登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


TOPページ→  体験談目次 → 体験談 2013年7月例会



体験談

2013年7月例会より


目次

1 ひきこもりへの偏見に負けない   内沢 達

2 「息子が不憫・・・」ではなかった      永田俊子さん

3 「私の気持ちは?」 よくわからない・・・     Mさん





ひきこもりへの偏見に負けない   内沢 達



(例会参加2回目の方のお話)

私は両親と兄の4人家族で育ちました。兄は2つ上で大学を卒業してひきこもりました。

兄は子どものころから母親のプレッシャーがあって、母の姉の子どもたちと同じ年ということもあって、試験の点数など比べられて、兄はそれを避けて東京の大学に一浪して入りました。

兄にとっては勉強がプレッシャーになって、大学入学後も部活やバイトを楽しむことなく勉強一筋で、そうこうするうちに腸に傷が入る潰瘍性大腸炎になって、今も治療を続けています。兄と私は小さいころからあまり話した記憶がありません。

私が結婚する年から兄は両親と家庭内別居がはじまり、食事も洗濯もすべて自分でやって、姿を見せません。母が亡くなる前も亡くなった時も、「お兄ちゃん」と呼んでも、部屋にも目張りがしてあって、何も答えてくれませんでした。葬式にも参列しませんでした。

母とは女同士なのでいっぱいいろんな話を聞いてきました。それで母をとりまく差別の話やまわりのキビシイ話も聞いてきましたので母も責められません。

今49歳の兄は父とふたりでひとつ屋根に別々に暮らしています。私も何年も顔を見ていません。兄は自立できていないので、父が亡くなった後の不安はあります。兄をどうにかしたい、父と話したいとずっと思ってきました。


―――(内沢達):兄妹と親子は違います。親子なら、あるいは親から求められていなくても子どもとしてすることがあるかもしれませんが、兄妹の場合はどうでしょうか。「兄弟は他人の始まり」と言って縁を切る必要もないと思いますが、これまでのところ今現在もお兄さんから何も求められていないのですから、何もしなくていいですし、しようもありません。


この先、お父さんからであれお兄さんからであれ、話があったときに初めて考えてかまわないのではないでしょうか。引きこもりには偏見がとても多いので、親族の場合だといっそう何かしなければいけないのではないかと考えがちですが、この先も特段のことをする必要はないと思います。

それでも何か・・・ということであれば、お父さんに「娘の私にしてほしいことがあれば言ってね」くらいで十分だと思います。いままでお父さんは娘に何も求めていないのですから、これからもないと思いますが、あるとすれば話し相手になってあげることくらいじゃないでしょうか。

じつはそのとき決定的に大事なことは、いまを否定しないことです。引きこもっている兄さんの今を否定しない、ひとつ屋根の下で別々に暮らしている父と兄の今を否定しないということです。まわりは勝手に「そういう生活はよくない」と決めつけがちですが、じつは昨日今日のことではなく、ずっとそうなんですから、そうした今の生活スタイルがじつは二人には一番あっているんです。

お兄さんやお父さんに問題なり課題がないわけではもちろんないでしょう。でも、それは妹や娘であるあなたがあれこれ考え、代わりに取り組むことではありません。お兄さんやお父さんがそれぞれ取り組み、問題ならば自ら解決していけばいいことです。

このことでOさんに課題があるとしたら、それはお兄さんやお父さんに何かしてあげることではなく、自分のなかにある偏見や誤解と向き合うことではないでしょうか。もちろん無理して向き合うこともないですが、しいてあげればそれが課題です。

お父さんと話したいのなら話したらいいんです。でも、お兄さんのことになるときっと構えてしまい率直に話せないのではないでしょうか。それは、お兄さんを腫れ物扱いしているからです。やっぱり状態を良くないと見ているからです。その見方が変われば、お父さんとはお兄さんのことでも楽に話せるようになると思います。そして、「何かしなくていいのか」なんて考えずに、お父さんやお兄さんを信頼して、何もしないでいられるようになります。

僕の姪も潰瘍性大腸炎です。20歳頃からそう診断され、大学中退後ずっと家にいて、今37歳、4、5年前から週何日かアルバイトをしています。僕が見るところ姪の病気は原因ではなく結果だと思います。

