登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2003年8月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.93


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら




7月例会報告

安心して大らかに生きてごらん


 先輩の話は何にもまして元気と感動をもらいます。



Mさんが「はじめの子は追いつめたけれど、2人目、3人目は安心して不登校と付き合った」話。
 「私も、大らかになって、今では家の中で私が一番強い・・・」と話され、迫力ありました。



我が子の不安と付き合う時、何もしなくていい、そのままでと、一緒に暮らしていくことが大事なんですね。


 学生さんの「薬の体験談」も大変貴重でした。不安は生きている証
心の不安を薬で抑えず、向き合って生きる力にしていこうと体験者から声が寄せられました。




1.Mさん 大らかに生きてごらん

2.Nさん 親は何もしない。我が子と一緒に暮らすことが楽しいと。

3.Kさん カウンセリングのおかしさをいち早く見抜いていた息子

4.学生さん 薬を服用した時のこと-----不安は薬では消せない-----




―――小学生の事件や中学生の事件など胸の痛む事件がいっぱいあります。思ってもみなかったようなことがたくさん起きています。



 親の会のHPの掲示板に16歳の高校生がいいことを書いていました。
 高校に行かなくなってから、ご両親から学校に行けとは一度も言われなかった。



そして「生きていればいい、欲を言えば元気で」と伝えてくれた。そのことが自分にとって何よりの救いになった。というものです。
親が我が子を信頼するとはこういうことだと思います。



 24歳の娘のReikoがHPに書いたものを、先月の会報にご紹介しました。
それはうちの娘だから掲載したんじゃないです(笑い)。こんなにりっぱな親でも(笑い)、
親とは関係なしに子どもは不安になることをお伝えしたかったのです。



 親が素晴らしいから子どもは全然平気だとそういうことではないんです。
親がどうしようもなくてももちろん子どもは不安だし、どっちでもいいんです。
親がいても子どもは育つし、親がいなくても子どもは育つということですね。




 結局、親であっても子どもの全てに責任はとれないんです。責任を取るのは自分なんです。
 自分がどう生きていくか、自分の人生というのは自分で決めていくんですね。




 私達だってそうだったでしょう。私の母は91歳でまだ元気にしています。
私の上に5人兄姉がいて、小さい頃、6人を束ねるのに母は物差しを持って大変だったんですが、私が就職がなかった時にひと言も言わなかったんです。



 ひとことも言わなかったのは何か教育的意味があって言わなかったのではなくて、私に興味がなかったんじゃないかと思います。



 私もやっぱり自分の娘に対してそうなんだなあと、娘の文章からつくづく思いました。
娘よりも自分、自分に一生懸命に興味関心があったんだなあと思いました(笑い)。そして、これはとってもいいことですね。



 ですから、内沢さんちもたいしたことないんだな。
親子喧嘩はしょっちゅうして、お互いに怒鳴りあって、その間を12歳の愛犬コナンがうろうろしているそんな光景です。



 つまり、閉じこもりは自然なんです。
 決して不自然なことじゃない。不登校も自然なことなんです。
 ですから今までの親子関係を変える必要はないわけですね。



 もし変えるとしたら「自分がこの子はちょっとおかしい、この子はダメなんじゃないか」と、自分の子どもを否定する気持ちを変える、そういうことが必要なんじゃないかなと思います。




大らかに生きてごらん
 

Mさん:娘二人と息子がいます。3人とも不登校でした。


 25歳の長女は声優になりたいと東京の専門学校に行き6年になります。
アルバイトにも行ったんですが辞めてしまい、今仕送りしています。



 引きこもりを5年ぐらいやってそれからいきなり出て行ったので、やっぱり慣れなかったのかなあと思います。
 でも声優になりたいと言って専門学校は卒業したんですけど、なかなか思うようにならないみたいです。



 何ヶ月か前「点字や手話を勉強しようかな」と電話があり、私は「あっ、そう」と受け流しました。
あんまり親が「こうしなさい。ああしなさい」と言わない方がいいだろう、本人が一番望むところに行ったほうがいいだろうと思って、
今のところ様子を見ているところです。



