登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2011年12月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.183より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


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親の会は元気の源!

2011年11月
例会報告(抄)


HP掲示板に、例会の感想がたくさん寄せられました。

初参加のもりちゃんは、「帰るとき、足が地面から10センチくらい浮いているんじゃないかと思うくらい気持ちが楽になっていた」とのこと。
兵庫県から妙子さんはお友達と参加。「体験者のお話は不安を吹き飛ばしてくれる」「みんな同じなんだ」。そうですよね。いっぱい元気をもらえます。

自分を大切にし自分のことが好きになっていく、という話もたくさん、でしたね。
Kさんは、いつも息子さんの「死ぬ」という言葉に怯えて、それまでは何時間も付きあっていました。けれど、ある日息子さんの言葉を無視し、思い切ってその場を離れ買い物に出ました。「言いなりにならない」「はれものあつかいしない」という親の会の原則を実行に移した瞬間でした。その体験を2度できたことで「自分が好きになった」と言います。「心配しないで信頼する」。子どもも、自分自身も「信頼」した結果ですね。大事な教訓です。

ちなちゃんも、「以前は自分のことが認められず大嫌いだったけど、今は大好きで可愛い」と元気いっぱいに話してくれました。

夫婦で「今」をいっぱい楽しんでいる話も。「アドリア海・エーゲ海・地中海クルーズ」を楽しんだ若松さん、「結婚以来の夫婦旅行」をした妙子さん、幸せ感がいっぱい伝わってきます。

10年以上の体験を振り返って、「大丈夫」と言われたSさんと長谷川登喜子さん。「大先輩の心丈夫な話から、きっとわが家も大丈夫」(永田さん)とみんなが思います。

親の会は、みんなの元気の源です。また、いっぱい予想と体験を持ち寄りましょう。





目次

1 息子が「人間はみんなアイ・ラブ・ミーなんだよ」と   永田俊子さん

2 私、自分のこと大好きです!   ちなちゃん

3 2回、「心配しない」ふりができた   Kさん

4 ガンとともに生きる   じぇりさん

5 大丈夫よ!   長谷川登喜子さん





息子が「人間はみんなアイ・ラブ・ミーなんだよ」と

永田俊子
さん




息子は今21歳です。高1の10月から行ったり行かなかったりして、11月からは一切行かなくなりました。高1の3月が終わるときに退学しました。私は退学するまで親の会を知らなかったものですから、その半年間は学校に戻すことがすべてと、それが親の正しい道だと思っていたので、息子の気持ちを散々引っかきまわしたと思っています。

その半年間は親に直接暴力はなかったんですけど、自分の部屋をボロボロに壊したり、「こんなふうに育てやがって!」と言う暴言もありました。退学するときは私が「まあ、待って」と言うのに、自分で担任に頼んで退学届けを持ってきてもらって出しました。それも私は不満でたまらなかったんです。

(「ケータイを持たせた方がいいか」という初参加の方の質問に・・・)

ケータイは高校に入るときに持たせたんです。高校を辞める時も持っていたので、私はそれで誰かと繋がってくれているからいいと、ひそかに思っていたんですけど(笑)、息子は時々入るメールが嫌だったのか、私がメールを入れても返ってこなかったので、「どうしたの、あなたのケータイと繋がらない」と言ったら、「川に捨てた」と言いました。私はそれがあったら友達とちょっとは繋がっていてくれると思っていたんですけど…(笑)。だから今は友達との付き合いは一切ないですし、ケータイも欲しがっていないです。

私の青春時代は友達というのがあったものですから、すごくその時は心配でしたけど、一切かかわりを持たなくなってから、すごい安心だったんでしょう。安心して引きこもっています。中学のときの友達から年に何回か連絡があったりしますけど、そんな嬉しそうじゃないです。今は、年は離れているんですけど家の前に住んでいる中2の男の子がたまに遊びに来て、その子との付き合いだけですね。


―――心配がいっぱいあったけれど、今は何にもないですね。


そうですね…、何にもないと言えばそうですけど(笑)、あるといえばあるけれど、「今を大事にしていけば大丈夫」と言うのを信じて、今幸せに、先が見えるかといえば見えない、でも、それはみんな一緒ですから。(笑)


