登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2003年10月発行ニュースより。
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)会報NO.94


登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
毎月の例会の様子をニュースとして、毎月一回発行しています。
その中から毎月3/1から4/1程度をHPに載せています。


体験談(親の会ニュース)目次はこちら→



9月例会報告


朝夕めっきり涼しくなって、季節は秋に変わったと実感できますね。


2ヶ月ぶりに皆様にお会いしましたが、素敵な笑顔がたくさんありました。
やっぱり親の会は肩の力も抜けて荷もおろせてホッとしますね。
皆さんのお話を以下拾ってみました。



*右往左往して辛い思いで過ごしていたが、本格的に親の会に参加するようになって今は人の話がゆったりと聞けるようになりました。

*息子をだんだんいとおしく思えるようになりました。
私と話しても笑うようになって・・・。


*夫と別居して生活が苦しくなったが、自分の人生を大切に生きることが出来るようになりました。

*“子育ては親育ち”、自分も子どもたちから教えられて育っているんだな、もっと自分を大切にしようと。 

*
最後に15年間参加している長谷川さんの言葉。
「私はいつも原点に返って学ぶことを大切にしよう。ここで生き方を学んでいるんです。」


 まだまだたくさんあります。
皆さんのお話を我がこととして聞く、するとたくさんの宝石が発見できます。
4人の当事者の子どもさんが参加されお話を聞きました。当時者の話は貴重です。



親の会の立場は「問われているのは子どもではなく、我々親にある」、「子どもにどう接するかではなく、どう自分のこととして捉えることができるか」(内沢達さん)なんですね。


鹿児島の親の会のHPもリニューアルされ、アクセス件数も17万件を超えました。
全国から共感の声や、会報、全国合宿の報告集、記念誌等の申し込みが寄せられています。
反響がうれしいです。





1.
子どもからの切実な相談が寄せられて

2.親はでんとかまえて 森田重則さんのお話

3.今、拒食しています。Fさん、愛美さんのお話

4.自分が嫌だと思うことは一切やめて  Hさんのお話

5.親の会で原点にかえって  長谷川登紀子さんのお話



子どもからの切実な相談が寄せられて


―――8月の親の会はお休みさせて頂いて、いろいろご迷惑もかけたんじゃないかと思っております。暑さ寒さも彼岸まででやっと涼しくなってよかったですね



 鹿児島の親の会は15年目にはいりまして、来年15周年を迎えます。
鹿児島の親の会のHPには、特に9月は2学期が始まる時期で、学校に行けないという子どもたちの多くの相談があります。



 夏休みは元気だったんだけど2学期になったら行けないと言うんですね。
そうすると親御さんが「怠けているんじゃないの?」とか「行かなかったら大変になるよ」など言うんですね。



 それでまた子どもが非常に辛い思いをしていく、そのやり取りがHPの不登校関連相談の中に多くあります。




 子どもからの相談というのは辛いですよね。
子どもからの相談には、きっとお父さん、お母さんは信じてくれるから、私の返事を読んでもらってねと言うんです。



 誰よりも分かってもらいたいのはお父さん、お母さんなんですね。
だからHPを見てもらえればどんなにいいかが分かると思うんですけれども、なかなか見てもらえなくて、ある子はリストカットしてしまったとかそういうことがあります。




 やはり子どもは親を一番慕っているし、親に一番理解してもらいたいと切実に願っているんだと思います。



 私たち親は子ども達から学んで、考え方を切りかえて明るい人生を開いていって欲しいと思っています。





親はでんとかまえて 森田重則さんのお話


森田重則さん:20歳の息子と18歳の娘がいます。


 2週間ほど前、長男が昨年鹿児島であった夏合宿の記録集を見て、「僕の許可なしに僕のことを勝手に出すな」と言ったんです。



 息子はいじめが原因で行けなくなったと私は思っているんですが、息子は「相手と喧嘩して言うべきことは言った。



 一方的にいじめられたんじゃないんだから、それが分かっていない」と言いました。
 それまで息子から私に面と向かって言ってくることがなかったので、それで動揺することもなく、かえって話してきてくれてよかったなという気持ちでした。(―――それはよかったですね。
 息子は内沢さんにも電話したらしいですね。



―――息子さんから私のところに電話がありました。
息子さんは「お母さんならまだ許せる」と言うんです(笑い)。



 「僕のことを分かっていないお父さんが言うなんて許せない」、僕はお母さんと話をしたいのに、横からお父さんが話したそうに(笑い)、「僕も話させて!」と入ってくるからイライラすると言うんです。




 また夏合宿の「親たちのシンポジウム」の森田さんの紹介に「いじめが原因で中1から登校拒否になった19歳の息子と、中2で登校拒否をはじめた17歳の娘を持つ父親」と書いてある点、その紹介の部分の1行で私に電話をしているのね。