姪は親からはなかったけど、田舎の高校とはいえ成績1、2番の秀才ゆえ、自分にプレッシャーをかけ続けた結果のように思います。病気、しかも難病と言われ、「じゃー仕方がなかったんだ」と自分を納得させたかもしれませんが、そのような状況に居続けると心身がおかしくなるほうが人間として自然だと思います。めざす有名大学の受験に失敗して浪人生活、家でゆっくり「宅浪」すればよかったのに上京して予備校通い、しかし成績は伸びず翌年また不合格、「不本意」入学した別の大学での生活もたのしくなかった。

ひとつひとつはそれほど特別なことでなくても、いろいろと重なり、当人にとって大変と思われることが続くと耐えられなくなる。病気のようにある。胃に潰瘍ができる。当たり前じゃないでしょうか。

じつは昔からいい年をして働かない人が結構いました。ただ昔はまだ少なくそうした人にお節介をやく暇な人もいなかったので、いまのように問題にならなかったのだと思います。いま、引きこもりの若者や成人が増えているのは、どうしようもなく困った問題なのでしょうか。僕はそうは思いません。社会が豊かになってきたからこそ起こっている現象で、僕は引きこもりを否定的に見ません。

もちろん引きこもりには問題は何一つないとも思いません。長引かなくていいはずの引きこもりがどうして長引くのか? 引きこもりを肯定する考え方が長引かせているのではなく、引きこもりはダメだ、いけないことだとこれを否定する考え方が逆に長引かせています。

だから、考え方の問題は厳然としてあります。当人であれ家族であれ、とても多くの人たちが否定的な考え方をして苦しんだり、しなくていい苦労をしています。

3年前ですが、『働かないアリに意義がある』(長谷川英佑著、メディアファクトリー新書、2010年)という題名からして、すごくひかれる新書が出され、版を重ねています。進化生物学者の研究成果がとても面白くまとめられています。

働き者で知られるアリですが、じつは巣の中では7割のアリがぼーっとして働いていない。1割は生まれてから死ぬまでほとんど働かない。いろいろな種類のアリの巣を一匹一匹マーキングして観察し続ける。血のにじむような研究の結果明らかになったことだと言います。

一生懸命働くアリばかり集めても必ず働かないアリが出てくる。逆に働いていないアリばかり集めてもちゃんと働くアリが出てくる。働き者ばかりでみんな頑張ると、短期的にはすごい成果を上げられてもその組織は長続きしない。ハチやアリの世界にも「過労死」のようなものがあるという。

働けば誰もが疲れる以上、働かないものを常に含む、一見非効率なシステムでこそ、組織は長期的な存続が可能となる。働かないアリは、いざという時の「余力」にもなり、「怠けてコロニーの効率を下げる存在ではなく、それがいないとコロニーが存続できない、きわめて重要な存在と言える」のだそうです。

人間の社会でも同じようなことが言えると思います。一生懸命頑張る人や真面目な人ばかりでなく、適当でいい加減な人や働こうとしない人も、その存在がちゃんと認められる社会のほうが魅力的で、いざという時には底力を発揮して強いと思います。

「ことわざ・格言と登校拒否・引きこもり」の終わり近くに、1995年1月の阪神大震災のとき、丸4年も自室に閉じこもっていた息子さんがそのときを境に動き始めたという話を紹介しています。

「家具が重なり合い、全部倒れた隣の部屋をかき分け2階から降りてきた。丸4年ぶりである。すべてに大きくなっていた。」「息子は、給水に、自転車で何度も行ってくれる。いちばん冷静な判断をして動いてくれたのは、何年も閉じこもっていた子。やさしく、たくましい。」(『登校拒否を考える会・通信』No.95、1995年3月号)

人間、動くべきときには動くのです。
引きこもりへの偏見を改めていく参考にしていただけたらと思います。





「息子が不憫・・・」ではなかった    永田俊子さん



―――永田さんの息子さんは高校1年のときに退学して、22歳から動き出してことし4月から専門学校に行っているのね。先月の例会で、「いつから元気になってきたかなあと今考えれば、私が息子を可哀想だと思わなくなった頃かなあと思います」ととても大事なことを言われました。


その頃から私も元気になって、息子も普通に家にいるのが当たり前という感じになってきたんですね。ちょうどその前ぐらいに「私は息子が不憫でたまりません」と言ったんですよ、