―――不登校になったばかりの頃、あなたはいろんな所にご相談に行かれたのですね。



 二女が喘息で長く休んだり、行ったりしている時に掛かりつけの医者が「これは変だな。不登校なんじゃないかな」と言って、別の病院のカウンセラーを紹介してくれ、そこで親の会を教えてもらい参加するようになりました。



 二女は小さい頃から喘息でしたので、体力的に学校のいろんなことについていけないのがあって、だから自分は不登校だったとはあまり思っていないんじゃないかと思います。



 最初はフランス語を習いたいと言って東京に行ったのですが、やめて今度は何をするのやらと思ってみているところです。
 今はひとりでアパートに住んで元気でバイトをしています。学校と離れてからあんなにあった喘息もぴたりと治って、喘息のぜの字も出ません。



 中学から不登校だった息子はもう21歳になりました。
驚きですねえ。この子だけ家に残っていて元気です。4年ぐらい前からうどん屋でバイトをしています。
 接客をしているのですが、私よりも手取りがいいです(笑い)。



 すごく家庭的なうどん屋で可愛がられていて、たまにはカボチャなど野菜をもらってきたりして、すごくいいところなんです(笑い)。
 私達も5回に1度はお茶菓子を持って行き来しています。



―――Mさんも娘さんが不登校になったときはいろいろご心配があったりしたんですよね。(はい)
 でも、越し方を振り返ってみて不登校や閉じこもりは心配いらないよっておっしゃりたいことがありますか?




 そうですね。どうしても最初の子の時は親はびっくりし、学校に行かないといけないと親も子も100パーセント思い込んでいますし、「行きなさい、行きなさい」と言い、説教したり問い詰めたりして、保健室登校もして長女は口を聞かなくなりいろいろありました。



2番目、3番目の子になったら、親の会とかいろんな本を読んだり、講演を聴いたりしているうちに、不登校はあんまり学校にこだわらない方がいいのかもと考えるようになりました。



 奥地圭子さんの講演を聴いていたらいろんな道があるんだなあ、休んでいて又学校にもどる子もいれば、そのまま学校を辞めてバイトなどしていく子もいれば、いろんな道があってもいいんだなと軽く考えられるようになったんです。



 だから長女には悪いことしたなあという気持ちがありますねえ・・・。
長女が5年間口をきいてくれなかった時期が一番辛かったですね。



 家の中で口をきかないし、口をきく時は怒ったようなことで、いろんな物に当たったりしていました。
どうしてなんだろうと訳がわからなかったものですから辛かったですね。



 他の親の会に行ったことがあるんですが、そこの会では子どもの気持ちというものがわからなかったですね。



 この会に来て「ああ、そうなのかなあ、ああ、そうなんだなあ」と、子どもの気持ちがおぼろげに分かりかけてきて、そうするうちに、長女は5年ぶりに私に口を聞いてくれるようになり、「声優の勉強をするために東京に行きたい」と言ったんです。



―――あなたが分かって、あなたの気持ちが楽になってきたら、娘さんは変わってきましたか?



 私としてはゆっくりと休ませていたつもりだったんですけど、東京に行って1年ぐらい経ってから、長女が「私は本当は休んでいなかったんだよ」と電話で言ったので、「エッ!」とびっくりしショックでした。
いろんな気持ちと戦っていてゆっくりしていなかったんだと言いました。



 やっぱり田舎だし周りの目もあるし、家の中にいても子どもにとっては100パーセント休めていなかったのだなあと思いました。
 お祖母ちゃんが「田舎に帰ってこないか」と聞いたことがあるんですけど、長女は「帰らない」と言っていたそうです。



 今では東京のアパートを6年ぐらいずっと借りていますので、大家さんのおばあちゃんともたまに話したり仲良くしてもらっています。
長女は「年賀状も書いてみようかな」と言いましたので、「ああ、書いた方がいいよ」と言いました。