 私は「いじめで不登校になったどこが悪いの? いじめというのは自分の意に沿わない人を気に入らないとやるわけで、そうでなくても適当にあいつをいじめようといじめるのがいじめであって、君は自分に問題があるとマイナスイメージで捉えているんじゃないの? いじめというのはいじめられる人間が弱くて、そして何かその子に問題があると思っているんじゃないの? それは違う」、



 「いじめは人権侵害なんだよ。だからいじめという言葉にそういう反応をするのはおかしい」といじめの根源的な話をしました。



 そして「中味をよく読んでごらん。お父さんは自分のことを話しているよ。自分の反省や、君や妹さんを通して自分の生き方を変えていった話をしている。自分はどうやって生きていくかということをお話している」と100分以上話すことができました。
 重則さん、息子さんとお話できてほんとによかったでしたね。




 はい。息子は以前の私に対して喰ってかかるような態度とはずい分違ってきました。
息子は自分で分かって言っているんですよね。
でも、まだ自分の中に納得できない部分があって言っているんだと分かるんです。




―――以前の息子さんの話し方は「親が悪い。どういう時に悪かったの、こういう時に悪かったの」と克明によく覚えているなというぐらい話するんです(笑い)。



 皆さんのところもあると思うんだけれど、子どもから「親が悪い」と言われて、親がひるむ必要はないんですね。



 学校という向かう対象が無くなると、当面そこにいる親を攻撃するのは当たり前なんです。
親はそう言われるとすねにひとつも二つも百も傷を持っていますね。



 子どもが小さくまだ親が若い時は、特に私なんかそうだけど、子どもをほったらかしにしたとか、あこぎなことを言ったとか、「ああ、もう、ほんとに胸が痛むな」ということはあるけれども、それは仕方ないの。



 親は子育てをして親が育つんですから。
 「子育ては親育ち」なんです。
 「よしよし、それは悪かったね」でいいんですね。
 根本的な信頼があるからこそ親に言うわけですから。




 でも前から私は息子さんとお話しているんですけど、電話の回が重なる毎にそういうことをテーマにするよりも、息子さん自身に力があってよく話ができるようになって、話の内容が深まってよかったなと思います。



 そして重則さんの発言に、「犬のタローが我が家で過ごす息子のかけがえのない友だちになっています」と書いてあるんですが(笑い)、「僕のことを犬しか友だちがいなくて、引きこもって、なんかくら―いなんて、冗談じゃない!」と言うんです。



 私は「あれっ、違った? そうじゃないの? 犬が友だちでなにが悪いの? 犬は人間社会に贈られた天使だよ」と言って(笑い)、そこでタローの話をひとしきりしました。
友だちだって、じゃまな時にはいらないんだと話をしたんです。
 友達はいなくってもいいんです。




 そして、息子さんは「妹と犬のタローは、僕のことを全然偏見の目で見ない。何も条件をつけない、僕の存在そのものを絶対的に信頼してくれる」と言っていました。
なかなかいいことを言いますね。




森田淳子さん:息子は私に「あんたはお父さんが単身赴任から帰ってきたら俺のことを捨てるつもりだったのか?」と言いました。



 それは私が夫に「今迄私ひとりで抱えてきたから、単身赴任から帰ってきたら、今度はお願いね」と言ったことを、「俺のことがよっぽどたいへんだったから、お父さんに任せるつもりだったのか?」と言いました。



 私は「それに近いようなことは言ったかもしれないけど、でもお父さんが帰ってきてからあなたを全部お父さんに任せた? そんなことないでしょう」と言ったら納得していました。




 昨日、息子はその後の文章も読んで「よけい腹が立った」(笑い)、「こんなお父さんだったっけ」と言いました(笑い)。



 親の会に来ても最初お父さんたちは特に自分のことは言えないのよ。
でも、お父さんをあなたが「エッ」と思うぐらいのことをお父さんが言えるようになってきたんだよ。



 「それはいいことなんじゃないの」と言うと、「でも、まだお父さんを信頼しきっていないから、お父さんに自分の相談をする時に、お父さんが切れちゃうんじゃないかという不安がある、そういう怖さがある」と私に言いました。




―――お父さんが切れるってどういうこと?