―――永田さんの息子さんはとてもいいこと言ってくれたのね。「俺はやっぱり自分のことが大好きなんだ」と。ありがたいですよね。


テレビのドラマで主人公が自殺したいという感じになって、すんでのところで思いとどまるという場面を観ていて、息子は「その気持ちはよく分かる、人間はみんな、基本的にアイ・ラブ・ミーなんだよ」と言うんです。(すごいじゃない!) だから彼は4年半ばかりの引きこもりの中で、思い至った結論なんだろうな、良かった、大丈夫だなと思っています。でも、毎日の生活は昼ごろ起きてきて、ゲームしてテレビを観てちょっとだけ畑をして、そういう生活です。


―――夜中の何時に寝ているか気にならないのね。


どうせ起きているときは起きているし、私も午前中は仕事をしていますので、たまの休みの日に息子がお昼前に起きてきたときは、「あら、昨日はこんにちはだったけど、今日は、おはようだったねー」「オー」と言う感じです。(大笑)


―――息子さんが学校に行かなくなったときは、あなたは仕事も辞めて、必死になってね。


はい、いつでも学校に送って行けるような態勢をとっていましたね。(笑)






私、自分のこと大好きです!   ちなちゃん



―――ちなちゃん、お久しぶりですね。ダイエットしていたの。


痩せました。ダイエットは意識していなかったんですけど、楽しく暮らしているうちにこんなになりました。(笑)子ども達は、今、高1と小6の男の子ふたりです。長男は小5の時、次男は小1の時に行かなくなりました。家で楽しく暮らしています。長男は開陽高校に行っています。

長男が行きたくないと言った時に、私は「気のせいだから、頭やお腹が痛くなったら、保健室に行けばいいから行っておいで、大丈夫だから」と言って行かせていたんです(笑)。次男は小1の2学期から完全に行かなくなり、長男に言ったようなことを言ったんですけど、動かなくて「あれ!」と思って不思議で、低学年だったから楽しく行くと思っていて、驚いてしまいました。

それで教育相談に行くと、「校長先生と話をして下さい」と言われて、校長先生と話をしました。「行きたがらないので、気にしないで下さい」と言いました(笑)。虐待とかそういうのが、学校としては心配なのかなあと思って、「それはどうやって伝えたらいいですか、うちは楽しくやりますので」「私が独断と偏見で子どもは行かせないと言っているわけじゃないので、そこは分かってください」とも言いました。そしたら、「学校のことを見捨てないで下さい」と言われました。(大笑)

フリースクールにも通ったことがありました。いつもおばさんといたって(笑)、刺激を受けないんじゃないか、子どもは子ども同士がいいんじゃないかと思って、フリースクールに行ったんですけど、それも子どもが「別に、行かなくてもいい」と言うので、「あ、そうね、よかった、お金も浮いた」と。(笑)


―――あなた自身も学校に行かなかったのね。


私は高校を中退しました。自分で校長室に行って「辞めます。親には言わなくていいし呼ばなくてもいいです。親へは何も言っていないし、私が決めたことなので辞めさせてください」と言いました。親には「行ってきま〜す」と出かけて公園で絵を描いたり、お弁当は作ってもらっていたので1日過ごして、そうやって1週間ぐらいだったと思いますが、学校から「来ていません」と連絡があったんです。

親から聞かれて、「もう、辞めるから」と言ったんです。その前から行きたくないなあという気持ちはありました。高校は義務教育じゃないから、自分で考えて辞められるんだとどこかで聞いていて、「私は自分で決めて辞めるんだから何も言わないで」と言いました。親はもちろん泣いてすがって、「お願いだから、普通のことをして」と言ったけど、辞めてしまってからは何もなかったです。


