登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


TOPページ→  体験談目次 → 体験談 2011年4月発行ニュースより



体験談

2011年4月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.176より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




「あなたの子で本当によかった!」


2011年3月例会報告
(抄)


東日本大震災から10日目の例会でした。はじめに今回の大震災により亡くなられた方たちに黙とうをささげました。

東北・北関東地方に、会報を購読されている方が何人かいらっしゃいます。
岩手県の沿岸部、青森県に隣接している洋野町のKさんはご無事でなによりでした。
宮城県の南部・大河原町のAさんの近くでは福島原発から避難してくる人がとても大勢だそうです。
山形県へも避難者が多い。同県戸沢村のAさんからは「みんな、生きている。一人じゃ、ない」とメールが寄せられ、胸が熱くなりました。

厚子さんのレスにあるように「会報がみなさんを繋ぐもの」ですね。

3月例会もたくさんの感動をもらいました。河野さんの家族は昨年みんなで、障害のある6歳の娘さんの手術、入院を支えました。一方、娘さんから元気をいっぱいもらってきました。河野さんは、よくある「大変ですね」という言葉に「本当にそうじゃないんだ。日常なんだ」と話しました。

永田さんは、親の会についての息子さんとのやり取りを紹介。「お母さんを見てたらわかるでしょう」「そうだね。すごく楽しそうに行くね」と。親子間の厚い信頼感が伝わってきます。
HGさんの「あかべこ」のようにうなずく話は、親子間にとどまらない、人間関係を円滑にしていく極意のようです。

抗がん剤治療中の笑さんに昨年5月、息子さんから寄せられた「母の日のメッセージ」を披露してもらいました。「・・・あなたの息子で本当によかった」。大きな拍手がおこりました。それは、わが子への拍手でもありました。

いっぱい感動をありがとう! いっぱい幸せをありがとう!

わが子のおかげでこんなにも幸せになれる!と。

そのことをかみしめた親の会でした。



―――(内沢朋子)3月11日に東日本大震災が起こり、大変な被害がありました。初めに皆さんで黙とうをささげたいと思います。(黙とう)

報道では数多くの尊い命が失われ、行方不明の方もはかりしれず、何十万人以上の方が避難生活を余儀なくされています。被害ははかりしれないと本当に大変な状況で心が痛みます。自分にできることは何なのかということを考えながら生活をしていきたいと思います。

掲示板にとてもいい書き込みがありました。静岡にお住まいのSTさんからです。
私も書き込みをしました。必ず、生きていれば復興する、阪神大震災のときもそうであったように、私達の生きる力に自信をもって生きていこうと思っています。

千葉のMaaさんからも「大変なのはわたしの気持ちだけです」というメールをいただきました。 夫がリストラにあって、ご自分も失業して、計画停電と品薄と、ほんとうに人の力というのはすばらしいですね。

私も今私にできることは何かと考えて、使いたい放題に使っているようにある一部の方からは誤解されていますけれど(笑)、節約して義援金に回しています。






目次

1 「みんなで支えあう自慢の家族」   河野さん
2 夫の突然の大病でパニックになった私   しずりんさん
3 「すごく楽しそうに行くね」と息子    永田俊子さん
4 「あなたの息子で本当によかった!」    渡辺笑さん





「みんなで支えあう自慢の家族」   河野さん



―――河野さん、お久しぶりです。河野さんには6歳になる障害を持っている娘さんがいらっしゃるんですが、奥さんのさおりさんが「みんなで支えあう自慢の家族」と題して南日本新聞のひろば欄に投稿されたんですね。(読み上げて紹介)この投稿もあって、さおりさんが12月に講演をなさったんですね。どんなお話でした?