 家ではゆっくり出来なかったけど、向こうがあの子の居場所で、これから夢を追うなり好きなことをしていってくれればいいかなと思っています。



―――それを聞いて皆さんは、「やっぱりうちの子は家にいたらダメかなあ」と思わないで下さいね。



つまり、自分の居場所がなかったと言う娘さんのお気持ちが一番大事で、辛い体験のことを振り返って、娘に辛い思いをさせたという親の思いは何年経っても消えないということなんですね。



 最初の子には悪かったなあという気がするんです。
2番目、3番目になると親も子もいろんな話を聞いたりしてだんだん分かってきて「ああ、こういうのもあるんだ」とおおらかになってきて、
 子ども達もゆっくり出来たんだろうなとそういうふうに解釈して自分で自分を慰めています。(笑い)



 私も今までは嫁の立場で「はい、はい」と言って弱かったですが、今では祖父ちゃん、祖母ちゃん、夫よりも一番強いです(笑い)。
これも子どもたちのおかげだなと思います。権力にも負けない! 学校の先生にも負けない!(大笑い)



 どうしても、時が経てば祖父ちゃん、祖母ちゃんが病院に行くとなれば嫁さんが連れて行かないとならないからですね。(笑い)




親は何もしない。我が子と一緒に暮らすことが楽しいと。



Nさん(父):18歳、15歳の娘が二人とも家で過ごしています。



 今日は鹿児島まで家族4人で来ました。
妻は娘が欲しがっていた洋服を買いに行っていますので、後で参加します。



 私は今単身赴任して、週末に家に帰ってきています。
この前、二女が「去年あった夏合宿に私も参加したかった。今年は行けないのかなあ」と言っていたと妻から聞きました。



 先程のお話を聞いて、親は娘たちをゆっくりさせていると思っているんですが、長女は毎日日記を書いていて、すごく戦っていると思います。



 娘が書いている内容はわかりませんが、ひとつ言えることは、「お父さん、お母さんに食べさせてもらっているが、私は何かしないといけないと思っていながら何もしないでいる」と一生懸命思っているのを感じます。



 親としては一緒に食事をしたり、和気あいあいと普通にしているんですが、何かと戦っている娘を見た時にどう接していけばいいのか、どう言葉を発したらいいのか、いま聞いていて、なるほど子どもは戦っているんだなとズキッときたんです。



 娘は不登校になった一時期、ストレスで太っていたんですが、それを乗り越えてゆっくりできるようになったなと思っているんですが、これから先どうしたらいいかなというのは感じます。



―――Nさんは単身赴任先からおうちに帰られるときは「さあ、家に帰れるぞ」と喜び勇んで帰られるんですか?



 もう、楽しみですね。いつまで続くか分からないですけど(笑い)。
時間があればすぐ帰ります。アパートにひとりいてもつまらないですよ。
家に帰って特別何かするわけでもないんですが、やっぱり、家に帰りたいですね。昼からでもすぐ帰ります。



―――親として何をすべきか、今のお気持ちが答えです。それで充分です。
「お父さんが帰ってきたよ。お父さんは家に帰るのが一番楽しみだよ」と。



 先月、奥さんのYさんがいらして「私と娘3人が同じような考えで、それを意見が違う夫に言うと「バカにしている」と言うんです。」とおっしゃっていました。



 私は「君達はマイナス思考だ」と言ったんです(笑い)。
いま借家ですので、私が「家を作ろうか」と言ったら、娘たちが「家はお金がないし、出来ない」と言うので、「お金のことは心配するな、そういうのはお父さんに任せたらいいんだから」と言ったんです。(笑い) 
 娘たちは生活を変えたら苦しくなるから、ゆっくり考えていこうと言うんです。



 私は年も年ですから前に進みたいんですよ(笑い)。その時に3対1で「お父さんは私達に対して決めつけて話をしている」と言われ叱られてしまいました。



 私は裏にいろんな考えがあって言っているんですけど、でも娘たちが意見をきちんと言ってくれるのでいいです。
 明日家族でドライブがてらモデルルームを見に行こうと言っています。楽しみです。