―――結婚してうつ状態になったんですね。この世の中に自分は必要とされていないと思って引きこもったり悩んだりされたのね。


そうです。とにかく生きていてはいけないと思って、自分はこの世の害になると考えて、どうやって死のうかとひたすらそのことだけを考えていました。

子どもはその時8歳と4歳でした。子どもを育てるのも罪悪感を感じて、「私が育てたらこの子達は大変なことになる、それよりは私がいなくなって誰か違うしっかりした人に育ててもらったほうがいいんじゃないか」と、ひとりでそれをずっと考えて、それ以外の想像力がなかったですね。

その頃、うつ病の話を聞き、「自分が死にたいと思うのは、もしかしたらうつ病かもしれない」と思って病院を受診したら、「入院してください」と言われました。「子どもが小さいから入院できません」と言うと、「じゃあ、入院しているような生活をして下さい」と言われ、種子島にいる実家の母に来てもらって家事一切をしない生活を2,3ヶ月しました。

そのうちに、あまりにも何もしない自分がもっと嫌になってきて、母に家政婦のようなことをしてもらっていたので、それが辛くなってきて「もう、治ったから帰っていいから」と帰ってもらったんですけど、それは実は死のうと思って言ったのであって、自殺未遂をし、救急車で運ばれました。その時のことは、私は覚えていないんですけど、子どもたちは多分強烈だったから覚えていて、救急車が通ったりすると「うちにも来たことあるよね」と言います。(笑)


―――あなたのお連れ合いさんは、どうでしたか。


もちろんすごく心配して、一生懸命してもらいました。私はとにかく周りの人に申し訳ないという気持ちで生きていたという感じでした。

それから、私を見捨てず周りのみんなが一生懸命してくれて、そのままの私を受け止めてくれたので、「生きていてもいいんだ」と初めて気づいて、それからだいぶ考え方が変わりました。


―――子ども達は大きくなったけど、学校に行かなくなって、「日曜日以外は空いていていいね」と、いろんなところに遊びに行っているのね。


はい、いまだに行っていますね(笑)。この間、科学館に吉野町の家から歩いて行き、10キロでした。(ホー!)毎日楽しくやっています。

今はすごく楽しくて、いいのかなというぐらい楽しいですね。


―――今は自分のこと大好きね。


そうです。ほんとに大好きで可愛いです。


―――以前は、大嫌いだった。


もう、大嫌いでした。(笑)ほんとに嫌いで、嫌いで、親にも「どうして私を産んだの」と言ったこともありました。それこそ甘えているから言えるという先ほどの親に対する暴言とかありましたが、やっぱり、言っても大丈夫な相手と思って信頼していたから言えたんだろうなと思いました。母が私の面倒を見ている時も、ねちねちと「あなたのせいで、私はこんなになって最悪だ」と言ったりして、母はすごく泣いて、今思うと可哀想だったなと思います。


―――親を泣かす気持ちはなかったんだよね。お母さんだから言っちゃうんだよね。あなたのやさしさは、きっとお母さんに伝わっていますよ。





2回、「心配しない」ふりができた    Kさん



中2の息子が不登校です。
2ヶ月前の例会で、息子の飛び降りを阻止しようと玄関で寝ていると話したら、そういうことをしたらいけないと言われたので、私も、「よし、頑張ろう」と思って帰りました。

そしてその後、先月は都合悪くて報告できずにいましたが、9月、10月の間に息子が2回飛び降りようとしました。1回目は日曜日の昼で「心配しないで信頼する」がまだできないので、心配しないふりをしようと決め、いつもなら何時間も付きあうのをやめて、10分くらいは相手をしたかもしれませんが、「お母さんは買い物に行くから」と言うと、息子は「お母さんが帰ってきたら僕はもういないから」と言いました。私はもうダメだったら運命だ、もういいや、と決心して家を出ました。

でも、あんな思いは初めてで、体中の血が逆流して、玄関を出てから覚えていなんです。スーパーの青果コーナーで最初放心状態で記憶がないのにとりあえず買い物をしているんです。店を出て、救急車が来ているだろうか、携帯で119番がつながるだろうかとか考えていて、胸のドキドキと体中の血がまた逆流しそうでした。マンションには救急車も来ていないし、家に着いたら子どもはそのままで、玄関に座り込んでいました。


