登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島) 登校拒否も引きこもりも明るい話


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体験談

2012年1月発行ニュース
登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)
会報NO.184より

登校拒否を考える親・市民の会(鹿児島)では、
例会の様子をニュース(会報)として、毎月1回発行しています。
その中から4〜5分の1程度をHPに載せています。


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お母さんは自分がすごく好きになったよ!

2011年12月
例会報告(抄)



12月もきらきら光る感動的なお話がたくさん。
もりちゃんは親の会に参加するようになって気持ちが軽くなり、家族みんなもハッピーになったと言います。外食に出かけた折、小さな妹と自然に手をつなぐ兄、「うちの子はこんなにいい子なんですよ!」と周りに言ってまわりたかったほど。息子さんは以前だと食べなかったのに、12月例会の日の夜には、もりちゃんの作ったお好み焼きを2枚もたいらげたそうです。その光景が目に浮かび、胸がいっぱいになります。

Kさんは、ちょうど不登校1年の息子さんに「おめでとう、祝一年!」と言ったところ、「オー」と答えが返ってきたそう。Kさんが「ずっといっしょに楽しく暮らそうね。お母さんは80歳くらいまで生きると思う。お母さんが死んだ次の日ならいい」と言うと、ついこの間まで「死ぬ、死ぬ」と言っていた息子さんが「おれは最後まで生きる!」と答えたそうです。感動ですね。

しずりんさんは、息子さんに「あなたが家にいるようになって、お母さんはすごく自分が好きになったよ」と言いました。素晴らしいです! 自分を一番大事に、自分が大好きになる。それはわが子への何よりの応援ですね。

じぇりさんは、昨年、癌とともに生きた日々でした。「今は最初のような不安はまったくない」「病気して、いいことがいっぱいあった」「癌も普通に受け止められる」「親の会が自分の力になっている」・・・じぇりさん、すばらしいよ! 私たちも、じぇりさんからたくさん元気をもらっています!
 
ヒメちゃんも、臨時教員として不登校の男の子の味方になって、元気です。
今年も「自分が自分の主人公! まっ先に幸せになる!」を合言葉に、親の会でいっぱい感動をわかちあっていきましょう!






目次

1 夫が急病のとき、息子が一番の支えに    しずりんさん

2 私の息子はこんなにいい子なんだよ!   もりちゃん

3 ガンになって、いいことがいっぱいあった   じぇりさん

4 学校に負けないで不登校続けて!   ヒメちゃん






夫が急病のとき、息子が一番の支えに

しずりん
さん




今、21歳の息子が中1の秋くらいから行かなくなって、それから家で過ごしています。ゲームに熱中していて、私が夜中にトイレに起きた時など、2階から息子が楽しそうにインターネットで誰かとすごく大きな声で話しているのが聞こえてきます。


―――もう気にならないのね。


今はぜんぜん気にならなくて。最初のころは階段を上がって様子をうかがうと灯りがついていて、早く寝たらいいのにと思っていました。学校に行かなくても規則正しい生活をさせた方がいいとまわりから言われていたので。その頃、私は学校に行ってほしくて、それしか頭にありませんでした。

息子は「高校には行く」と言うので、通信制か、私立の専願で行くしかないと思っていて、ぎりぎりになって先生に言わないといけない状況でした。そのことをここで話して、たっちゃんから学校に行かない選択もいれてあげてと言われ、そういう選択は私の中にはぜんぜんなくて、本当は私は納得していなかったんだけど、息子にこういう選択もあるよ、と言ったら、ニコッと笑って、ああ笑顔があったと思って。そのことを思い出すと今でも涙が出ます。(涙ぐむ)


―――どこかに行かせることばっかり考えていたのに、そのときに何よりも我が子の笑顔が一番と思ったのね。


でも、私の頭から「学校に行ってない」ということが離れなくて、でも、それがなんと、ここに通うようになって、皆さんすごく生き生きしている。「親が生き生きしていたら、それが子どもにとって一番の応援だよ」と聞いて、私もそうなりたい!と心から思うようになりました