「みんなで支えあう自慢の家族」という題で、障害の娘がいたからこそ、みんなに自慢できますよ、という内容だったんですけど、娘が頑張ったことが一番なんですが、そこに家族がいろんな形でかかわっていたというのが、振り返るとよかったなぁと思っています。

娘は脳性小児マヒの障害を持っています。
宮崎の病院で手術を受けて、3週間ほど入院をしました。
そこは親がひとりしか泊まることができず、私と息子はどうしようかなと考えていたんです。

ちょうど夏休みだったんですけど、私の母が「そういうときに家族はいっしょにいるべきだよ」と言ってくれて、職場が許される限り休みをとって、そこでいっしょに過ごそうと考えました。

病院には泊まれないので、駐車場の隅っこで息子と車中泊をしました。
車中泊も最初はキャンプ気分で楽しかったんですけど、やはりだんだんきつくなり、今避難されてる方の中でも車中泊で頑張ってる方がいらっしゃると思うんですけど、日が重なって行くとかなり大変です。

でも昼間娘がキャッキャッと病室で笑っているのをみると、鹿児島には帰る気にはなれずにやっぱりいっしょにいたいなあと思って。娘の手術入院に家族みんながかかわって、忘れられない8月を去年は過ごしました。

「家族はいっしょにいるべきだよ」と助言をしてくれた私の母も立派な人だと改めて思うことができました。今までは仕事を優先していたんですが、あの判断でよかったなぁと講演を聴いてなおさらそう思いました。

今、娘は小学校への入学準備をしています。地元の公立小学校と養護学校といろいろ悩みましたが、今、娘や私達が楽しく過ごせる環境はどこかなと考えた時に、養護学校だったので、最終的には車で30分くらいのところにある串木野の養護学校に進もうと決めました。娘はその入学を楽しみにしているところです。


―――河野さんは娘さんが障害をもって、そのことで娘さんに教えられたことがいっぱいあるよね。たくさんの感動をもらいましたね。


よく他の障害を持った方やその家族の方が、まわりから、「大変ですね、がんばってくださいね」という言葉をいただくときに、「じつはそうじゃないんだけど」という話を聞きますけど、私自身ももう身をもって、ほんとにそうじゃない、大変とかそういう感覚はなく、私達の日常になっているだけなんだ、と思っています。


―――「娘から感動をもらって、なんて僕は幸せなんだろう」と思われたでしょう。不登校をしているとか、自分の子どもが何かあるから、だから不幸なんじゃなくて、その子ども達から受け取る感動というのは何にも勝る親孝行、生きていること、そして存在していることが何にも勝る親孝行とつくづく思います。






夫の突然の大病でパニックになった私   しずりんさん



(2月例会の様子を初めに紹介します)

親の会に参加して5年以上になりますが、その間1回休んだだけで、毎月参加してきました。しかし夫が昨年の11月29日にくも膜下出血で倒れてしまい、12月と1月は休みました。夫は59歳です。

夫が倒れたのは朝の4時半頃でした。夫の様子がおかしかったので私は動揺して息子に「きて、きて」と叫んで救急車の手配をしました。息子がついてきてくれて、とても頼りになりました。

くも膜下出血による麻痺や障害はなく、よかったと安心したんですが、目が見えづらくなっていました。右目は全然見えなくて、左目は輪郭がかすかにわかる程度でした。「目が見えない」ときいた時はとてもショックでした。

まわりからいろいろ言われて、私は息子に「お父さんが倒れて収入がなくなるから働いて」と言いました(笑)。

息子は「わかった」と言って知り合いのところへバイトに行きましたが、3日間だけでした。最初は「お母さん、僕がんばる」と言ってくれて、私もうれしかったんですが、だんだん元気がなくなって、3日目に「明日どうする?」ときいたら返事をしませんでした。


―――20歳の息子さんは、中学のとき不登校になり、高校へは進学すると言ったけど、それは自分の気持ちにウソをついているとわかり、「行かなくていいよ」とあなたが言うことができて、家でゆっくり過ごしているのね。


私としては、3日行けたのだから続けてほしかったです(笑)。

でも自分の好きな仕事でもなかったし、ドサクサにまぎれてこうなったわけですから、私もしようがないなと思いました。朝が早くて5時半くらいに起きて行かないといけないし、遠い場所だったので私が送っていって、弁当も作ったりで大変でした。