―――「帰ってきたときにはいないからね」と言った息子さんがいたんですね。


いました。そしてひとこと「僕は本当に死のうとしたんだ、でもちょうど車が入ってきたんだ」と言いました。それは嘘で、そのまま座っていたんだろうなと私は思いました。

1回目はそれで終わって、2回目は夜でした。私は昼間は人に見られるからできなかったけど、夜はどうかなという心配がありました。夜の11時頃に、「僕は死ぬから」と出て行きました。そのとき私は「お母さんはあなたが帰ってくるのを信じているからね」と言ったような気がするんですが、私はまたずっと直立不動で、ドキドキしてまた血が逆流するような思いがしました。しばらくして外からドアを3,4回ダ−ンダ−ンと叩く音がしました。私は20分帰ってこないときはヤバイかなと思っていましたが、10分くらいで「さむ、さむ」と言って帰ってきたんです(笑)。

私はそれまでは何もできませんでしたが、何事もなかったかのように茶碗を洗って、心配していないふりを精一杯しました。それはそれはもう・・・。


―――それはえらかったね。


9、10月にあってもう1回あったら、私ももっと確信になるので、3回目を待っているんですが、ないんです。(笑)

そこから息子が変ったんです。実は5月頃からは毎週朝イオンへ、カードゲームの大会に出る子を車で連れて行って大会が終わるまで待ってまた乗せて帰る、の繰り返しが、だんだん少しずつ置いて帰ってくる、迎えだけ行って帰ってくるようになっていきました。一度迎えに行ってもいないときがあり、そのときは兄弟で歩いて帰ってきたんです。

10月のそれがあってから息子はひとりでバスに乗ってイオンに行きました。もうびっくりしました。今までひとりでバスに乗るということはできない子どもでしたから。

またこの先も死にたいと言うと思いますけど、(―――あなたの覚悟しだいね
今度から言ったときだけ心配しようと思って、心配しなくなりました。

お風呂にも1ヶ月入っていなくて、私たち夫婦と弟は「温泉に行くけどどうする」と言ったら、「行かない」と言って、帰ってきたらもう寝ていたんです。今朝息子から「僕は夕食を食べてないんだけど」と言われて、「そうだったね、忘れてた」と言って、私はすっかり息子の夕食を忘れていました。そのくらい息子に関心がいかなくなりました。


―――具体的に試されますよね。


まだ信頼までは、心配はすると思うんですけど、がんばります。


―――「心配しないで信頼する」は大先輩のSさんの体験でもありました。
だからKさん自身がオロオロして、我が子にびくびくしていたことが息子さんにとってはほんとにたまらなかったことなんですね。



息子は昨年の12月16日まで普通に勉強や部活をしていたのがプツンと切れて行かなくなりました。私は「学校に行け」とは言わず「休んでいいよ」と言っていたのに、なんでこの子は状態がよくならないんだろうとずっと思っていたんです。

私の心配が伝わっていたんでしょうね。学校に行かないことはそんなに思っていなかったけど、小さいときから「死にたい」と言って、それだけが心配でした。この子は生きていて何の意味もないと言う、ただの一度も楽しいとか、自分が好きだとか、思っていない。いつも「死にたい」と言う。私はこの子がいつ命を断つんだろうか、という不安がずっとあったんですね。


―――あなたの不安がなくなったら、見事に息子さんは自分を大好きになっていきますよ。あなたはご自分のことが大好きですか?


今その2回ができたことで、自分が好きになりました。


―――そうでしょう。自分にすごくうれしかったでしょう。


―――(内沢達):「心配しないで信頼する」ということは、子どもを信頼するだけでなく、自分自身を信頼しようということです。Kさんは自分自身も信頼できたんです。そして、親が「しない」と子どもは「する」ようになるということを見事に実証してくれました。


―――感動的なお話ですね。あなたが「自分のことを好きになった」ことが何よりうれしいです。良かったですね。(これからも頑張ります)

