登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2013年10月例会より


目次


1 みんな一緒、辛い時は自分が不安なんだなと気づくチャンス!
  まつぼんさん、こうじさん


2 わが子が動き出した(?!)    ジュンさん、淳子さん

3 中2の息子が学校に行きたい・・      Sさん

4 夫婦仲良く       なおみさん、やすしさん





みんな一緒、辛い時は自分が不安なんだなと気づくチャンス!

まつぼんさん、こうじさん



まつぼんさん:喘息の治療で不安が募っていました。ステロイド剤をたくさん服用していたので大腿骨壊死の疑いがあると言われ、MRI検査を受けたんですがそれはなかったのでよかったです。でも写真を持って大学病院を受診したところ、その診察が的を射てなくて、頭に来たし悔しさもあり落ち込んだりもしたんですが、木藤さんに電話をかけて話したり、気分転換にひとりでカラオケで歌ったら、少しスッキリしました。

私の周りの喘息を持っている人も結局私と似たような感じで、ステロイドに依存してそれを離さないといけなくて今大変な状態だから、私だけが特殊、ということではないんだな、結局みんな一緒なんだよね、という結論に達してから、それからはあんまり気にしなくなりました。私もステロイドに依存しているので、ステロイドを切っていかないといけないなあと思いました。

10月は点滴を1回も打っていません。今は発作が起きても慌てないで、よっぽどひどい時は内服薬を飲んで吸入をしています。


―――親の会で「なぜ喘息の話なの?」と思われるかもしれませんが、全部一緒なんですね。「私は特別、私の病気はみんなと違う、私の子どもは特別、他の人とは違う」と思った途端に不安が増大するんですね。「みんな一緒」と言うことです。

あなたの先月のお話で、不安になって、パニックになるたびに、夫のこうじさんにいろいろ言って、そして言うことでますます不安が増大していったんだなあと。困った時、不安な時こそが絶好のチャンス。あなたも気が付いて行って安心していったのね。

今日参加された大阪の関さんご夫婦の娘さんは今家にいます。先日の娘さんからのメールの返信に私は「辛いこと、困難なことは、その体験を否定しないで、素直に受け止めたとき、その人の生きる力になると言うことだと思う」と書きました。

辛い時や困難なことは受け止めたらいいんですね。私自身も辛いことや困難なことがあったけれど、それがあってよかったなあと思えて自分の力になりました。あなたにとっても今がチャンス、自分は「特別」とは思わないで皆同じなんだなあと思ってね。



こうじさん:妻の愚痴は最近減りました。いろいろ妻に言われて考えてみるけど、いいアドバイスができないんです。自分は口下手で、とても妻には太刀打ちできないし(笑)、ふんふんと聞いているだけです。


まつぼんさん:夫は仕事の愚痴をずっと言っていて、私もそれを聞いています。(笑)


―――とってもいいご夫婦ね。黙って聞いているというのはいいことね。解釈を加えない、大事ですね。こうじさんは仕事の大変さがあるんでしょう。


こうじさん:今の会社に35年勤めています。仕事上の嫌がらせは、嫌がらせをしていた人が今回辞めるのでなくなりますが、仕事上の限界、もうこれ以上は無理かなみたいなところがあっていたくないんです。ここ1年で、ストレスでだんだん痩せて行って今のようなスタイルになりました。自分では辞めたいと思うけれど、経済的なことを考えると、簡単には辞められませんね。自分に向いた仕事を探せれば転職も考えると思うんですが。


―――嫌な思いをして、いまの会社に居続けるのはきついでしょう。(はい)経済的なことを考えて我慢するのは大変ですね。朝出かける時も嫌なんでしょう。(昨年あたりからですね)自分の人生なんだもの、何年も耐えて生きていくことはしんどい、ゆっくりと時間をかけて考えていくとイイですね。

こうしてお話してもらえたのは今度で2回目ですね。解決を急がないで、言えたことで自分の気持ちを解放できましたね。それでずいぶん閉塞感から解放されたと思いますよ。自分で自分をだまさずに自分の気持ちに正直に向き合っていくと、きっといい結果がでてきますよ。

まつぼんさんもステロイドを減らしていかないと大変ですね。喘息を治しても、身体のあちこちに弊害が出てくる訳でしょう。そのことに気が付いただけでも今回のことは大きな成果でしたね。