私は前から花作りが好きだったんですけど、そのときは何もしたくなくて、「それどころかよ」ってかんじで(笑)。私は母親なんだから、息子のために何をすべきかとそればかり思っていました。

学校には行ってほしいし、担任は家庭訪問に来るし、毎朝「今日は休みます、今日は昼から行きます」と電話をしないといけない、その時間帯がすごく苦痛でした。親の会で「電話する必要はない」と言われて、「何かあったらこちらから電話しますから」と連絡してあの時間がなくなって、すごく気持ちが楽になりました。


―――お花も野菜もいっぱい植えて楽しんでいたのに、あなたの夫がくも膜下出血で倒れて大変だったのね。


それが去年の11月29日で1年経ちました。花も植え木も全部消滅しちゃって(笑)。息子はその時20歳で、息子がいてくれたのでものすごく助かりました。息子が「お母さん落ち着いて、落ち着いて」と言ってくれ、私は救急車に電話をして、息子は「お父さん、今電話したからね。救急車がくるからがんばって」と言って、夫は息子のその言葉だけが記憶に残っていて、私のことは記憶にないと言います(笑)。救急車で運ばれる時も、息子が一緒について行ってくれて、私ひとりだったらどうなっていたかわかりません。

年が明けて今年成人式で、夫は「成人式は人生で1回だけなんだから行かないと絶対に後悔する」と言っていたんですが、成人式の招待状を見せても息子に反応はなく、私は行かないと思っていたんです。それどころか夫は目が見えなくて動けないし、私も夫のことにかかりっきりで余裕がありませんでした。そしたら成人式の前日の夜になって息子が「明日、成人式なんだけど・・・」と言ってきて、どうしよう、何も揃えていないしと思っていたら、娘がユニクロで全部揃えて買ってきてくれました。「お姉ちゃんが買ってきてくれたよ」と言うと、すごく嬉しそうでした。成人式は2次会にも行って、そこで例のインフルエンザをもらってきて、翌日はのどが痛くて高熱が出て大変でしたが、でも楽しそうに帰って来ました。


―――あなたの夫が倒れた時に、息子さんに「働いて」と言って、3日間だけ働いたのね。


周りから、「息子がいるじゃない、息子が一番力持ちなんだよ」と言われて。私も働けと言われたんですが、そんな気持ちには全くなれないし、もう何も考えることができませんでした。

頭には「収入はゼロ」ということしかなくて、この家にも住めなくなる、でも夫が死んだらそれは払わなくていいんだよね、ってよぎって、いや、そんなこと思ったらだめ(大笑)、やっぱり生きて欲しい、元気になってほしいと真剣に思って、それで眠れなくて、何も食べられなくなりました。日々の生活の不安にも駆られて息子の定額貯金や生命保険をなにもかにも解約してしまって・・・。後から入院給付金が下りてきて、しなくてもよかったのにねと思いました。(笑)


―――2ヶ月親の会を休んだのね。電話での私達の話も右から左でね。(笑)


そのときは心はここになくて、もう何を聞いても入ってこなかったです。


―――今1年経って、夫はいかがですか?


目が見えるようになって、仕事にも復帰しています。先日運転免許更新で、眼科の先生からは「免許をとれる視力にはなっていますから大丈夫ですよ」と言われていたんですが、私も心配で一緒について行きました。大丈夫で安心しました。


―――命があって本当によかったですね。そうやってまた事業をされてね。


前ほどじゃないけど、仕事ができるのはすごくありがたくて、そのおかげで私は花作りもできて、気持ちがゆったりできるようになりました。それがあったから、小さなことも幸せだなあと感じます。


―――韓国ドラマにはまって、ワクワクしてるのね?(はい、しています)
で、息子さんに聞いたの?


