へ出かけたりもしています。

あんなことがあったのに、すごく成長したなあ、子どもってすごいなあと思いますね。ひとつずつ乗り越えてきているんだと思います。


―――
先月、ワンちゃんにお祖母ちゃんがいろんな食べ物を与えるのを娘さんがイヤがっているので、食事中あなたがワンちゃんを抱いて隣の部屋にいると言われていたのは、どうなりましたか。


母はいくら言ってもすぐに食べ物を与えるんです(笑)。
娘は「私は犬に何を与えたらいけないのか知っているけど、おばあちゃんは知らないでしょう」と言います。娘はそれがイヤで犬に蹴りをいれるのです。でも犬は家族の中で一番娘が好きなんです。娘は蹴りを入れたあと涙を流して、「ごめんね、私も痛い思いをするから」と言ってリストカットをするんです。
仕方ないので食事の時は私が抱っこして、「まだ〜、まだ〜」と言っています(笑)。むずかしいですが、お兄ちゃんで経験しているので、あと2,3年したら、バカなことはやめるだろうと思っています。


―――
娘さんは1日も早くドリームコースを辞めるといいですね。あなたが自分の考えを「お母さんは必要ないと思うよ」と言ったらいいです。TKさんのように自分自身の気持ちを、「お母さんは自分を大切にするようになって幸せ!」という思いを伝えるといいですね。「自分一人だけでも学校に行かないといけない」と思っているから、辛いんですね。






一人称でいつも自分自身について話す
   内沢 達



(家出を繰り返している娘さん、「でも、学校には行ってほしい」という初参加のお母さんに)

家出を心配されていますが、しないようにと実家まで連れて行っても、娘さんがしようと思えばいつでもできます。おじいちゃんの家だからといって、つなぎとめておけるわけではありません。24時間監視なんてことももちろんできません。娘さんを信頼して、自分の家で好きなように過ごしてもらうことが大事ではないでしょうか。

家出を繰り返すとか、「この子はおかしくなったのではないか」とまわりが思っちゃうようないろんな行動をする。そうすると普通みんな心配します。そして、専門家もだまされてしまいますが、じつは心配しないといけないようなことではありません。

ときに家出をしないと、記憶喪失のふりもしないとまわりが自分のほうを見てくれないからです。「私はこんなにもいま大変なの!」とアピールしているだけなんです。とてもわかりやすい辛さ、苦しさのあらわし方です。だから、「そうね。きついね。大変ね」とあいづちを打つだけでいいんです。「この子をなんとかしてあげなければ・・・」などと思って余計なことをするとこんがらかってきます。

先ほどのNさんもそうでしたが、親の暴力、それはいけませんので反省するところは大いに反省してください。そして、その点では子どもさんに謝ってください。何度でも謝ってください。でも、「謝ったんだから、元気になってくれ、おちついてくれ」というのは、親の勝手すぎる勝手です。

僕が書いた一番長いのが「ことわざ・格言と登校拒否、引きこもり」です。その9項目が「負けるが勝ち ─ 親は子どもに降参し、謝って、“ありがとう”と言えるか」となっていて、その部分だけ特別にプリントしたものがあります。

問題は子どもにはありません。かといって、では親が問題だといっているわけでもありません。そりゃ我々親にはいたらないところがたくさんあります。でも、だから不登校になった、引きこもりになったということではないんです。

そもそも不登校は犯人探しをしなければいけないような悪いことではないんです。大人であれ子どもであれ、不登校や引きこもりを問題視する見方こそ、じつは問題なんです。子どもは子どもでその見方をやがてはあらためていくようになります。

親の役目は子どもを説得することではありません。だいたいそんなことをできる人はこの世に一人としておりません。人間はみんな主体的ですから、自分で納得し了解していくものなのです。

だから、親が以前暴力をふるったのであれば謝るのは当然ですが、それは何のためかというと子どものためではないんです。自分自身のためです。やがては親の謝罪も本物になって、子どもも許してくれて、子どものためというよりも、子どもにとってもいい結果になっていきますが。でも、我々が相手に悪いことをしたとき謝罪するのは、それ自体当然のことだからです。なにか目的とかその効果を考えるようでは本当の謝罪とはいえません。