夫は脳外科を1ヶ月で退院して目の手術を2月5日に受けました。右目は1.2までに回復し、左目は時間の経過とともに見えるようになると言われています。

夫も手術前まではイライラしたり、落ち込んだりしていたんですが、今は光が見えてきて、ふたりでよかったと喜びあいました。


―――ほんとうによかったですね。あなたの夫は自営業なので収入を心配したのね。


はい。私はずっと専業主婦で、夫の収入だけで生活してきましたから、最初に頭にパァッと浮かんできたのは収入のことでした(笑)。

私はパニックになって何をどうしたらいいのかわからなくて、息子が22歳のときに満期になる保険も早々と解約してしまいました。その後、傷病手当や見舞金も出て、生命保険からもお金が入ってきて、なんとか大丈夫と少し安心しました。こんな制度があるとは全然知らなかったので早々と解約してしまって、今となってはもう少し待ったほうがよかったかなと思いました(大笑)。

でもその時はもう必死でしたから、お金のことしか浮かばず、私は日常生活もできなくなって、計算もできなくなって…。

先の不安ばかりがあって、退院後もふたりでため息ばかりをついている毎日でした。これではダメだよねと言いつつ、はぁーとため息をついていました。(笑)


―――じゃ、木藤さんから電話があっても右から左へぬけていったのね。


はい。何も頭に入らなくて、食事ものどを通りませんでした。まわりから「あなたが頼りなんだから、食べたくなくてもしっかり食べなさい」と言われるけど、受けつけないというか味はしないし、無理して詰め込んでいた感じでした。

夫の病気がよくなるとわかった今は食べられるようになりました。
私の姉妹や友達が「あなたが働きに出ないと」と私の仕事先を探して来るんですが、私がいろいろ言って動き出そうとしないので、「そんなこと言ってる場合じゃない」と言われて(笑)。

でもそんな時は本当に動けなくって、息子の気持ちもわかりました。

でもまた反面、息子は中学しか出てないし、これから先どうなるのだろう、とすごく不安になりました。

これから先もこんなことが起きるかもしれないと思ったら、息子に言いたくなって、まだ言ってませんけど言おうかなと思って(大笑)。
またもとへ戻ってしまいました(笑)。


―――親の会に参加した頃は涙、涙で、なんとか学校に行かせたいと思っていたけれど、5年間例会に毎回通って来るうちにあなた自身がとても元気になってきたじゃないですか。息子さんのことも気にならなくなって。それが全部吹っ飛んだのね。


はい、何もかも吹っ飛んでしまって(笑)。
12月、1月は親の会に参加する気持ちにもなれませんでした。でも何もすることがないのでただただHPを眺めていました。でも何も頭に入ってこなくて・・・。


―――私はお電話で「一番の優先課題は夫の命。お金のことはなんとでもなる」とお話したのね。「命が助かったことに感謝、夫の命よりもお金ではダメよ」と(笑)。不安になると一番の優先課題がなにかわからなくなってしまうのね。かけがえのない命が助かり、後遺症もなく回復したことに本当に感謝ですね。


はい。眼科で「昔ならくも膜下出血は亡くなっています。
奇跡的に助かったのだから、ゆっくり休養してください」と言われました。麻痺もなくて本当に良かったです。


―――あなたの大好きな畑も手つかずで・・・。


もう荒れ放題で(笑)、畑をする気もなくて、ただ見ているだけでした。


―――私も、達が心筋梗塞になった時は、一口も食べられなかったし、夜も眠れなかったです。ただ息をしているというかんじで辛かったです。そのとき親の会の皆さんが支えてくださってほんとうに感謝しています。

不登校の子どもが食べられなくなったり、ねむれなくなる気持ちがよくわかりますね。回復されてほんとうによかったし、また親の会へ来られるようになってよかったですね。

(はい、またよろしくお願いします)



(そして3月例会です)

―――しずりんさん、少しは食べられるようになりました?


はい、元通りになりました(笑)。毎月会計士さんに帳簿を見てもらっているんですが、先々月は私が落ち込んで声もかけられないくらいだったようで、「奥さん元に戻ってますね、よかった」と言ってくれました。


―――あなたのおつれあいさんの目の状態はいかがですか?