 あの文章を読んで、息子が「ちょっとしたことでもショックを受けて悩むから、あの年になって、俺からなんか言われて悩んで、ひとりで下向いてご飯食べているとかわいそうだ」と言うんです。(笑い)(―――やさしいよね



 だけどその分お父さんにぶつかれない、息子が持っているやさしさ、思いやりがあると思うんです。
 だから「お父さんはいつもでんとしていて欲しい、俺がぶつかれるように」と言っているんですけど、やっぱり夫は私たちの中に入ってこようとするんです。



息子は「父親というのは孤独に耐えてデーンとしていればいいのに」と言います(笑い)。




 私もあるんですが、夫は息子と何かあった後は余計に「子ども達は?」と、自分のことは次の次なんです。
 だからそこが、息子は「お父さんは無理して気を使って入ってきている」みたいに感じていると思うんです。



 だから「僕のことで悩んで元気をなくすんじゃなくて、もっと自信を持って自分自身を生きて欲しい、すると僕も安心して言えるようになるんだけど」と言います。




―――息子さんはいいことを言ってくれますね。
50代の男性はなかなか無理なようですね。
小さい時から苦労して育っているから、自分を置いてまず家族のためというのが本能的に身についているんです。




 
私のうちでは、私のわがままを達ちゃんと玲子は学んでいると言うんです(笑い)。
自分がどう生きていくか、自分自身の生き生きとした生き様、つまりどれだけ安心して自分自身を大切にしているかをみせることで、結果として子ども達が安心するんですね。
でもきっかけがすごくあってよかったなあと思っています。
兄妹の仲もとってもいいですしね。




 親の会に参加されているたいていの方は分かると思うんですが、この会で私が話をする時はとても不安なことだけを話しますし、特に荒れている時はそうですね。



今でも息子は私に言ってくることもありますが、1日の大半はゲームをしています。
息子が「俺っていじめで不登校になって、引きこもりして、犬しか友達がいないなんてすごい暗いやつだとみんな思うんじゃないか」と言うんですが(笑い)、そうであっても構わないけど、別の本当の息子の姿というのは、ひょうきんで、ダンスを踊ったり、物まねしたりして家族を笑わせるんです。




 娘も不安はあるんですが、息子と一緒にゲームをしてふざけあったりして楽しく過ごしています。



―――息子さんが18歳の頃、二十歳までに車の免許が取れなかったら僕は死ぬからねと言ったことがありましたね。
 その時のご両親は大変心配されたのを覚えています。




 あの時の辛さ、苦しい思いはご両親も苦しかったでしょう。そして重則さんも「何だかんだ言ったって社会に出て働かないといけないんだ」とおっしゃったこともありました。



 やっぱり親も自分たちが不安になりとげとげしくなってしまうと、子ども達が合わせ鏡のように不安がいっぱいなってきたんですね。
 その時に比べたらご両親が格段に力をつけ落ち着いてきていますね。
 そして子ども達から幸せをたくさんもらっていますね。




 いじめとか引きこもりとか過食・拒食というのは暗いイメージだという世間一般の常識が違うんだということを親が肌で感じる程自然になっていき、こうやって毎日毎日大切に生きていっているんだよということを息子さん自身も受け止めていっている、長いスパンで考えたらね。
 ほんとに感謝しないといけないですよね。




 それは夫とも話しています。
今娘は息子が悩んだ頃の年令になっているので、息子はそれはもう乗り越えたみたいなことを言って、「妹が今の自分みたいな気持ちになるまでには大変だね」と言いました。




―――不登校の子が学校に行くようになったから問題が解決したとか、引きこもっていた子が動き出したり、あるいは働き出したり、大学に行くようになったから、もう「解決した」と言って親の会に来なくなって、それでもいいんですが、世間的な価値観にあわせて解決したと安心してしまう。



 それは単に大部分ある世間の価値観にどとうの如く流されただけであって、我が子の内面的な辛さから目をそむけてしまうことになっていくんじゃないかと思います。



 そして「やっぱりうちの子はダメだ。ぼくはダメだ」となってきて、家庭の中が大変になっていくんです。
 親の価値観がすっかり元に戻ってしまうんですね。これは非常に多くあります。




 
それからもうひとつ、人の話を聞く場合、あれはあそこのうちの話だからねと思って聞かないことです。
 「○○さんちの話は家でいえばこうだな」と、人の話は我が話とそういう聞き方をされたらすごく参考になるんですね。




 
私なんかも自分のうちの恥をよくさらすけれども、「ああ、内沢さんちは程度が低いな」と思ったらダメなんですよ(笑い)。



 ああいうふうな言い方をしたらこうなるんだなとか、あの人はちょっと愚かだなとか、私はそうしないようにしようとかそういうふうに聞くんですよ。
そういうふうに人の話を参考にされたらいいですね。





今、拒食しています。Fさん、愛美さんのお話


Fさん:9月で23歳になりました。ふたりの自分がいて、拒食と過食をしていて今その真っ只中なんです。
最初ダイエットのつもりで始めたのが3年ぐらい前だったんです。



だんだんダイエットを厳しくやっていたら、それが拒食・過食みたいになってきて、止めたいんだけど止められないのが今の状態なんです。



以前は夜型で夕方の5時ぐらいに起きてきて、朝の9時ぐらいに寝る生活だったんですけど、ここ1ヶ月ぐらい前から全く逆転して、朝の5時ぐらいに起きて夜8時ぐらいに寝る生活です。