僕らは、相手がわが子であれ他人であれ、人が人を変えることはできない、あるいはしてはいけないと思っています。でも、自分自身だったら変わろうと思ったら変わることができます。かつて、わが子を見ていて「もっと自分を大切にして、ゆっくりしていいのに」と思った自分自身が、では「自分を大切にして、ゆっくりしていたか?」というと、そうではなかったのです。わが子の不登校や引きこもりをきっかけとして、僕らは以前と比べてはるかに自分を大切にするようになったんですね。だから、僕らはわが子に「ありがとう」と言えるんです。

親は親自身の課題に取り組む、自分自身のことに一生懸命になるというのは、そういうことです。子どもの幸せや笑顔を望まない親はいません。でも、望めば実現するものではないでしょう。

今年1月〜2月の例会でアランの幸福論をいっぱい紹介しました。その一番の核心は次の言葉です。「われわれが自分を(が)愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである」。要は自分が幸せになることです。それは、むずかしいことではありません。自分のことで自分次第なんですから。子どもからすると、いままで親に心配ばかりさせて「悪いな〜」と思っていたところ、親から「あなたのおかげで、お父さん(お母さん)は明るく元気になってきた。ありがとう」と感謝されるわけですから、これは子どもにも悪いことがあろうはずありません。

先ほど、TKさんが息子さんに「親の会のホームページを見てね」と言ったと話されました。自分がいいと思ったことを話すのは自然です。遠慮はいりません。どんどん話されたらいいと思います。ただそのとき大事なのは「一人称」で話すことです。「お母さんはこのHPをとっても気に入っているの!」「お母さんはこの頃元気でしょう。それも親の会やこのHPのおかげなの」「どこが気に入っているか、ちょっとお母さんの話に付きあって」などと、自分中心に、自分の話をされたらいいんです。

これが一人称の「お母さんは」ではなく、二人称の「あなたは・・・」となってはいけません。「あなたのために」となってはさらに絶対にいけません。とんでもないお節介です。それでは押しつけです。そうではなく「お母さんのために見てよ」となると、これは押しつけではありません。自分が自分の課題に取り組んでいることになり、子どもは「へぇー、お母さんはそうなのか」と押しつけを感じないですみます。子どもは自分の意思を自由に持ち続けられます。

僕らの会が大事にしている考え方は、親であれ子どもであれ、自分が自分自身を一番大切にするということです。「自分本位」が大事で、わかりやすくはもっともっと「わがまま」になるということです。人との関係でも、自分中心に、自分のことを思って、自分のことをどんどん話していっていいんです。そんなに自分のことばかりでいいのか? 相手のことは考えなくてもいいのか?と聞かれると、もちろん相手のことも考えたほうがいいです。でも、それはほとんどの場合「相手のために」と考えることではありません。「子どものために」と思って考えやったことが、「子どものために」なっていないことがどれほど多いか。そのことからも言えます。

だいたい自分中心に、自分第一に、自分のことを考えてやっていくと人間関係はそうおかしくなりません。そうではなく「相手のためを思ってやっているのに・・・」という身勝手な「他人本位」の考え方が関係を本当におかしくさせます。相手は相手で、自分本位に、自分第一に考えてやりますので、相手のことは相手にまかせることがあたりまえです。

突然話が飛ぶと思われるかもしれませんが、けっして飛んでいません。皆さんにも経験があると思います。僕の場合は40年以上も前です。好きな人がいて、その人に「好きだ!」と告白しました(―――
「私のことよ!」「違います。最初は・・・」笑)。若いときはとくにそうだと思いますが、「好きで好きでたまらない」という自分の気持ちを押さえ込むことなどできるものではありません。
そこで告白することになりますが、そのとき相手のことを考えていないかといったら、まったく考えていないわけではありません。「もしかしたら僕から言われたら、そのこと自体嫌なんじゃないか」くらいは相当にうぬぼれが強い人でも少しは思うと思います。でも、そんな心配や不安に負けないのが「告白」というものです。この意思表示こそ、自分本位、自分第一の典型です。自分の気持ちをとにかく伝えたいという一心です。相手のことはほとんど考えていないというか、考えようもないんです。さてそんな「わがまま」でうまくいくのでしょうか。恋路はどうでしょうか。恋路に確かなことはほとんどないと思いますが、さて結果はどうでしょうか。
うまくいかないことのほうが断然多いように思いますがどうでしょうか。僕はうまくいきませんでした(笑)。