まつぼんさん:来週秋の天皇賞があるので、とっても期待しています(笑)。馬の写真を撮るために朝早く出かけたり、場所を取ったり、結構走り回るんです。体力がいるので今鍛えていますし、夕食も控えめにして少し痩せてきました。





わが子が動き出した(?!)    ジュンさん、淳子さん



ジュンさん:家にいる長男は22歳になりました。また何か始めようと思ったらしく、痩せなくてはとダイエットをして、70キロあった体重を50キロまで減らしました。食事制限とウォーキング、家でダンスをしていました。

痩せたら自信がついておしゃれにも気を使うようになり、「仕事をしないといけない」と2社面接を受けたんですがダメでした。「学校にも行かずに何をしていたのか」と面接の時にきつい言葉で言われたようで、「何もしていなかった」と答えたようです。スーパーの食品補充の仕事で行ったんですが、何のスキルもないし、高校にも行っていないし、いろいろ言われて、本人は「すごく傷ついた」と言っていました。

私が「仕方がないよね」と言うと、「お母さんはそんな事を言われたことがないからわからないでしょう」と言いました。

やっと外に出られるようになり、おしゃれもしたけど、面接を受けたらこんな調子でやっぱり高校卒業の資格がないとダメなんだ、と思ったみたいで、「来年から開陽高校の通信制に行くから。資料請求も自分でするから」と言っていました。私は「もういいんじゃない」と言ったんですが、それはもう本人に任せようと思っています。


―――息子さんに動いてもらいたいと思っているの? 


いえ、そうは思っていません。息子は妹や弟とは話さないで、私だけに話します。家では淡々と自分のやりたいことをしていますね。

夫も以前はいろいろ言っていましたが、今は本人をどうこうするのではなく、「一生面倒見ないといけないなあ」「一生、親と仲良く暮らすと考えたらいいよね」と言っています。


―――淳子さんのふたりの子どもさんは中卒で、今仕事についていますね。


淳子さん:息子も娘も中卒ですが、「中卒だから」という理由で仕事を断られたことは一度もないなあと思って聞いていました。

24歳の時に息子は親には黙ってハローワークに行っていたんです。面接について「中学卒業から10年近くブランクがあるから、それを考えておくように」と言われたそうです。ホテルの仕事で、明日面接という日になって不安になったんでしょうね。本当のことを言うしかないよね、と話しました。

面接の時に「中学の時に嫌なことがあって行かなくなり、ずっと家にいました」と言ったら、「若い時にはそんなこともあるよね」と言ってくれ、最初はパート採用でしたが、入社してからも面接の時の人がかわいがってくれたそうです。

娘は今コープのレジ係で働いています。中卒ということでいろいろ聞かれることもなく楽しく働いています。まわりの噂では、娘はお嬢様で、お父さんが厳しくて外へ働きに出してもらえなかった、と(笑)。

娘が「ずっと学校に行っていなくて、家で引きこもっていました」と言ったら、店長さんが「そんな風には見えないね」と言ったそうです。娘は裏方の仕事をするつもりだったのに、「レジを」と言われて、大丈夫と思われたんでしょうね。


―――社会の偏見があるのは事実だし、淳子さんの例は少ないと思うけれど、そういうふうに言われても構わないくらい時間をかけて自分を肯定してきたんだなと見ることが大事。不登校の体験があったから今の自分がいるんだなあ、と思えるようになってきたという受け手の気持ちで問題を解決していくといいですね。

その子が自分の不登校や引きこもりの体験を自分自身がまだまだ否定的にしか見れていないときは、周りのどんな言葉も否定的にしか受けとめられない。だから、我が子はまだまだそういう状態だと気がつけばいいんです。

いろんなことを言われても、自分自身が、ひきこもりも不登校もたいした問題じゃない、と思える時が動き時だと思えばいいんです。働くか、働かないかの尺度ではなく、自分を特殊化しないで、「そういうことも人生にはあるさ」「いい糧になっている」と息子さんが自分のことを思えるようになってくると、社会への評価も違ってきます。

それはその子によって時間はかかります。でも焦らない、時間をかけてゆっくり自分を肯定していく、すると必ず自分が納得したうえで動き出すし、社会のほうもそうたいしたことじゃないと気が付いていきますよ。親の課題は、いつでも徹底してわが子の見方になり、無条件の信頼を置いていくことなんですね。