親の会に来たかいがありましたね。「うちの子はずっと小さい時から死にたいと言っているんです。それがうちの子なんです」と言っていましたものね。

やっぱり命を大事にしたい、生きていたいんだという気持ちの裏返しで言っているだけだったんですね。大きな前進でしたね。



瞬間的にそう思うのは誰しもあるんだなと思えるようになりました。死にたいと思うのも、辛ければ正常なんですね。


―――そうですね。いいお話をありがとうございます。





ガンとともに生きる    じぇりさん



―――じぇりさん、お久しぶりです。よく来て下さいました。三人の子どもさんが不登校で楽しく暮らしていたんだけれど、あなたが乳ガンになって手術を受けて大変でしたね。


病院に行ったのが去年の11月でちょうど1年経ちました。
本当は7月いっぱいまで抗がん剤治療の予定だったんですが、ちょっときつかったので自分の気持ちをドクターに伝えて6月までで終わり、9月末に入院して11月の初めまで放射線治療を受けました。

治療は病理のタイプでいろいろなんですが、私の場合はホルモン剤もワクチンも効かない、いかにも「顔つき」が悪くて、トリプルネガティブと言われました。昔はステージで診断ということだったんですが、今は「顔つき」が重要視されていて、1、2、3のうちの私は3なんですね。

転移しやすい癌ということで常に頭にはあるんですが、まぁ、あんまり自覚がないという感じです。告知されてしばらくの時の方が自分としてはきつかったですね。

入院生活もすごく楽しくて、また病院に帰りたいと思うくらいです。ご飯もおいしくて、「いいのかな、私達はこんな生活をしていて」と同じ部屋の人達と話していました。「もう帰らないといけないね」と言ったりして(笑)。

プールの仕事をしているのですが、子ども達が「どこに行っていたの?」と聞いてくるので、「ちょっと世界一周旅行に行って来たの」と言っています。(笑)


―――あなたの夫は喜界島で小学校の教員をしておられたんだけれど、標準服の強制に反対する運動をきっかけに学校からの嫌がらせにあい精神的に追い詰められて、学校を辞めて、都城に転居したのね。今は風力発電の仕事をされているんですね。子どもさん3人はいくつになりましたか。


24歳の娘と22歳の息子と一番下が19歳の次男です。次男は小1から行っていません。先程死にたいと言っているお子さんのお話がありましたが、次男は死にたいとは言わなかったんですが、「生まれてこなければよかった」とボソボソと言っていた時があったんですね。でも今は自分のことが大好きで毎日が楽しくてたまらないと言っています。

以前そのことについて聞いたことがあるんです。「その時は小学生で、このままで自分が大丈夫なのかということがわからなくて、でもだんだん成長する中で何とかなると思えた時からそういう思いがなくなって、今はすごく楽しい」と言っていました。


―――じぇりさんが学校に行かないということで違和感を感じることはなかったのね。


全くないです。家のこともよくしてくれます。
私が病気になって一番支えてくれたのは家族みんなですが、やっぱり私にとって一番の支えになったのは次男だったんですね。入院生活で1ヶ月家を離れて思ったのは、私が楽しく暮らしてきたのは息子の存在がいかに大きかったかということです。癌のことも最初に話したのは次男だったんです。

じゃあ、夫は何だったんだろうか、夫は仕事が免罪符になっているように家にいないし、それはそれでいいと思っていたんですが、だんだんとそれが許せなくなりました。仕事に夢中なのでそれだけかなと思っていたら、実はヘリコプタ―を作っていたことがわかって、またかーと思って。

学校にいる時も教材研究と称してずっと学校で遊んでいて(笑)、だからずっとそうだったなと思って。夫は家に帰って来るよりもそういうことをしている方が楽しいんだなと思ったら、さびしくなりました。仕事も今給料が出ていないんです。それなのに「明日は風力発電のことで東京に出張だ」と言うので、「ふ〜ん、給料出ないのに仕事なんだ」と、今までは何も言わなかったんですが、そう言いました。

病院でみきこさんの掲示板の書きこみを読んだら、実はみきこさんとは誕生日が1日違いで、みきこさんはあらたなスタートなんだと思ったら、私このままでいいのかなという思いが正直あります。(笑)