私ははっきり見えているのかと思っていたら、手術した右目はやっぱり遠くがぼんやりしているらしくて、左目は新しい出血はなくだんだん引いていますと言われています。

夫は長い間働いていないので収入のことを心配して、早くメガネを作って働きたいと言ったんですが、検診では視力が変わってくるのであと1ヶ月待ったほうがいい、と言われました。でも現場でずっと監督しているような軽い仕事には1日行きました。

眼科からはまだだめと言われていたんですが、車の運転もできるようになって、今は大丈夫です。でもやっぱり明るくないとちょっと見えづらいようで、明るいうちに帰ってきます。

私は食事も食べられようになって、テレビを観ても笑えるようになりました(笑)。夫がため息をついていたことがありました。やっぱり収入のことが気になるらしく、「お母さん大丈夫なの?」と聞いてきたときに、私はほんとは大丈夫じゃないけど、「大丈夫だよ!」と言って、夫は「ああ、よかった心配しなくていいんだ」と安心したようです。

私もそう言えるようになりました。だって、被災された人たちに比べたら、暖かいところで眠れるし、命はあるし、私のことなんてへのかっぱよ、なんともないと思って。(笑)

仕事も復帰できる方向にいっていますので大丈夫です、と電話やメールをしたら、まわりも何も言わなくなりました。

―――で、息子さんに働けとは言わなくなったの?

はい、言わないんですが、ちょっとは言いたくなったりして(笑)。
先月の親の会の帰りに永田さんに送ってもらって、「言わないほうがいいよ」と言われて、言っても一緒ですしね。でもいつまで続くんだろうと思ったり、その繰り返しって感じです。


―――親子三人で毎日楽しく暮らしてらっしゃるのね。


息子も20歳になりお酒も飲めるようになって、3人で仕事もしてないのに(笑)、350ミリのビールをひとり1本ずつ「乾杯!」と言って飲んでいます(笑)。それで息子も夕方自分の部屋から降りてきて3人で食事するようになりました。
(―――元気になってよかったね。不安がなくなってね






「すごく楽しそうに行くね」と息子    永田俊子さん



毎日東北の被災地の映像を見て、ただハラハラして言葉もなく、「ごめんなさい、私のおなかは満腹で、あったかい布団に眠ります」という感じです(笑)。

家にいる息子も「俺にできるのは募金と節電くらいだ」と言って、私に1500円預け私が募金しました。地震後一時はゲームをしませんでしたが、今はまた始めています。

高1で退学してずっと家にいる息子は20歳になりました。私は親の会に参加するようになって落ちついたのですが、初めの頃は私の気持ちに波があって、哀れで不憫でかわいそうでならない時期があり、ここで「息子が不憫でなりません」と言ったことがありました(笑)。今はそういう気持ちはありません。


―――退学した時は、「私に相談もしないで勝手に退学して」と言ったのね。


そうですね。怒りもあるし、そのあと何もすることがない息子を見たら、かわいそうで不憫でならないと思っていました。

今も息子の状態は変らないのですが、私のそういう感情がなくなり、今はこれがわが家の普通だという感じです。当時、息子に「あなたはそんな状態じゃだめだ」と言ったことは、息子のあるがままを否定していることだったなと今でも時々思うんです。

2ヶ月くらい前に親の会から帰ってきたとき、息子が「ちょっと質問だけど、親の会の子ども達はその後どうしてるの」と聞きました。私は「それはそれぞれよ。ずっと家にいる子もいるし、また学校に行き始めた子もいるし、働き始めた子もいるよ。」

「でも、親の会は子どもがどういう状態です、というところじゃないよ。お母さんを見ていたらわかるでしょう」「子どもがどうこうじゃなくて、お母さんたちが楽しく生きていきましょうという会だから、お母さんは楽しく行くでしょう」