―――全然大丈夫ですね。ご夫婦仲良くして家に帰るのが楽しい、一緒に暮らすのが楽しい。大丈夫です。
何かしよう、させようなんて思わないほうがいいです。



 世間的価値観で働かねばならない、高校に行かねばならない、何かしないと自分はダメなんだという価値観にさいなまれる、その気持ちというのはすごいですよね。



 HPの不登校関連の相談コーナーにもそればっかりですもんね。ほんとに子ども達って思っているんですね。
でも親が平気だったら、全然大丈夫です。Mさんの「おおらかに生きる」が大事ですね。




Nさん(母):遅れて参加しました。15歳の二女はファッションに興味があるんですが、18歳の  長女はあまり関心がありません。
今日は娘達も一緒に鹿児島に来ています。



 長女は家でひとりでいるよりもという感じで来たんですが、どこに行っても人が多くて、今は図書館にいるんですが、もう早く帰りたいと言っています。



 お父さんと一緒に先に帰っていいんだよと言ったんですが、お母さん達は親の会がメインで来たんだから待っていると言って今もそのまま待っています。



 外から見たらのんびりしているように見えるんですが、やっぱり今のままじゃいけない、変わらなきゃいけないという思いが強いようで、私や夫はいいんだよと繰り返し言うことしかできないんですが、いや、今のままじゃいけない、でもできない、という葛藤が続いています。



 私達はそれはとにかく時間が必要なことで、とにかくいいんだから家でゆっくりしなさいと繰り返し言うことしかできません。



 でも先ほど話が出ましたけれど、夫にしろ私にしろ、ちょっとしんどいくらいでは簡単に仕事を休めないですよね。
 夫が辛そうな時、仕事を辞めていいんだよと言いますが、でも実際夫が辞めてしまったら、今の生活はできないわけで、いろいろ考えると子どもが納得する答えが出せないわけです。



 私達には無理しなくていいというのに親達は頑張っている、そこらへんがわからなくて、最終的にはお母さんもわからないけれど、まだ大丈夫だからと言って娘達と話しています。



―――あなたが遅れて来られる前に、Nさん(父)はとてもいいことをおっしゃいましたよ。
家族への思いは誰にも負けず大きいですね。いろんな矛盾にぶつかりながら、でも家族の絆が強ければ大丈夫だと思いました。





カウンセリングのおかしさをいち早く見抜いていた息子



Kさん(母):17歳の息子です。中学で不登校になって、警察にもご厄介になりしました。
今年4月に東京の定時制でもう一度やり直したいと言って出て行きましたが、5月にもう辞めたいと言ってきました。



 夫も「行きたくないんだったら辞めていいんだよ」と言っていましたので、息子も思っていた学校じゃなかったと辞めました。
担任もいつでも又できるから相談にのるよと言ってくださいました。



 その後は渋谷で午前11時から午後8時までアルバイトをしています。
 私の妹が様子を見に行ってくれて、きれいに部屋もかたずいていてすごく規則正しくなってきているということでした。



 仕事はエステサロンのチラシ配りで、今度初めて給料をもらったそうです。それまでは夫が1週間に1回送金していました。



 先日、夫の誕生日に息子から電話があり、夫は「覚えていてくれたんだね、それだけでほんとに嬉しい」と、何物にも変えられないと喜んでいました。



 息子が真面目に生活しているということで、保護司さんがもういいんじゃないかと保護監察もとけました。
 あんなに好きだったバイクも、こちらからわざわざ東京に持っていったのですが、「必要ないから売ってもいいか」と夫に相談して売りました。



 10万にしかならなかったそうですが、いずれ引っ越したいので貯金しておくと言いました。今のところは何も心配することはないです。



 ただ、東京の銀行に定時制の振り込みのお金がそのままだったので、どうしようかという話になって、「たぶん来年の2,3月になったら、又行きたいと言い出すんじゃないかしら、それは繰り返し繰り返しあるんじゃないかなあ、だから残しておいたら」ということで見守っている状況です。



―――すごくかっこいいお兄ちゃんなのよね。



 息子は暴走族に入っていたので、そういう友達から電話があったりしたんですけど、「もう鹿児島には帰らない。東京の方が安心できる、帰ったら又そういう友達に会うから」と夫に話したそうです。
夫も「そっちの方がいいんだったら、それでいいよ」と話しました。



―――お父さんの誕生日を覚えていてくれて電話してくれた。それだけでもこれまでの苦労が吹き飛んだんじゃないですか?