 食事の摂り方が分からないんです。
朝食で1日分の量を食べてしまって、カロリーを考えているので午後から食べちゃダメと自分決めて、お腹をすかせたまま寝てしまったりするんです。



それでまた朝起きるとすごくお腹がすいていて1日分を朝食べてしまう。
食べ過ぎたらどうしようといつも恐怖なんです。
今私は食べることで頭の中がいっぱいで、朝から晩まで食べ物のことで振り回されて疲れきっている感じです。




―――疲れちゃうね。そして食べたと思ったら、もう動かないといけないと思っちゃうの?



 朝のうちに楽しみの食べることが終わったら、いやなことしか残っていなんですけど、でもしなきゃいけない気持ちで、炎天下でもひたすら歩くとか自転車に乗って出かけたりしています。じっとしていることが出来ないんです。



 1日の分を朝食べてしまった日は、もう食べる分がなくなってしまい、どうしてもお腹がすいた時には、パン屋にフワ―ッと行って試食コーナーで菓子パンを食べるのが今止められないんです。



それを家族に相談したら「1回ならいいけど何度も試食しなさんな」と言われて、試食したなら買ってこないといけないと言われて、…そんなに試食って悪いのかなと思って…。




(母):私はそんなに気にしていなかったんですけれど、娘は朝ウォーキングついでに祖母の所によって1日のそういう話をするんです。



そしたら祖母は「あんまりそんなことをしていたら通報されるよ、そしたらお父さんにも迷惑になるから」と言ったようなんです。
「好きなだけ買ってきなさい。あとはお父さんとお母さんが何とかして食べてあげるから」と言ったんです。




―――(内沢達):試食は何も悪いことじゃない。
僕とトモちゃんも、この間ダイエーの入り口で荒田のパン屋さんが店を出していて、美味しかったので相当食べました。



僕は試飲も相当するけどめったに買わない(笑い)。
お店は商品に自信があって、売ろうとして試食をすすめているのだから、僕ら客はいいことしているんです(笑い)。




―――Fさんが最初はダイエットがきっかけで、過食・拒食をするというのは今の自分を許したくないという気持ちが潜在的にあるのね。



頭の中は食べ物のことでいっぱいで、でも、食べたら動かないとダメだと思って、動くのも辛いのにね、へとへとになっても動かないといけないと思っていますね。
でも試食コーナーに行って思わず手が出る。




それを聞いて私は世間がどうあろうと、とてもいいことだねとお母さんに先日電話で言ったんです。
あなたの中に「生きたい」という意欲があるということなんですね。
もっと食べて生きたいという人間の押さえられない本能ですよね。
生きるためにとっても大切な能力なんです。



だから全部試食して、今日はこれだけ買おうとすればいいし、お母さんも痩せているみたいだから(笑い)、食べてもらえばいいし、そういうふうにしてもいいんです。



試食して世間がどう思うかを気にするのは、それはその時に考えればいいの。
「まだ見ぬ将来の不安に怯えない」ことです。何にも悪いことをしているんじゃないから。




あなた自身中学の時に学校に行けないということを認められずに、自分を責めた辛かった毎日があったわけでしょう。
吉田の教育センターで「通信制ぐらい籍をおいた方がいい」と言われて通信制にも行き、そのあとアルバイトもしたりして、ゆっくりする時がなくてすごく自分を痛めつけていたよね。



そういう経過があるから、やっぱり拒食・過食になるのも不思議じゃないと思うの。
だけどつまみ食いもしたい。
それはあなた自身が「自分を大事にしたい」と思っているということで、いいことですね。




Fさん:食べる時も、普通の人たちみたいに「あっ、これ美味しい。」とさっさと食べればいいのに、私はジーッと見て、何カロリーぐらいだろうと思って。(笑い)



―――(内沢達):Fさんがそういうふうに考えざるを得ない状況にあるんだから、「食べたい」「でもカロリーも考えないと」というように、ふたりの自分がいるということでしょう。
両方の自分を認めてあげなきゃ。
それから高価なダイエット食品はその後どうしています?