そしたら朋子さんが「じゃ、あなたは人から可哀想と言われたらどう思う?」と言われたんです。私は「すごく嫌です、見栄もあるから嫌です」と言ったんです(笑)。そしたら「そうでしょう。息子さんもいっしょですよ」と言われて、「そうだよなあ、かわいそうと思われるのは自分も嫌だよな」と、その時思いました。(笑)

だんだんそのぐらいから私も元気になってくる、でも元気になっても大丈夫かな、将来はどうするのという思いもわきあがる、ここに来ると「大丈夫だよ」と言われると、「大丈夫なんだな」の繰り返しで、自分も元気になって今日があるのかなと思います。落ち着いてきたら、なるようになっていくんだなと、今思います。


―――肩の痛みのほうはどうですか?


時々痛いです。医者から「痛いと人間は動かなくなるから、痛くないときはちゃんと筋トレをしなさい」と言われました。眼も糸みたいなのが見えるので、眼科に行ったら「ただの飛蚊症です」と言われました。息子が学校に行かなかったときの辛さに比べたら、どうってことないですね。

87歳の私の母が先週怪我をして、出血が止まらないからすぐ来てと隣の人から電話が来たんです。すでに救急車を呼んでくださっていて、3針ぐらい縫うケガで3日入院したんです。

その時母が「今度も死に損なった」と言ったんです(笑)。「こんなので死んだら悲しいから、もちょっと頑張れば」と言ったら、「生きているのも辛い、もうてそいよ(億劫だよ)」と言うんです。「まだ、暑いしね」と言うと、「そうね、春先ぐらいがいいね」と言って(笑)、「こうやって世間話も出来るから、まだもったいないよ」と話しました。

母は認知はないのですが、目はどんどん見えなくなっています。テープで小説を聞くのが大好きです。


―――親の会の会報もあなたが読んであげたのね。


すごく楽しみにしていました。だから「87歳で文学少女ならぬ、文学ババになれてよかったね」と言って(笑)。





「私の気持ちは?」 よくわからない・・・   Mさん



息子は高校に行っている時から体調不良を訴えて、高3の時に「通信制に変わりたい」と言ったんですが、私達は「高3だし、1時間でも学校に行って高校だけは卒業しなさい」と言いました。後半はますます体調不良になり、それでも無理して保健室登校をし、卒業式後も3月いっぱいは補習のために学校に行って単位をもらい卒業しました。

一浪して東京の大学に進学しましたが、2年の時に退学して、今は東京のアパートで引きこもっています。今息子は体調をよくするためとサプリにはまって「お金を送ってほしい」と言ってきます。私も何回か数万円ずつ上乗せして毎月仕送りしています。


―――先月の話もとても大事なお話でした。私は「お金の仕送りを止めて、帰ってきてほしいと伝えることです」と話しました。仕送りしないことが息子さんへの本当の支援になるということですね。


先月の親の会からHPを繰り返し見ながら考えてきました。自分が子どもを振り回してきて、息子の意思を尊重してこなかったことが負い目になって、だから、何かしたいという息子の意思を尊重したい、サプリについても本人の気が済むまでやらせてみたいと思ったり、でも親の会で言われた「本人が一番きついはずだ」と言われるのもわかるし。ぐるぐる回ってよくわからないんです。

これまでは、「息子のためには何がいいんだろうか」とばかり考えていました。先月、内沢さんから「あなたはどうしたいの」と聞かれて答えることができませんでした。自分がどうしたいかなんて、これまで考えたこともなかったので、この1ヶ月ずっとそのことを考えていました。

息子には帰ってきてほしいと思っていますが、先日電話で「帰って来る気はないの」と聞いたら、「一切ないから、僕抜きで暮らして」と言われました。それがかなりショックでした。

そう言われると、息子に「帰って来て」というのは息子を更に苦しめることになるかもしれないと思って言えませんでした。やっぱり息子が帰ってきたいと言って帰って来てくれると嬉しいし、一緒に暮らせると嬉しいんですが、「私が責任を持つから大丈夫、帰っておいで」とは自信を持って言えない状況です。夫とのケンカを息子に見せてしまうかもしれない不安とか、気持ちがグチャグチャして「どうしたいのか」がわかりません。