では、うまくいかなかった、ダメだったからといって、二人の関係がそのことによっておかしくなるでしょうか。恋路が成り立たなかっただけで、人と人の関係がおかしくなったわけではありません。自分の「告白」に対して、よい答えは返って来なかった。それは残念至極ではありますが、まずは「自分の気持ちを言えた」「伝えられた」ということに普通は満足します。断った相手のほうだって、「言われるのなら、別の人からがよかった」(笑)ということがあったとしても、よほど印象の悪い人からでない限り、そのこと自体ふつうは悪い気はしないのではないでしょうか。うまくいって「私(僕)も同じ気持ちです」ということになれば、もちろん万々歳です。でもそうならなくても二人の、人と人の関係はおかしくはならないというのが普通ではないでしょうか。「いつも自分が自分自身をどうしたいのかを優先させて、ことを考えていくとけっして人間関係はこんがらがってきたり、おかしなものになったりはしない」という好例ではないかと思って紹介しました。

TKさんはアイドルグループ「嵐」の大ファンとのことですので、その話もいっぱいされたらいいと思います。いや、自分自身のことだけでなく息子さんのことだって、息子さんが付きあってくれるのであれば、話されてかまわないと思います。そう簡単には付きあってくれないかもしれませんが、ポイントは「あなたは」という二人称ではなく「私は」「お母さんは・・・」という一人称の形で、息子さんではなく自分自身の課題として話すことです。
先ほどの「親の会のHPを見てね」という話も、息子さんに対してですが、堂々とあっけらかんとそういった話をすることができるか、じつはわが子への信頼がほんものかどうかが問われる、やはり自分自身の課題です。

4月例会では、妙子さんの場合について、話しました。薬漬けのような息子さんに、「お母さんはあなたのことが心配なの」といった話し方はもちろんいけません。そうではなく、「お母さんは、あなたのおかげで鹿児島の親の会に出会うことができ、とっても自分を大切にするようになった。ありがとう」といった話し方です。妙子さんはすでに何度か手紙も含めてされています。息子さんの誕生日に「おめでとう。ありがとう」といったお祝いと感謝のメールも送りました。
薬のことも言っていいんです。堂々と「お母さんは、あなたはどこもおかしくないし、薬は全然必要ないと思うわ」といった言い方です。薬を止めるか止めないかは息子さんが決めていくほかない息子さんの課題です。でも、息子さんを信頼して、「薬なんかなくたって大丈夫! お母さんは確信をもってそう思うわ!」と言えるようになるかどうかは、やっぱり妙子さんの課題です。

僕らは、僕ら自身のわくわくについて今後とも交流していきたいと思います。
そのわくわくは、子どものことにかかわっているように見えても、やっぱりそれは自分自身の課題に取り組んだかどうか中心になると思います。






「お母さん、認めてくれてありがとう!」
    HGさん



―――
お姉ちゃんが、最初、高1ですぐ不登校になり、その年の10月に開陽高校に行きましたが、そこも止めました。それで、この春からお隣の宮崎県の都城の通信制に行くと言って手続をしたということでした。今は、アパートを借りて同じ鹿児島市内にひとり暮らしをしているんですね。娘さんは相当無理しているんじゃないかというのが先月までのお話でしたね。


先月ここで娘のことをお話してから、娘に「帰っておいで」と何度も言っているんですが、娘は「ムリ、ムリ」と言っています。17歳の娘は、昨年鹿児島の通信制を辞め、今年都城の通信制を受けて籍を置いているんですが、そこには1回行っただけです。今日はスクーリングの日だったので昨日電話をしてみたら「ああだったねぇ。でも行かない」と言いました。

娘は8月にある高卒認定試験も申し込んでいて、予備校に行かせてほしいと言っていたんですが、不登校の「未来コース」の体験に行って、続けるのは難しいとわかったようでした。私は「無理しなくてもいいよ」と言ったら、「自分で行ってどういうところかわかったから落ち着いた。じゃーやめていいの」と言ったので、「もちろん、いいよ」と言いました。

私が親の会に行っているのは知っているんですが、昨日思い切って、「お母さんが行っている親の会は、不登校の子どもさんを持つ親御さんたちが集まっている会なんだよ。お母さんはその会に出会えて、自分を大切にすることを学べてよかった」「あなたには申し訳ないんだけど、40過ぎてやっとわかった」と言ったら、「お母さん、じつはもう塾もやめたいし、高校も行きたくないかもしれない。そして大学も行きたいと言っていたけどやめようかな。行きたくなった時にまた自分の力で行くから今は好きなことをしていい?」と言ったんです。