(母):今も続けていますけど量が減ってきています。



―――(内沢達):それが一番感心しないんだなあ。



(母):夫も言ったんです。「カロリーがないのにたくさん食べるというか、ご飯に混ぜるコンニャクとかにはお金を出したくない。
普通のだったら、お金をだしてもいい」と言いました。




Fさん:私はお祖母ちゃん、お祖父ちゃんが好きだから、今日あったことを私は話したいのに、「太らなくていいからせめて人並みになってくれ」とそればかり言うんです(笑い)。



お祖父ちゃんは私の足ばかりジーッと見て、いつ足が太くなって元気になってくるんだろうと心配するし。あと食べ過ぎた時は誰かに言わないとなんか怖いんですね。



お祖母ちゃんに「食べ過ぎた、いつも食べ方に失敗しているの」と言うと、「でも、食べてる割にはどうして太らないの」みたいなことを言われて、もうお祖母ちゃんたちは、毎日いつ太ってくれるんだろう、いつ元気になってくれるんだろうとそのことを楽しみにしているんです。(笑い)




弟は6歳も離れているんですけど、結構しっかりしているんです、その弟に相談したんです。
「カロリーばかり考えていて、カロリーがあえば何食べてもいいというわけじゃないでしょう。
カロリー以外のことも考えてみたら」と言われて、また違った方向で考えさせられました。
親に話すより弟に話したほうがすごい説得力があるんですよ。




―――17歳の弟さんと、あなたは今仲がすごくいいのよね。
お母さんとお話できないことでも、弟さんに自分の気持ちを打ち明けられるようになったんですね。




あなたが大変な時、弟さんの不登校も受け入れられなかったし、お互いに受け入れられなくてすごく反発しあっていた時期があったけど、それが仲がよくなったのは、自分自身の生き方が大丈夫なんだよということがお互いに安心してみていられるようになったからだと思うの。



あの時に比べたら今、去年より今年というふうにしてずいぶんと状態はよくなってきているけど、やっぱりその時その時で心配なこと辛いことがでてくるんだよね。




(母):娘は私とは出かけないと言うんです。
「この人の子だと思われると、母親が可愛そうだ」と言うんです。
だから、自分ひとりで出て自分で罪をかぶっちゃうみたいな所があるんです。




―――お母さんはどうなんですか? 「この子の親だと思われたら困る」と思っていらっしゃるの?(大笑い)



(母):そんなことはないですけど、やっぱり、知った人と会うと…ちょっとありますねえ。だめですねえ…。あ〜あ(笑い)



Fさん:この間、一緒に出かけてお母さんの同僚の人と会ったんです。
その時お母さんがすごい動揺した表情をしたので、ああ〜と思って。




(母):私も自分が痩せているのが正直言って嫌なんです。
だから太りたいんです。だから子どもまで痩せているというのは私には嫌なんですよねえ。




―――そこまで痩せている子が私の子どもだと思われたくないわけ
 親子でですね。自分でも太りたいと思うから、腕出したくないし。
―――私も逆の意味で腕出したくない)(笑い)




 この前、娘は銭湯にひとりで行ったんです。
だから私は大丈夫かな、途中で帰ってくるんじゃないかと思ったんですが、3時間後に迎えにきてと電話がありました。



私はすごいなと思いました。
こういう体形で銭湯に行くなんてと思って。
私も行きますけど(笑い)、あんまり行きたくないですよね。




―――とても正直でいいです。
つまりだから、毎月親の会に来てねということなんです。
何ヶ月も親の会に参加できないと動揺しちゃうよね。



あなたご自身が世間にどう見られるか、何か言われるんじゃないか、試食で店員さんから何か言われるんじゃないかと、ありもしない、まだ起きてもいない未来に怯えて、それは止めた方がいいんじゃないと思ってしまう。
それはそのときに考えればいいことなんですね。




Fさん:昼型の生活になって、朝ウォーキングに出掛けると登校中の子ども達に出会い、その子どもたちが振り返ってまでも私を見るんです。
私ってそんなに痩せて変なのかと思って。




太るよりは痩せた方がいいと思ってるんですが、今の状態でいいかなと。
この前までは毎日体重計に乗って、お風呂に入る前と後にも測り、減ってなかったらもう少し入って、苦しかったので数字にこだわるのをやめました。



この間1ヶ月ぶりに測ったら、パンを夕方1斤食べたりしたせいもあり、4キロ増えていました。
今はどうやって減らそうかなと思っているところです。




―――(内沢達):僕が「たっちゃん」です(笑い)。
僕が書いた「ことわざ・格言と登校拒否、ひきこもり」というのがありますので、ぜひ読んでみて下さい



 その中の2番目に“馬鹿の大足、間抜けの小足、ちょうどいいのが俺の足”というのがあります。
「大きい」「小さい」「ちょうどいい」とは言うけれど、じつは、このことわざは、どのくらいが「ちょうどいい」のか、そこに不動の基準はありませんよ、ということわざです。