今日の親の会で聞かれると思ったら、それがすごく負担になっていました。それでも電気屋に連れて行った帰りに「突然だけどさ、あなたは自分のこと好き?」って聞きました。そしたら「わからん」と答えました。その後考えていたようですが、私はそこまで追求できなくて、「お母さんはあなたが家にいるようになって、すごく自分が好きになったよ」と言いました。そしたら、笑っていました。


―――息子さんに「自分が好き」と言えるなんて、とても感動ですね。あなたが生き生きしているのが息子さんへの何よりの応援ですね。私も夫の心筋梗塞でいっぱい泣いたけど、でもほんとうに心筋梗塞になってよかったなと思っているんです。それを文章にして、繰り返し読んで、今を大事にして一緒に生きることがとても大事なことだと思っています。あなたも大変な体験をされたからこそ、いっそう今を大切にご夫婦仲良く暮らしていらっしゃるのね(はい)。今着ているベストは自分で編んだの。とてもよくお似合いね。


妹が編んでくれました。すごくあったかいんです。妹は「姉ちゃんの考え方は自分のことばっかり考えていておかしい。世間では通用しない」と言うんですが、私は「自分の気持ちが一番大事じゃない。いやなところには絶対に行かないよ」とはっきりと言っているので、自分で面白いなと思います。(笑)

今まではほんとうに我慢して、周りはどう思うだろうなということばかりを考えて、言いたいことも言えずに生きてきました。世間体を気にして、自分が悪いからこうなったとか、だめな母親だなと自分ばっかりを責めていましたものね。でもここにきて「親は何も悪くない」と言われて、それが一番うれしかったですね。それで救われた気がしました。

今は言いたいことを言ってるというか、嫌なことは断れるし、木藤さんに「自分がしっかりしていたら大丈夫だよ、ぶれないことだよ」と言われて、そうだよな、と思ってそれを守っています。それも親の会で何回も聞いて学んだおかげです。






私の息子はこんなにいい子なんだよ!
  もりちゃん



―――もりちゃんは2回目の参加ですね。先月初めて参加して下さって、そのあとHPの掲示板に書いて下さったのね。すごく良かったですよ。


自分ひとりでずっと抱えてきた、苦しい問題でしたが、実はまったく問題ない!ということがわかって胸がスーッとしました。帰るときは足が地面から10センチくらい浮いてるんじゃないかと思うくらい、気持ちが楽になっていました。


―――息子さんのことがかわいいとあらためて思って、そしてその日はソフトバンクが優勝して日本一になったのね。ラッキー2つでしたね。そのお気持は今でも続いていますか。


そうですね。困った困ったと思っていた問題が、別に困ったことではなかったんだとわかったら、すごく自分が楽になりました。


―――二度目に結婚した相手があなたの息子さんに虐待をして、あなたは夜眠れなくなり、涙が止まらなくなったり、寝たきりとなって、このままでは命が危ないとお母様が言ってくれて離婚されたのね。大変でしたね。


大変でしたけど、意外とすんなり離婚まで運べたので、そこはラッキーだったなあと思っています。それを思い返して、会報も読み返してみて、息子のこともこれだけ大変だったら時間がかかるよなあ、と思いました。今高1で休学中なんですが、いっぱい休んだらいいよと思えるようになりました。来年の3月で退学しようと思っています。


―――それは息子さんに伝えたの。


いえ、なかなか会えるチャンスがなくて、心の中で思っていてその思いが伝わればいいなあと思っています。ですから会報も息子の目の入る所に置いているんですけど、見ているかどうかはわかりません。息子は自分のペースで生活しているようで完全に昼夜逆転でもありません。


―――あなたのオーラが必ず息子さんへ安心として伝わっていきますよ。あなたと口をきくようになりましたか


息子は私のことを「きもい」と言います。でも「きもい」と言ってもらえるということは、「お母さん大好き」と言っていることだと思って、うれしいと思います。お祖母ちゃんとはよくいろんなことを話しています。


―――そういう見方が出来てよかったです。「学校に行っている妹にテレビを見せてあげなさい」というのはどうなりましたか。(笑)


それも好きな時間に各々好きなテレビを見たらいいんだと思えるようになって・・・。(笑)