「もちろん、いいよ」と言ったら、娘が「認めてくれてありがとう」と言ってくれたんです。


―――
よかったですね。嬉しかったでしょう。あなたが自分の気持ちを言えたから娘さんも気持ちが軽くなって本心を打ち明けてくれたのね。あなたは不登校になる以前はああしないといけない、こうしないといけないと管理ママ的だったということでしたね。


はい。それで「帰っておいで」と言ったんですが、「無理!」と言いました。


―――
お父さんの顔を見たくないので帰りたくないのかな。


それもあると思いますが、自分でいろんなことをやってみたいというのもあるようです。


―――
息子さんも去年の6月から高校に行かなくなって、あなたが勇気を出してやっと「辞めよう」と言うことができて、案ずるより産むが易しで、今年の3月に高校を辞めたのね。いま、家にいるのね。


はい。息子も暴力があったんですが、今は落ち着いています。


―――
息子さんは今でもリビングを占領しているの?


リビングにはテレビや自分のパソコン、ルームランナーやぶら下がり健康機が置いてあり、そこに布団を敷いて寝るようになって、半年くらいになります。台所が1階にあるので普通に気を使わずに出入りはしていますが、私は2階にいます。今ワールードカップをしていますよね。スカパーも契約していて、ですから夜中じゅう息子はサッカーを見て起きているんです。

私は昨日は仕事も休みで家事でもしようかなと思ったら、息子はずっと寝ていて、起きたのが3時半だったんです。私は何にもする気にならなくてボーっとしていました。だからまだ子どもに気を使っているのかなと思います。


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単身赴任のお父さんが帰ってきた時はどうするの?


息子も娘と同じように父親を拒絶していて、家には絶対に入れるな、帰って来させるなと言います。夫はたまに帰ってきても玄関からすぐ2階に上がります。だから帰ってくると緊張感が漂います。
先ほどの方といっしょで、息子も「自分の人生を壊したのはお前たちだ。それを親父に伝えてくれ」と私に言います。夫が単身赴任して2年くらいですので、そのくらい口をきいていません。


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お父さんは悪かったなあと思うところがあるんですか。


あるみたいですね。夫も自分の気持ちを押しつけたところがあるとか、心当たりがあるようです。 


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じゃあ、「負けるが勝ち」ですね。親は子どもに降参し、ありがとうと言えるか。(笑) 


息子は「姉ちゃんがああなったのも親父のせいだ、土下座した写真を姉ちゃんに送れ、送ったか」と言います。私は「姉ちゃんはいらないと思うよ」と言いました。


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息子さんのことはまだ怖いですか。


はい、ふたりっきりなのでまだ少し怖いです。でも冗談も言い合って、チョコを半分ずつにして食べたりもします。今までは離れた所で食事をしていたんですが、今は同じテーブルで隣に座って食べています。


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それはよかったですね。以前不登校も楽しくしてもらいたいと思って、ご自分が疲れて帰って来てもFXとか株の本を息子さんが買ってこいと言ったら、言いなりになって買って来ていたことがあったでしょう。


ここ何カ月か、あれをして、これを買ってこい、と言うことはなくなりました。


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「あれ買ってこい、これ買ってこい」と言われた時に、してあげた方がいいんじゃないか、それが親の務めじゃないかと思ってしまう。でも、実際は違うんですね。子どもは無理難題を言って自分のほうを見てもらいたいだけなんです。だから、子どもの言いなりにならないということが大事なんですね。先月木藤さんから送ってもらった他の方たちの体験談の資料を読んで参考になったのね。


はい、なりました。本当に人の話を自分の話として聞けるようになりました。


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それがすごくいいですね。


でも、こうした方がいいんだとわかっているんですが、息子があれしてこれしてと言ったときに、それは出来ないと言えるかなと思ったりします。言えないかもしれません・・・


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大丈夫ですよ。お姉ちゃんにもちゃんとご自分の気持ちを素直に言えたから、娘さんも本当の気持ちを言ってくれたのね。息子さんにも、無理なことはそれはできないと小さい声で言って、なぜか涙がいっぱい出てしまった、というお話もあったじゃないですか。
決してひとりだとは思わないで、そういう体験を持っている皆さんに元気をもらいながら、でも、言えない自分を責めないでね。

息子さんに「お母さんは高校はもういいと思うよ」と言うのに、何ヶ月もかかったわけでしょう。だけど勇気を出して言えたわけです。自分にハナマルですよ。あれこれ言われて嫌だなという感覚は、やっぱり言いなりになっているからなんだなと気がついていけば軌道修正されていきますよね。





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最終更新: 2010.9.7
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