大きかろうが、小さかろうが、「ちょうどいい」のは自分だと、手前味噌に、つまりは自分に都合いいように考え、自分に自信をもつことが大切だということわざです。



僕の足を例にすると、大きいか小さいかを言う前に、僕の足はかっこうが悪いんです。
横幅が広く、偏平足です。
「土踏まず」がない「ベタ足」です。
子どもの頃、「偏平足だ!偏平足だ!」と馬鹿にされたこともあります。



でも、そんな僕の足でも「ちょうどいい」と思えるのがこのことわざです。
偏平足は疲れやすいとか、運動能力に劣るといったことは、根拠のない偏見です。
先日の世界陸上で、短距離種目では日本人初のメダリストになった末續選手(200M)も偏平足なんですから。



偏平足はスバラシイ(笑い)。
人間、太っている人はやせたいと思うし、やせている人はもっと太りたいと思っています。
ちょうど良さそうに見られる人だって、ウエストのあたりがどうだとか、「悩み」がつきないのが人間です。太っている人もやせている人も、みんな「ちょうどいい」のです。



 Fさんは今、カロリーのことや体重のことが気になり、僕はちょっとお酒のことが気になっている(笑い)。
気になるところが人によって違うだけで、また時期によって違ってくる。
今は体重のことが気になっているけど、5,6年前は別のことが気になっていたでしょうし、これから先も変わります。



 大事なことは今の自分を否定しない。
食べ過ぎちゃったかなと思う自分もいれば、でももっと食べたいという自分もいる。
両方とも認めようよ。
そういう今の自分が「ちょうどいい」と思えるかどうかがポイントだと思います。



(母):私が思うには普通に痩せているのはいいんですけど、痩せすぎなので歩くのも足が痛い、きついきついと言います。
もうやっと内臓が動いている状態なのに、この暑いお昼の2時、3時に自転車で走って、自分の体を痛めつけているんだなと思います。



そんなにまでしてしないといけないのかなと思ってしまうんです。
夜歩きに出かけるときも「気をつけてね」と家族3人で送り出します。
本人も「家族がこんなに優しいのに、私はこんなにしないといけないのかな、私にはもったいない家族だな」と言いながら帰ってきます。
だからこれはこれでいいかなとは思っているんです。




毎日のことだから私も今はもうあまり気にしていないのが事実です。
昨日は「お母さん、お弁当持って木陰で食べてきていい?」と言うので、「行っておいで、そんなことが出来るからいいじゃない」と言いました。




―――食べ物のことが頭から離れなかったというのは、愛美さんもそうだったよね。
もう食べ物のことばっかりで、お祖母ちゃんが冷蔵庫に鍵をかけてもそれをこじ開けるというサバイバルをやったことがありましたね。




山口愛美さん:私の場合はお祖母ちゃんが食べさせないように鍵をかけたので、よけい欲しくなるという状況でした。
今はお父さんと二人きりだから、自由に食べられるからいいですけど、前は買い物に行ったらお店ごと買い占めたい気持ちでした。



今は気持ち的にはすごく楽で過食してることが変だと思わないし、それが私なんだと思っていて、人は3食たべるけれど、私は過食して吐くのが私なんだと思って、でも太るのはすごく嫌だと思っていたのに今太ってきているんです。(笑い)




 この間、過食の子から久しぶりに電話がありました。
その子は大学生の過食で、夜に過食をしていたのが彼が出来、夜に出かけるようになり過食がなくなったと、安心して私に電話してきたんです。



私は電話が終わってだんだん腹が立ってきました。
その子は「今、愛美は何キロなの?」と聞いて、「愛美は全然太ってないじゃない。私は太ってしまって、また戻るんじゃないかと思って不安だよ」と言いました。



私が過食してることがその子にとってものすごく悲しいことで、私自身が自分を許せないと思ってないといけないことだと決めつけているんです。




私は過食しても別に悲しくないし苦しくないし、そういう今の私をその子は理解できないのです。過食のかわいそうな私を見て安心しようとしたところがあって、私はとてもむかつきました。



自分も過食してるから、あなたの気持ちが良く分かるのよではなくて、「自律神経失調症が今出てて」と病気だから仕方ないような言い方なので、私が「そんな病名なんてどうでもいいんじゃないの」と言っても、「これは中3でちゃんと医者に診断してもらったので」と言うし、その子は今は過食していないけど、そうなったらどうしようといつも怯えているように思いました。



―――3食たべるのが正常で、そうでなければ異常だとか、いじめられて可愛そうだとか、過食して可愛そうだと同情して欲しくないよね。
見下さないで欲しいというのがありますね。
不登校してあの子は可愛そうだとかね。




愛美さん:そうそう、冗談じゃないわよと。



―――愛美さんも以前、自分が自分を許せなくてもっと痛めつけないといけないということがありましたね。Fさんもせめてここに来て、こういうお話が出来るだけでも良かったですね。