 ええ。「うれしかったよ」と心のそこから息子に話していました。



 私たちは「子どもは学校に行かなければいけない」という気持ちがあったので、私立の中学から公立に転校しアパ−トを借りたり、塾に行かせたり、そういうことをやっていました。



 中1までは息子もどうにかしたいというのがあったのでしょう。親が県の教育相談に行こうと言えばついてきて、カウンセラーの先生のところにも素直について来ていました。



 横浜のH先生が鹿児島で行なうワークにも行きました。Hさんは鹿児島には相談できる先生はいないですよと言いました。
 息子は最初は素直について来ていましたが、「あの先生は僕のことを思って言ってくれているんじゃない」と暴力的になってきました。



 だからこの何年か親の誕生日を祝ったことがなったものですから、ああ、やっと落ち着いてきたんだなあと思いました。



 良かれと思って親は息子を引きずり回してきましたが、息子の気持ちを分からないでしてきたんだなあと思います。
だから分からない方がいらしたら、学校だけじゃないんだよと早くお伝えしたいです。
そこまで行き着くには苦しいし、私達も学校に行かないといけないと育ってきたので、そこから抜けるのはとっても時間がかかると思います。



 最初からスパッと切り替えられる人を見ると「すごいなあ、私達も最初から出来ていたら少しは違ったかも知れないんだけど」と夫と話しました。



 でも、今こういうふうになったから言えるけど、あの時は息子に良かれと思ってやったことで仕方がない、今は息子らしく生きていけるように力を貸していきたいと思っています。



―――後学のためにですけど、わらをもすがる思いでいろんな所に行かれてご苦労なされて、そんな中で鹿児島の親の会はその他大勢の中のひとつだったんですね。



 東京の心理学者で、ご自分の子どもさんも不登校だったG先生という方とお話したことがあったんです。
その方が夏合宿の報告集を紹介してくださり、そこにもこの親の会が載っていましたし話も聞いていました。



 私は電話を入れて行こうと思っていたのですが、やはり夫は学校に行かせたいという気持ちがあったものですから。それで様子をみようとなったんです。



―――病院は行かなかったんですか?



 Hさんとの面接の後、カウンセリング料の領収書を息子が私のバッグから取り出そうとし、私は見せまいとして激しい取り合いになったのをHさんは、「これは将来分裂になる可能性がある」と言って病院に紹介状を書きました(笑い)。
息子は金取り主義だと見抜いていたみたいなんです。病院には2回ぐらい行きました。



 そこでは精神的に高揚しているからちょっと抑える薬を出しますと言って漢方薬をもらいましたが、息子は全然飲みませんでした。



 今言われる「統合失調症」ですよね。私はそういうことはないおかしいと思い、確認するために別のクリニックに行きました。息子の様子を見て「何も心配ないです」と言われましたので、Hさんのカウンセリングもやめました。



―――Hさんはいくらなんですか?



 その時は1回が2万円です。30分とか1時間、とにかく1回でそんなでした。
横浜から来る時は交通費も出すんです。私達も切羽詰っていますので、面接をして変わるぐらいだったらすぐにでもして欲しいという思いでした。
息子は何回か面接を受けるうちにすぐ見抜いて「おかしい」と言っていました。



 生育暦や、夫婦のことや。小さい時に家族で砂浜に行きボール遊びをしているうちにボールが海に流れていって、それをお父さんが取ってくれなかった、その時のお父さんが子どもに傷をつけている等と言われました(笑い)。



夫は「あれは冬だった」と、息子は「夏だった」と言い、子どもにとって思い出として残っていることもさもきっかけになったように言われました。



 原因探しはしませんと言いながらそういうことを言われました。
 最初に行ったときに、息子が私と離れて座っていたのに、だんだん私の近くに座るようになったことまで取り上げて言うようになり、親もだんだんおかしいなと思うようになりました。息子の方が正しかったんですね。