ジュンさん:この前、夫が息子と話していました。夫は「自分も若い頃2年くらい働いていないことがあって、面接で同じようなことを言われた」と言っていました。「俺の場合は、祖母の面倒を見つつ家事をしていたと堂々と言ったよ、お前もそう言えばいいんだ」と言っていましたね。


―――あなたのお連れあいさんはすごいじゃないですか。(私もすごいなあと思いました)時が経てばうまい具合におさまっていくんだよね。本当に自分の見方、考え方のありようで、また親の考え方で事態は変わっていくんですね。





中2の息子が学校に行きたい・・
     Sさん


お久しぶりです。中2の息子が不登校です。1学期少し行って、去年の暮も週2回くらい行ったり行かなかったりしていました。父親が行けと強制したみたいです。


―――あなたは夫と4,5年前に離婚したのね。生活費を出してもらっているのね。


元夫が部屋代と電気水道ガス代を出して、生活費も毎日2千円ずつ渡されて、でもそれがだんだん滞うって、今月は4千円しかもらっていません。今住んでいるマンションは元夫の名義で、部屋代も滞っているようです。

以前は生活費を毎日息子が取りに行ったり、上のお兄ちゃん、お姉ちゃんに生活の面倒を見てもらえと言われたりで、とても毎日がきつかったです。ずっとうらんでたんですけど、でもこの頃ある日、ふっと夫の影が消えて気持ちが楽になりました。

先日は息子に、学校に行かないのなら携帯を止めるぞと言っていたと聞いて、そんなこと言うなと言いに行ったんです。


―――よく言えたね、えらいね。


はい。自分は言っていない、ただ学校の先生が、修学旅行に行かせてやりたいと言うので、それなら先生どうにかしてくださいと言ったんだ、と言うんです。

息子は修学旅行に行きたかったのか、それよりも携帯を止められるのが嫌だったのか、茶髪、ピアスだと学校に入れないので、黒髪にしてだいぶ切って行ったんです。黒髪でも髪型は校則で決められていて、行ったらすぐ10人ぐらいの先生に取り囲まれたんです。先生たちは気をつかって(―――そういうのを気をつかっていると言うの?)(笑)

その態度が悪いと注意されて、「再登校指導」と言われたんです。児童相談所に入れるぞと言われたり、先生の言葉に傷ついて泣いて帰ってきました。結局、その髪型では学校に入れないと言うことだったんです。


―――どんな髪型なら入れるの?


耳が出て、襟足が前髪は眉以上で(笑)


―――教師も大変だねえ、そんなことを監視して。


だから、感じで誤差が出ると言ってましたけど(大笑)。私は木藤さんに相談して、学校に行って、具体的なことは言えなかったんですが、暴言はやめてほしい、とだけ言いました。すると生徒指導の先生は「僕はそういう生徒を何千人も見てきているから」と言ったんです(笑)。


―――何千人? そんなに見るということは、もう定年まぢかの人でしょうか?(笑)


いえ、私より若い人で。(笑)
申し込み用紙は持ってきましたがそれ以上はしていません。
修学旅行は就学援助で行けるんですが、行かないと思います。


―――お父さんに言われたからというのが大きいでしょうね。あなたは学校に行かないことはこだわっていないんでしょう。(はい)

それより、あなたは元気になったことのほうがすばらしい。
以前のあなただったらそんな感じ全然なかったんですものね。元気になって、家のこともできるようになって。生きる力が出てきたなあとそれが何より嬉しいです。

本当にすっきりとしてかえって若くなったよう。夫の影がなくなってなによりですね。
生活はどうしているの?