愛美さん:気になるときはしようがないし、やらずにいる方が精神的におかしくなるような気がする、やってる方が安心して自分が自分でいられると思う。
自分にセーブをかけて太らないようにしてるときはそうするしかない、そういうのが今の自分だからそういう自分を認めて欲しい…。




Fさん:今のこの状態なら前のほうが良かったなと、何も考えないで朝起きて3食たべて普通の生活に戻りたいと思ってるんです。



―――辛いときは過去が良かったなあと思って、今を否定するんですね。
それから未来に何かいいことあるかなと思って今を否定するのね。
だけど今があるから明日があわけでね。



じゃあ過去は辛くなかったのかというと、ほとんどの辛さは今の辛さで忘れているのね。
そのときは3食たべていたかもしれないけど、別の意味ですごく精神的に追い詰められたり、不登校して辛かった時期があったわけですね。




 以前の全国合宿で「親が語る登校拒否」で40代の方にお話してもらったんですが、その方も高校時代スーパーを全部買い占めたいほど過食したそうです。
Fさんもあのときがあったから今はこんなに考えられるんだなとなるでしょう。





自分が嫌だと思うことは一切やめて  Hさんのお話


(母):先月「私は薬を飲んで落ち込んでいます。眠ってばかりいます」と話しましたけど(笑い)、「更年期かな?」と思ったりしましたが、自分が嫌だと思うことを一切やめるようにしました。



いろんな係をやめたり、ヘルパーの仕事は生活のために辞めるわけにはいかないけれど、どちらかというとヘルパーの仕事は人としゃべったり、人と関わらなくてはいけないので負担もありますが、まあ、ひとつひとつ手を離してやってきたら、気持ちが少し楽になり夜も眠れるようになりました。




 息子はまだ働けないけど、キックボクシングジムに入会して1日おきに通っています。
以前、バイク事故で同時に両足を骨折したことがあるので、足が痛む時もあるようですが、私に練習の内容を教えてくれたり、私を相手にポーズを決めたりと結構楽しいようです。




 部屋から出てくる時間も増えて、私のことを「お母さん」と呼ぶようになり会話も増えました。
息子と話していると、私の知らないことを逆に息子がよく知っていて、「お母さんは頭の悪いボラじゃないの!」と言ったりして、お互いに楽しく会話しています(笑い)。



近頃は灰皿を持ってきて私の横でタバコを吸っています。そんな息子も私の息子なんだからと思えるようになりました。




―――よかったですねえ。何歳になったの?



 11月で20歳になります。この親の会へきたのが14歳の時でしたから、6年になります。
20歳になったら、自動的に保護観察処分も切れます。
会話ができるようになったし、私のそばから息子が離れなくなりました。



私も今では薬を飲まなくなりました。自然にそうなっていきました。
以前は、息子がたてる大きな音にも敏感に反応してましたので、いつのまにか少しずつなくなっています。



息子をだんだんいとおしいと思えるようになりました。
私と話していても笑うようになったし、笑顔がいいんですよ。
ただ働けないのがちょっと。早く自立してほしいと思って。(笑い)




―――これで満足というのがないのよね。
親は「はえば立て」の気持ちがあって欲張りなんですね(笑い)。
一緒にいて違和感はないのでしょう。
まあ、ちょっと「自立」って言ってみたいだけなのでしょう。
ここは世間の価値観とは違うからね。安心していいのよ。(笑い)




 自分自身も同居している母に対して、今まで言えなかったことも我慢せずにどんどん言えるようになったので喧嘩がたえなくなりました。
母は弟に対しては甘いのに、娘の私に対しては厳しかったのですが、はっきり私も物を言うようになりました。
喧嘩はするけど、心を解放できてよかったです。
そういう自分も受けとめられるようになりました。




―――やっと娘になれたのですね、きっと。(はい)
以前は、人と会うのもいやと言ってた時がありましたものね。(はい)



ここにきて、みなさんの顔をみるとホッとするし、忙しいけど「ここにきて、よかった」と思えます。



―――下の娘さんはどんなふう?



 はい、中1になりました。また怒られるかもしれませんけど(笑い)、2学期から学校へ行きたがらなくなりました。
なんで行きたがらないのか、理由はわからないのですけど(笑い)、また一からやり直しですけどね。(笑い)




 今は行ったり、行かなかったりの日々です。
先日、東京にいる長男が帰ってきたのですが、帰る前夜娘が行きたがらない様子を見せたので、「どうして行きたくないの?」と聞くと、「お母さんはお兄ちゃんといっぱい遊んだけど、私は少しも遊んでいない」と言ったので、もう休ませたんですよ。すごく泣いたものですから。(笑い)




「甘えかな。ただお兄ちゃんを送っていくために休むなんて、甘えている」と私の両親も言うものですから。(笑い)