―――当たり前なことで心配なことじゃないんだと気がつくまでたくさんの時間とお金を使ってしまうんですが、その前に子どもが傷つくんですものね。
よく息子さんもくっついて行っていましたね。




 息子も学校に行きたいというのがあったと思うんです。
朝着替えてバッグも用意しているのに、真っ青になって行けないんです。だから息子も変だなと、どうしてこうなるのと思っていたと思います。



―――ほんとは「行かねばならぬ」という気持ちでそうなるんだけれども、「行きたい」と言うんですね。
親は「行きたいんだったら、どんな努力でもするよ」となるんですね。



 ずいぶんいろんな葛藤があったけれども、お父さんの誕生日を覚えていてくれて電話してくれた、それだけで感謝ですね。
親ってそれで何でもしてやろうという気持ちになっちゃうよね。(笑い)



 いろんなまわり道をしたとおっしゃいましたが、ひとつひとつが親子の絆を深める大事な経験だったんじゃないですか。
 思考錯誤しながら、その全てが息子はおかしくないんだと信頼を深めてきた。



 ですから息子さんもご両親に信頼を寄せてきたんだと思います。
 あれがあったから、今がある、そう思えるんですね。





薬を服用した時のこと-----不安は薬では消せない-----



学生さん:今日はじめて参加しました。内沢さんのゼミの4年生です。
去年霧島での夏合宿に参加したときにも感じたことですが、こういう会は暗い感じでやっているのかなあと思っていたら、かなり明るいイメージでやっているので、正直びっくりしました。



―――夏合宿のとき、炎天下サッカーをして捻挫した子どもさんをおぶってくれたり、裏方でも大変お世話になりました。
来年は教員になろうと思っているんですか?




 昨日、今日、ちょうど教員採用試験(一次)をやっているんですが、ぼくは受けませんでした。
6月の初めに急に不安がいっぱいになって勉強が出来なくなりました。勉強をしなければいけないと思ってもできないんです。
外出しないとご飯が手に入らないので、最低限、外出しました。



 胸がすごくどきどきして、どうしてなのか自分でもよくわからないけど外に出られない。今まで1回もこういうことはありませんでした。
これはおかしいなと思って、大学の保健管理センターで診てもらい、精神科クリニックを紹介され、薬をもらいました。不安を和らげる薬です。



県外の親に電話したら、すぐ帰って来るように言われ、帰ったところ親から「今年の試験はいいから、今は元気でいるのが一番だから」と言われました。(
―――いい親ですね) うちの親はちょっとおかしくて(笑い)、高校のときも「勉強するな、勉強するな」と言ったんです。



 大学受験のとき僕は結構勉強していたので心配してそう言ったんだと思います。
父は消防士で、まる1日24時間勤務で3日休みという勤務状態で、暇そうにしていて「今日は学校を休め、一緒に海に行こう」と言うんです(笑い)。
 高校生の自分は何言ってるんだろうと思ってました。



―――今年は試験はいいからって(はい)、就職しなくていいからゆっくり休めと。



 はい。そういうふうに自分の中で整理してくれたら、不安感がすごく楽になったんです。



―――お薬はどうされましたか?



 飲んだら、とりあえずは動悸がなくなり楽になるんです。
でも逆に食欲がなくなったり、元気がなくなるんですよ。すごく眠たくなります。



1週間してまた病院へ行って薬をもらったんですが、あるとき薬を飲み忘れたんです。
 その前に試験を受けないことも決めていたので、気持ちが楽になって、元気も、食欲も戻ってきました。



 内沢さんに相談したら「薬は飲むな。薬でごまかして動悸をおさえても、不安の元は変わらない」と言われました。
僕も薬はあまり飲みたくなかったので、医者に「よくなったら薬は飲まなくてもいいんじゃないですか」と聞いたら、「それはだめだ。飲み続けなさい」と言われました。



―――良くなったかどうかは私(医師)が判断することで、当事者の患者が判断することじゃないと?