―――夫が妻に対して、高圧的な態度をずっと取り続けていると、妻は自分の意思で、「私はこうしたい」とは言えなくなってしまうんですね。そしてそういう生活をずっと繰り返していると、「あなたは?」と聞かれても、わからなくなってしまう。それは親子の関係でも同じ。親が先に立ってなんでもしてしまうと、子どもは自分の意志で生きることができなくなってしまう。そのことを発見しただけでも大きな前進ですね。

私が皆さんに「ご夫婦の仲はどうですか?」とお聞きするのは、上下の関係ではなく、本当にお互いの人格を尊重しあっているかを伺いたいからなんですね。自分を最優先に大切にするということは、自分の意思を持って生きる、生きる力を育てるということです。

結果的に、自分を大切にできないときは、別居したり離婚もありなんです。自分を大切にした結果だからそれでいいんです。自分が悪いんだから・・・なんて自分を責めない。

あなたは親の会に参加するうちに、夫に息子さんの状況を話し、息子さんにも「お父さんに大学を辞めたことを伝えたよ」と言えた、そういう勇気をもてましたね。そういう自分に自信を持って下さいね。「私の気持ちはどうなのか」と気づいた時から、そこから出発したらいいんですよ。私の掲示板の書き込みを紹介したのは、いろいろあっても「私の気持ち」を最優先にしてるよ、とお伝えしたかったからです。

まず自分の気持ちを最優先に大事にしてほしい。息子さんはそのことをあなたに教えているんです。そうしたら息子さんのあなたへの信頼も深まるし、「やっぱりサプリは止めよう」と自分で考えて決められるようになります。

ふたつ目は、Mさんに限らず、親が今までの自責の念にかられて、子どもの思う通りにしてあげたい・・・なんて考えちゃう。これが子どもの辛さに手を貸すことになるんですね。親は何もしない、「(親が)しないと(子どもは)するようになる」です。



―――(内沢達):「自信」は、いくら考えても時を待っていてもつきません。自分の気持ちを言葉にしていくなかで、実際に行動に移していくなかで、「これでいいのかな」と試行錯誤しながらやっていくなかで、「いいんだ」と自信がついていくんですね。

2011年の1月例会報告「自分の気持ちを一番大切に、でも他に押しつけない」のタイトルで、大阪のなおみさん夫婦の話を紹介しています。

なおみさんは自分の気持ちを率直に夫のやすしさんに伝えました。自分を大切にしたいのであれば当然です。夫はどうあってほしいか、妻は遠慮なく言っていいんです。でも、その妻の訴えを受けとめ、どうするかは夫の課題で、判断はやすしさんにゆだねられているんです。僕らの場合も同じです。いくらトモちゃんが僕に「こうあってほしい」と言ってきても、「たしかにそうだな」と思うときは従ってそうしますが、そうでないときは従いません(笑)。それは僕自身のありようだから、自分が決めます。

夫婦の関係だけでなく、親子の関係でも、いやどんな人間関係でも同じです。

「本当に相手を尊重する」とは、どういうことなのか。自分の気持ちを控えめにして、相手とかかわることではありません。「みんな自分が自分の主人公!」なのですから、自分の気持ちをおさえたらだめです。おさえずにいっぱい言っていいんです。いいどころか、言いましょうということです。

でも、自分の考えを相手に押しつけたら、ダメなんです。こちらが言ったことを受けとめてやるかやらないかは、もう相手の課題になっているんですから、その前でストップです。自分の気持ちを言った、伝えたことで十分です。そこで満足する。

Mさんの場合も同じように考えられます。お母さんの気持ちを受け止めて、どうするかは息子さんが決めることです。Mさんが悩むことではありません。息子さんが悩むのであればいっぱい悩んでもらえばいいんです。息子さんはやはり「自分が自分の主人公」として、悩みながら、試行錯誤しながらも、やっていきます。だから、「心配」しないで「信頼」する。

Mさんは息子さんに遠慮せずに自分の気持ちをはっきりと何度でも伝えましょう。




このページの一番上に戻る ↑


体験談(親の会ニュース・月例会)目次はこちら→


2013年5月例会はこちら→    TOPページへ→    2013年6月例会はこちら→



最終更新: 2013.12.2
Copyright (C) 2002-2013 登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)