また、これで怒られるかなと思って(笑い)、あまり娘のことは話さないようにしていたのですが、聞かれてしまったので話しました。(笑い)



―――娘さんが学校に行きたくないと言った小2の時、不登校のお兄ちゃんがすごく怒って叩いたことがあったでしょう。(はい)
 娘さんが行きたくないと言った理由にただお兄ちゃんと十分遊べないからではなく、小2からの積み重ねがあって今に至っている訳ですからね。



行くと親がホッとして、行かないと甘えと言うのは大人の勝手でおかしいね。
かつて小1の息子さんに無理矢理ランドセルを背負わせて登校させたことが大きなつけとなって、信頼を取り戻すのにずい分長い年月かかりましたものね。




 2ヶ月親の会が空くと、ちょっとおかしくなりますね(笑い)。又、ちょっと勉強し直して…(笑い)



―――息子さんの苦しみを娘さんへ体験させないことね。
「なんで、学校へ行くの?」と言うぐらいにならなくてはいけませんね(笑い)。
 息子さんが笑って話してくれるまでに13年もかかったのですね。
(すごく長かったですよね)




長いお付き合いの中で、あなたが苦しくて不安いっぱいの時、その肝心の時はちょっと連絡取れなかったりしてね。
苦しくて人の強い勧めで気持ちが動揺し、息子さんを手放して少年鑑別所にも入れてしまったり、いろんなことがあったでしょう。

(はい、そうですね。こんな日がくるなんて、夢にも思わなかったですしね!)



そのことは、娘さんにも言えることですね(笑い)。
お母さんとお兄ちゃんがニコニコ笑って話すことは、どんなに娘さんにとって安心できる嬉しいことでしょうか。
だから自分もその中に入りたいと思う。その気持ちを大切にしてあげて下さい。




 はい、兄が妹に「あれして、これして」と言うのですが、自分がしてあげられることがとっても嬉しいようです。
以前は兄のことを怖がっていた娘が、例えば「ごはんをついであげる」とか些細なことだけど、何か役立っていると思えるのが嬉しいんですね。
今、祖父母と一緒に生活しているので娘も安心です。
ついつい、私もイライラすると弱い者へ目がいくのですね。




―――今までの辛い過去から学んだ教訓を行きつ戻りつしながらも大切にして、ひとつひとつ息子さんとの信頼を取り戻してきた訳です。親子の絆を大切にしていって下さい。




親の会で原点にかえって  長谷川登紀子さんのお話


長谷川登喜子さん:今23歳の息子が小学校3年で学校に行かなくなった時、私は登校拒否が理解できなくて、玄関にカバンを投げたり、家から締め出し鍵を掛けて、なんとか学校に行かせようとしました。



どうしたら学校に行かせることができるだろうかと内沢さんに相談しているのに、学校を休ませなさいと言う、なぜなんだろうと理解できませんでした。そこからの出発でした。




 休ませなさいとは言われたけれど、いろんなことを考えると学校に行かせたほうがやっぱりいいと思って、行かせようとするんです。
そのことによって子どもが追い詰められていくということがわからなかったんですね。



しかし魂が抜け死んだような顔の息子を見たときに、本当に命が大事なんだと実感し、親が学校に行かせるということは子どもを殺すことなんだとわかりました。
それから私は腹をくくって、子どもを学校に行かせず家で自由に過ごさせるようにし、PTAも辞めました。




 最初は私も皆さんの話がよくわかりませんでした。
でもだんだん回を重ねて不登校を理解し皆さんの話がわかるようになって、これでいいんだと確認しながらやってきました。
しかし何年間か経つと今度はどうしてわからないのと思う自分がいました。




 ある時親の会で、長い間参加しているのに、なぜ何度も話をしているのに子どもの気持ちがわからないのと思ってしまい、怒りみたいなものがわいたんですね。



そういう時期があって、ある日私はすごく傲慢になっていると気づいたんです。
自分がわかったという気持ちになってしまっていて…。皆わかろうと努力しているんだ、ここに来たらホッとするんだと思って、私自身もいつも原点に返って学ぶことを大切にしようと思いました。ここ2ヶ月来なかったら2年くらい来ていないような感じですね。




私はここに来て自分の生き方を学んでいる、そう思っています。



―――親の会は親の生き様を学びあう会なんですね。
私たちの生き方、それを子どもたちから学ぶ、ここに参加してくださった子どもたちからもいろんな意見を聞かせてもらって学ぶ。



毎回毎回、繰り返しここで交流し合う、そのことがどれだけ自分の人生を豊かにするかということだと思うんですね。
だから今月参加された方はとっても得された、来月参加された方はもっと得をする(笑い)、そういう会ですね。ですからまた来月お会いしましょう。





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Last updated: 2003.10.18
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