 そうです。医者は、僕が飲まなかったら、またおかしくなると思っているからだと思うんですけど。



―――とても参考になるいいお話ですね。あなたはご両親が理解してくれて良かったですね。
どうして、いの一番に内沢達ではなく、病院に行かれたんですか。(笑い)




 自分でもちょっとした不安だけでこんなにもという、体調のおかしさにびっくりしたんです。
試験の前とか、人前で話すときなどの緊張はよくあることですよね。それとは全然違うものでしたから、保健管理センターや病院へ行きました。



―――私は「免疫学問答」(安保徹・無能唱元著)という本を夫に薦められて読みました。
きっかけはこの会のKさんがアトピーのお孫さんに大変な思いをされていました。
やはり心と体は一緒なんですね。心と体を切り離しては考えられない。



 安保さんによると、自律神経の中には交感神経と副交感神経があって、簡単に言えば副交感神経はリラックスさせる、交感神経は高揚したり緊張したりさせる。



 だから毎日を「いつもにこにこ副交感神経」で暮らしていると、病気は逃げていくよと言うんですね。



 癌だってじつは恐ろしくない。自分で治せる。ところが、普通は「不治の病」という見方しかありません。
 がん検診を受けること自体がストレスで、組織検査にだして、結果が出るまでの期間も大変なストレスです。



 精神的なストレスが病気の原因なんだよという本です。
 ですから不安で体がおかしくなるということは、まさに心と体が一緒なんです。



 増田さんの二女さんが喘息だったけど、学校を卒業したら喘息のぜの字もなくなったということは、まさにそのことなんですね。
 心と体はひとつなんだよと。癌治療の際の抗癌剤投与と放射線治療と手術は3大悪だと。



 この3つは受けないほうがいいという提言をしているんです。私は本当にそうだなと目からうろこでした。(「ガンは自分で治せる」安保徹著



―――(内沢達):僕は彼に今日ここで話してくれるようには頼んでいなかったのですが、とてもいい話でした。ありがとうございました(拍手)



 彼は山口出身で、まじめで成績も優秀です。5月末には、3年生20人くらいを相手に「たのしい授業」をして後輩たちからもとても喜ばれていました。
 いまは、教員採用試験だけでなく、公務員試験を受ける学生たちも、大学での勉強のほかに予備校にも通って勉強する、ダブル・スクール現象というのが普通です。



 彼は予備校に通うというほどではなかったのですが、予備校の模擬試験は受けていて、一度は「5番」にもなるほど優秀です。元気ですし、友達もたくさんいます。



 そうした彼でも、突然、自分が自分でないかのようなおかしな感覚になることは、全然、異常なことでも不思議なことでもありません。



 成績がよくても、いや良ければよいほど、「まだ、ここも勉強しなければならない。あすこもしていない。もう、試験まで2ヶ月もない」など、不安や緊張が一気に高まってきたからでして、きわめて正常な反応だったと思います。



 薬で治すようなことでは、全然ありません。そういった自分の今を素直に認め、受け入れることが、治療といえば、一番いい治療です。



 彼はそうした自分を認め、実際、元気になってきました。
 何歳で教員にならなきゃいけないなんていうことは、ありません。今回、ちょっと無理をすれば試験を受けることもできました。
 そして、受ければ、続いて二次試験もあるのですが、彼なら受かっていたかもしれません。



 彼はそうしないで今の自分を大切にしました。そのことは、彼にとってだけでなく、たくさん友達や同級生(彼以外は全員受験しました)にとってもよかったことです。



 いま、教員採用の枠はすごく少なく、一回で合格するのは例外的です。
 鹿児島県は35歳までチャンスがあるので、みんなゆっくりしていいんです。



―――(内沢達)僕がどうして薬に否定的か少し述べます。
たとえば、精神安定剤というのはほとんど睡眠薬でしょう。



 眠れないから睡眠薬を出して眠れるようにというのは、対処療法ですね。
 眠れないのだったら眠れなくていいじゃないのということです。眠らないといけないというのは、思い込み、固定観念です。