「ウン、そうだね。すごく楽しそうに行くね」と言っていました。

でも息子がそんなことを聞いたので、私はちょっと期待してしまったのですけど(笑)、その後は何もなく、息子に変化はなく動き出すこともありません。


―――そう。親子でそんな会話をしているなんて素敵ですね。あなたの気持ちがとっても不安で、息子さんがかわいそうだ、不憫だと思った時期と、今は明らかに違う。


はい。私はあの時は息子に気力というのが戻るのだろうかとすごく心配していたんですが、今はゆっくり起きて昼ごはんを食べて、しばらくしたら嬉々として畑へ行く元気があるんですね。

そんな元気があるんだったら、なんで外にいかなんだと思うんですけど(笑)、畑仕事は嫌ではなく自分から進んでという感じで行くんです。


―――不登校になった当時、あなたは学校に言いに行ったり、不安になって混乱していたのね。息子さんは親に遠慮していましたか。


遠慮しているというか2階からあんまり降りてこなかったです。ご飯もあまり食べませんし、学校の先生が訪ねてきて、息子が「学校を辞める」と言ったとき、息子が私に「ごめんなさい」と言ったんですよ。だから遠慮していたのかもしれません。


―――そう、ごめんなさい、と言って・・・。


はい、言ったんです。そのときはかわいそうで、かわいそうで、「どうして?あんたはがんばったがね、もういいがね」と言ったんですけど。

やっぱり4月になると皆は朝は起きて学校にあたりまえに行くのに、息子は夕方起きたりして。

朝になると周りでは幼稚園バスから、デイサービスのバスまで来て、こんな小さい子から年寄りまで朝はどっかへ出かけるというのに(大笑)、なんでうちの子だけ一日中家にいるの、と地獄のような日々だと思っていました。

今は居るのが普通ですから、気になりません。

夫と息子が作っている畑は夫の母が作っていたんですが石が多いんです。掘り下げてみると石がいっぱい出てきてそれを取り除く作業が一番大変で、ひとりでするには腰を痛めてしまうので、それを息子がしてくれているんです。取り除いた石を引き取ってくれるところがあって、1キロ1.5円お金を払います。私と息子で武岡まで捨てに行きます。それも息子は楽しみにしていて、あのときに比べたら気力がすごく戻っています。


―――あなたの夫はシステムエンジニアのお仕事をしていたけど、今はタクシードライバーでいらっしゃる。収入が少なくなったことも気にならなくなったのね。


親の会と出会って気にならなくなりました。私はさかのぼってそういうことを肯定できるようになったことが一番ありがたいです。

以前は、なんで、と肯定できなったんです。不思議ですよね。何が功を奏するか。


―――引きこもりが当たり前で、それが毎日の生活で、それでOKと思うと、必ずお母さんは楽になる。すると子どもも楽になりますね。(そうですね)

だいたい見ていたらわかるんです。引きこもっている自分を否定して、これじゃダメだダメだと思っている日々から、親子の会話も自然で、親にも遠慮しなくなってそれが当たり前になる。毎日が楽しくなってくる。すると「親がしないとするようになる」時期につながっていくんですね。この子はちゃんと自分の道に自信をもって歩き出そうとしている時期だなと。

今月の会報に紹介したまゆちゃんとゆいちゃんの書きこみはすばらしいでしょう。この子達は自分で動き出すなとすぐ分かるんです。
(気持ちが分かりやすいですね。)

私の娘もそうだったんです。動き出す頃だなということが分かるんですよね。
ちょうどその時期にNHKの取材があり、娘は部屋から出てきませんでした。後で「お母さん、私はまた元に戻った。人が怖くてたまらない。また何年も引きこもって暮らさないといけない」と言ったんです。

私は「まゆさん」「ゆいさん」の書き込みにも書きましたが、私は娘に「たんに遊びすぎて寝不足じゃないの」。すると娘が「そう言えばそうだ〜っ」とパッと表情が明るくなりました。

単純がいいんです。人間は単純なときは不安がないときですね。テレビを見て笑う、この子が無条件にかわいいと思う、食べているものがおいしいと思う。

不安があるときは単純じゃないんですよね。親が今の私やぼくのことを無条件に好きだな、と伝わった時、子どもたちは私やぼくはちゃんと生きていけるんだと自信になっていきます。