1週間前に娘が食事に行きたいと言ったんです。それで「お寿司を食べに行くよ」と言ったら、息子が黙って部屋から出てきて、黙ってついてきました(笑)。せっかくだから天文館まで行って、くるくる回るお寿司を食べました。帰りに本屋に寄って1冊ずつ本を買ってあげると言ったら、娘は児童書を持って来て、息子はマンガを持ってきました。娘の本の方が高かったので、息子に「もう1冊持っておいで」と言ったら、息子が「いいの!」と目を輝かせて、その時私にありがとうという視線がありました。

天文館を歩く時に8歳の娘が息子にぱっと手を差し出したんです。どうするのかなと見ていたら、16歳の息子が妹の手を握ってふたりで雑踏の中を歩いていったんです。その姿を見たときに、なんていい子なんだろうと、私はものすごく感動しました。「うちの子はこんなにいい子なんですよ!」と言ってまわりたいくらいでした。そういう体験ができたのもこの会に来れたからなのかなと思いました。こんな気持ちがあることの方が、学校に行くことより大事なんだなと思いました。


―――なんてすてきなお話でしょう。お祖母ちゃんも素敵ですね。学校に行かないことをいろいろ言わないでお孫さんを受け止めている。実はあなたも家族に支えられているんだなということですね。携帯やお小遣いはどうなりましたか。


そのまま携帯も持たせていますし、お小遣いもあげました。それこそ会報を読んで、自分のことなのに「バッカじゃないの、この人は」と思いました。(大笑)


―――要は決まり事ではないんですね。心と心がどう通じ合っているかということなんですね。携帯もお小遣いも息子さんが今の自分に安心していけばちゃんと自分で判断して決めていきます。それは信頼関係なんですね。ですからあなたが親をしないということですね。私は親なんだからなんとかしなくちゃと思うと、信頼関係がなくなっていきますね。
一緒に暮らすだけでいいんですね。



母は息子が何をしていよう一切気にならないようです。一度仕事から遅く帰った時に、母から「今日は朝から何にも音がしないよ」と言われ、心配になってノックしてドアを開けました。息子は真っ暗な部屋の中で携帯をいじっていて「なに!」と言われて、「ごめん、生きてたらいいの」と言って、あわててドアを閉めました(笑)。それからは暗くなったら電気をつけるようになったようです。


―――よかったですね。あなたのお気持が楽になったことが一番ですね。何より嬉しいです。






ガンになって、いいことがいっぱいあった
   じぇりさん



―――じぇりさんは癌を宣告されたときは、とっても不安でしたね。今乳癌の「顔つき」の1、2、3の「3」段階で、悪いと言われていますが、初めのときの不安はなくなったということですね。


全くないです。他の人の話のように聞いてしまっていたんです。そういう人いるのかなぁーって(笑)。私だったんですね。(笑)やっぱり経験してみないと分からないなあというのが実感ですね。

病気に関しては、ひとりじゃなくて、支えてくれる人が特別なことをするというのではなくて、今までどうりに気遣っていただいて、職場でも親の会でもそうですし、実家の母や姉妹や、入院していたことも大きかったと思うんですけど、スタッフもそうだし、同じお部屋で治療を受けている人もそうだし、ほんとに病気をして良かったという言葉がどれぐらいほんとかどうか自分では分かりませんけど、いいことがはるかにいっぱいありました。

自分がパニックになって不安に怯える日々を過ごすだろうと思っていたのとは全く別で、普通に受け止められる自分に、やっぱり親の会に来るようになって、ここでいろんなことを聞いて、なんとなく聞いていて忘れたりしていることもあるんですけど、自分の力になっているものがあったんだろうなと、それしか思い当たることはないと思いますね。

だから一緒に治療を受けている人から「私もあんなになっていたかもな」と思うようなメールが来るんですよね。私はここにきているので、自分が思う気持ちを伝えると、「あ〜、そうなんだ」と、「ちょっと気持ちが楽になった」と返事がきたりします。親の会で自分のものになっていることがいっぱいあったんだと思って、ありがたいですね。