 眠れなくても横になっているだけで、じつは結構身体は休まっています。
 大体人間はずっと眠れないと体が持ちませんから、ほうっておいてもやがては必ず眠ります。



 不安があったら抗不安剤、うつ気味だったら抗うつ剤の薬を出す。いずれも対症療法です。
 僕らに、だれしも多少不安があるのは、人間ですから当たり前じゃないでしょうか。



 五木寛之さんがまた「不安の力」(集英社1300円)という、よさそうな本を出しました。
まだ、少ししか読んでいないのですが、なんと「不安の力」です。「安心の力」、「自信の力」ではありません。
安心だけでなく、じつは不安も力になるんです。



 どうして「不安とともに生きる」という考え方が自然にできないのでしょうか。
不安はよくないこと、なくさなければいけないと間違った考え方をしているからです。



薬がいけないことは、不安を抑えるべく、同じく不安を否定しているからです。薬で一時的ごまかすことができても、それはごまかしにすぎません。おおもとの心のありようは、なにも変わっていません。



 それどころか、薬には一時的であれ、効き目があればあるほど、副作用があります。
彼もそうでしたが、効いたのは最初だけで、その後は全身が気だるくなり、元気や意欲がなくなっていきました。



 薬をやめたのは正解です。不安のおおもとを認め、素直に、そうした自分を受け入れていくことが元気を回復していく王道です。



 人間は機械じゃありません。機械がうまく動いてくれないのだったら油をさせばいい、というようなわけにまいりません。
 心と身体はひとつです。安保徹さんの本は、ほんとうにオススメです。医療が病いを治すどころか、医療が病いを作っている。



 人間には免疫力があるのに、自然治癒力があるのに、いまの医療はその力を高めるのではなく、弱めるほうに、働いている。
 そのひとつが、何でも、投薬、薬、薬、薬です。その結果、薬漬けの人が増えてきている。



 もっとも、「あんたも薬漬けじゃないか」と言われかねません。「アルコールを少しひかえたら」と。それを言われたら、ぼくに返す言葉がありません。(笑い)



―――私達は自分の体とどう付き合うのか、自分の不安とどうむき合うのかということです。
 だれしも死ぬまで幸せに生きていきたいと思っていて、しかし病気になったら薬に頼ったり、病院に頼ったりします。



 それが当たり前のことと思ってあまり考えていないんじゃないか。でも、その医療も今疑問符をつけられるようになってきました。3分診療でどんどん薬を出していって、流れ作業みたいなのが今の現状でしょう。



 東京女子医大は、心臓外科で権威があると言われたところです。
 そこで一人の少女を医療ミスで死なせてしまい、その後医療事故を届け出制にしたらすごい勢いで出てきたというのを、NHK特集でやってましたね。



 やっぱり医療の怖さもそうなんだけど、彼が言った、薬を飲むか飲まないか医者が決めるんじゃなくて、自分が決めることなんです。自分が人生の主人公でいることは、薬の問題でも、学校の問題でも、仕事においても例外なく言えることです。



 私は安保さんの本2冊を読んで、同時に5年前にモーターレースの事故で全治3年、体の4割を大火傷した太田哲也さんの本「クラッシュ」を読み大変感動しました。
 包帯をぐるぐる巻いてやっとやっと呼吸が出来る状態なのに、医者は彼に退院を宣告するんです。



 なぜそうなったかというと、包帯を取った自分の顔を見てしまったのです。そこには火傷のために顔の造作が何にもなかったんですね。
 顔を見て愕然としたんですね。そして精神科医のどんなに強い睡眠薬を飲んでも全く眠れなくなったのです。



 太田さんはチーフドクターからは「退院しなさい、あなたを救えるのは家族しかいない」と言われます。
 その後彼は「人生を変えるのは自分だし、自分が人生を決めていくんだ」と悟るんですね。



 彼の心を癒したのは家族の愛と、イギリスのお笑い番組「Mr.ビーン」を観たり、ラジオのお笑い番組を聞いたりして笑い転げることだ、人生いかに生きるかという面倒な人生論より、自分をリラックスさせることが大事なんだと言っています。



 まさに「いつもにこにこ副交感神経」ですね。
また皆さんも機会がありましたら、お読みください。





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Last updated: 2003.8.22
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