そのためには、親の不安がなくなることですね。どうしたらなくなるのか。
私はやはり、「人の話は我が話、我が話はみんなの話」だと思います。皆さんで教訓を共有しあう、会報をよく読む。すると不安がなくなっていく、親の会22年間の大事な教訓ですね。






「あなたの息子で本当によかった!」
    渡辺笑さん




私は昨年2月に卵巣ガンを宣告され、この1年治療に専念してきました。

抗がん剤治療で大変な日々を過ごしていた昨年の5月の母の日に、ドイツに留学中の29歳の息子から、いままでもらったことがないような大きな花束とメッセージカードが届きました。その時はうれしくてとっても感動しました。

内沢さんから「とってもいいメッセージだから紹介して」と言われ、今日持ってきました。

ひろし君からのメッセージ)

「お母さんへ、いつも家族のためにありがとう。あなたの息子で本当によかったと思います。日ごろの感謝をこめて花をおくります。離れていますが、早く元気になることを、いつも祈っています。ドイツより愛をこめて」
(大拍手)


―――こんなステキなメッセージをもらって、何よりの励ましですね。一生懸命ガンの治療もして、良くなって、最高に幸せね。(笑)


そうですね。東北大震災のことを考えると、本当に自分の病気はたいしたことじゃないと考えます。幸せですね。


―――(内沢達):桜島の灰がいやだなあと思っていたけど、大震災のことを思えばこれしきのことですね。今、ぼくは、5月15日の22周年記念の集いに向けて準備しているんですけれど、大震災から何を学ぶかということですよね。

やっぱり根本的なこと、「何が大事か?」が問われていますね。ひとつ思うのは、日本って豊かな社会ですよね。物があふれていて、ほとんどこまらない。飽食の時代で子ども達は給食を残す、われわれも好き放題に食べている。そういう時代をずっと生きてきて、一方、アフリカでは日々餓死する子どもがどれだけいるかと、飽食の時代を批判する人々もいました。

不登校やひきこもりについてのぼくらの見方は普通と全然違っているんですが、じつはこれからの社会は、いままでの無駄がとっても大事になるんじゃないかと思います。今東電の計画停電が大変ですけど、じつは無駄があったからこそ必要な時出せる、出すべき時に出せないようなギリギリの生活ではダメなんです。今まで日本は、かなりの無駄があったからこそ、これからみんな自主的に節電したり、想像以上の国民の協力でこの難関をのりこえていけるのではないでしょうか。かつてない大震災ですが、その中から力を得ていけるのではないか。そういう大震災への根本的な考え方とぼくらの会の根本的な考え方は共通しているのではないかと思います。



―――ひろし君のメッセージカードに、皆さんから拍手がおこりました。もちろん笑さんにとって大きな心の支えになっていると思いますが、みなさんの我が子に対する拍手でもあったのではないでしょうか。

子どもたちは、口には出さなくても、「お父さんとお母さんの子どもでよかった」と思っているし、この世に生まれてきてよかったと誰しもが思っている。「命なんてなくていい」なんて誰も思っていない。自分をいつくしみ、自分を大切にして、豊かな人生を歩いていきたいと思っていると思います。そのことを、ひろし君のメッセージからも、感じてもらえればと思っています。

我が子は、私たち親をとても愛している。我が子は、親を大切にしている。だからこそ、親を泣かせたくない、親に迷惑をかけていると思って、自分を責めているかもしれない。

でも違うんです。「あなたがいるからこそ、私達はステキな人生を送れるんだよ」と、そのことを我が子に胸をはって言えるような親でありたいと私は思います。自分を大切にして生きていくことが、相手にとってもどれだけ大切なことかということだと思います。

我が子から、命を与えてもらっているし、たくさん教えてもらっているんだと思いますね。




このページの一番上に戻る ↑


体験談(親の会ニュース)目次へ→


2011年2月発行ニュースはこちら→    TOPページへ→    2011年3月発行ニュースはこちら→



最終更新: 2011.5.22
Copyright (C) 2002-2011 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)