―――あなたの先月のお話もそうですけれど、本当に感動するし、逆にたくさんの元気をもらえて心から嬉しいです。夫との宿題はどうなりましたか。


宿題を出していただいて(笑)、ぽろっと言ったんです。「次の親の会のときにふたりで一緒にどこかに行って楽しんだかどうか、宿題を出されたんだよね」と言ったら、夫は黙っていて何も言わなかったんです。

でも唯一ふたりでリサイクルゴミを出しに行ったんです。それも具合が悪いことにその日私が職場で熱を出したんです。家に帰ってきて果物を食べ、お昼に作ってあったパスタを夫が「これ食べていいの」と言うので、「いいよ、私もお腹すいた」と言ったのに、無視して自分ばかり食べていました。

私はパスタを食べたくはなかったんですけど、昔子どもが風疹になって寝込んだときに、同じことがあったんです。私はお腹がすいているのに自分ばかりガバガバ食べて、「私もおなかすいているんだけど」と言ったら、「ふりかけご飯食べる?」と私に言うんですよ。あの人は私が作ったご飯を食べといて。(笑)

そのことが思い出されて、(―――今でも覚えているのね)覚えていますよ(笑)。でも怒る気にならなくて、悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。癌のときは泣かなかったけど。でも、元気になってきたんでしょうね、お腹がすいて夜中に起きて、鳥のスープが食べたかったので、台所で作ってそっぽ向いて一人で食べました。(笑)


―――「作って」とは言えなかったの。


言えなかったです、あっち向いてテレビ観ているんですもの。この人言わないとわからないんだと思ってメールを書いたんです。その日じゃなくて、やっぱり収まらなくて。
そしたらひとことだけ「ごめん」と来て、それについて何もないんです。「あなたは仕事より家庭が大事と言ったのに、そういうことをあなたは私に感じさせてくれたことがない。私はあなたが態度で見せて欲しい」と書いたんです。

今までは「草刈まさお」と言って庭の草刈をやっていたのに、草ぼうぼうになっているのにやっていなかったんです。メールした後、朝洗濯物を干そうと私が庭に出たら、庭の草刈が全部してあって(笑)。リサイクルに出すゴミも自分の車で捨てに行ったんですね。そのときに「私も一緒に行くよ」と言って一緒に行ったんですが、それも車は別々でしたけどね。残念の流れでしたけど。(笑)


―――そういう残念の流れでも「この人とはもう」と思わないで一緒に行ったのね。


病院にいる時も「もうこの人とは終わりだなと思ったよ」って。あの人は言葉では何も言わず、その場だけちょっと変わったことをして、何事もなかったように過ごして…。


―――じぇりさんは何もかも自分でいろいろやっていたんでしょう。夫に何もさせないで、子どもが小さい頃から、あなたが全部やっていたのね。(そうですね)私の夫への教育の仕方が悪かったなと思って(そうです)(笑)。「草刈まさお」以外に「洗濯まさお」も作る、「掃除機まさお」も作る(大笑)。絶好のチャンスですよ。


水道の栓が壊れたとかメールすると、工具があるのですることはするんです。ただ「どう思っている」とかないし、今日も「親の会に一緒に行く?」と言ったんですけど黙っていました。今まで私が一緒にしたいと夫に言っても返事がないので「返事がないのが返事ね」と言うのが私の口癖で、今までずっとそうやってきました。


―――でも、一緒に何かしたいというのがあるのね。


ありますよ。でも、あの人にないのに私がそう思っていて、一緒に暮らしている理由が分からないです(笑)。


―――ないかどうか分からないですよ。不器用なだけかもよ。


この前も星がとってもきれいだったんです。結婚する前、同じ学校にいたときに「星きれいですね。じゃ、どこかもっと見えるところがあるから行きましょうか」と誘われたことがあったんです(笑)。だから私はわざと夫に「星がきれいね」と言って、「そういえば、あの時もっときれいなところがあるから観に行きましょうって誘われたんだけど、今日はないの?」と言ったんです(大笑)。そしたら、笑って終わりでしたけど。(大笑)






学校に負けないで不登校続けて!