生活は妹や弟や母に援助してもらったりしています。
娘は昨年の暮れに結婚して7月に孫が生まれました。
お兄ちゃんは新しいところで働き始めたばかりです。


―――時間はかかっても必ず元気になっていくということなのね。
安心して暮らしていくといいよね。



辛かったときは息子のことも可愛いと思わないこともあったけれど、
安心していくといろいろ教えてもらって、可愛いと思えるようになってきました。





夫婦仲良く       なおみさん、やすしさん



―――今日は大阪から関さんご夫妻が来てくださいました。昨日は霧島に泊まって、今日大阪に帰られるのね。9月は北海道にもおふたりで仲良く行かれたのね。なおみさんの9月12日の掲示板・投稿を紹介します。


今でも、夫にいやなことを言ったり、友人にこんなことされたとか、
母にいやな事をいわれたとか、とにかく文句ばっかり、
息子はお酒をのんでバイクをはしらせてるんじゃないのかとか、
いくら聞いても心配したり、あげたらきりがない

でもつい最近ふと、私って恵まれてるな〜もう幸せなんだな〜と、思ったら

急に、あー夫がいてくれてるから幸せなんだな〜ありがたいな〜とか
友人はもう40年、つかず離れずいてくれてるな〜とか
母もいてくれてるだけで心強いな〜とか
息子も娘もこんなにいい子でありがたいな〜とか
晩御飯作るのいつのまにかいやじゃないな〜とか
近くにいい整体師さんがいてよかったな〜とか

当たり前で気がつかなかった手の中の幸せが少しづつでてきました。

息子が「束縛のなかに幸せがあるんや、親父の幸せってなんや」と聞いてました
夫は目の前の晩御飯を指差して「幸せってこういう事ちゃうんかー」といってました。

なんだかうれしかったです

私は今でも自己否定してるし、すぐに不満は出るし、文句ばっかり言ってるし、
信頼せずに心配するし、人の喜びが自分の喜びとまでは、いってないかな(恥)

でもうまく言葉にできませんが、感謝がでてきて、自分の目が、
自分のうちにむいてきたような、外に刺激をもとめなくなったというか、

友人がいなくてもいいような、ひとりがそんなにさびしくないような気がします。
(家族がいてという前提でしょうが)

少しづつそんな風に思えるようになってきたのも、
朋子さん、皆さんの優しさのおかげですね。

ありがとうございます


なおみさん:今20歳の娘は、中2から不登校になり高校に入学しましたが2日行っただけで退学しました。その頃に親の会を知ったので5年のおつきあいになります。

先程のお話で病気を特殊化しないとありましたが、娘は朋子さんにメールをしたように、顔に皮膚炎が出来て悩んでいて、たまに泣いていてかわいらしいなという感じです。それでいて夜中はひとりでアニメ番組を見て楽しんでいるみたいで、私はあまり心配はしていないんですが、娘は次から次に不安が出て来てどんどん不安を大きくしているようです。

ちょっと前に私も悩んでいました。私は何もしていない自分がなかなか許せなくて、すごくしんどかったんです。北海道旅行に行って、帰って来てからも一時すごくしんどくなりました。子どもの手が離れたら仕事をしているのがあたりまえというのがあって、友達もほとんど仕事をしていて専業主婦が珍しいんです。商売をしていた母親からもぐうたらしているといつも言われます。

母親は私が3歳の時から店に出て働いていました。でもある時よく考えてみたら、社会とか、母親のメッセージに縛り付けられていたなぁ、もしかして母親がすごく専業主婦を楽しんでいて、専業主婦がいいと言っていたら、違った価値観になっていたんじゃないか、と思ったんですね。そういう考え方にしばられていたんだなと思った時にすごく楽になりました。

それからは毎日寝たい時に寝て、起きたい時に起きてという生活をしています。今でも夫はひとりで起きてひとりで出かけていきます。夫は朝は何も食べないし、起きて10分で出ていきますので、私は何もすることがないんです。それに対する罪悪感もあったんですが、最近は、まっ、いっか、という感じです。

晩御飯は1日の中の一大行事になっていて、手をかけて作ります。でも土、日になると作るのが嫌になって来るんです。夫も手伝ってくれるんですが、娘と作っている時に横で寝ている父親を見て娘が「手伝ってよ!!」と強い口調で言うんです。私も最近、そんな言い方はしないけど、「一緒にやって」と言えるようになったんです(笑)。(―――すごいじゃないですか。一緒にしよう、と言えるようになったのね

私は娘が嫌がっていても「ええやん、やってよ」としつこく言って娘には甘えられるんですが、娘から「オヤジに甘えや」と言われて、それがどうもプライドが高くて出来なかったんです。なんで私から頼まないといけないの、と思って(笑)。生活の一部として家事があるわけですが、気がついた人がやったらいいじゃないか、というのがなかなか定着しないんですね。やってやると思われてやってくれるのは腹が立つんですよ。