―――それはいいところに気がついてくれました。「夫はずっと仕事をしていてもいいの」とよく言われていたけど、でも私はそうかなーと思っていたんです。


自分に言い聞かせていたんですね。


―――やっぱりご夫婦で楽しくしたいでしょう。今度いらした時には夫と楽しんだというお話を聞かせてくださいね。


私は言えないんです。夫は仕事の方が楽しそうだし、どこかへ行こうと言うとしかたなくついてくるかもしれないけれど、それならひとりの方がいいわ、と思って今まで来たので・・・。


―――あなたは「私が入院する時に夫は職場から帰って来て、私がバタバタ仕度をしているのを早くしなさいとも言わないでずっと待ってくれていた。そして一緒に病院に行ったんです」と話してくれました。私は、ああいいなあと思いました。

だからじぇりさんに限らず、本当の気持ちは一緒に楽しみたいんです。そしてあなたの夫にもそういう思いがあると思いますよ。ご夫婦の関係を大切にするというのは大事ですね。

ご夫婦で楽しむことを意識的にしないとあっという間に人生は過ぎて行ってしまいますよ。それはいい機会です。やっぱり夫婦のことを大事にしたいという気持ちが根本にあるからヘリコプターに腹が立つんです。どんな小さいことでも楽しみって作れると思うの。





大丈夫よ!   長谷川登喜子さん



―――親の会の呼びかけ人の長谷川さんが参加してくれました。ずっと入院していて大変だったのね。


今日は久しぶりに参加してすごく楽しかったです。
今32歳の息子のことを皆さんのお話に重ねて、ああこれもあった、あれもあったと聞いていました。だけど「大丈夫よ」と思いました。

ひとつ気になったのはジュンさんのお話で、お祖父ちゃんの看病よりも娘さんのことを見てあげてほしいなあと思いました。私も息子が不安な時は手をつないで寝たりしたことが長くありましたから。私は学校よりもこの子の命があったらいいんだと思った時から、家庭が明るくなり、子どもが笑顔になりました。すごくいい子に育ち、今大阪で暮らしています。


―――長谷川さんは中学で何年生というのはわかったけれど、何組というのはわからなかった程、学校との関係がなくなったんですね。


中学校では私はすごく怖い親に思われていたようで、1年の担任は「こんにちは・・・帰ります」というふうで(笑)、2年の担任は来たかどうか覚えていません。3年の担任は卒業証書を持って来て、「ええー、こんなに明るい子、もうちょっと早く来たらよかった」と言われました(笑)。

息子が小学生の3,4年の頃、近所に遊びに行って黙って帰って来て、布団をかぶって泣いていたことがありました。何か言われたんだなと思ったけれど、私は何も言いませんでした。しばらくして「お母さん、おなかすいた」と言ってでてきました。だから自分の子どもを無条件に受け入れてあげることだと思います。

病気は胆石の手術で、そのあと熱が続いて大変でした。体調が悪いまま家にいたら、娘が「お母さん、熱が続いているから病院に行こう」と助けてくれて、体調が悪いと自分のことはわからなくなるんですよね、人間て。

だから家族を大切にしてください。入院している時は夫が毎日見舞いに来てくれました。いろんな機会に夫婦のことを今から大事にして、老後に備えてください。(笑)


―――長谷川さんの体験はHPにも掲載しています。小3の息子さんが行かなくなった時の修羅場のような体験、お姉ちゃんが高校を中退すると言った時の話、ご夫婦の「危機」もあって、大切な教訓いっぱいのお話が載っています。


いろんなことがありましたが、全部受け入れて今はお互いが空気みたいな存在で幸せに生活しています。子どもは強い生命力を持っています、オタオタするのは親なんです。自分を落ち着かせて、子どもを信頼して、それには時間がかかります。私はここで素直な心で皆さんのお話を聞いたので、心に入ってきたんだなぁと思っています。これからも親の会を続けて下さるということですので、本当に嬉しくて良かったと思っています。ありがとうございます。




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最終更新: 2011.12.25
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