ヒメちゃん




鹿児島大学で達さんの講義を受けて、もう卒業して2年になります。勉強が苦手なのは相変わらずなので教員採用試験には受かっておりません。(笑)

今年の1月から3月まで行っていたんですけど、そのとき臨時採用で3年生の担任をしたときに、内沢さんから教えてもらった「たのしい授業」ができなくて、やりたいのにやらせてもらえない、周りを敵と思いこんでしまって(笑)、そんな中で3ヶ月鬱っぽくなって辛くて辞めたんです。
 
それで、しばらく時間がかかるだろうなと思っていたんですけど、やっぱり楽しい授業がしたかったので、今また11月から臨採で行っています。
 
今は担任じゃなくて、支援員という形で算数の授業を各学年に教えています。86人しかいない学校なので、今は全校生徒の名前を覚えた状態です。最初行ったときは、この学校でやっていけるかなと思ったぐらいに、集団生活をビシッとさせるところで、子ども達は教師に対してタメ語なんかもってのほかという感じで、必ず朝7時半には学校に来て、ボランティア活動という名の掃除を始めるんです。先生達は8時ぐらいに来るんです。(笑)

ボランティア活動が終わったら、晴れた日は運動場を5分間走ります。教室でも、大きな声を出さないと何回もやらされる、体育館では冷たい床の上で正座させられて、お話を聞かないといけない。自分の感動をいつでも話せるように考えていないといけないということで、私だったら絶対不登校になるという学校なんです。でも私にだけは、子ども達がタメ語で話してくれるようになって、職員室では私は異質な存在ですけど、なんとなくなじめたかなという状態ですね。


―――熱心なのはひとりかふたりなんだよね。


いえ、皆熱心ですね。熱心なので、「今見られているな」と思いつつ、「まっ、いいや」とやっています。私が2月までなので、早々と抜けるし、と気楽に思ってやっているんです。ただ子ども達が大変そうだなとものすごく思うんです。先生達はしつけたいと思って一生懸命になるんですけど、子ども達を見ると苦しそうで、我慢しているんじゃないかなと思います。

ひとりだけ5年生に不登校になっている子がいるんですよね。その子のことが職員朝会のときに話題になって、どうしても絶対病院に連れて行かないといけないと、私以外は共通理解しているんですよね。福祉関係の人も病院に連れて行って、不登校の原因を調べないといけないと言って、学校全体でその5年生の男の子に一回病院に行ってみなさいと保護者にも言って、電話も掛けてとやっているみたいなんです。

私はその子はすごいなと思ったんです。全校生徒の中で不登校になれたのはその子ひとりなんです。内沢さんの講義にもあったんですけど、登校拒否の子が増えているというのは、自己主張できる子が増えてきたということでいいことだと、今になって思いました。

私が通っている小学校ではたくさんの子ども達が、我慢していると思うんです。子どもに聞いてみないと分からないんですけど、多分、学校に行かないといけないと、親も先生も言ってくるから、やっぱり行かないといけないと思っちゃって、学校に行きたくないという自分の気持ちに対して、ウソをつくかふたを閉めるしかない状況なのに、その男の子は自分の意志を貫き通していて、しかもその子の親はその子の気持ちを認めてあげていて、頑張っほしいなあ、学校に負けないで頑張ってほしいなあと思っています。

職員朝会では怖かったですね。私は黙って聞いていたんですけど、病院にどうしても連れて行かせないといけないと、校長先生は「私が親だったら、首に縄つけてでも連れて行くのに」と言っていたのが、何と言う恐ろしい学校だろうかと思いながら下を向いて聞いていました。


―――ひどいお話ですね。そういう価値観だから、親も子もほんとに追い詰められていくんですよね。 でもヒメちゃん偉い! その子を応援する気持ちは大事ね。

今日お話できなかった方には、申し訳なかったんですけど、こうやって皆さんにお会いできて、たくさんの感動をわかちあえたことを何より感謝したい1年でした。これからもまっ先に自分自身を大切にして、毎日を大切に生きていきましょう。そして親の会でいっぱい元気をもらって行きましょうね。来年も良い年でありますように。1月15日に元気でお会いしましょう。




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最終更新: 2012.2.24
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