―――あなたはさびしがりやで、やすしさんが仕事から帰って来てすぐに息子さんの部屋に入ってしまうのがさびしくてしょうがないのね。


やすしさん:僕は野球が好きで、でも妻は嫌いなので、息子の部屋があいていたらそこで野球を観ていたんです。そしたら妻が怒ってきたので、今はテレビを2画面にして、僕は野球を音声なしで観て、妻はドラマを観ています(笑)。


―――あなたは22周年のつどいにいらした時に、私が「なおみさんと結婚してお幸せですか?」と聞いたら、「はい」と答えられ、そして「これからもずっと一緒に暮らしていきたいです」とおっしゃいましたね。(はい)それでなおみさんに、やすしさんはすごいよね、と言ったんです。

夫婦ってお互いに勝つか負けるかではないんですね。お互い幸せになるために支え合うことですね。やすしさんのお母さんとの関係、なおみさんのお母さんやご兄弟との関係、今まで自分の気持ちを大事にしないことがいっぱいありましたね。でも今はやすしさんも遠慮せずに自分の気持ちを大事にして、親と距離を置くようになったんじゃないですか。


やすしさん:そうですね。母親も割り切ってひとりでやっていくという感じになっています。


―――ひとり息子だからどうしてもお母さんのところに行かなくちゃいけないというのもなくなった?(やすしさん:そうですね)それは本当によかったですね。娘さんからいろいろ教えてもらっているんでしょう。


なおみさん:そうですね。教えてくれるのは娘ばっかりですね。「どうしたらいい?」と聞くと、「放っておき」と言うので、「ああ、そうですか」と言う感じです。(笑)

でも娘も自分のことはよくわからないみたいで食欲が落ちたりするんですが、その時私に聞いてくると、私も人のことはよくわかるので、「何を食べようが食べまいが自由じゃん、特殊じゃないよ」と言って過ごしています。娘は朋子さんや私がいて良かったなあと言っています。


―――股関節の手術をして歩けなくなって、大変な時期がありましたね。今はどうですか。


1年間ジムに通いトレーナーについてもらったんですが、他の所も行っていろんなところを転々としていました。整体に行くと骨盤をちゃんと戻してくれて楽に歩けるようになって帰って来るんですが、家に帰って数時間すると戻ってしまうんです。いろんなところで、ストレッチの仕方が下手だとか、やり過ぎだとか、半々にしたらいい、とかいろいろ言われてしまいますよね。

それで、「治らなくてもいい」と思ったら、気持ちが楽になって。歩けなかったら何にもできないと思い込んでしまったんですが、そうじゃなくて家でテレビを観たり、HPを見たり、パソコンを習いに行ったりしたらいい、と思ったら気が楽になりました。


―――同じですね。不安になっていくとどんどんストレスになっていくのね。不安だからどんどん動いてしまう。でんと動かなくなると、道はみえてくるということですね。

なおみさんは自分を否定してきたということがあったけど、いろんなことを自分で確認しながらこれでいいんだと思えるようになった。自分の生きる力にしている、よかったですね。ご夫婦のことも、いろんなことがあったけれど、ご夫婦の仲をふたりで育ててきたという感じがしますよね。やすしさんも仕事が大変で辞めたいと言われたことがありましたよね。


やすしさん:僕も30年勤めているんですが、だんだん仕事が縮小されていって将来どうなっていくのかわかりません。でも先のことは考えないようにしています。


なおみさん:人間って我慢していると気がつくと、我慢した分、同じ時間相手のことが嫌になるんですね。夫のことが嫌いになったことがあって、ご飯の支度も、洗濯もしたくなくて、別れた方がいいのかなと悩んだり、そういう自分自身が嫌で、とにかく離れていたい時期があったんです。自分の母親にしてもそうだったんですが、嫌だという時期があってもそれを淡々と過ごしていたら、もういいわ、という気持ちが出て来て、だから嫌いだという時期があってもいいのかなと思いました。


―――いそいで答えを求めようとしない、ゆっくり、ゆっくり自分の気持ちに付きあっていく、すると不安だった自分の気持ちも含めて、ちゃんとうまく収まっていく。大事な教訓ですね。




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最終更新: 2013.12.2
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